2021年9月18日土曜日

宮城県美術館の現地存続を求める県民ネットワークのチラシを頂きました。

明日から、40歳のハッピーバースデイ展が 9月15日から始まります。高橋直子さんよりチラシを頂いたので掲載させて頂きます。ちなみに、9月18日トークイヴェントが在り、私も参加します。19日は竹馬の友、関口怜子ちゃんもトークセッションに参加のお知らせです。

岡島 レポートー・2019 W杯・備忘録 95

2019 W杯・備忘録 95
 3回大会・準決勝 RSA/FRA 

 豪雨が襲い、試合開始が90分遅れた。試合途中でも再び豪雨が襲い、グランドの一部は水浸し・泥田化していた。そんな試合をFRAHC・ベルビジエが爪を噛みながら凝視しているのが印象に残っている試合。無線装置もウォーター係りも暗躍しない古き良き時代。試合が始まれば、グランドで戦っている選手たちだけの意思決定でゲームは進行していた。

 試合経過は次の通り。RSAの得点は「○」、失点は「」、RSAが得点を逃したのは「×」、FRAが得点を逃したのは「*」。

得点
種類
起点となった(リ)スタート

×

×




×



 0
 6

11

24



28

34

37

 3- 0




10- 3





10- 3

10- 6

PG
PG

PG

TG



PG

PG

PG
RSAのキックオフで試合開始。
FRAP(ライン・オフサイド)。RSA10PG
RSAボール・ラインアウトからモール。FRAP(サイドエントリー)。FRA22m内、RSA10PG外す。
RSAボール・ラインアウトでFRAP(オブストラクション)。FRA10mライン付近、RSA10PG外す。
FRA陣内FRAボール・ラインアウト。FRA4タップするもRSA9がキャッチして縦をつき(ラック)RSA2がピックして(モールからラック)RSA8がピックしてモール、回ってインゴールへ。RSA・7・トライ、10G
FRAP(タッチジャッジのアピールでFRAの目潰し(?))
RSA10PG外す
FRAボール・ラインアウトからラック。RSAP(サイドエントリー)。FRA12PG
RSAP(ラック・倒れ込み)。RSA9がレフリーに文句を言って10m下げられる。FRA12PG



















42



44

47
54



57

62

68



75


77





78
13- 6



13- 9

16- 9




16-12



19-12



19-15
PG



PG

PG
幻のT



PG

PG

PG



PG


幻のT





幻のT
FRAボールのキックオフが10mラインを越えずRSAボール・センタースクラム。FRA押すもラックが出来てFRAP(寝たままでのプレー)。RSAPKをタッチに出しRSAボール・ラインアウトからのラックでFRAPRSA10PG
リスタートのFRAのキックオフ、ゴロパントを蹴ってRSAP(ノックオン・オフサイド)。FRA12PG
FRAP(ラック・倒れ込み)。RSA10PG
FRAボール・ラインアウトから910ゴール前へハイパント。両チーム選手の手が伸びボールが弾んでFRA14の胸に入りインゴールへ。FRAのノックオンの判定でRSAボール・スクラムに。
FRAボール・ラインアウトからモール。RSAP(サイドエントリー)。FRA12PG
RSAボール・ラインアウトからのラックでRSAP(ノットリリースザボール)。FRA12PG外す
FRA22m内のFRAボール・ラインアウトをRSAがスチール。ゴールに迫るもラックでボールが出ずレフリーが笛。タッチジャッジのアピールでFRA4が殴ったとしてPRSA10PG
RSA22m内のFRAボール・ラインアウト。二人ラインアウトの前に合わせて59→104が縦を付いてラック。RSAP(オフサイド)。FRA12PG
リスタートのRSAのキックオフ、ノット10mFRAボール・センタースクラム。910RSA22m内にハイパント。RSA14がノックオンでFRAボール・スクラム。FRA5m押して910がゴール前にハイパント。RSA15がノックオンしFRA6の胸に入りインゴールへ。レフリーはゴールラインに届いていないとしてFRAボール・スクラムで再開
RSAゴール前5mFRAボール・スクラム。FRAが押し101115もスクラムに加わるが崩れて組み直し。二度目も崩れて組み直し。三度目のスクラムでFRA少し押してから912でラックになりRSAボール・スクラムに
(注)「→」は順目のパス。「←」は内返しのパス。

