2021年6月28日月曜日

玄関奥の作品が新しく成りました。La 9 ème Travail d'installation au Satoru Sato Art Museum

粕谷さんから送られて来た写真は、玄関奥の中庭の新しいインスタレーションの作品、第9回目の作品に成ります。



2021年6月27日日曜日

23年前の鰻の約束が・・・

佐藤さんにうなぎをご馳走すると約束して居たの覚えて居る!と言われて、そう言う話は在った様で無かった様で、昔々、帰国した時にうなぎをご馳走してあげますよ!と言われて、10年が経ち、20年が過ぎて、既に約束は時効と、それが証拠に、これまでに何度もランチやカフェをご一緒して居たのですが、うなぎの話は二人とも忘れて居た様です。そんな訳で、6月27日のランチは私の好物、うなぎ、美味しかったで〜す。カイザーのケーキとショッソンポンムも頂き、ぼーちゃんに感謝です。

2021年6月26日土曜日

Pont des Arts de Natsukawa 夏川芸術橋のニュースが届きました。

 ポンデザールの清掃活動の写真をお送り致します。Satoru Sato Art Museum 友の会、野家事務局長が早朝から作業を始めて頂いたおかげで、私達会員は短時間で作業を終了する事ができました。新型コロナウイルス感染症拡大防止対策の為に昨年からワークショップはじめ、事業が中止なる中で、せめて清掃はと😊いう事で久しぶりに外で汗をながしました。 帰りには、参加した会員さん方に友の会及川会長からキューリやトマト、野家事務局長からはシフォンケーキの差し入れがあり、お得な事業に🤩👍事業になりました。遅くなりましたが、清掃活動の画像を送ります。粕谷

🙏気になっていた夏川芸術橋、綺麗に清掃されて嬉しく思います。2年前迄は私も夏はお手伝いに参加していましたが、昨年、今年は不参加、😹 友の会の皆様、センター職員の皆様に感謝しています。

岡島レポート・2019W杯・備忘録 83

                                            2019W杯・備忘録 83

       ~ ライオンズ(2)


 プレーヤーが試合に出場するためには「選」ばれなければならない。選手と言われる由縁だ。

ライオンズのキャップを獲得するためには、①ライオンズ・ツアー(以下「LT」)・メンバーに選ばれ ②その中からテストマッチ・メンバーに選ばれなければならない。


 2019W杯準々決勝:NZ戦で敗退し、スタジアム全体からの熱い拍手で見送られたIRE主将・ベストは、自伝の中でライオンズについて次のように回想している。


*****

 IRE2009・六か国対抗でグランドスラムを達成し、主としてリザーブのフッカーとして出場していた。2009LTメンバーには、IRE・正フッカー、ENGWALの三人が選ばれた。遠征出発前にIRE・正フッカーがケガで辞退したため、自分に番が回ってくるかと思ったら、SCOのフッカーが選ばれた。


 2013LTには選ばれると自他ともに思っていた。しかし、メンバー発表の日、クラブの練習場では誰も目を合わせてくれない。そして、落選を知らされる。家に帰ると妻が涙にくれている。父にも慰められるが、心底落胆し、ラグビーする気になれない。そんな時、ライオンズFWコーチ・レントリー(ENG)が記者会見で「フッカーについては、何の問題もなく三人を選びました(ベストは考慮外を意味している)」と説明しているのを目にする。彼の無慈悲な発言が頭から離れない。(I couldn’t get the comment out of my head.

 ところが、ENGフッカーが遠征前のクラブの試合でレフリーに暴言を吐いて出場停止処分となり、思いがけず遠征メンバーに追加召集される! だけれども、コーチ陣は自分をまったく評価していないと思い込んでいる。だから悪循環に嵌まった:コーチは自分をリスペクトしていないとしか考えられない。FWコーチ・レントリーと話すが、ENG流の上から目線のコーチングに耐えられない。そんなこんなで引きこもり・一人で過ごすことが多くなる。

 そして、ミッドウィーク・マッチのキャプテンを任される。束の間喜んだが、コーチ陣はテストマッチのことしか考えていなくてミッドウィーク・チームは付け足し(afterthought)でしかないことに気づかされる。

