2025年3月23日日曜日

岡島レポート・ 2019 W杯・備忘録 268

                                  世のはじまりは 混沌としていて

                          大相撲は 混沌としていて 面白いのですが

                              世界情勢 混沌としてきて 心配ですね…

                                           2019 W杯・備忘録 268

                                        〜  2025 六か国対抗  1〜

 

今年の六か国対抗が終わった。フランス在住時 当時は五か国対抗だが 「あ 春が来たな」と「さぁ フランス選手権だ」と思ったものだ… 

1978年フランス・グランドスラム時のウィング:ノベスは自伝で『五か国対抗 権威ある大会 しかし ステータス・トロフィーなどは一切なく 順位付けも行われない』(p50)と回想している。 エレロは『誰も前年の結果なんて記憶してない・気にしてない。毎年の対抗戦 各試合 勝者が生まれ・敬意を表し・褒め称え 全勝すれば「グランドスラム達成」と称賛する… それ以外は 何の意味もない、まるでラグビー固有の価値観を象徴するかのように、ただ対戦相手との友愛だけを誉めそやす。』(p440)と書いている。 「プロ化」以前の五か国対抗は そんなものだった。

今や 順位を競い トロフィーを掲げる写真がMidolの表紙になっている…

 

高度資本主義の潮流に飲み込まれて ラグビー界は W杯がはじまり プロ化した。順位付けがはじまり 数量化が深化し 人びとを巻き込み 「金の成る木」が ニョキニョキ 伸びてくる。「金の成る木」を管理運営する統括団体 各国協会 クラブチームと 主体が多層化し 利害が錯綜する。でも プレーする選手は ただの生身の人間…

 

今年の六か国対抗 1.FRA 2.ENG 3.IRE 4.SCO 5.ITA 6.WALの順。

そもそも 順位を付けることに意味があるのか?という根源的な疑問はある。そうでありながら W杯に向けての前哨戦として見てしまう。

ともかく 至る所に 順位が付けられている。

 

代表チームのパフォーマンスの基盤はクラブチームの戦績にある。2024/25欧州チャンピオンカップ(以下「ECC」) 24クラブチームによる予選リーグが終了した時点で 六か国対抗がはじまった。

ECC予選リーグ終了時の順位は次の通り。

1.ボルドー(FRA) 2.レンスター(IRE) 3.ノーザンプトン(ENG) 4.トゥーロン(FRA) 5.トゥールーズ(FRA) 6.カストル(FRA) 7.グラスゴー(SCO) 8.ラロシェル(FRA) 9.マンスター(IRE) 10.レスター(ENG) 11.ベネトン(ITA) 12.セール(ENG) 13.サラセンズ(ENG) 14.クレルモン(FRA) 15.ハレクイーン(ENG) 16.ウルスター(IRE

興味深いのは ベスト16RSAのチームが入っていない。代表選手を酷使しない(=欧州選手権には出さない)影響が出た と解説されている。

ちなみに 各協会別のチーム数を見ると次の通り。

(表-1 各国クラブチームのECCでのパフォーマンス)

 

各リーグ構成チーム数

ECC予選参加チーム数

ECC・ベスト16

 FRA

    14

         8

        6

 ENG

    10

         8

        5

 IRE

         4

         3

        3

 SCO

         2

         1

        1

 ITA

         2

         1

        1

 WAL

         4

         0

        0

 RSA

         4

         3

        0

(注)1. ECCは 2023/24シーズンからはじまり 3リーグ(イングランドのプレミア・フランスのTop14URCUnited Rugby Championship)から 前シーズンの成績を基に 各リーグ8チームずつが参加し 予選リーグが行われる。

2. URCは IRE4 WAL4 RSA4 SCO・2 ITA・2の計14クラブチームで構成されているリーグ

 

