2021年10月30日土曜日

  岡島レポート・2019 W杯・備忘録 101

         2019 W杯・備忘録 101

 7回大会・決勝 NZ/FRA 

 第7回大会がNZに決まったのが、200511月。これまでの流れで行けば、南半球の順番、そこにJPNが手をあげ、NZRSAとの三つ巴に。前評判の低かったNZに決まる。ヴェルディエ・日誌には「IRBJPNではなくNZを選んだことに憤慨した。Midolのコラムの見出しを「愚か者!」とした。何もNZに反対するつもりはない、みんな知っての通り。しかし、つまらない理由でJPNやアジアに門戸を開くことを見過ごすのだろうか? それとも、JPN開催よりも大きな利益を得られると考えたのだろうか? グローバルなラグビーの普及を考えた時、同じようなやり方で途上国に背を向けるのだろうか? JPNの扉を閉ざすことは、疎外を意味し、狭い関係者で固まることであり、身内の伝統に閉じこもることである。これは未来に対する過去の勝利だ。」とある。

 その第7回大会、9月に始まり、決勝戦はNZ/FRA1023日(日)に行われた。この両チーム、予選プール同組で戦っており、その試合では37-17NZが勝利している。FRAは、予選プールでTONにも19-14で敗れ、予選プールは22敗、勝点差で決勝ラウンドに進出できた。予選プール2敗で決勝ラウンドに駒を進めたのは、第1回大会のFIJに次いで二度目。準々決勝ではENG19-12で破り、準決勝はWALと戦い、19分:WAL主将ウォーバートンがレッドカード退場となったことが大きく、9-8の辛勝。日々、チーム内のゴタゴタが報じられていたこともあり、世界中のほとんどの人がNZの勝利を確信して迎えた試合だった。

 試合経過は次の通り。NZの得点は「○」、失点は「」、NZが得点を逃したのは「×」、FRAが得点を逃したのは「*」。

得点
種類
起点となった(リ)スタート

×


×

 6
 9

14

26
37

 



 5- 0




PG


T

PG
DG
NZのキックオフで試合開始。
FRAP(ラインオフサイド)。NZ9PG外す
NZ選手との激突でFRA・⑩が倒れているが、ゲームは続行される。
FRAゴール前10mNZラインアウト:61・トライ、G9外す
FRAP(ラック・ハンド)。NZ9PG外す
FRAラインアウトをNZがタップ・スチールするもFRA・⑧の胸に(ラック)③(ラック)⑨→②(ラック)⑨→⑧(ラック)⑨→㉑・DG外す



41
43
45



64

 

 8- 0
 8- 7
PG
PG
TG



PG
NZP(ラック・ハンド)。FRA・⑨・PG外す
FRAP(ノットロールアウェイ)。NZ・㉑・PG
FRAのキックオフ⇒146(ラック)9ボックスキック⑧ノックオン15ラン(ラック)ボールが出たところを⑬足を出す㉑ラン→⑨→⑮→⑬(ラック)⑨→②(ラック)⑨→㉑→⑬→⑥・トライ、G・㉑
NZP(スクラム・コラプシング)FRA・㉑・PG外す
(注)「→」は順目のパス。「←」は内返しのパス。
   ○に入った数字はFRA選手の背番号。

 不気味な光景が目に焼き付いて離れない。9分「★」が未だに蘇ってくる。NZ陣:NZラインアウトからのパスを受けた13が突進・FRA⑩が逆ヘッドでタックル・倒れた⑩の頭をNZ7の膝が直撃・⑩は倒れたまま動かない、しかし、試合は止められない。更に、ボールがタッチに出・試合が一旦止まったにも拘わらず、⑩は放置されたままFRAドクターが診ているが、NZラインアウトで再開される。まるで、SFのシーンを見ているようだ。レフリーもタッチジャッジも何事もなかったかのように試合を続けている。FRA選手でさえも感情のないサイボーグのように無表情に黙々と次のプレーに集中している。
 未だに理解できない。サッカーの試合じゃないんだ。ラグビーの試合で選手がピッチに倒れたら、試合を止めなきゃいけない。これは不文律だ! なぜ「放置」されたのか?
 主審はジュベール(RSA)、FRAHC・リエブルモンは『回想録』(原題:『CADRAGE & DEBORDEMENTS』)の中で「世界最高のレフリー、それはこの試合後もそう思っている。知性的で議論を拒まず研ぎ澄まされたフィジカルを有している」と記している。未だに訳が分からない