 FRA・キャプテン・サンタンドレは、20年後出版された自伝の中で、こう振り返っている。
『レフリーは、RSA7の架空のトライを認め 数年後、この7番は自らボールを押さえていなかった、と告白している FRA6のトライを認めないという明らかに偏向した立場を取っていた。ベナジのトライに関しては、自分にも責任の一端がある。なぜなら、レフリーが笛を吹いたときに、自分がレフリーの前に立ちはだかっていたのだから。あの黙示録的な状況下で何人もアトラス山脈の巨人・ベナジ(注:ベナジはモロッコ人・国籍)を止めることが出来ない。誰も、ただし自分の足が! 6cm前にあれば、あるいは6cm後ろにあれば 謎は残されたままだ。
 私から見れば、その後のスクラムでのレフリーからRSAへの究極の施しが忘れられない。RSAが意図的に崩したのでペナルティ・トライを取るべきだったのに 理の当然に反して負け、我々はスタンドで長い間涙にくれた。
 1週間後、大会閉幕の会合で、RSA協会会長からこのレフリーに金時計が贈られ、彼ら夫妻は4週間のバカンス旅行に招待された。
 RSAは、多分FRAを犠牲にして、「歴史」を作るチャンスを掴んだのだろう。だけども、それは道義に適っているのだろうか? 私は、27年間の牢獄生活に耐え・大統領になり・RSAの白人のキャプテンの緑のジャージを纏ったネルソン・マンデラの姿を、生涯、忘れないだろう。
 自分たちが犠牲となったスポーツ上の不公正を嘆き続けるべきなのだろうか、それとも、平和と人権のために戦い・人種差別政策を廃止し・統一されたRSAの勝利だけを考えるべきなのだろうか? ネルソン・マンデラは世界への使命を果たし、2013125日に亡くなったことも記しておく。
 そして、いやいやながら、RSAの勝利を祝福している、20年後も

 2011年、映画『インビクタス』が公開されたとき、FRAHC・ベルビジエはこう語っている。
『「フランスでインビクタスが上映されて称賛されている、そして同時に、これがスポーツ史上最大のペテンであることもおそらくみんな知っているということをすごいことだと感じている。準決勝前夜、5人ぐらいの選手が下痢に悩まされた。」そして、ベルビジエは、この体験と、1週間後、決勝直前にNZ選手を襲った惨事との間に関係があると決然として語る。「準決勝4点差で我々は敗れたので、RSAの人びとは「決勝のNZは全員を標的にしよう」と考えたのだろう。決勝前夜、NZ選手はホテルの部屋とトイレを幾たびも往復していた。何人かはキックオフ直前までもどしていた。」運命論者:ベルビジエはこう結論付けている。「結果的にはそれがよかったのだろう。RSAの勝利は、あの国が真に必要としていたなにものかをもたらした。だけれども、あのW杯ではスポーツよりも政治が上回っていたことは明白だ。決勝ラウンドでFRAは絶好調だった。NZも過去最高のW杯にする可能性があった、決勝までは。」』

 FRA6・ベナジは、2005年に出版された自伝の中でこう語っている。
1995年以降、あのシーンについて様々な角度から撮られた写真を見てきた。そして、私の確信は変わらなかった。あれはトライだ。私が押さえた。今でもあの時グランドでの確信したことを感じている。ゴールラインの上にボールを置いたんだ。しかしトライは認められず、誰も再現できない。多くの選手が重なり合っていて10cmが運命を分けたという伝説が語られている。レフリーは、アメリカンフットボールのように一人ずつ起き上がらせてボールの位置を確認しようとはしなかった。RSAの選手がボールを動かしゴールラインから遠ざけたのを見た。レフリーは大急ぎでトライを認めなかった。不公正だ。
しかしこれもラグビーの伝説の一つとなっている。そして、私の辿ってきた道の一部でもある。同じ状況下であれば、10回中9回は同じプレーをしてトライするだろう。もし、サンタンドレを押し倒して真っ直ぐに泥田の中に飛び込めば そうは出来なかった:それは過ぎ去ったことだ。
試合終了後、他のフランス選手同様、打ちひしがれて控室に戻ったら「トライした!」という憤りの叫びが耳に入った。ほとんどみんなが口々に不公正に抗議していた。鼓膜が破れそうだった。そこでみんなを集めて静かにしてくれと言い:「違うんだ! 止めろよ! 俺はトライしてない。10cm足りなかったんだ。」と嘘をついた。もちろん、あれは多分トライだった、トライしたという確信があった、でも、次のことに集中すべきだ、こんな風に汚してはダメなんだ。試合は終わった、負けた。』

