2011年5月26日木曜日

パリの画廊街はにぎわっています No-2


中央の方が Jeanne 夫人
Carré Rive Gauche 2011 展 とJacques Busse 展が開催されています。
セーヌ川左岸の在る骨董店やギャラリーが集中している地区 で5月26日、17時から23時迄、その地区の多くの店が参加してのオープニング・パーテイー、街は遅く迄にぎわいました。
早速、その日は、31,Rue de Beaune 通りに在る Artheme Galerie で開催される Jacques  Busse (1922−2004)展の Vernissge  に、作品は1943年から1995年代を中心に40点の作品が展示され、懐かしい作品とも会えて、1ヶ月ぶりに奥様の Jeanne 夫人ともおしゃべり出来ました。
Jacques  Busse は画家で在りながら国立美術学校の学長や Salon Réalités Nouvelles の会長を務めたり後進の指導にも力を注いだ画家、古くから日本人の画家、佐藤 敬とも交流を持って居た大先輩でもありました、私の方は、たまたま、ドイツのコレクターが一緒で展覧会にご一緒したり、彼のアトリエ&住まいが Denfert-Rochereau に在り(歩いて行ける所)、生前は夕食に招待されて彼のコレクションを見せて頂いたり、その後、Jacques Busse が亡くなった後、Satoru Sato Art Museum にも作品を寄贈させて頂いています。

2011年5月23日月曜日

〖 俊ちゃんからのメール!

ご無沙汰しています。

お元気そうでなによりです。

地震の被害は、スタジオのビルの方はいろいろなものが落ちたり壊れたりしましたが、仕事に大切な機材やコンピューターに被害はなく、すぐに仕事を再開する事ができました。
ワインバーの方も同じようなもので、食事難民の方々のために震災3日後の月曜日からパスタを出したりして、営業を再開しました。
さすがに自宅の方は3つの食器棚、タンス、テレビなどみんな倒れ、ほとんど壊れてしまいました。海外で集めたグラスのコレクションは、すっかり無くなってしまいました。まぁグラスは壊れるものですから・・・

チャリティーオークション、いい企画ですね。ぜひ見に行きたいです。(私に買えるものがあるでしょうか?)もしよかったら、詳細が決まりましたらFacebookなどで、多少宣伝をお手伝いしたいと思います。

では、お会いできるのを楽しみにしています。 熱海


〖 俊ちゃんとは、仙台に写真事務所を持って活躍して居る写真家の熱海俊一さんの事、昔々、取材でパリに来ていた時からの付き合い、ブルターニューの石切り場迄行って御影石の作品を撮って頂いたり、フランスが大好きな方で、フランスワインに眼がなく、ついに、自分でワインバーを開く御仁、荒町交差点からすぐの所、土樋88−5、2階の写真事務所のスタジオの下、1階にワインバーが在ります、東北大学北門に近い五橋通りの信号機手前で偶然クラッシクバイクに乗ったイカす奴が居て、よくよく見ると俊ちゃん、青春を持ち続けている彼は元気一杯、パリと仙台でお会い出来る俊ちゃんです。3日後に頂いた今日のメールでは、「仙台はやっと半袖でも大丈夫な季節になってきました。29日には南三陸町に、現地の元気な人たちの写真を、仙台の7人の広告カメラマンと撮影に行ってきます。いい写真が撮れるといいのですが・・・」と、連絡が入ってます、そう、災害から復旧に立ち向かう被害地の方々の勇気と復興の未来を感じさせる写真を期待しています〗

仙台のS・Iさんから届いた出版物は!

4月11、12日の河北新聞を送って頂いたのが先月、今日は、緊急出版特別報道写真集(河北新報社)、巨大津波が襲った、発生から10日間 東北の記録と言うタイトルの特別報道写真集がS・Iさんから届きました。
現場を見ていない人でも、この写真集に眼を通すと、東日本大震災の大きさや悲惨さが伝わって来ると思います、フランスのテレビで放映された映像やインターネットの映像はまさに大津波に襲われる瞬間を、又、津波が引いた後の残骸の姿、小雪降る中での遺体捜査等、放映していましたが、ニュースは常に新しい報道を中心に、3月11日に起きた大震災と福島原発事故は、5月に入ると、フランスのテレビで報道されるのは原発事故の処理問題でたまに報道されるぐらいで、勿論、世界中に地震と津波、そして原発事故と言う大きな衝撃を、人々の心の中に恐怖を植え付けました、今、手元に大震災の津波の特別報道写真集を見るとテレビの映像とは異なる景行がよみがえります、名取市、南三陸(志津川)、若林区、石巻、気仙沼と言った地名が写真の下に記されているページをめくって行くと、遊びに行った事の在る場所、親戚や友人が居た地区、見舞いの言葉も出て来ません。同じ仙台市内でも海岸地区と内陸部の被害の違いは見た目にも違い、今でも復旧が進んでない被害地が在り、災害を受けた方々はそれぞれ異なり、今、どのような生活をしているのか心が痛みます、そして災害が起きていない仙台市内の建築物も大きな問題を抱えて居る様です、仙台市内の新しい高層ビルは耐震用に作られて居ますが、古いビルが震度6度以上の耐震用に建築されて居るかどうか、ビルの老化と度重なる地震で傷を負っているビルも多く、何らかの手だてを加えないとビル崩壊と言う事故を起こす可能性もあり、それはビルに限らず、平屋の家屋にも言える事、写真集は記録と共に、いろんな事を知らせてくれます。

2011年5月20日金曜日

パリの画廊街は賑わっています。

Froment の個展会場

今月パリでは仲間・友人達の展覧会が続いています。
5月5日は、Mark Hachem ギャラリーで、Vasarely , Soto , Corda , Cruz-Diez , Perez-Flores の5人展、
5月10日は、la Galerie Akié Arichie で、Joël  Froment の個展と、Galerie Argentine (アルゼンチン大使館、文化広報部)=Ambassade de la République Argentine en Franceにて、Garcia- Rossi の個展、特に5月19日は、
Galerie Louis Carré &Cie でMark Brusse の個展、galerie gimpel & müller では、marie-thérèse vacossin の個展、昨年の夏に亡くなったHenri Prosi の遺作展が galerie Lahumiere で開催と夕方からオープニング会場3カ所の移動は良い運動に成ります。