 FRA・⑬・ルージュリーは自伝の中で『モルガン・パラ(注:FRA⑩)はリッチー・マコウ(注:NZ7)に狙われていた、マコウの意図した膝の一撃。  試合を通じて、オールブラックスのキャプテンはやりたい放題やっていて、常にこちら側に寝ていた。かなりの数のNZのペナルティが取られ、我々にPKの機会が与えられてしかるべきだった。優勝に近づいていた。試合終了後、フラストレーションと耐えがたい不公正さを覚えた。』と振り返っている。
 FRA・⑭・クレークは自伝の中で『語るべきプレーがほとんどない。ペナルティの失敗モルガン・パラの開始早々の負傷交替、マコウの衝撃で 決勝の重みに耐えられなかったレフリーの寛容さ』と振り返っている。

前回の備忘録で引用した「リッチー・マコウ/グレッグ・マクギー 斎藤健仁/野辺優子訳『突破!リッチー・マコウ自伝』東邦出版株式会社 2016年」、自伝と邦訳されているが内容は2007W杯準々決勝FRA戦での敗退から2011W杯決勝FRA戦での勝利までの軌跡、実に詳細に書き込まれている。山あり谷あり、というより「谷」の連続をどう乗り越えたかに力点が置かれていて読みごたえがある。決勝戦も後半を詳述している。いかに偉大な選手なのか、ずしっと伝わってくる。感動的である。しかし、残念ながら、「★」この接触プレーについては、当事者でありながら触れられていない。

 FRAHC・リエブルモンの『回想録』では、
「試合前日、FRAスタッフの一員になっていた元国際審判:Jutgeがアポイントを取り、決勝で笛を吹くJoubertRSA)と彼の滞在するホテルのバーで会った。その際に、いくつかのNZの疑義あるプレーについて映像を見せ、見解を聞いた。  Joubertは「黒ジャージ15人対白ジャージ15人の試合を吹くだけだ」と言っていた。」(p100
「モルガン(注:FRA⑩)がケガで退かざるを得なくなった、グロッキーで、顔面が腫れた状態で。レフリーは試合を止めなかった、11分後、NZ10・クルーデンが負傷交替するときには試合を止めたのに。まぁ、そんなもんだ:NZの地でブラックス相手に決勝戦を戦うのだから;こんなひどい扱いを受けるだろうことも予想できた。チャレンジャーのボクサーが敵地でタイトルに挑むようなものだ:KOするしかない。」(p112)と記されている。

 「放置」されたこともさることながら、単なる「アクシデント」だったのだろうか?
時を置いて、何度もスローモーションで見返している。
①マコウは自分の走り込むコースに相手選手の頭があることを認知していた。常人を超えた能力を持った選手であり、彼の視覚の精度・範囲からして、目の前に「頭があること」は認知していたと推定できる。
②認知した時点で、足の軌道を制御していたか?(=ブレーキを踏んだのか?) いくら見返してみても制御したようには見えない。
この2点は事実だと思う。
では、この事実をどう解釈すればいいのか?
リエブルモン、19994W杯準決勝でNZを下したFRA6番、実に「うまい」選手だった。回想録では、この接触プレーに触れていない。行間を読むとなんとなくリエブルモンはこう思っていたのではないか、と邪推したくなる。
「冷酷無比」にミッションを遂行する、だから、マコウはすごい選手なのだ、これぞオールブラックスのキャプテンだ。敵ながらあっぱれ!

 「この大会のFRAは、決勝に出てくるのには値しなかったが、優勝に相応しかった」と、ルージュリーはENG人に、クレールはNZ人に言われたと回想している。

 NZ人、元WALHC・ガットランドは自伝の中で次のように振り返っている。
 I was able to enjoy the final down there at the water’s edge. I had no doubt that the All Blacks would win, for the very good reason that they were the best team in the tournament. They were not, however, the best team in the final – and I say that as a native Kiwi. France dredged up a really resourceful, committed performance from somewhere that night and should have won. I know so many Kiwis will rubbish this, but that is my opinion. Anyhow that’s sport, and while I feel New Zealand may have been lucky to win, they were the best team in the World Cup so probably deserved it. Bryn was watching alongside me and at half-time I said: ‘Right, try to watch the next forty minutes from the French perspective.’ Which he did. And all I heard from him during the second half was ‘that should have been a penalty to France … and so should that … and so should that.’ He was right. The French lost by a point in a low-scoring contest and had good reason to feel hard done by. Please believe me when I say that I knew how they felt. (p216)