今年の場合 ECCのパフォーマンスと六か国対抗の結果が 見事なまでに対応している。

ある意味 当たり前のことだ。調子のいい選手を集めた代表チームが勝つ。

ECCの途中経過はこうなのだが 第12節(31日)終了時のURCの順位は こうなっている。

1.レンスター(IRE) 2.グラスゴー(SCO) 3.ブルズ(RSA) 4.シャークス(RSA) 5.マンスター(IRE) 6.カーディフ(WAL) 7.エディンバラ(SCO) 8.ライオンズ(RSA) 9.コナート(IRE) 10.スカーレット(WAL) 11.オスプレイ(WAL) 12.ストーマーズ(RSA) 13.ベネトン(ITA) 14.ウルスター(IRE) 15.ゼブラ(ITA) 16.ドラゴンズ(WAL

 

ECCの前身 ハイネケンカップが始まったのが 1995年 プロ化に反対していたENGSCOが参加せず 開幕戦は 19951031日 トゥールーズ対コンスタータ(ルーマニアのチーム)。以後 これまで 優勝チームは トゥールーズ:6回 レンスター:4回。トゥールーズは 創設時から この大会に力を入れてきた。一方 Midolを読み続けてきた感覚では フランスの多くのクラブチームは国内選手権に力点を置き 欧州選手権を「二の次」にしてきている。そこまでの選手層を抱える財力がないのが 最大の要因だろう。各クラブにとって どの大会に注力するか≒どの「金の成る木」を選び・収益を最大化するか という選択を行ってきている。

代表選手にとっては 代表戦に加え 国内リーグ・欧州リーグ 明らかに「過密日程」になっている。一方 控え選手にとっては「代役」の機会が増えることになる。

令和7322

2025年3月15日土曜日

岡島レポート・2019 W杯・備忘録 267

                                良い春であってほしいものです
                                   
                                            2019 W杯・備忘録 267
 
                                        〜  Professionnel  
 
ここまで 「プロ化」と 何度も書いてきて あらためて プロ化がラグビーに与えた影響は? 誰が幸せになり・誰が不幸になったのか?などと 自問自答している。
Professionnel:㈰職業の、職業上の ㈪本職の、プロの、玄人の;玄人はだしの」
2003年に発行されたエレロ『ラグビー愛好辞典』の一項目がProfessionnel。こんな書き出しから始まっている。今から22年前の実感 「今昔の感」もある…
 
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この10年あまり ラグビーは大革命の中にある。
1987年のW杯開始がダンスパーティーのはじまり ビジネスに門戸を開いた。1991年第2W杯では 選手の脇にエージェントというビジネスマンが居座るようになり 1995年 ラグビーは 「モダン=現代」に突入した。それまで 父や祖父たちが 大切にしてきた価値を守るため 言下に 拒絶してきたものが ラグビー界に押し寄せた。1995年 ラグビーは 所有者を変えた:テレビ系列、スポーツ用品業者とスポンサーたちが 子羊肉をむしゃぶる浮浪者のように やってきた。彼らは 新たな大会・イベントを 創設するために 日程を変更させた。スーパー12、トライネーションズ、トップ○○、○○カップなどが 雨後の竹の子のごとく 生み出された。オーストラリア・メディアのボス:マドックにとって 4年に一度のNZvsRSAは お気に召さなかった。神秘的な対戦が 年に数回行われるようになり ミステリアス感がなくなり ありふれたものとなった…(p352
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スーパーラグビー NZAUS2か国:12チームではじまった。30年前のことだ。輝いていた! その後 最大18チームにまで 増加したが コロナ禍を挟んで 減速し 今シーズンは 11チームで 運営されている。WOWOWで見る限り シーズン当初のスタンドは 閑散としている。「プロ化」して おカネというエネルギー源を投入し続けてきて 燃え尽きてしまうのだろうか。スーパーラグビーの帰趨 気になって仕方がない。
 
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ラグビー界のプロ化 南半球が先陣を切った。そして アマチュアリズムの総本家 イングランドが追随した。(p354
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「プロ化」 直後 右上がりだったものが いろいろなところで 「左前」になってきて オーストラリア、イングランドのプロチームで運営できなくなるチームが 出てきた。その意味でも 先行してきているのだろうか… 10年ひと昔 か… そもそも 「財政難」なんていう概念自体 「プロ化」以前には 存在しなかった。
 