Mark Brusse の個展会場にて左がMark


Perez-Flores 







Vacossin 個展会場にて
 Prosi Jacquline
Henri Prosi 遺作展にて


2011年5月18日水曜日

佐藤 義明 さんからの 返信メール、

メールありがとうございました。

徐々にではありますが、第二段階、復興の段階へ物事が進展しつつあります。

大学も新学期が始まり、学生のボランティア活動は、土日に集中して行われることが多くなりました。
学生の反応は、宮城大を例にしますと、被災者の看護などがあり、看護学部の学生が一番関心を持っているようです。
宮城大は気仙沼市および南三陸町と地域連携で協定を結んでいます。特に南三陸町の復興計画に多くの教員が関係しています。

プロ野球の方は、明日から交流戦が始まります。楽天は、巨人との試合から交流戦をスタートします。
18日は私も、息子たちと見に行く予定です。楽天が勝つことで、被災地は確かに元気づくことと思います。
達さんが来仙されましたら、また、観戦にいきましょう。今から、計画をたてておきます。
(楽天観戦(日中)〜泉中央へ)。
そう言えば、同級生の片倉君が登米市の教育委員に選任されたようです(河北新報で知りました)。

義援金の件、ご苦労さまです。
それでは、仙台でお目にかかれますことを、今から、楽しみにしております。

佐藤義明
〖既に、何度かブログに登場させて頂いています義明さんは私と異なり、温厚で、常に冷静、冗談を言わない、にこやかな真面目な方、3年後輩、彼から学ぶ所、大です、中学、高校と野球部で活躍した彼は、今は熱心な楽天フアン、私が仙台に行くと必ず席を予約して下さり解説付きの楽しい観戦、楽しみでもあります、又、メールに書かれていました、東日本大震災は、徐々にではありますが、第二段階、復興の段階へ物事が進展しつつありますと聞いて、少し、ホット胸を撫で下ろしています 〗

2011年5月16日月曜日

仕掛けられた事件か!

今日のフランスのテレビはカンヌ映画祭、2年前に海に消えたエール・フランス機のブラック・ボックスの発見と記録解読、スペインの地震、アフガニスタン、イラク、イラン、シリア、リビアの状況のニュースも吹っ飛ぶ事件が流れています。なんと、国際通貨基金のトップ、専務理事のドミニク・ストロスカーン氏がニューヨークで逮捕されたと言う、ドミニク・ストロカーンとは、来年の次期フランス大統領選に立候補すれが当選可能と期待されている人物だけに、いろんな憶測が為されて、何かの事件に巻き込まれたのではないかと、今回の事件を解明しようと、特にここ、2、3日、偶然にも、彼に対するスキャンダル批判とも言える(高価な洋服を身に着けている、最高級車のポルシェを乗り回している等)ニュースがテレビで流し出された直後の事件、誰かが仕組んだ罠ではないかと、今回、宿泊先ホテルで女性従業員に性的暴行を加えたとして身柄を拘束、性的暴行、強姦未遂、監禁の容疑で逮捕、訴追されたのはあまりにも不自然、特に、彼がホテルを出て、ケネディ空港発のパリ行き航空便に乗った所で、ホテルから通報を受けた港湾・空港当局者が離陸直前に彼を連行したと言う、それはまるでシナリオが出来ていた様にあまりにも完璧で不自然であると。誰がしかけたのか、アメリカとフランスの生活文化の違いと、法律の違いの中で巧妙に仕組まれた事件なのかと、彼が逮捕された事により、財政危機に直面する欧州諸国への支援策をめぐる協議が停滞する事は確かで、世界の中での欧州ヨーロッパとアメリカの経済問題、指導力の在る彼への嫉妬、失脚を狙った陰謀かフランス中に大きな波紋を広げています。また、来年のフランス大統領選に関しても、先週の仏メディア調査で、ストロスカーンは26%、極右・国民戦線のマリーヌ・ルペン党首(22%)やサルコジ氏(21%)を抑え、いつ社会党から出馬表明するかと期待されていた矢先の事件、彼は財務相時代の1990年代に通貨ユーロ導入、通信会社フランス・テレコム民営化を進め、財界との関係を持つ中道派としても知られ、IMF専務理事での活躍、国際的知名度から、次期大統領選で左右からの広い支持を集められる人物と期待されていた彼だけに、アメリカを舞台に仕掛けられたスペクタクルは今後どのような展開と結果を生むのか今まさに幕は上がり始めたのです。

2011年5月15日日曜日

LIVRES EN MAI 展、開催

LIVRES EN MAI 展がパリの  LYCEE  HENRI   IV(高校)の中庭に面した回廊を会場に 5月14、15日の2日間、開催されました。オリジナル出版展と言ってもよい展覧会、画家の版画集も在れば、詩人と画家の共作の版画集、造型作家のオブジェ作品であったり、総てが限定版ナンバー&サイン入りの展覧会、会場で直接、買えるシステムで40社の出版社や印刷工房が参加している展覧会、日本ではなかなかお目にかかれないと思います、パリにはサロン・デ・リーブル(Salon des Livres)と言う書籍出版物を扱った展覧会も在りますが、オリジナル書籍と言える展覧会、毎年、出品しているシルクスクリーン版画工房、Del'Arco 出版社の代表、François Pattez に会いに、11時頃、にわか雨が降りましたが、12時には嘘の様に晴れて、パンテオンの裏側に位置する名門校アンリー・キャトウル高等学校の中庭はコレクターで賑わっていました。会場の入り口を入ると案内役の方々が、奇麗な手袋を手渡して下さいます、オリジナル版画ですから汚い手で触ったら大変、必ず手袋をして本を拝見して頂く様な心使いはさすが、それに小さな奇麗なパッケージに入った男性には男性用化粧水、女性には女性用クリームまで同時にプレゼントされます、気分よく、作品=本(出版物)を手に取ってゆっくり観れる所は素晴らしいです。