 結局、私(ベスト)抜きのライオンズ(The Lions -without me-とはっきりと書いている)は、テストマッチ21敗で遠征を終えた。でも、これだけのメンバーであれば3連勝できたはずだ。惨めな7週間を耐え忍んだ(I had endured a miserable seven weeks)。


 その後、IREはシュミットがHCに就任し、キャプテンに指名され、快進撃を続けNZにも史上初めて勝利する。だから、2017LTの中心選手でもおかしくなかった。

 そうであるが、2017LTHCにガットランドが指名され、FWコーチにレントリーが再指名された。だから、大きな期待は抱かないようにしようとした(I knew I had to temper my expectations)。それでも今回はすんなりと選ばれた(This time there would be no last-gasp dramas for me)。選ばれた三人のフッカーの中で一番テストマッチに近いと思っていた。

しかし、初戦の一回のラインアウト・スロー・ミスでその望みは消え去った。スケープゴートにされた。そもそもラインアウトはスロアーとキャッチャーそれにリフターも含めた集団プレーだ。ENG流とIRE流の違いもある。それなのに、責任を自分一人に負わせるなんて やりきれなくなってIRE本国のメンタルコーチに電話した。彼は「テストマッチに選ばれるか否かなんかで悩むんじゃないよ。ツアーから帰った時に子供たちに「最高のラグビーをプレーしてきたよ」って言えるかどうか、それが問題なんじゃないかな。」とアドバイスしてくれた。これで少しは気持ちの整理ができた。

今回もミッドウィークのチーフス戦でキャプテンに指名された。チームメイトもみんなテストマッチに選ばれないことがわかって落ち込んでいる。試合前にこう発破をかけた。「この試合がこのゲームに出場するみんなのツアーの意義を決めるんだ。国に帰って、生涯、あのツアーではエンジョイできなかったと思い続けるのか、それとも、テストマッチなんか糞くらえ、ラグビーを思いっきりプレーするか」。試合は34-6で快勝した。一緒に戦い、熱い友情も芽生えた。しかし、コーチ陣の評価は変わらない。最初からテストマッチの23人を選んでいて変えるつもりはさらさらなかった。

 遠征後、テストマッチにも出場したオブライエン(IRE)がインタビューで「テストマッチでは3連勝できたはずだった。」と言い、練習内容とアタックコーチを批判した。彼の率直な感想だ。ガットランドは即座に否定するコメントを出した。

3連勝は非現実的だと思うがオブライエンの言ったことに共感している。もちろんガットランドの力量で好成績を収めたことも事実だろう。だけど、ガットランドはWALの選手だけを信頼していたのも紛れもない事実だ。(He undoubtedly showed a lot of loyalty to his Welsh boys, but that is what coaches do.

フィジカルなセンターを二人並べるガットランド流のゲームプランでは、NZRSAには勝てっこない。IRENZに勝利したようなシュミット流でプレーすればいいのだが。

 

ライオンズのジャージを身に着け、そして、20132017とミッドウィークのキャプテンを務めたことはとてつもない誇り(extremely proud)だ。だが、未来のライオンズが成功するためには、①4協会の混成チームなのだから、コーチ陣も4協会から選ぶべきだし ②選手選考をより科学的なデータに基づいて行うべきだ。

******


 IRE代表として124キャップを得たベストは、ライオンズキャップ「0」で現役生活を終えた。


 今回のライオンズRSAツアーでは、コーチ陣にENGが入っていない。テストマッチの23人、誰が選ばれるのか、楽しみである。


令和3626

2021年6月25日金曜日

7月に展示にする近代オリンピック100周年記念特別版画作品集の作品受け渡しと、打ち合わせ・・・


既に紹介して居ます、近代オリンピック100周年記念特別版画集が出版されました。その作品、50枚の作品を、石森章太郎ふるさと記念館副館長・秋山さんとサトル・サトウ・アート・ミュージアム特別展示顧問の粕谷さんが引き取りに来て下さいました。同時に、展示の打ち合わせをと、空間の広い宮城県美術館のモーツアルトでランチを取りながら仕事をしてお帰りになりました。