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フランスでは それ以前から選手もコーチもチーム関係者も 疑似アマチュアリズムに馴染んできたので どう対応すればいいのか とまどってしまった。そこに登場したのが スタッド・フランセ。斬新なコミュニケーション:チアガール、選手のヌードカレンダー、会場でのロックの大音響… フランスラグビー界で 「(商品を)買う」という単語が 初めて使われるようになった。(p354
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当時 フランスラグビー界内の古く・頭の固い多くの人びとが スタッド・フランセの「やり口」に 眉をひそめていた。ところが 多くのライト層を惹きつけることによって スタンドが埋まった。だから!?
 
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「プロ化」したことによる最大の気がかりは プレーや選手の「画一化」=各チームの個性の消失だ。メディア化が進み、情報が飛び交い、選手・コーチの移籍が頻発する。どのチームも似てきている。選手の肉体も変わってきた。かつては デブもヤセもノッポもチビもいた。今や 筋肉の塊がぶつかりあってる。小柄なセンターが スイスイ抜いてゆく なんて 夢のまた夢(p355
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嘆いていても仕方ない!?
 
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世は移る 移ろう世にラグビーは漂う。ともかく ラグビーは 社会内のステータスが変化して 美しくなくなり 見ごたえがなくなってきたのだろうか。職業としてプレーし生計を立てている そんな選手が堕落させているのだろうか… 真の不幸は おカネの問題じゃない つまらなさだ!(p356
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老いの繰り言 ないものねだり どうなんだろう。エレロ:1948年生まれ(団塊の世代だ!) 20歳のときに「68年の嵐」に遭遇 アマチュア時代の名選手にして名将 プロ化という革命に取り残された一人なのだろうか。
令和7年3月15日

2025年3月14日金曜日

今日は、石越総合支所に・・・

今日、3月14日、午後に石越総合支所に・・・晴天でしたが強風でした😱

1998年と言えば、27年前、新しく石越町庁舎が建設され、一部建設工事中。役所の前のロータリー広場に作品をと当時の稲辺町長からの依頼で作品制作に取り込み、タイトル:宇宙との対話広場(Place de dialogue avec l'univers )1999年に完成、御影石はフランスのグラニット・ブルーとグラニット・ローズ、ロータリー広場の石垣は石越石を使用。毎年、夏の帰国の時に作品を見て回って居ますが、ピンコロ石で覆った壁(中身は鉄筋コンクリート)の表面に亀裂が生じ始めて居たので、これ以上劣化しない様に早い段階で修復・修正して頂くと助かりますと昨年の夏にお願いしてメール交換して居ましたので。今日は中田生涯学習センター高橋 所長さんと一緒に石越総合支所を訪ね、ロターリー広場の現場で石越支所長の加藤さん、主事の菊川さん、主任技師の久須田さん、千葉さんとお会いする事が出来ました。既に、久須田さんと千葉さんはモルタルとボンドでの修正方法を考えて下準備をなされて居ました(この作品を施工した小野寺重機さんからアドバイスを頂き準備万端の様子)2つの方法から前者の手間がかかる作業時間が必要とする(苔を落とす作業から、劣化したピンコロ石と石の間に細いコテでモルタルとボンドの混ぜたものを押し込んで行く)作業と、思ったより材料が嵩む方法を選び早速作業に入る事に🙏🙇🏼‍♂️。加藤所長はじめ関係者の皆様に感謝です。今回、修正修復して置くと長く作品が保たれます。久須田さんとは 2010年の第一回・登米国際アートトリエンナーレの時にフランス人の Pierre はじめ、多くの作家作品のお手伝いをして頂き、焼き鳥の串作りの名人でも在り、集中力の在る空手道の達人、多いに協力を頂いた事を良く覚えています。その後 Facebookで繋がり、今回,
再度、お世話になりま〜す。何と言っても予算の無い所でのやりくり、技術の持った職員さんが石越支所に居たのは幸運・感謝です。時々、顔を出させて頂きます。