お花で活躍している森はるおさんからの便り

サトルさん、ご無沙汰してます。

震災から2カ月経ち、海沿いの地域や原発はまだまだ大変ですが、
こちらはだいぶ落ち着きました。
余震は相変わらず頻繁にありますが・・・

店舗の大きなガラスが壊れて、休業していましたが、やっと仮工事が終わったので、
明日から2カ月ぶりに、営業を再開します。

ご心配をおかけしました。    はるお 

〖 仙台でモリ・ハルオと言ったら、あの花屋さんと、花の好きな方なら誰でも知っているお店、現代建築空間のお店は室内と外の区別を無くした大きなガラスで仕切られ、天上の高い室内は清々しい自然光が入る素敵なギャラリー空間、中2階から1階のお花一杯の空間と道路を往来する人々を眺めながら御馳走になるコーヒーは格別です、お花の指導でも人気の在るハルオさんから、明るい営業再開のニュースを頂き、ホットしています、仙台に旅した時は、是非、寄らさせて頂きま〜す 〗

2011年5月10日火曜日

Horacio Garcia Rossi 展、開催

親しくさせて頂いて居る光りを追求する作家 Garcia Rossi の個展がパリ16区のアルゼンチン大使館で開催、オープニングパーテイーは5月10日、18時より21時迄、パリ生活52年を迎え、多くの彼のフアンが、友人達が集まり、フランス語とスペイン語が聞こえる賑やかな一夜、ドイツの展覧会から戻り、なんとか間に合いました。連帯=登米のオークションを気にかけてくれる方でもあります、私のブログで既に何度か紹介している Garcia-Rossi は元気そのもの、今回の展示作品は最近作のみ、表面の大きな壁には大作が中央に展示され、普段、白い会場の壁は黒く塗られ、作品は青を基調にした作品、展示空間は深い青の基調空間と成り、静けさの中に光りが鋭く、時には柔らかく輝き、平面作品でありながら立体的な空間を生み出す作品と青の平面に微かな光りを生み出している作品は幾何学的構成的でありながら、イリュジョンを生み出し、鑑賞者に軽やかな緊張感と生命体の核心に衝撃を与える様な静と動の空間を生み出している、60年代に電動機械による計算された光りを追求したオブジェと異なる平面の中での追求は更にその60年代と異なる現代絵画空間を作り上げ、動的絵画へと精神が息衝いている素晴らしい作品と空間、是非、鑑賞して頂きたいものです、会期は6月3日迄、右下の写真中央は Mademe Garcia-rossi です。


やはり、頑張って欲しいと思います。



2011年 Q1 モバイル市場、シェア縮小の Nokia と躍進した Apple
( japan.internet.com 5月9日(月)15時1分配信 )

米国 IDC が、2011年第1四半期の世界モバイル端末市場に関する調査結果を発表した。それによると、スマートフォンと従来型の携帯電話を合わせた出荷台数は過去最高の3億7,180万台だった。
1位は引き続きフィンランド Nokia が獲得した。出荷台数は1億850万台で前年同期の1億780万台より増えたものの、市場シェアは29.2%と前年同期の34.7%から縮小している。
2位は韓国 Samsung Electronics で、出荷台数7,000万台(前年同期から600万台弱の増加)。ただし、市場シェアは18.8%(前年同期は20.7%)となり、Nokia と同じく減少した。
3位の韓国 LG Electronics は、出荷台数と市場シェアの両方を落とした。具体的には、出荷台数が2,450万台(前年同期2,710万台)、市場シェアが6.6%(同8.7%)だった。
対照的に好調だったのは、4位に入った米国 Apple である。同社は当期も成長を続け、出荷台数1,870万台(前年同期870万台)、市場シェア5%(同2.8%)となった。
5位は中国 ZTEで、市場シェアを前年同期の3.3%から4.1%に増やした。
なお、IDC によると、モバイル端末市場で出荷台数を大きく増やしているのはトップ5以外のベンダーだという。これらベンダーの合計出荷台数は約1億3,500万台(前年同期9,220万台)で、全体の36.3%を占めた。こうしたベンダーの代表として、IDC はインド Micromax、中国 TCL/フランス Alcatel 連合、中国 Huawei Technologies、カナダ Research In Motion(RIM)を挙げている。

【たまたま、記事を読んで、昔、世界・ハイテク産業界の常連に日本企業が名を連ねていました、激動する世界の中で、唯一世界に誇れる日本の製造業部門迄が、いつの間にか静かに後退して居る様に思われます、頑張って欲しいと思いますね!
東日本大震災・被害地では、悲しみを乗り越えて復旧作業に従事し前進している勇気在る熱い皆様が居ます、皆様の心意気を頂いて、見習って、日本経済を立て直す機会、製造業部門だけが先進国で、政治を含め他の分野では世界に通じない後進国と言われない様に、頑張って欲しいと思いますね。】

2011年5月8日日曜日

ドイツでの展覧会は、



                             5月8日、午前10時30分より KOSTBARKEITEN 展が開催されました。Treffpunkt Kunst の名で企画される主は、Giebel 夫妻、年に2回、この会場で企画、場所は Atelier im Museum Haus Ludwig 、Saarlouis 市の美術館2階会場です、Giebel 一家とは30年のつきあい、Michel Seuphor の紹介で1981年9月にドイツで初めて個展を企画して頂き、日本美術評論家初代会長の岡本謙次郎先生も駆けつけて下さり、当時はMuseum が出来ていなく、文化会館での会場で40数点の個展、その後、2007年に再度の個展、その間に Giebel の企画する多くのグループ展等に参加、昨年の9月は5人の招待作家が各自一人自分の好きな作家を招待する10人展に招待され、私は日本の同じ傾向の作家・北川順一郎氏を推薦してお世話に成って居ます。左上の写真は、挨拶する Giebel  氏、二段目は市長、下の御夫妻の写真は薬局を経営している Giebel 氏のお姉さんとご主人、美術館の様に多くのコレクションをしている方でも在ります。今回の展覧会では、Satoru Sato Art Museum に作品を寄贈している作家の方々の作品も、Seuphor, Piper,  Leppien, Nemours, Luc Peire,  Contreras, Dietrich Mohr, Lussigny, Zanotti,  Herrera,  Mavropoulos の作品にお目にかかりました。
 