2021年6月22日火曜日

久しぶりの銀座、先ずはアップルストアーに

 MacBook Pro をParisに置いて身軽で入国、実は軽いMacBook Air を購入しようと目論んで居ましたが、21日迄は、真面目に自粛生活、近くの堤防を散歩する日々でした。連日、入国者健康確認センターから携帯に連絡が入り健康状態を報告して下さい、お願いしますと、ビデオ通話は本人確認の為、お顔を見せて下さいとか、嫌な気分ですが、決して報告しなければ法的に罰金を課す事は無いのですが、一応、違反した時には公表される事が在ると、契約書に記されていますが、真面目に守ったのはサトル君だけの様です。それにしても嫌な気分の2週間でした。22日から自粛は解除され晴れて外出、早速、銀座のアップルストアに予約を入れたら既に今週の予約は埋まって居ます。ギグ!一瞬、慌てました!。但し、平日の午前中はキャンセル・予約解約も在り得ますので可能性は在りますのでお越しに成ってみてはと、10時半には担当の社員が出て居ますと言う事で、久しぶりの電車に乗って有楽町下車、そして銀座に。お店に着くと整備員が10時45分からお並び下さいと言う事でそれまで近くをブラブラと散歩、45分丁度に行ってみると未だ人は並んで居らず先頭に並ぶことが出来ました。早速、アップルストアのドアの前で用件を確認する女性の方が対応してくれて、今回はどの様なご用件でしょうかと言われて、MacBook Air 購入の為に、明日、仙台に戻りますので、今日中になんとしても購入したいのですがと言うと、運良く、仙台からお越しでしたかと、私も仙台ですと言われてビックリ感激!😊 11時開店から10分足らずでお店に入れて、早速、担当者が替わり、偶然、やはり可愛い女性は仙台に居た方でした。Air の機種を見せて頂き無事、希望のMacBook Air を購入出来ました。実は購入してもパソコンを上手く使えない逹君を心配してパソコンのプロ=専門家の友人が応援に来てくださる予定でしたが、運悪く体調を崩してお手伝い出来ないと連絡が来て居たので😱可成りヤバイ状況に置かれて居ましたから、恐る恐るパリからバックパップしたハードデスクを持参して居るので入力して欲しいのですがと尋ねると判りましたとアイパットで連絡、はい、今日の12時に4階にいらして下さい、作業できる様に予約を入れましたので、但し、15分以内とか、そちらの方に直接お越しくださいと、なんと優しい対応は仙台から来たせいかなと、予約無しで、今日はラッキー、時計を見ると11時25分、30分間散歩して12時に4階に行くと担当者が出て来て、早速、Air を出して、何も判らないサトル君、どこから解らないことを事を説明しようかと思いきや、なんと、摩訶不思議、担当者は私が仙台のアップルストアでお世話になって居た遠藤さんでは在りませんか、彼のおかげでパソコン始動(指導のパスワードは指(指紋)を押すだけから始まりバックアップしたハードデスクから必要な項目を入力して頂き無事使える様に成りました。他に仙台でお世話に成った方も顔を出して頂き、ご挨拶出来たのは感謝でした。それから、2年前にお世話に成った銀座8丁目のギャラリせいほうに田中譲さんを訪ねましたがランチに行って居るとの事で会えずに展覧会を拝見して、それから佐沼高校の2年後輩の佐々木君と銀座ライオンで待ち合わせ、2年ぶりの再会が出来ました。軽いランチを済ませ、銀座4丁目で、市川、沼田両氏と会い、椿屋珈琲でカフェラッテを頂きました。沼田ちゃんがかき氷抹茶を注文、味見をさせて頂き、遅くならない内にと早めに帰宅出来ました。普段なら新宿に流れる所、コロナ禍では致し方在りません。

2021年6月19日土曜日

岡島レポート・2019W杯・備忘録 82

            2019W杯・備忘録 82

   ~ ライオンズ


 今夏、12年ぶりにライオンズがRSAに遠征する。4年に一度、W杯の中間年に結成されるライオンズ、不思議なチームである。

 ラグビーの自伝で、アングロサクソン系のそれには必ず出てきて、フランス人のそれには絶対に出てこないのが、「クリケット」に「ライオンズ」。


 ライオンズと無縁のフランス人・エレロは、『ラグビー愛好辞典』「ライオンズ」の項でこう書いている。


『 4年に一度、イングランド・スコットランド・アイルランド・ウェールズに平和が訪れる。父祖伝来の敵愾心に蓋をし、常に付き纏う遺恨を忘れる夏のひと時。英国の最優秀選手で構成されるチーム。休戦中の聖なる団結、その名は「ライオンズ」! 栄光に包まれた「十字軍」は、大英帝国下の僻遠の地、RSAAUSNZに順繰りに派遣される。この遠征は数か月にもおよび、アングロサクソン・ラグビー界のオリンピックであった。