2025年3月11日火曜日

今日は3月11日、14時46分、勾当台公園 市民広場で献花・黙祷🙏

 今日は佐藤さんとランチを一緒に、その後、彼が東日本大震災追悼式典に献花と祈りを捧げに勾当台公園 市民広場に行くと言うので、私も同行し献花に。午後2時46分を待って、参加者の皆様と黙祷を 🙏 途中、藤崎の角でも祭壇が飾られ、そこで花を添えた時、東北放送テレビ局のインタビユーを受けましたが。ふと、14年前、パリを中心に以前、 Satoru Sato Art Museum に作品を寄贈して頂いた作家(画家、彫刻家、造形作家)を中心に、多くの仲間や知り合いの作家、コレクターの協力を頂き、又、オークション会社の全面的応援を頂き、展覧会とオークション<連帯・登米 >展を開催、展覧会会場費、写真や図録作成代、カタログ代、オークション経費などなど、1銭も取らずに。作品売り上げ、約1500万円を 登米市を中心に、宮城県、気仙沼市、南三陸町に分けて義援金として、直接、送金して頂いた事を思い出しました。あれから14年、時の流れが速すぎます。夕方、榮ちゃんから電話が在り、サトルさん、今、仙台に来ているの?。今、テレビに帽子とサングラス姿だけど、一瞬、サトルさんがインタビューに答えて居たので、声と髭で、間違いないと思い、電話してみましたと。合掌・黙祷・復興  👀  心の傷・願い・思いは簡単に一言では言えない事です。先ず、皆さんに感謝です。🙏🙇🏼‍♂️ 帰りに岩井さんのコレクション展を拝見、久しぶりに林さんともお喋り出来ました。

午前中はバスに乗り込んで、仙台文学館に行って来ました・・

仙台文学館は久しぶり、大沼さんの写真展が開催されていると言うので、昨日、9時過ぎ、ブラリと仙台バスターミナル6番迄散歩できました。運良く 10分待たずにバスが来て乗車✌️街を見学しながら予定通り北根二丁目下車、無事、文学館に。那波さんより頂いたチケットを受付で見せようとしたら、ビックリ!本人の大沼さんが居てご挨拶。ゆっくり拝見させて頂きました。12時過ぎに帰る時に、大沼さんが車で送ってくれると言うので助かりました。帰り際、以前、山口ジョージさんの個展(2022年10月1日オープン)の展示準備の時に(9月27日)お会いしました、文学館の責任者、学芸員の方々とも再会出来ました。残念ながら会場入り口の写真を撮り忘れました。最近、😵‍💫😱忘れ物が多いのですと言えば許される。😅 実は幼年時から変わらないのです.🙏肝心の写真展、素晴らしかったです。作品の数が多く、圧倒されました。沖縄では既に桜が 🎉 那覇では1月、南大東島では今月が満開とか。

2025年3月10日月曜日

今日は蔵王町に行って来ました。

 3月10日、Facebook で最近、知り合いに成り、既に Satoru Sato Art Museum に何度か訪ねて佐藤先輩の作品を拝見して居ますと言う方から。急に、蔵王町に在るキャンプ場をご案内しますと電話を頂き。私の方は、12時45分には他の用事が在るのでと言ったら。早めに、朝、9時に迎えに行きますと言う事で。初対面、12年後輩の気さくな鈴木さんは、樹の里・真田キャンプ場の経営者でした。彼の車に乗って 30分後には高速道路から降りて、雪景色の雄大な蔵王連峰が見える蔵王町に。道中、彼の話を聞きながら辿り着いたのは、広い敷地の遊べるキャンプ場でした。地主の植木屋さん事、平間さんを紹介して頂き、話が盛り上がり。平間さんの方も、既に、いろんな事を企画している様子で、喫茶店が在り、店内では蜂蜜が売られ、コーヒーと作りたてのカステラをご馳走に成り、隣の棟には息子さんのお店、お蕎麦を食べさせてくれるお店も在り、凄い人気が在るらしく、その日も満席でした。ピザを焼く、大きな窯も設置されて居ました(ピザもご馳走なりました)。石垣を組んだり、面白い発想が湧き出ている平間さんと鈴木さんで、楽しいひと時を過ごさせてせて頂きました。人気の在る美味しい蕎麦を頂き、土産に蜂蜜入りカステラを2個も頂いて来ました。鈴木さんの企画する 😊 夏のキャンプ・イヴェント企画、頑張って下さい。楽しみにしています。