 

 
すぐ上の写真は、左から友人の Mavropoulos とZanotti に、3月11日を境に細めに成った私です。昼食は皆さんでいつものホテルで、太陽光線を気にする方々は室内に、外の空気を浴びたい方は太陽一杯のテラスに別れて、美味しい料理、デザートが終わってカフェを飲む頃には、葉巻好きな Giebelさん、息子の Marcel 、造型作家の Pierre にキューバ産、ハバナの葉巻をプレゼント、皆さんで吹かして楽しみました。


2011年5月7日土曜日

みんなが 頑張っている!

東北太平洋沖地震災害で全国各地から歯科医師が遺体身元確認の応援作業にボランテアで参加、厳しい作業の中で精神的に体調を崩す方も居たり、これまでに800体の遺体を扱った方も居る様子、歯並び、治療痕などを記録し行方不明者の身元確認に協力している知り合いの先生が被害地で頑張って居ると共通の友人から連絡が入り驚いています(被災者の遺体を歯科医師が検死する事は,既に、2004年に発生したスマトラ沖大地震の津波で多くの犠牲者を出していますが、タイのプーケットで津波に巻き込まれた犠牲者約3600人のうち54%は歯科的所見によって身元が明らかに、津波以外では、ニューヨークの9・11同時多発テロでは被害者の35%、2009年2月に発生したオーストラリアの山火事では犠牲者の62%が歯科医師によって身元確認されたと言う記録が在ります)。
フランスでは、2009年6月、ブラジル・リオデジャネイロ発パリ行きのエールフランス旅客機が大西洋に墜落、テロかエンジントラブルか乱気流に巻き込まれたかと墜落事故の原因が分からないまま、既に2年に成ろうとしていますが、ついに海底3900メートル、海底水温0度の中で捜査隊のロボットが機体とブラックボックスを発見、これから事故の内容が解明される様です、みんながどこかで、使命感を抱いて困難と立ち向かって頑張っている姿には感動を覚えます。
フランスでは日本の大震災のニュース、毎日の様に流され津波の映像や特別番組迄組まれた福島原発事故のニュースも最近は現場の状況を静かに見守っている感じで作業の進展を知らせるニュースのみです、皆が頑張っている、皆が心配している、皆が見守り期待している、復興に向けてみんなが立ち上がって居る、贅沢言わずに我がまま言わずに平穏な日を迎えられる様に願っています。8日の日曜日、午前10時半からドイツ( Saarlouis )の美術館での展覧会オープニング・パーテイー、私の作品も出品しているので明日は2ヶ月ぶりのドイツへの旅、今回は荷物も無いので気軽にTGVで旅して来ます。パリに戻りましたら、展覧会の様子をブログで紹介させて頂きます。

2011年5月6日金曜日

市野さんからのメール、

佐藤 達 様
未だに被害の全容が解明できずに、イライラの続く日本です。それだけ広範囲に被害が及んでいるわけで、世界中からの善意をうまく受容できないのが現状かもしれませんね。
何とか自分たちのできることを着実にという思いはありますが、まずは生活を元に戻すことが第一かもしれません。あまりの自粛ムードは、日本の活力を失うことになりかねませんからね。
先月下旬、伊豆の下田で新入生のオリエンテーション合宿を実施してきましたが、4月の観光シーズンにも関わらず、ホテルの宿泊はほとんど本校の生徒たち(58名)のみで、個人客が2〜3グループのみという惨状でした。お陰様で、オリエンテーションは野外での体験(海岸でのブラインドウォーク)や制作(風景画)、写真作品の制作、箱根彫刻の森美術館での鑑賞等と無事にこすことができ、生徒たちの感想も上々のものでした。海のそばということだけで敬遠されたり、あまりにもさまざまな行事が早めに中止されたりしてしまうのは、疑問を抱かざるを得ません。
東京の展覧会も多くのものが中止となり、日本の文化全体が停滞しているような印象を受けています。致し方のないものもあるようですが、あまりにも過敏になるのはいかがなものでしょうか?でも、このゴールデンウィークは、被災地でのボランティアも含めて多くの人が移動しているようで、日本名物の高速道路の渋滞はかなりの長さになりました。市野 泰通


〖 市野さんは中川さん同様今年4月、パリの招待サロン・レアリテイ・ヌーヴェルに出品した作品を " 連帯・登米 "  のパリの連帯・オークションに出品して下さると言う事でお世話に成って居ま〜す、今日は、Satoru Sato Art Museum に寄贈して下さった Mark Brusse , S. Cousot,  E.Jonquière の作家の作品、また、作品傾向が違いますが古くからのつきあいのモンパリナスに住む 高齢の D,Léota 、国立パリ美術学校のサンジェ教授のアトリエで一緒に学んだ K,Malla の作品も手に入りました。パリの天候は晴れ、日陰は未だ未だ涼しいと言うかセーターが必要です、今日は南仏に住む Cousot の息子、カサブランカに住む Yoënがパリのおばあちゃんと一緒に親父の作品を届けてくれました、3年前に私の娘の結婚式披露宴に親父と出席してくれた家族の様な間柄、3年ぶりに会った訳ですが、もう私より背が高く成って、建築家を目指す13歳の少年、もうおばあちゃんは孫の為とパリ案内役をかって出て、これから美術館を廻るとか、親父の Cousot は1994年に登米祝祭劇場の庭に私の作品を設置する時に手伝いに来てくれた当時、パリ大学の優秀な学生、私の授業でもトップの成績で、私のアシスタントとして日本に同行しても居ましたが今は美術学校と大学で教鞭を取り、現代美術の作品を制作する作家でもあります、今でも、パリ大学の教え子達とは、特に、今回の東日本大震災では、普段、連絡が途絶えていた教え子から心配と見舞いの連絡が届いたり感謝しています、パリの変化と言えば、先日迄、福島原発事故に対して批判的だった周りが原発事故は日本の問題と言うより世界の問題として捉えている方々が増えて来てまして、また、事故の真相を心配して意見を言わなくなり非常に難しい問題の様です、私が同情されるって、喜ばしい事では無いな、と思うのは人間が狭いのかな! フランスのテレビは、フランス人旅行者を狙ったマラケシイのテロ爆破事件と、ビンラデインとニューヨークの映像が中心に、また、仏サッカー協会の協議会の内容が外に漏れて、内容の一部にアフリカ系黒人が多すぎると言う意見が暴露され、人種差別だとスキャンダルに発展しそうです。〗