 この伝統は、ラグビーの歴史と同じぐらい昔からあった。英国チームの初めての遠征は1888年。イングランドとスコットランドの選手がAUSNZにラグビーの普及状況の調査を目的に遠征した。この遠征は、6か月続いた。

 AUSNZRSAのラグビー協会は母国の協会と緊密な関係を築いた。各地の協会が創設されるやラグビーの普及のため、国際試合が企画された。

 この時代、英国本国ラグビーは主として大学でプレーされていた。したがって、僻遠の地への遠征は大学生主体であった。どの協会に属しているかに関わらず、遠征に参加できる選手でチームが構成されていた。しかし、ラグビーが急速に普及すると、この遠征は制度化され、定期化されるようになる。そうなると、選手選考は厳しくなり、選ばれた選手は新たなステータスを得ることとなった:英国本国の公式代表、選手の中の選手!

 1910RSA遠征で、初めて英国本国4協会の選手が集結した。この遠征では、RSA21敗とし、以後、テストマッチ・シリーズと呼ばれるようになる。

 1914-18の第一次世界大戦中は遠征が中断されたが、1924RSA遠征で初めて「ライオンズ」と呼ばれるようになる。名前の由来は定かでないが、おそらく遠征公式ネクタイの図柄に由来すると思われる。この遠征では、RSA3連勝した。

 それ以降、ライオンズの伝説は次々に書き加えられていく。英国本国の名選手たちにとっては、一度でもライオンズでプレーすることが夢となった。「ライオンズの一員」ということは、消せない栄光であり、歴史に名を遺す足掛かりとなっている。現役時代、そのチャンスは一度か二度しか訪れない。だから、選ばれることの価値がより高くなる。

 プロ化の中で、ライオンズの長期遠征という慣習は、プレー面からも財政的な面からも課題を投げかけている。

 イングランド・アイルランド・ウェールズ・スコットランドの選手たちが、長期遠征で不協和音が出ないはずがない 彼らは、6か国対抗戦では激しく戦い、数か月後には同じチームメートになる。打ち解けるためにはかなりの日数がかかる。

 その時点で強いチームから多くの選手が選出される。一方で、バランスが求められる。ライオンズの遠征では、毎回、内輪での殴り合い・陰湿な陰謀・小細工が噂され、公式には否定されてきた。ライオンズの伝説は団結の神話で成り立っている。』


 12年前のRSA遠征も、今回と同様、2年前のW杯でRSAが優勝している。W杯チャンピオンvs英国ドリームチームの戦い、となる。12年前のテストシリーズは、RSA2連勝(第1戦(620日):26-21、第2戦:28-25)の後に1敗(第3戦:9-28)している。今回は、どうなるのか、楽しみである。


 ちなみに、ライオンズは、RSAには通算481引き分け、NZには1勝10敗1引き分け、AUSには7勝2敗である。


 20132017ライオンズ遠征で2度ともキャプテンを務めたウォーバートン(ウェールズ代表74キャップ、ライオンズ5キャップ。20112015W杯のウェールズ・キャプテン。)の自伝に次の逸話が載っている。

『 ある時、ローレンス・ダラーリオ(イングランド代表85キャップ、ライオンズ3キャップ。2003W杯優勝メンバー)たちとのトークショーに出ていた。Q&Aタイムに会場から「ローレンス、貴方はW杯で優勝し、ライオンズでもテストシリーズで勝利しました。どちらが、より大切ですか?」という質問が出た。ローレンスは即答した。「ライオンズだ。考えるまでもなく(Hands down)ライオンズだ。」

 (ウォーバートンは次のように締めくくっている。)

 ライオンズ(遠征)は継続されなければならない、ワールドラグビーがどの方向に進んでいくにしても。ライオンズは、すべてのとまでは言えないかもしれないが、ラグビーの大切な価値を体現している。消え去ってはいけない貴重なものだ。』