 歴史的事実として、NZ1点差で勝利し、二度目のW杯優勝を果たした。それ以上でもそれ以下でもない。しかし、書きおくべきこと・記憶すべきこと・語り継ぐべきこともある気がしている。

 2019W杯は、「NZの三連覇がなるか?」と謳われていた。しかし、2011年決勝の記憶からすると、「えっ!? 三連覇になるんだっけ」と感じていた。
令和31030

2021年10月26日火曜日

再度、石森の菩提寺、安永寺を、そして、Satoru Sato Art Museum を訪ねました。

先日、22日は、再度、カメラを持参、高速バスで仙台フォーラス前のバス停から登米市へ、それから安永寺に向かい、微調整の仕事を終えてた所で、中嶋 先生が訪ねて下さり作品を見て頂きました。帰り際、新米やら蕎麦うどんの組み合わせセットを土産に頂き、中嶋先生はミュージアムに行き、友の会の会費を払いに行きました。私達はランチを済ませた後、ミュージアムに、友の会事務局長の野家さんが既に待機して居て、次回の庭に設置する石の配置などなど打ち合わせをして、又、仙台から伊達かんむりの石を運ぶ打ち合わせも出来て、最後は野家さんのケーキをご馳走に成り高速バスで仙台に戻れました。夜に、秋山副館長が友の会・会長の及川哲雄さんから頂いたキューリや漬物、中嶋さんから頂いた新米やうどん、蕎麦、麺つゆ・・・迄、重い荷物を届けて下さり感謝でした。     
   

2021年10月24日日曜日

岡島レポート・2019 W杯・備忘録 100

                                        2019 W杯・備忘録 100

 6回大会・準々決勝 FRA/NZ 

 万年優勝候補のNZ、第1回優勝して以降、第2回:準決勝敗退、第3回:決勝敗北、第4回:準決勝敗退、第5回:準決勝敗退と、負け続けてきた。
 「負けに不思議の負けなし」、毎回の敗北には、それなりの理由がある(のだろう)。NZ10番・ダン・カーターの自伝では「(第5回大会までの)僕たちの問題は、ワールドカップが特別な大会であるにもかかわらず、特別な準備をしていないことだった。他のチームのこの大会にかける意気込みは違った。そしてオールブラックスは、第1回大会で優勝したのを最後に、他国のチームに惜しいところで負け続けていた。改革が必要だった。  僕はこの2004年の北半球ツアーこそが、現在のオールブラックスが成し遂げてきた進化においてもっとも重要な期間だったと記憶している。」(ダン・カーター/ダンカン・グレイブ 児島修訳『ダン・カーター自伝 オールブラックス伝説の10番』東洋館出版社 2016年 p150

 改革が実を結んだかに見えていた第6回大会、予選プールは、いつも同様、危なげなく1位で突破した。そして迎えた準々決勝、またも負けた。しかも初めてベスト4にも進めずに。

 80分間の密度の濃い試合。しかも「たった」2点差。勝因も敗因もワンプレー・ワンプレーに宿っている。敗因を一言で言い表すのはナンセンスだけれど、見出し的には「誤審が勝敗を分けた」。

 試合経過は次の通り。FRAの得点は「○」、失点は「」、FRAが得点を逃したのは「×」、NZが得点を逃したのは「*」。

得点
種類
起点となった(リ)スタート




×






×
×

 3


 6


12
15



16

23
29
36
39







 0- 3




 0-10


 0-13

 3-13

ケガ


DG


PG
T



TG

PG
PG
PG
PG
FRAのキックオフで試合開始。
FRA6が味方選手とぶつかり倒れて試合が止められる。この当時はHIAが存在しなかった。ドクターも入り、18が交替で入る。
NZP(ノット・ロールアウェイ):FRAPKをタッチに蹴り出す。⇒FRA・ラインアウト・18がキャッチしモールで前進91012縦(ラック)915・中央30mDGを外す
FRAP(ノット・ロールアウェイ)NZ・⑩・PG
FRAラインアウトをスチール⑨→⑩→⑫ラン→⑨(ラック)⑥→⑪→⑧→⑤・トライ!?TMOで足がタッチに出ていたとしてノートライ⇒
FRAゴール前のFRA・ラインアウト910タッチキック⇒NZ・クイック・⑪→⑮ラン(ラック)⑨→⑦→⑩→⑫ラン←⑧→⑫トライ・⑩・G
NZP(ノット・ロールアウェイ)FRA10PG外す
FRAP(オフサイド)NZ・⑩・PG
NZP(オフサイド)FRA9PG外す
NZP(モール・サイドエントリー)FRA10PG