2011年5月4日水曜日

須藤さんからのメール!

おっはよ〜〓〓〓    余震が毎日数回あります、多少の揺れ(震度3ぐらい)ではビックリ〓しなくなりました。国分町はかなり閑で大変みたいです!先月ミステーに行きましたが、やっぱりガラガラでした!早く来仙してにぎやかにして下さい、待ってま〜すよ〜〓被災地はまだまだ大変みたいですが、旧市内はだんだん動きが出て来つつあります。これからです!頑張ります、よろしくお願いします!

明るさ一杯に!変心!

東京の友人二人から見舞いのお手紙を同時に頂きました、4年前の夏 Satoru Sato Art Museum が出来て間もなく、私とミュージアムのスタッフの皆様にと土産を持って来てくれた井上さんから、〖このたびの大震災、ご郷里の皆さまには、ご無事でお過ごしでしょうか、心よりお見舞い申し上げます。美しい山や水田の広がる世界に自まんできる風景が一瞬にあのようなことになり、言葉もありません、車でご案内いただいた登米市のご実家や立体彫刻の数々、アートミュージアム等、被害が軽かったことを、お祈りしております、ご心傷も多いことと思います、どうぞお体 大切に! 何かお役に立てることがありましたら、お申し付け下さい。〗、もう一通はその1年後、3年前の夏休みに田舎に遊びに来て下さった佐々木さんから〖震災のお見舞い申し上げます、時々、佐藤達の独り言を拝見して居ます、日本は大変な事に成って居ます、特に被害地のみんなは、自衛隊やボランテアの皆様も、勿論、住民も一生懸命、復旧に向けて頑張っています、問題はその後遺症として日本がどれだけ経済的に打撃を受けるか(既に受けていますが)、でも、いつまでも泣きべそをかいては居られません、復活です、先ず心の復活を、今回の被害をプラス思考に、これほどの被害を受けた国は無いのですから、記録は貴重な情報として、また、逆に今だから出来る地域に在った街作りを、東北が日本の農業、林業、漁業、工業のモデル地域として、人がより安全で生態系を守りながらより住み易い街に再生する様に、元気を出して、既に、日本人は立ち上がっています、行動して居ります、パリ発信のブログは、楽しいパリの話で埋め尽くして下さい、佐藤さんが日本の事を心配するのは解りますが、皆さん、それぞれ手持ちの役目が在ります、佐藤さんのブログは、楽しいパリのニュースを楽しみにみているのに、最近のブログ、日本の新聞の切り抜きが多く掲載されて居ましたが日本の方々は誰でも知っている事ですから、そんな事より、楽しいパリのニュースと日本に流されない海外のニュースを、そういうブログを楽しみにしている仲間が居る事を忘れず、元気に東京での再会を楽しみにしています。〗、仙台の今野先輩に電話を入れたら、楽しい話聞かせてくれ、周りは暗い話ばっかり、ボランテアで手伝いに行きたいが高齢者お断り、いくら暇でも、未だ未だ、国分町に行けない雰囲気だよ、今、外で飲み歩いていたら国賊呼ばりされそうだと、マー、サトル君が仙台に来る頃には一緒に行けるかな、元気な楽しい話を待って来てよ、それにしても、未だ未だ、大変そう、多いにパリの楽しいニュースを掲載しようと反省しています。

お手伝い、頑張っています!

