2025年3月8日土曜日

岡島レポート・2019W 杯・備忘録 266

SATORUさま

このところ 「軍縮」 まったく 語られていません 人類って ほんと 愚か!?

              2019W 杯・備忘録 266

                                                           〜 バスク 2 〜

 

現フランス代表のバスク人 オリボンとルキュー。同い年の二人は バスク地方の人口7000人の同じ町クラブで ラグビーを始める。その後 オリボンは バイヨンヌからトゥーロンへ ルキューは ビアリッツからボルドーへ移籍し 代表選手まで登り詰める。 代表戦・国歌斉唱時 常に隣り合わせで肩を組んで歌っている。

 

「エリサルド」 バスク語で「教会の前」 元日本代表HC:エリサルドは バスク人の父・ブルターニュ人の母から フランス中西部・ラロッシェルで生まれた。自己規定は バスク人。日本から戻って バスクに住み始めた。

 

2012年・2014年 スペイン国境 ピレネー山脈のフランス・バスクの村:バイゴリーのエリサルドの家に しばらく 居候した。当時 彼は テレビ解説者で 試合のある時はパリに出かけるが 平日は ご近所をぶらぶらして あちこちで「油を売っていた」。朝 起きると 村のカフェに行く。顔なじみの先客に「カフェ?」と尋ね 「ウィ」と答えてくると 珈琲を振舞う。席についていると 後から来た顔なじみが やはり 「カフェ?」と尋ねてくる。「ウィ」と答えると 珈琲を振舞ってもらう。なんだ 贈与互酬の連鎖だ。

 

西洋中世史研究者・阿部謹也(元一橋大学総長)が主張していた ㈰『私たち(注:日本人)は皆「世間」の中で生きている。この「世間」は欧米にはないもので、日本独自の生活の形である。』(阿部謹也『日本人の歴史意識』岩波新書874 2004年 p4) ㈪『「世間」の中に生きる人々の行動の原理は三つの原則によっている。贈与・互酬の原則と長幼の序、共通の時間意識である。』(同 p7)という「三つの原則」 バスクの村の日々の生活にも貫徹していた。バスクの村にも 「社会」はなくて 「世間」がある!?

 

エリサルドにくっ付いて歩いていると 村の中の至る所で 老人が日向ぼっこしている。エリサルドは 丁寧に 挨拶してゆく。「年寄りを大切にしなければ…」

 

村の中心には 教会。塔があり・鐘が鳴る。♪ や〜ま〜のお寺の鐘が鳴る ♪ と 同じような 時間が 村に流れている。

 

エリサルドが ふと こんなことを言った。「パリとここ パリは 格差が25倍 ここは 2倍。パリは 競争社会 ここは 分かち合うコミュニティだ。どちらが 幸せなんだろう。自分にとっては ここの方が住みやすい。」 で 「分かち合うって どういうこと?」と尋ねると 「現在 ここのジュニアのラグビーチームのコーチをしている。もう一人 コーチをしたいのがいるので 彼とコーチを分け合って それぞれ 別の曜日に コーチしてるんだ」 エリサルドが単独でコーチした方が 強くなるであろうに… 椅子取りゲームに狂奔しているパリ vs 必要な数の椅子を揃えるバスク か。

 

昼前になると 車で 別のカフェに行く。そこは ビアリッツ・サポーターの女将さんがやっていて ひとしきり ラグビー談議(主として ビアリッツとバイヨンヌの褒め・貶しあい)。「○○が文化として根付いている」って 床屋談議・井戸端会議の話題に上るということ でもある…