45



51


52



62



67

72
 6-13






13-13



13-18



20-18
PG



DG


TG



T



TG
NZ22m内のFRAラインアウト・モールでNZゴール前に迫る(NZP・レフリー「アドバンテージ」)910・インゴールへチップキック。NZ⑫オブストラクション・イエロー
FRA10PG
NZスクラムを押し⑧サイド(ラック)⑨→⑱(ラック)⑨(ラック)⑦(ラック)⑱→⑭(ラック)⑦(ラック)⑨→⑩・DG外す ⇒
FRA・リスタートのDO。クイックで18が自ら取り912ラン→13(ラック)912511(ラック)912141518(ラック)911縦(ラック)9125(ラック)1216(ラック)912147トライ・10G
NZ陣内FRAラインアウトをスチール⑳→㉑→⑫→⑦(ラック)⑳→⑦→⑪→⑥(ラック)⑳→⑪→㉑→⑧(ラック)⑦(ラック)⑳縦(ラック)⑤縦(ラック)⑯縦(ラック)⑱縦(ラック)⑳→⑧トライ・⑫・Gを外す
FRA陣内FRAスクラム18152040mラン→12トライ・9G
NZDOを近くに蹴り一旦FRAボールになるもターンオーバー・27フェーズを重ねFRAゴール前に・ターンオーバー・915タッチではなく反対方向に蹴る・⑱キャッチしてラン(ラック)⑧→⑮→⑬(ラック)⑧→⑫→⑬(ラック)⑱→⑫→①(ラック)⑧(ラック・ターンオーバー)9タッチキック
NZラインアウト・モール⑳→⑪(ラック)⑦(ラック)⑳→⑫・FRA選手がノックオン(レフリー・手を挙げて「アドバンテージ」を取りながら流す)(ラック)⑳→⑫・DG外す。何故か、アドバンテージは解消されていて、FRADOでリスタート。
(注)「→」は順目のパス。「←」は内返しのパス。
   ○に入った数字はNZ選手の背番号。

 伏線はいろいろあった。キャプテン・マコウの自伝にはこうある。『僕は縁起や迷信を気にするほうじゃないけど、予兆は一つではなかった。  僕らは、ロッカールームの選択に負け、カーディフでの定宿に泊まることもできず、さらにはいつもの黒衣も着ることも叶わず、結局キックオフのコイントスも負けてしまった。』(リッチー・マコウ/グレッグ・マクギー 斎藤健仁/野辺優子訳『突破!リッチー・マコウ自伝』東邦出版株式会社 2016年 p28) このうち、ジャージの色については、FRAが(決勝でNZと闘うことを想定して)前年新しいジャージの色を従来のブルーからより濃い目のブルーに変えたことからNZはいつものブラックではなくグレーのジャージを着ることになった。

 試合を支配していたのは圧倒的にNZ。ボール・ポセッシオンはNZ71%FRA29%。タックル数は、NZ36FRA178。相手陣22m内でプレーした時間、NZ810秒、FRA27秒。ラインアウトの相手ボールスチール、NZ5FRA0… どの数字を見ても、NZが一方的に攻め続けている。