 ベナジの自伝には、マンデラ大統領の序文がある。
「スポーツには世の中を変える力があります、なぜなら、人びとの魂に働きかける力があるからです。私たちは人々をまとめることができるませんでした。スポーツは若者たちが理解できるように語り掛けました。そこに希望が生まれました、かつての絶望に置き換わって。人種間の壁や社会的差別・偏見を打ち破るには、政治や行政よりもスポーツは強力でした。
深甚なる敬意をもって、アブデル(ベナジの名前)、これを書いています。
ご存じの通り、W杯はRSAに消えない思い出を残しました。私やRSAの人びとにとって忘れられない瞬間の一つがダーバンで行われた劇的な準決勝です。1995617日、豪雨の中の不可能な状況下でRSAFRAと対戦した試合です。
アブデル・ベナジというFRAの選手がゴールラインの数センチメートル手前で止められて、少なくとも私たちはみんなそう信じています、スプリングボックスが緊迫しエキサイティングな試合を英雄的に勝利し決勝戦へ駒を進めました。そして、1週間後にオールブラックスを破って優勝しました。
あの日、ダーバンで、FRA選手がキングスパーク・グランドからうなだれて引き上げていくのを見、彼らの落胆を強く感じました。両チーム勇敢に戦い、どちらのチームも敗北に値しませんでした。
しばらく後に貴方の試合後の賢明なる発言を知りました。そして、RSA全土での優勝への歓喜やとりわけRSAの人びとが一緒になったという実感が生まれたことで、RSAに敗北した失意は少し和らいだであろうと思います。
アブデル、あなたの見事なスポーツ精神と私たちの国への気遣いに感謝しています。
Yours faithfully                                          Nelson Mandela       

 『南アラグビーの150年』の著者ウィム・ヴァン・デル・ベルグ(南アフリカ人)は「僅差だったがフランスはミスジャッジで負けたと思う。でも、またそれも歴史だ。」と振り返っている。
令和3918

2021年9月12日日曜日

今日も宮城県美術館のテラスでカフェ・オレーを頂きました。

 今日は14時30分、高橋さんと三上さん、渡辺さんと9月18日のトークイベント、第1部、⎾ダニ・カラヴァンとの思い出 - 代表作を振り返りながら⏌と言う件で打ち合わせでした。 この企画展は<みんなで祝おう!宮城県美術館、40歳のハッピーバースデイ展>で、今月の15日から19日まで、宮城県美術館地下・県民ギャラリーで開催され、展示とイベントが企画されています(主催:宮城県美術館の現地存続を求める県民ネットワーク)。高橋さんと渡辺さんは企画する側、私の講演に使う写真資料は三上さんに協力して頂き、流石、ダニ・カラヴァンの写真資料は完璧で驚きました。三上さんは、前・宮城県美術館副館長、当時、宮城県美術館の学芸員として、パリでダニ・カラヴァンとお会いして居ます。観察力が鋭い学芸員でブレない方、三上君の企画力が素晴らしいとお会いする度に津軽館長が言って居ました。そんな三上さんが冷静にダニの作品を見て居ますから。安心!楽しい講演に成りそうです(彼のフォローが在るので=彼が主役)。私の方は造型作家として、ダニ・カラヴァンは大先輩で、また、同じアーテイストとしてダニ・カラヴァンの作品を12点見て居ますから、その作品写真を見て頂きながらの講演に幅が出来そうです。三上さんとは1988年みやぎの5人展の図録に文章を書いて頂きました。その前に1985年の県民ギャラリーで個展をした時に、高校の美術部の恩師・小関先生から、サトル君、県美に勤務している優秀な学芸員の三上君はサトル君の9年下の後輩ですよ、一度、会ってみたらと言われて会ったのが始まりで、当時から頼れる後輩と言うより頼れる先輩の様に見える方で、真面目な方、今も変わらずお付き合いさせて頂いています。渡辺さんとは今日初めてお話し出来ましたが、彼も素晴らしい発想の持ち主、期待出来る方と感じました。今回のまとめ役、高橋さんとお会いするのは今年の夏、会の総会で初めてお会いして、今日で4回目、もう、10年ぐらい前から知っている様な感じで、お付き合いさせて頂いています。高橋さんの専門は神社仏閣の設計を為さって居る方で、大宇根先生のお陰で素敵な方々とお会い出来て居ます。