 

プロ化以前 長年にわたり 隣町:バイヨンヌ(人口5万人余)とビアリッツ(人口3万人弱)は ライバルでありながら フランス・ラグビー「圏」では バスクを代表する2チームであった。それが プロ化直後 ブランコの魅力で おカネを獲得したビアリッツが トップチームに上り詰めた。その当時 バイヨンヌは 1・2部の昇降格を繰り返すエレベーター・チーム 降格危機のときに エリサルドがHCになったこともあった。 2015年 「カネの切れ目」から ビアリッツは財政難に陥り ブランコが 「バイヨンヌとの合併・バスクに一つのビッグクラブを!」と提案するも 否決され 独自路線を模索し 2部に低迷している。一方 バイヨンヌは 地道な強化が実を結び始め(もちろん スポンサーも着実に増やしてきた) バスク出身の元代表選手:ロペス、イチュリアなどを移籍で獲得し 現在は 1部の中堅に位置するようになっている。

バイヨンヌは 現在114チーム中4位(直近のホームゲーム:観客13,291人)。ビアリッツは 216チーム中11位(同:5,000人)。

オリボンとルキュー バスクに戻って プレーする日がやってきてほしい。

 

今週のMidolの社説で 「かつての「村の鐘のラグビー」から クラブ主義へ移行しつつある」と フランスラグビー界の現状を解説している。プロ化の大先達:サッカー界では ビッグクラブのユニホームは全世界で販売され・サポーターも全世界に広がっている。もちろん 地域に根を張ったままでのことでもあるが マーケティングの対象は 広域化し続けている。ラグビー界も 同様に 「我が村・町のチーム」から プロ化・選手の移籍の加速があり 各チームの「地に根差した」固有のものが消えつつある。一方で ビッグクラブは 自らのアイデンティティーを確立すべく努力し続け・地域を超えたサポーター獲得を目指している と。地域人口を超えた関係人口の獲得が急務になってきている。

 

不可逆の世の流れに乗って ラグビーは どう変わってゆくのだろうか。

 

令和738 

2025年3月1日土曜日

建築を<ミル・知る・学ぶ > スタデイツアー<宮城県知事公館>

 3月1日(土)14:00〜16:00 、大沼正寛氏(東北工業大学教授)と高橋直子氏(伝統建築研究所代表取締役)の講義を受講して来ました。いろんな事が😵‍💫問題提起されそうな😊貴重な楽しい話し2時間でした。建築様式とは、日本における洋館とは、石の文化と木の文化の中で、歴史の違いの中での住まい。用途などなど。また、興味ある切妻造の四脚門の解説も勉強になりました。天候も良く、行きは時間ギリギリ、タクシーで滑り込みセーフでしたが。帰りはのんびり徒歩しながら 2度、広瀬川を渡り、デ・ステイールでコーヒーを頂き、その後、えかきやの結城さんと久しぶりに再会、立ち話して帰宅しました。 皆様に感謝✌️

岡島レポート・ 2019 W杯・備忘録 265

 SATORUさま

トランプ 千両役者なのか 大根役者なのか.     ポスト・トランプ劇場 いつ・どんな内容になるのやら…
                                                        2019 W杯・備忘録 265
               ~ バスク ~
ブランコのラグビー・バスクのラグビー…

広辞苑(第7版)では 「バスク【Basque(フランス)】ピレネー山脈西部、フランス・スペイン国境にまたがる地方。1960年頃から独立運動が活発化。スペイン語名バスコ(Vasco)」「バスク語:バスク地方で使われている言語。系統は不明で孤立した言語。能格構文をもつ。」「バスク人:バスク地方に住む民族。現在のヨーロッパ諸民族のうち最も古い民族の一つ。海外へも移住。」とある。