 JPNとして、史上初めてライオンズとエディンバラで戦う626日。後々まで語り継がれる試合をしてほしいものだ。


令和3619

2021年6月12日土曜日

岡島 レポート・2019W杯・備忘録 81

 2019W杯・備忘録 81

 ヘッドコーチ 

 近代は、分業・専門化の時代であり、現代は、それが加速化・・細分化・深化している。ラグビーとて、時代の流れと同期する。コーチの役割も分化し、ヘッドコーチが出現する。

 日本協会のホームページを見ていると、日本代表のスタッフとして、ジョセフ・ヘッドコーチのほかに、藤井ナショナルチームディレクター、アシスタントコーチ3人、ストレングス&コンディショニング(SC)コーチ、アシスタントS&Cコーチ2人、分析2人、ドクター、パフォーマンスコーディネーター、アスレチックトレーナー、トレーナー、メンタルコーチ、通訳、パケージマスター、チームマネージャー、アシスタント、チームメディアマネージャー、計20名が掲載されている。
 やがて、マンツーマンを超えて、選手一人に一人以上のスタッフがサポートする日が来るのかもしれない。

 最近出版されたバレットの自伝『ボーデン・バレット 世界王者の司令塔~頂への道のり~』(ベースボール・マガジン社)を読んでいて、「ここ数年、ラグビーの世界においても、メンタルヘルスのケアや、体の準備と同等に脳を準備するといった、心理的な側面を大切にすることの重要性が浸透してきた。」(p197)「オールブラックスに入ったばかりのころも、周りについていくのに精一杯で、頭に余裕がなかった。メンタルコーチのギルバート・エノカ氏と時間を共にするにつれて、誰かのためにという気持ちを実際のパフォーマンスに転換する方法を知った。それができるか否かが、良い選手と最高の選手の分かれ目になることを学んだ。」(p199)が印象に残っている。

 身体能力を発揮するためのテクニックが求められる時代から、身体能力そのものを向上させるS&Cに力点が移行し、今日では「心身」の「心」にも重きが置かれるようになってきている。近未来には、何が付加され・重要視されているのだろうか

 こう書いてきて、かつてラグビーは「ノッポもチビも、ヤセもデブも」どんな奴にも相応しいポジションがあるスポーツと言われていたことを思い出す。いまや、ウィング並みのステップを切るフロント、二列目並みのブレイクダウン・スキルがすべてのプレーヤーに求められるように、15のポジションの高度化・均質化が求められている気がする。

 時の流れとともに、選手が若返るだけでなく、ヘッドコーチも若返るはずだ。主要代表チームのヘッドコーチは、現時点で、次のようになっている。


  RSA
  NZ
  AUS
  ARG
  JPN
2019W
エラスマス
* -
 1973
ハンセン
  -
1959
チェイカ
  -
1967
レデスマ
* -
1973
ジョセフ
*(NZ
1969
現在
ニーナバー

 1972
フォスター

 1965
レニー
NZ
 1963

* 同上

* 同上


 ENG
 WAL
 IRE
 FRA
 SCO
2019W
ジョーンズ
 (AUS
 1960
ガトランド
 (NZ
 1963
シュミット
 (NZ
 1965
ブリュネル

 1954
タウンゼント *
 1973
現在

 同上

ピヴァック
 (NZ
 1962
ファレル
*(ENG
 1975
ガルティエ
 1969

* 同上
(注)2段目「*」は、選手としての代表歴。「(国名)」は、出身国。

 ジョーンズは自伝の中で「フッカーはスクラムの中央にいて、明確な指示を出すことが求められる。それは、コーチに求められていることでもある。」(p73)というようなことを書いている。
 上記16名をポジション別に見てみると、フッカー出身が3名(ジョーンズ、ガットランド、レデスマ)、二列目が1名(ピヴァック)、フランカー2名(エラスムス、ニーナバー)、No82名(チェイカ、ジョセフ)、スクラムハーフが1名(ガルティエ)、スタンドオフが3名(タウンゼント、フォスター、ファレル)、センターが1名(ハンセン)、ウィングが2名(シュミット、レニー)、フルバックが1名(ブリュネル)。

 経歴を見ていて興味深いのが、ニーナバー。エラスムスの下で、S&Cコーチからディフェンスコーチになり、HCに上り詰めている。履歴書を自ら書き込んでいく時代になった。これからのHCの履歴書、どのような経歴が書き込まれていくのか、興味深い。