Chatillon の Maisom des Arts に作品展示風景の写真を撮りに、朝一番が光りが入るから良いと言う事で9時に到着、パリ郊外と言っても我が家からは車で15分、今日の午前中はのんびり撮影と思って居たら、館長から10時に子供達が見学に来る計画が入って居ると言う事で、早速、コーヒーも頂かずに撮影に、照明を消して自然光で、只、実際、撮影に入ると朝の光が強過ぎて逆に昼の方が全体に光りが届き柔らかそう、後日、又、撮ろうと考えながら展覧会場の写真を無事撮り終え、三脚をしまい始めた時、タイミング良く、引率の2人の先生に連れられて20数名の小学1年生の子供達がやって来ました、明るい子供達、静かな子供達、日本人に初めて会う子供達も、みんな眼を輝やかせている、芸術館担当者の一人キャロリンヌ女史が静かに展示会場を案内して説明が始まり、1時間はかかると聞いたので子供達に挨拶して私は退散しましたが、展覧会を見学するのが初めてでない子供達の態度、子供達と気軽に柔らかく優しく笑顔で会話するキャロリンさん、今回の展覧会の図録作成にも責任者の一人として立ち会って下さいましたが、芸術を愛する方々に触れる事は楽しい事です、この芸術館には館長のセールジュ氏、学芸員に相当するキャロリヌさとアンヌさん、他に、モニックさんとジョルジュさんが勤務、他に市役所の方から忙しい時に派遣される方も居ますが、普段は5人の方々が居ます。キャロリンヌさんとアンヌさんは、日本に滞在した事が在る親日家、日本の現代音楽のCDを5枚置いて来ました。
午後は〖 連帯・登米 〗の連帯・オークションの為に作品を既に届けて下さった方々の作品整理のリスト作り、造型作家で昨年の登米アートトリエンナーレにパリから参加して下さった Serena さんが応援に来てくれて安心、本来、5月半ばにオークションの事務局で作品を預かる事に成って居ますが、その時期にパリを留守する作家、パリに住んで居ない作家の方、丁度、パリに来るのでと事前に作品を預かったり、パリの招待サロン、レアリテイー・ヌーベルの搬入日や搬出日に作品を早々と置いて行って下さった方々も、30点以上、パリ郊外に在る私の倉庫は保管しています、作家名、作品のサイズ、タイトル、素材等を記入する作業、慣れているとは言え、1点1点包装し直しして作品を確かめたり、時間が掛かる作業です、中には読みにくい字も在り楽しい事、今日は昼食後14時から17時迄、明日も14時から17時迄の作業です、明日の午前中は知り合いの作家の作品を預かりにモンパルナス地域を廻ります(高齢者の作家の方の作品を頂きに)、Pierre から連絡が在り来週から各作家に正式な依頼の書類を送れると(これ迄は電話でのお願いでしたが)、搬入日と搬入場所が決まったので、後は、オークション専門家の Chayette et Cheval 事務局とそのスタッフ、公認鑑定人でも在る Galerie Drouart のArthurや Daniel の二人も忙しく成ります、また、私が長年世話になっているパリの公認会計士 Benoit 氏もボランテアで参加して下さる事に成り、お金の間違いが無い様にと万全を期して、最終的にどれくらいの作品が集まるのか心配と言うより気になりますが、作家の皆様は、みんな一緒に心配している、みんな一緒に生きている、日本が、宮城県が、登米市がより近い存在に成っている様です、
仲間の作家達、そしてコレクターをはじめとする皆様の応援を頂いて、パリから日本の被害地で頑張って居る方々に、パリの芸術家達の温かいメッセージを届けようと、その橋渡しのお手伝いに頑張っています。

2011年5月3日火曜日

復旧に向けて、

ライフライン復旧懸命 一刻も早く―不眠不休の作業

急ピッチで進む電線の復旧作業=4月19日、石巻市の石巻工業港
本土と大島を結ぶ海底送水管を押しつぶした沈没船の引き揚げ作業=4月27日午前8時30分ごろ、気仙沼市
東日本大震災では、暮らしを支えるライフラインがずたずたに寸断された。震災から50日が過ぎても水道、電気、ガスが通じない地域がある。「一日でも早く、一世帯でも多く」。被災地ではきょうも、復旧に向けて懸命の努力が続いている。
◎水道/気仙沼大島51日ぶり給水 最大余震直撃沈没船、海底管つぶす
気仙沼湾の尾崎漁港沖で4月27日朝、海底に沈んだ漁船の引き揚げ作業が始まった。約1キロ先には離島・大島がかすんで見える。
大島で暮らす約1100世帯、約3200人は震災以来、沢水やプールの水を消毒して飲み、しのいできた。大島への給水を再開できるかどうかは全て、この沈没船引き揚げに懸かっていた。
本土と大島を結んで海底を走る送水管は2本。うち1本(直径10センチ)がまず、3月11日の本震で破裂した。本土側の給水網もずたずたになった。
気仙沼市は本土側の浄水場から給水網の修復を進めた。4月3日、残る1本が沈没船の下敷きになりながらも「奇跡的に生きている」(気仙沼市工務課)ことが分かった。
光明が見えた直後の4月7日、最大余震が襲う。沈没船が傾いた弾みで、辛うじて生き残っていた送水管(直径15センチ)に亀裂が走った。万事休す。沈没船を取り除き、傷ついた送水管を取り換える以外に選択肢はなくなった。
沈没船の撤去を見届けて、市の復旧作業は加速した。ダイバーが送水管の水漏れ箇所を確認し、破損したパイプを交換。大島側でも壊れたポンプ場の修理を急いだ。4月30日には試験通水で塩分が混ざっていないかをチェックした。
5月1日、震災から51日ぶりに大島への給水ラインが復活した。
一方、気仙沼市南部の本吉町地区では、沿岸部に近い水源地域が相次いで津波にのみ込まれ、高台の浄水場に水を送るポンプも壊れた。
水源の塩分濃度は国の基準の3倍に上る。本吉町地区の約3500世帯のうち約2500世帯は、今も断水生活を強いられている。
市は、比較的被害の少なかった水源を探して仮設ポンプを置き、浄水場まで送って飲料水を確保する計画を立てた。ポンプは5月下旬に稼働する予定で、ようやく大半の世帯の断水が解消される見通しとなった。
市中心部と本吉町地区の両水道事務所も津波に襲われた。直後の混乱の中、市は「人命保護」を最優先に「漏水覚悟」(工務課)で市立病院に水を送る決断を下した。
水道の全面復旧に向け、超えなければならないハードルはなお多い。
市浄水課長の昆野正彦さん(58)は「一日でも早く全世帯に水を届けられるよう、復旧に全力を尽くす。一つ一つの問題を片付けるだけだ」と淡々と話した。
(田柳暁、狭間優作)
◎電気/石巻工業港 荒野に電柱200本月内供給目指す
津波の直撃を受け、林立する工場群が徹底的に壊された石巻工業港。
「石巻市の産業復興の浮沈を左右する。何としても事業所の再開スケジュールに間に合わせる」
東北電力石巻営業所長森則之さん(52)が力を込めた。「工業港の再生」。電力マンのプライドを懸けた大工事が始まった。
がれきの荒野に高所作業車が並ぶ。電柱約200本を新たに立て、電線をはわせる。他県からの応援を含め、多い日で75人が作業に当たる。
電力供給の心臓部とも言える変電所も破壊された。一部の工場には、別の変電所経由で送電できるが、工業港一帯の電力を賄うには、変電所機能を回復させなければならない。
東北電力は移動用変圧器2基を持ち込み、5月中の供給再開を目指す。「地域の期待に応えるためにも作業を急ぎたい」と森さんは語る。
各家庭に明かりを届ける懸命の作業は、海沿いに小さな集落が点在する牡鹿半島でも続いていた。
25戸70人が暮らす宮城県女川町の高白浜集落では、津波で幹線が数百メートルにわたって寸断した。
集落の高台にある民宿「海泉閣」には、多いときで約320人が避難した。非常用発電機で照明を確保したが、高白浜区長の木村清蔵さん(70)は「燃料不足で、集落内の軽油をかき集めた。電気が通ったときは本当にほっとした」と振り返る。
東北電力は、集落を大きく回り込むように走る県道に目を付け、新しい幹線を敷いた。電気が通ったのは、震災から1カ月がたった4月13日だった。
石巻営業所配電計画課長の種市法弘さん(46)は「応援隊も含め、一丸となって取り組んだ。現場の作業員には感謝の言葉もたくさん寄せられ、大きな励みになった」と言う。
震災では石巻営業所自体が津波で冠水し、社員約80人が取り残された。作業車両も約半数の35台が壊れた。復旧への第一歩は、社員がボートに乗り込み、営業所周辺の電線を巡視することから始まった。
あれから約50日。管轄する石巻、東松島両市と女川町の全約12万6000戸に及んだ停電は、住宅自体が流失した地域を除けば、4500戸を切るところまでこぎ着けた。「あと一歩」。営業所は、被災地の真ん中で奮闘する。(佐藤崇)
◎都市ガス/人海戦術全国から延べ8万人
震災直後に供給が全面停止した仙台圏の都市ガスは、全国のガス事業者延べ約8万人が応援に入る空前の人海戦術で、復旧作業に臨んだ。
2日現在、3市3町1村の31万4196戸(復旧率99.8%)で開栓作業を終えた。津波被害の大きな仙台市の東部沿岸地区と、地滑りの危険性がある一部地区は、いまだに復旧のめどが立っていない。
津波に襲われた宮城野区蒲生地区と周辺の計372戸は、国や県の復興計画が関係するため、復旧作業も進まない。
仙台市ガス局は「住民のほとんどが避難生活を送っている地区で、各戸の開栓を急ぐ必要性は低い。地域の復興に合わせて復旧作業を進めたい」との考えを示す。
青葉区折立4、5丁目と太白区緑ケ丘4丁目は、地震による土砂崩れや地割れで警戒区域、避難勧告地域の指定が解けない。市は地中で地滑りが起きている可能性があるとして現在、地盤調査を行っている。
調査結果は5月中旬にも示す予定。市ガス局は「地滑りが起きていないことが確認でき次第、開栓作業に着手したい」と説明する。(河北新報・2011年05月03日火曜日より)