 さまざまなプレーについていろいろな視点から語られてきたこの試合。興味深いことの一つがDGに関すること。
 FRA7・デゥザトワールは、ラスト10分「NZDGが怖かった」と回想している。
これに対して、マコウは次のように書いている。『(67分同点トライを決められて)僕らはポストの下に並んで立っていた。 僕の目の前にだれかが立っていた。トレーナーのビート・ギャラハーだ。彼はコーチのメッセージを伝えてくれた。「まだ時間はある」わかった。「ポゼッションをキープしろ」わかった。「敵陣でプレーしろ」わかった。「ドロップキックのオプションを忘れるな」なんだって? ドロップキックは僕らのプランにはない。そのセットアップを練習したことがない。だからその言葉は僕をパニックに陥れた。 ⑩のドロップキックがなくても、7点取ることができた。僕らは26フェーズを重ね、⑧がトライしてコンバージョンも決まった。だけど僕らの今のプランにドロップキックはない。⑨と⑩が練習で話し合っていたのはもちろん知っているが、もう二人ともいない。(交替で入った)㉑もいない。ドロップキックは僕らのプランにない。そのセットアップを練習したことがない。だからその言葉は僕をパニックに陥れた。』(p46)  『残り2分。マイボールラインアウト。最後の賭けだ。なにが起ころうとしているのか。僕はこんなになにも生み出さない、長い一連のプレーを知らない。通常ならトライかペナルティ、それもたいていは攻撃側にだ。しかし試合が膠着して、レフリーのバーンズはモールとラックの鬼軍曹ではなくなってしまった。彼は間違いを恐れているのだと、あとになってわかった。気づいたときには遅すぎた。彼は大きなジャッジはしなかった。バーンズにとっての初めてのビッグゲーム。僕らと同じようにワールドカップの準々決勝というプレッシャーが彼に大きくのしかかっていたのだ。ラインアウトで集まったとき、⑯が僕の心を読み取って、ドロップゴールを提案した。僕はまだその判断をしたくなかった。だがそうするべきだった。もうラストプレー。僕は納得して、そのチャンスが来たらそうするようにと⑫に言った。それが僕にできるすべてだった。残り90秒。ラインアウトからボールは投げられ④がキャッチ。⑪が敵陣22mに切れ込み、⑧が突進して、僕が突破する。ゴールまで20m。しかしボールがリサイクルされたときに立っていたのはプロップの③だけで、バックスはフラットに立っていた。③は重い足取りで進み、バックスを待ったがFRAのディフェンスにふさがれる。僕らは10mまで下げられた。ブレイクダウンでFRAがノックオンし、バーンズはアドバンテージを見ていたので、僕らはスクラムしかなかった。⑫は仕方なくドロップキックを選択した。だが彼はハーフウェイに立っていたので、ボールがゴールラインに届くまでに2回バウンドした。アドバンテージは解消された。』(p48
後日、この試合に関するNZ協会のチェック・報告(翌年4月)の中に、キャプテンシーに関することもあり、「67分時点、キャプテンは、ベンチの指示を守ったか」が問題視された。これに関して、マコウは『417日木曜日、報告をリリースする記者会見で、HCは僕のキャプテンシーに対して熱っぽく弁護してくれた。そのことはとても感謝しているのだけれど、調査側にはそうした質問がなかったのはいささか不思議だった。たしかにそのメッセージは伝えられたが、今までのプランのなかにドロップキックはあったか? 練習したことはあったか?』(p140

 もう一つ興味深いのは「誤審」について。
 FRAが同点に追いついた67分のトライ。15から20へのパスは明らかにスローフォワード、しかしレフリーは笛を吹かなかった。試合後、数日たってIRBのレフリー委員長が公式に「あれはスローフォワードだった」と声明を出した。覆水盆に返らず
 あのワンプレーの判断だけが間違っていたのか。この試合、FRAP2回、しかも前半12分:ノット・ロールアウェイ、29分:オフサイドのみ。いずれもNZPGを決めている。後半はゼロ! NZPは前半6回、後半2回。
 マコウはこう回想している。『僕はバーンズを責めるつもりはない。ただワールドカップで開催国と優勝候補の準々決勝での対戦に、最も経験のないレフリーを指名した人間に憤りを感じるだけだ。両チームには経験のあるレフリーがふさわしい。僕の不満はバーンズの経験のなさではない。この試合はバーンズにとって今までで最もビッグゲームだ。大舞台で経験のないレフリーはミスを過剰に恐れ、すべての判断を止めてしまう。僕はバーンズが恐怖のあまり積極的なジャッジができなくなっていたんじゃないかと思っている。』(p60

 28歳・経験値の低かったバーンズ(ENG)、この試合後にはネット上で「殺害予告」まで出された。その後成長し、現時点では世界最高のレフリーになっている。2019大会:準々決勝:RSA/JPNの主審も務めた。
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