令和3612

2021年6月11日金曜日

パリ出国出来ました・・・そして・・・

 6月6日、パリ・Charles de Gaule 2E の駐車場迄、友人 Pierre の車 アルハロメオで送って頂き、先ず、JALのカウンターに行き、JL46 便の搭乗券を頂き、3日前にオピタル・アメリカンでのPCR検査陰性の証明書を提出、出国手続きを終えて機内持ち込み検査を通過、搭乗口Gate K43 に行く前に免税店をブラブラと散歩して買い物を済ませ、ゲート口に行くと日本航空のParis=Tokyo (1961~2021) 60周年記念式典が丁度開催され、日本大使はじめいろんな方々のご挨拶が在り、搭乗者全員が記念品を頂いて機内に搭乗出来ました。機内は空きが在り運良く3席に一人だったのでのんびり横に成り熟睡出来ました。6月日、羽田空港に着いてフランスのワクチン接種証明書は役立たず、PCR検査の陰性証明書のみ提出して羽田空港内での再度のPCR検査をして結果待ち、陰性が確認されてから、厚生省専用のバスで両国国技館の近くのAPAホテルに、緊張する慌ただしい移動の中で2年ぶりにバスの中から見る東京の街は何故か静かに見えました。ホテルに着いて気が付いた事は、只のホテルでは無かった。廊下には一歩も出れない監視付きのホテル、3食の弁当は部屋のドアノブにぶら下げられて居て、マスクをして受け取る様にとアナウンスの指示が在り、寝ては食べて、夜景をみながらまるで高級独房かなと、体温の報告など在りますが至って静か、3日目の朝、6月10日の午前中に再度のPCR検査が行われ、結果は午後に判り勿論、陰性、夕方なので11日の午前中にホテルを出ると言う事で4泊して、やはり、専用バスで羽田空港に戻り、隔離は解除されましたが、そこから自粛・・・公的交通機関が使えない、タクシーが使えない、但し、車で迎えに来てくれる人が居れば問題なし、レンタカーは利用出来ますが、それ以外は厚生省が承認するハイヤー会社を利用する事と義務化されて居て、致し方なくハイヤーを予約して小岩へ、羽田空港を出てみると私が予約したハイヤーは1台だけ、タクシーがずらりと並んで居ました。

2021年6月9日水曜日

30年前の写真が届きました・・・

今日は1991年の写真、当時、Universite Paris VIII, au département d'Arts Plastique の授業をしていた頃のクラスの写真や、当時の学生有志で共同制作した作品をSalon Grands et Jeunes D'Aujourd'hui (会場Grand Palais)に出品した時の写真が届きました。30年前、懐かしいと言うか、 、、今は教え子達がいろんな分野で活躍して居て、仲間として勇気を頂いています。写真はFranch Dormoy。

2021年6月5日土曜日

岡島レポート・2019 W杯・備忘録 80

                                   2019 W杯・備忘録 80

  ~ コーチ ~

  先日のヨーロッパ・クラブ選手権で優勝したのが、トゥルーズ、5回目の優勝であった。前4回、トゥルーズを優勝に導いたのが熱血漢:ノベス。サッカー界のマンチェスター・ユナイテッドHC:ファーガソンと並び称されるクラブチームの名将である。

  エレロ『ラグビー愛好辞典』 Entraineur(コーチ)の項では、次のように解説されている。

*********

 コーチは、競技会・選手権とともに出現した。日曜日の仲間内の公園での試合であれば、紛争を避けるために、せいぜい、レフリーは必要かもしれないが、コーチなんていらない。選手権とともに「結果」が付いて回るようになる、毎日曜ごとに。毎週の懲罰でもある。勝利のためにコーチが必要になり、勝つことがコーチの評価基準になる。

 コーチは勝利を義務付けられ、それを請け負うことでコーチ足りうる。練習、動機づけ、激突、猜疑心、プレッシャー、ケガ人、試合に出る選手の選抜、敗北… すべてを引き受けなければならない。コーチは没頭し・強迫観念をもって、昼夜を分かたずチームとともに生活する。身体ではなく、頭と心を使って。15年間のコーチ生活で、一度も捻挫をしたことはなかった、が髪の毛が真っ白になってしまった。

((注)エレロは、トゥーロンのHCとして、1987年フランス選手権で優勝している。)