2021年9月11日土曜日

Vernissage de l’exposition collective « Carrés / autour de Guy de Lussigny » à la Galerie Wagner

Akiちゃんから Galerie Wagner のVernissage の写真が届きました。

岡島レポート・2019 W杯・備忘録 94

2019 W杯・備忘録 94
 3回大会・決勝 RSA/NZ 

 多事多難の年として記憶され語り継がれる1995年、国際社会に復帰できたRSAで、第3W杯が開催された。観客総数は、第2回大会1,007,760人を上回る1,100,000人。4年に一度のラグビーの祭典が定着した大会とも言えよう。
 この大会後にラグビー界はプロ化する。その意味で、アマチュア時代最後の大会でもあった。ラグビー界におけるグローバル・カレンダーが定かでない時代。南半球での開催ということで、第1NZ大会同様、526日から624日という南半球にとっての晩秋、北半球にとっての晩春から初夏の時期、16チーム:4予選プールで戦われた。ラグビーにふさわしい季節、やはり少し寒くなってきて落ち葉が舞うのがいいのだろうか。

 JPNが最多失点145点取られてNZに敗れた大会でもあった。JPNは、第1戦:WAL10-57、中3日、第2戦:IRE28-50、中3日、第3戦:NZ17-145。エレロ流に言えば「NZ145点取ったことより、NZから17点奪ったことが記憶されるべき」なのかもしれない。今から思うと、中3日でよくカジノに行けたものだ 当時、「中3日」問題って、あまり語られていなかった気がする。アマチュア時代ということだからなのか

 決勝は、59,870人を集め、晴れた土曜日の午後、行われた。映画「インビクタス」でも描かれた通り、RSAマンデラ大統領が選手たちと握手し、国歌斉唱へ。この大会では、まだ先発メンバーだけが並んでいる。試合前のNZのハカも15人で。先導者を取り囲む形の半円で行われる。RSAの選手がセンターラインを越境しているがお咎めなし。まだまだ牧歌的な時代だった。

 試合経過は次の通り。RSAの得点は「○」、失点は「」、RSAが得点を逃したのは「×」、NZが得点を逃したのは「*」。

得点
種類
起点となった(リ)スタート







×


 4 
 6

 9
13

20




25

31

 0- 3


 3- 3
 3- 6

 6- 6






 9- 6

PG
DG

PG
PG

PG




PG

DG
NZのキックオフで試合開始。
RSAP(ラック・オフサイド)。NZ10PG
RSA22m内からのRSA15のキックをキャッチしたNZ10が遠い位置からDGを狙うもポストに届かず。
NZP(ラック・オフサイド)。RSA10PG
NZボール・ラインアウトからNZ展開し、ロムーが中央を突破、ラックでRSAPNZ10PG
NZ22m内でのRSAボール・ラインアウトから展開。ラックが膠着しRSAボール・スクラム。スクラムサイドをついてピック&ゴーでインゴールに持ち込むもグラウンディング出来ず、NZゴール前5mRSAボール・スクラム。NZがコラプシングのPRSA10PG
NZゴール前RSAボール・スクラムでNZのコラプシングのP。タッチライン際でRSA10PGを外す。
NZボール・ラインアウトがこぼれてRSAボールに。ピック&ゴーでNZ22m内に入りバックスに展開、ラックから9→10DG
×