日本での「バスク」認知度は バスチーにレアル・ソシエダ 「昨今、グルメやサッカーでバスク地方がより広く知られるようになるにつれ、バスク語の存在も認知されるようになってきましたが、皆さんはバスク語に対してどんなイメージを抱いていらっしゃるでしょうか。」(『バスク語のしくみ』(吉田浩美 白水社 2021年の「はじめに」)というようなものだろうか。

じゃあ バスクのラグビーは
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パリからマドリッド行きの汽車に乗る。オルレアン・トゥール・ポワチエ・アングレームと100kmおきに中都市が存在する。このあたりまでは 車窓から見えるのは サッカーグランドのみ。アングレームを過ぎたあたりから ラグビーポールが ちらほら見え始める。ボルドーを過ぎると サッカーゴールとラグビーポールが ほぼ同数に。ランド地方・ダックスを過ぎ バスク地方に入ると 圧倒的に ラグビーポールが優勢になる。
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(フランス)バスク地方の中心地 バイヨンヌとビアリッツの間の町で生まれ育ったデシャン(1998年サッカーW杯優勝チームの主将。2018年サッカーW杯優勝監督。主将・監督として優勝したのは ベッケンバウアーについで3人目)の伝記(Bernard PASCUITODIDIER DESCHAMPS2022)の中で「(彼の育った地域は)ラグビークラブがサッカークラブの10倍ある」(p24)と書かれている。デシャンの父・親戚もラガー。

ラグビー・フランス「圏」でのバスクについて エレロは こんなことを書いている。
フランスラガーにとって バスク地方は 理想郷だ。大聖堂。
千年の昔から バスク人は 重い石を持ち上げ・綱引きをし・丸太切りを競ってきた(()現在も バスクのスポーツ大会の主要競技種目)。そして 他のどのスポーツとも似ていない「ぺロタ」。
こうしたスポーツ史を持っていた人びとだから 楕円球の来襲を拒絶してもよさそうなものだった。が 熱狂的に受け入れた。
(エレロが子供の頃)バスクのことなんて 遠いところで 何も知らなかった。ラグビークラブの大人たちが よく バスク人について 「ちびで 蟹股で 首は両肩の中に埋没してる だがな 滅茶苦茶 勇猛なんだ」と 語っていた。子ども心に バスク人は みんな プロップなのか! と 思ったものだ」(Daniel HERRERO Lesprit du jeu lame des peoples” p113

デシャンの伝記では「バスクが すべてに沁み込んでいる、風景に・人びとの魂に。彼らは 怒りっぽく・無口で・無愛想で・慎み深い。バスク地方は 謙虚であり 測り知れない自尊心を持つ、ある時は 平静で ある時は 破壊的な暴力をふるう。木々であれ 野であれ 林であれ 森であれ 希望の緑をなし 絶望が潜んでいる。この地方には 半濃淡はない。太陽は照り付け 雨は激しく 空気はざらついている バスク語の発音のように。ここには 年代の溝はない。老いも若きも とにかく バスク人だ。日々の生活は厳しい が 感興をそそる。已むに已まれず 他出することがあっても 心がバスクを離れることはない。彼らは いずれ 故郷・バスクに戻ってくる。」(p17)と書かれてい

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ところで 汽車がフランス国境の駅:アンダイユ(フランス・バスク)から スペイン国境の駅:イルン(スペイン・バスク)に入ると車窓は一変し ラグビーポールが見当たらなくなる…

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1000年余の歴史を持つバスク人・バスク地方 同じ言語を話し・同じ文化を共有し・同じスポーツを楽しんできた民族が なぜか フットボールに関しては 国境線を挟んで まったく違う根付き方をしている。
長年 実に 不可思議な現象だと感じ続け いかなる原因でそうなったのか いろいろな文献に当たっても来たが 未だに これだ!という腑に落ちる説に出会わない。
エレロも「不思議だ。スペイン・バスク人も フランス・バスク人と同じく 格闘大好き・自尊心の塊だ。たぶん GODのミスなのだろうか? スペインに数多くいて影響力のある神父たちが 肉体のぶつかり合いを忌み嫌ったせいなのだろうか…」としか 書いていない。

令和731