 最もむずかしいのは、明らかに、技術的な面にあるのではない。そんなものは、よいテキストなり、日々の練習で落とし込める。だが、人間の群れ、それは異次元のことだ!群れはうごめき、変わり、叫び、泣く… コーチは、お互いが影響し合う群れと向き合わなければならない。心理学と直観を駆使して、存在しなかった形を創り出さなければならない。群れをグループにし、グループをチームにしなければならない。巨大な原石たちに手を差し伸べ・揺さぶり・引き裂き・再び手を差し伸べ… そのためにも、まず、強固な絆を選手たちと作り上げなければならない。

 ラグビーにおいて、このもろい人間的関係を保ち続けるためには動的であり続ける必要がある。コーチはエネルギーを全開にしてチームを動かし、選手の好奇心を掻き立て続けなければならない。群れより先に行き過ぎてもいけない、一歩先を先導し続けなければならない。停滞は「終わりの始まり」である… 倦怠はコーチの悪夢である。

 コーチは、教師でもあり、先導者でもあり、群れとともに曲がりくねった道を歩んでいく。曲がり角ごとに、確信は失せ・疑念が生ずる。群れを、ブレずにかつ変幻自在に引き連れて、勝利の一本道を見つけ出し進んでいく。

***************

  2015W杯後、多くの人びとの期待を受け、「満を持して」ノベスはフランス代表HCに。

何と言っても、ノベスは、1988年~2015年までの超長期にわたってトゥルーズのコーチを務め、ヨーロッパ・クラブ選手権で4回、フランス選手権で10回優勝という空前絶後の成績を残していた。停滞・倦怠を生まないチームビルディングを実践し続けた。

ところが、代表HCとしての2年間、もがき苦しみ、結果が出せないまま、2017年秋、対JPN23-23の引き分け試合を最後に「首になる」。

 2019W杯後、フランス協会を相手取った裁判での勝訴を勝ち取ったのちに出版されたノベスの自伝を読む。代表HCにとって、もちろんコーチ術を身に着けていることは最低条件だが、協会首脳の信頼・協力を得ることが必須のようである。ノベスの場合、フランス協会の会長が変わったことですべてが暗転した。

  クラブチームであれば、関係者と日常的に接して、時間をかけて信頼を築いていくことが求められる。これに対して、代表チームは、短期間の活動、結果が重視される。

  ノベスが熱く語り続けているのが、人と人との信頼関係。そして、自らの経験値を大きく高めたのが、アマチュア・コーチ時代の中学校・高等学校の教師だった時期の学校でのラグビー活動以外のさまざまな体験だ、と力説している。これは、かつて紹介したジョーンズENGHC、ガットランドWALHC、そしてシュミットIREHCの自伝とも共通している。中高の教師を務めて、そこでの体験が後のコーチとして指導に大きく役立ったと異口同音に書き込まれている。

  この4人、みんな1995年ラグビー・プロ化の前に選手生活を終えている。ノベス:1954年生、ジョーンズ:1960年生、ガットランド:1963年生、シュミット:1965年生。

 プロ化を一口で「職業化」「ラグビーの仕事化」と言ってみると、1995年以前は、選手もコーチもラグビー以外の「職業」に就いているのが常態だった。そこで、ラグビー以外の実社会の体験を積んでいた。コーチとしての力量を高める絶好の機会が与えられていた、とも言える。

 おそらく、ノベスたちのような経歴を持ったコーチはプロ化の定着・進化・深化の中で絶滅するであろう。2023W杯フランス大会、こうした絶滅危惧種HCが活躍する最後の大会になるのかもしれない。

    1995年、ラグビー界は選手がプロ化し、やがてコーチ陣もプロ化した。レフリーは「職業」として確立出来得るのか、これも気になっている。

                                                                 令和365

2021年6月3日木曜日

<菖蒲まつり>の写真が届きました・・・

 今日は梅雨本番の雨が降りそうですね。この時季(5月29日〜6月13日)、福津市の宮地獄神社の<菖蒲まつり>が開催されてます。今日あたり見頃では👀 有名なのは年2度しか観れない<光の道>など、鬱陶しい中、一度足を運ぶ価値在りかもですよ👍 と、写真が届きました。花菖蒲と言えば、登米市南方町の<花菖蒲の郷公園>もお勧めコース、別名・現代彫刻公園と言われる様に7名の作品が設置されて居ます。