一刀斎より、修正メールが届きました。

仙石線の<東松島から石巻>は<東塩釜から石巻>の間違いです。米軍の<ソウル・トレイン作戦>は野蒜駅付近を重点的
に捜索やがれき撤去をしたそうです。<ともだち作戦>一応終了したそうです。
目立たないように来て、目立たないように作戦をして、目立たないように離れるそうですよ。
ところでビンラディン死亡のニュースが流れています。アメリカの静かな作戦でしょうか。派手にやるときはやる・・・。
報復テロがないといいのですが心配ですね。
 東京の余震の回数は減っていますが、時々は揺れています。岩手、宮城、福島、新潟、長野、神奈川、埼玉、茨城と震源地がぐるぐる回っているような感じがします。震度1,2では感じなくなりました。いつでも揺れているような地震酔い現象かもし れません。一刀斎

2011年5月2日月曜日

ウサマ・ビンラディン容疑者殺害される。


5月2日朝、昨夜の天気予想では午前中晴れ、日中気温22度と言う、9時に展覧会会場に行って照明をつけずに自然光で会場写真を撮る予定で7時起床、朝食を取りながら空を見ると残念ながら曇り空、肌寒い、今日は曇り空らしい、早速、計画変更、今日はアトリエの掃除と整理をしようと朝食を取りながらのんびりテレビをつけたら、なんと、アルカイダの指導者で2001年の同時多発テロの首謀者とされるウサマ・ビンラディン容疑者を米国の特殊部隊主導の作戦により5月1日にパキスタン北部のアボターバードで殺害した様子がテレビで報道されていました、死亡した直後の負傷したビンラディン容疑者の顔もテレビで放映、アルカイダはイスラム過激派の象徴的な存在を失ったといえますが、第二、第三のビンラデインが現れる可能性もあり、一時的に反米・反デモクラシーのテロ行為が高まる可能性があると、警戒を高めています。オバマ大統領の異例会見は、昨年8月に入手した情報が、ビンラディン容疑者の所在特定につながり、4月29日午前に作戦遂行の最終指令を出したと、ニューヨーク市民、ワシントン市民、パリ市民、モロッコでテロが在ったばかりのマラケシュの街等でのインタビュー等の取材で賑わっています、同時にテロ対策の専門家やイスラム専門家の方々の解説や話し合いが今週は続きそうです、理論的に分析して話し合いが大好きで批判的にものを見て、討論する事にかけては他の国々に退けをとらないフランス人、今回の攻撃は驚く程の奇襲と言うより非常に常識的な奇襲作戦とか、夜中にヘリコプターで特殊部隊を潜入させて攻撃に至った解説も、先週(4月28日)、モロッコ中部、マラケッシュでフランス人を狙ったと言われるテロ爆発が在り、29日は、イギリスの王子チャールズ皇太子の長男で王位継承順位2位のウイリアム王子とキャサリン・ミドルトンさんの結婚式、5月1日はメーデーの行事が行われ、又、世界のカトリック教徒の方々が見守ったヨハネ・パウロ2世の列福式等のニュースは、地球を飛び回っています、先週辺りから日本のニュース、特に地震と津波に関した災害取材は嘘の様に少なくなり、唯一、福島原発事故と放射汚染物の処理等の取材に関したニュースが多少、報道される感じです。