41
43
50

54


58

77




 9- 9
DG
DG
PG

DG


DG

DG
NZボール・ラインアウトから910DGを外す。
RSA10、自陣からのDG外す。
RSAP(ラック・倒れ込み)。NZ陣からNZ10PG外す。
NZボール・スクラムから展開しロムーがタッチ際を走るが押し出され、RSAボール・ラインアウト。NZがスチールし、91012(ラック)910DG
RSA22m内のNZボール・ラインアウトから910DG外す。
RSA22m内のRSAボール・ラインアウトをNZ・スチール。91013(ラック)910ポスト正面からのDG・外す。

81

90
 9-12

12-12
PG

PG
RSAP(キッカーより前にいた選手がチェイス)。NZ10PG
NZP(ラック・倒れ込み)。RSA10PG
×
91
98
15-12
DG
PG
NZ22m内のRSAボール・スクラムから910DG
NZP(ラック・ハンド)。RSA10PG外す。
(注)「→」は順目のパス。「←」は内返しのパス。

 あらためて見返してみると、何度もNZの勝機はあった。後半だけで3度のDGを外している。特に、残り3分でのNZ10・マーテンスのDGが決まっていたら、歴史は変わっていたのかもしれない、と思ってしまう。
 決勝点は、RSA10DG。得点機会だけを書き連ねると無味乾燥になっていくが、そこに至るまでのボールとプレーヤーの動きを見ているとラグビーの面白さ・醍醐味が凝縮している気がする。トライはトライで胸がすく快感をもたらしてくれる。DGDGで独特の深みのある味がする。

 それにしても、密度の濃い試合。3点差以上に点差が開かない、ただの一瞬もセーフティー・リードがなかった。そして、延長戦。先に点を取った方が優位に立てるというのは常識だろう。その先取点を取られても戦い続けてRSAの選手たちが凄かったということに尽きるのかもしれない。
ノートライの試合だが、緊迫感が異様なまでにあって見応え満点。千両役者:怪物:ロムーがボールタッチするだけでワクワク・ドキドキする。

 この試合では、前後半80分間で、S26回(第1回決勝:38、第2回:29)、L50回(①44・②47)、P16回(①17回・②22)であった。これにリスタートのキックオフ:6回(①10・②5)、フリーキック:4回(①1・②1)、ドロップアウト:8回(①5・②7)を加えると、レフリーの笛が吹かれて、試合が止められたのは、110回(①115・②111)。ほぼ40秒に1回は試合が止まっている。第1回大会から大きな変化は生じていない。それでいて「ぶつ切り」感をあまり感じなかった、気のせいなのだろうか

 この大会では、ペナルティ・キックを蹴り出したチームのボールのラインアウトで試合が再開されるようになった。その意味でPの持つ意味が重くなった。今日的には、Pを奪って相手陣に深く入り、ラインアウト→モールで相手ゴールに迫る・トライを奪う、というパターンのせめぎ合いが大きな勝負所になっている。ところが、この試合ではそういうシーンは起こっていない。もちろん、たまたまかもしれないが、一つにはラインアウトの精度の低さがあげられる気がする。
 この大会前から、ラインアウトのリフティングが認められるようになった。その改正を試験的に採用していたRSAに「一日の長」があるはずなのに、この試合で見る限り、RSA・ラインアウト、さほどよくない。現在のようにRSAラインアウトが完成の域に達するのは、単にルールが変わっただけでなく技術的なものが積み重なっているようだ。その意味で、プロ化による戦術・戦略の進化・深化の速度が加速化したのだろう。
 もちろん、ラグビー界のプロ化だけではなく、映像技術などの進化・さまざまな局面でのグローバル化なども大きな影響を与えている。

 この大会後、ラグビーはプロ化し、南半球のトライネーション・スーパーラグビーなどのテレビコンテンツが次々に出現する。その映像が瞬時に世界を駆け巡る時代に突入した。

令和3911