2011年4月23日土曜日

 頑張れ!OIKAWA ! & 頑張れ!KUMAGAI !


サトルさん  
もうゴールデンウイークも間近というのに、毎日ストーブを焚いている程、肌寒い登米市の春です。あの大地震からひと月以上経ちますが、余震のない日はありません。気仙沼のピザの店は跡形もありませんが、従業員の全員無事が確認され、不幸中の幸いでした。
私のチーム(名称「コンテナおおあみ」)は携帯電話の充電サービスや洗濯機の設置、様々な支援物資の配給を行っております。各地からの援助物資も豊富になり、水や食糧の配給、炊き出しといった生命の安全確保から→衣類、情報の提供→入浴やトイレといった衛生面の支援に移行していますが、避難所生活が長期化する中、今、深刻さを増しているのが「プライバシーの確保」です。避難所には、行政職員や政治家、ボランティア、報道関係者といった方々が次々来る中で、個々の生活をさらけ出すことは大変な苦痛です。特に赤ちゃんのいる女性をはじめ、若い女性の受けるストレスは相当なものだと思います。家族を失い一人きりでいる方も本当に気の毒です。これから被災者向けの仮設住宅ではない住宅「コンテナハウス」の提案中です。一刻も早い復興が望まれますが、かなりの時間を要することになりそうです。夏は、サトルさんの力をお借りして「こんな時だからこそ、アートが必要」っていうことを実感したいです。及川幾雄
 【及川さんとは、何でも直に言える間柄、Satoru Sato Art Museum 設立時から登米市において民間サイド応援団の中心的人物、心のゆとり、癒し、生活意識の活力をアートで、登米市に在った歴史を大切にしながら街とアート、環境とアート、人とアートの意識改革を始めようと現在  Satoru Sato Art Museum 友の会事務局長、ミュージアムを皆さんと共に盛り上げて下さっている方、復興に向けて頑張って下さい】

東京駅屋根の復元 復興の気概でおおわせて

2011年04月18日
石巻市の文化財修理業者が保管していた東京駅・赤れんが駅舎の屋根材「天然スレート」6万5千枚が、津波で流された。戦後から使われてきた良質の県産石材で、業者は4万5千枚を回収したが、JR側は再使用に二の足を踏んでいる。スレートは硯(すずり)に使われる粘板岩を薄い板に加工したもの。明治以降の西洋建築に多く使われ、東京駅の他は北海道庁旧本庁舎や京都府庁旧本館の屋根材などに使われている。登米市や石巻市雄勝町が産地だ。東京駅の屋根には戦前に雄勝産、戦後の修復で登米産の石材が採用された。石材卸売・製造業「雄勝天然スレート」の役員、四倉年思也(と・し・なり)さん(63)によると、スレートは「1平方メートルで材料だけで1万5千円。瓦の4〜5倍程度の値段」という。東京駅は2003年に国重要文化財に指定された。現在、戦前のドーム形の建物に復元する工事が2012年の完成を目指して進んでいる。ここでスレートの補修を任されたのが、石巻市の「熊谷産業」だった。同社は09年5月以降、縦30センチ、横18センチのスレート計約20万枚を駅舎から外して持ち帰った。1枚ずつ割れ目などを調べ、使用可能な約13万枚の汚れをたわしで落とした。作業が終わったものから納品し、今年7月に残りの約6万5千枚を納める予定だった。しかし、津波で保管倉庫が流され、壊滅的な被害を受けた。熊谷秋雄社長(46)は従業員と家族約10人で、2週間かけて4万5千枚を集めた。「日本を代表する建物。自分たちの片づけを後回しにしてやった」熊谷さんは元請けの共同企業体に「4万5千枚を回収した」と報告したが、「塩害もあるので、スペイン産の発注を決めた」と告げられたという。熊谷さんは「洗い落とせば問題なく使えるはずだ」と見る。JR東日本は「被災状況を確認している」という。東京駅にスレートが使われているのは、地元の誇りだった。事情を知った「赤れんがの東京駅を愛する市民の会」(東京)は15日、JRに要望書を持参。「文化財修復では、建築の遺伝子を持つ当初の材料を尊重するのが原則」と訴えた。熊谷さんは「津波に耐えたスレートを再び使ってもらえれば、復興のシンボルになるのですが……」と話している。
(一色涼) asahi.comマイタウン宮城> 記事 

【ミュージアムを見学に登米市に来て頂いたり、二度、パリでお会いしている熊谷さん、あなたの笑顔と行動力で頑張って下さい】

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