懐かしの一刀斎よりメールが届いています、

宮城県美術館が1日に佐藤忠良追悼展で一部再開。全面再開は7月だそうです。

いろいろと問題を抱えながら前向きに進んでいます。ここにきて弱者との格差が出たり、救援物資が偏って集まっているために廃棄処分をせざるを得ないことまで。集積場に余ったものが避難場所から送り返されているそうですが、中には油まみれの衣料品なども混ざっていることも。落ち着くにしたがって少しずつエゴが出ているようですね。
松島も動き出したようです。仙石線は東松島から石巻までが不通ですが。東北新幹線もつながりました。もうしばらくしてら帰仙する予定です。
原発は現状が見えません。記者会見を統一しても、尚更、混乱しているようです。突然規制値が発表され、校庭や公園で遊ぶな、いつまでに避難しろ・・・避難しろということは危険だということを証明していることになりますが。
前政権やその前の政権にも責任があるのですから、政争ではなく挙党一致で取り組んで欲しいものです。定数削減も効果があるはずですが、これだけは出てきません。  一刀齋

みんな頑張っている!

「人の思い出捨てるのがボランティアなのか」 GWで現地入り 悲惨な現実に言葉   失う

産経新聞 5月1日(日)21時11分配信
「人の思い出捨てるのがボランティアなのか」 GWで現地入り 悲惨な現実に言葉失う
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大型連休を利用し被災地を訪れ、住宅地に残る泥やヘドロをかき出すボランティア=1日、宮城県石巻市(早坂洋祐撮影)(写真:産経新聞)
 ゴールデンウイーク(GW)がスタートして東日本大震災の被災地にも多くのボランティアが駆け付け始めた。申し込みの殺到に受け付けを連休終了まで見合わせる自治体も現れるほどの活況だが、いざ現場入りして大量に積み上げられたがれきの量に、一様に驚かされる。あまりに悲惨な被災者の現実に絶句し、改めて震災の爪痕の大きさを実感するようだ。(荒船清太)
「人の思い出を捨てるのがボランティアなのだろうか」
がれきで埋まった宮城県石巻市内の呉服店の片付けをしながら、東京都から4月29日に来た会社員、大宮匡喬(まさたか)さん(23)は悩んでいた。
目の前で、民家に住む70代の女性が女性用の帽子を3つ並べていた。「見て。きれいでしょ」。帽子は泥だらけ。洗っても使えそうにはない。きれいとも言えずに押し黙った大宮さんを見て女性は目に涙をためながら「これも捨ててください」と言った。帽子を捨てた後、女性は大宮さんに「ありがとう」とお礼を口にした。呉服店を片付けただけなのに、女性に涙を流して感謝され、涙が出た。頭をただ縦に振ってお辞儀するくらいしかできず、会話はほとんど交わせなかった。
■被害の大きさ実感
当初は寸断されていた道路も復旧し、甚大な被害を受けた被災地域にボランティアが入れるようになってきた。大宮さんは4月30日早朝、ボランティアに向かう前に、被害状況を見ようと海辺へ走った。「津波注意」と書かれて折れ曲がった看板。テレビではよく見た風景だったが、近くの子供たちによって「自然を大切に」と描かれた海岸のコンクリート壁が目に入った。大宮さんはそう描いた子供たちの命までが奪われたことを案じた。今までテレビを通じて見ていた被災地の風景の背後で、たくさんの人命が無くなっていることに気づいた。
東京都内から4月29日に来た会社員の高橋良子さん(35)は、ボランティア作業に行く途中の風景に言葉を失った。
「仙台市で、屋根瓦にブルーシートが張ってあるのを見て驚いていたが、石巻ではさらにたくさんのがれきの山を見た。車は転がったまま。通り過ぎるたびに、そこにいた人はどうなったのか、心配になる」
そんな風景がどこまでも続いていた。テレビで見なかった場所も、テレビで報じられた場所と同じくらい被災していた。
高橋さんが作業に訪れたアパートの敷地内は、水産加工場から流れて腐った魚やヘドロの固まりで埋まっていた。持ち上げた魚が崩れるたびに、激しい臭いに襲われたが、被災者はふだんと変わりなく、敷地内で暮らしており「これほど苦しい環境のなかで被災者が過ごしているとは訪れるまで分からなかった」と高橋さんは話した。
ボランティアを経験して大宮さんも「炊き出しをやって、人の温かみを知ったりするのがボランティアだと思っていた。しかし、実際に現地入りしてとてもそれどころではないことを思い知った」と被害の大きさへの実感を口にし「東京にいて知ったような顔をして震災を語るよりも、実際に自分の目で見てよかった」。こう話してボランティアセンターを後にした。

2011年5月1日日曜日

ヨハネ・パウロ2世が、福者に、


5月1日、ローマ法王として世界中でもっとも親しまれたポーランド出身の前ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(本名、カロル・ユゼフ・ヴォイテイワ/Karol Józef Wojtyła)の列福式がヴァチカンで行われました。ヨハネ・パウロ 2世は世界を旅する法王とも呼ばれ、1981年2月に日本訪問を為されたり、2003年迄に100ヶ国以上を訪問していました、また、冷戦時代に母国ポーランドを訪問し民主化に大きな力を与え、〖独立自主管理労働組合・連帯〗誕生の精神的な支えと成り、民主化運動の後押し(その為に銃弾で襲われたと言われる暗殺事件からの奇跡の回復と後日、狙撃者と会い、罪を許す事も衝撃でした)、また、他宗教や他文化との交流も成し遂げ、過去の争いに和解の道を作り上げた方でも在ります、ヴァチカンはもとより、母国ポーランドやフランス人修道女のパーキンソン病が治った事が前法王による奇跡と認定され、フランスでも福者を祝う式典が行われました。
ヨハネ・パウロ2世は第264代ローマ教皇として1978年10月16日から2005年4月2日迄在位。