2021年9月30日木曜日

河北新報の朝刊に記事が載りました。

2021年(令和3年)9月30日、河北新報・朝刊の 10ページ文化欄に、9月18日にダニ・カラヴァン(Dani Karavan)とヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin) に関したトークイヴェントが在り、その時の県美ネット野家共同代表と私の記事が載っていました。


2021年9月29日水曜日

昨日は、久しぶり、Be I ランチにご招待頂きました。

昨日は、Be I 別名、ゾウカバ食堂に、栗ご飯と伺って、12時丁度に、到着、豪華健康食メニューでした。お品書は・栗ご飯、沢庵、舞茸・茄子・茗荷のお吸い物、なめこおろし、冷奴(クルミ入り南蛮味噌)、茗荷のピクルス、ホタテバター焼き、ごぼう・ネギ・椎茸の豚肉巻き(ブロッコリー、トマト。じゃがバター添え)、栗の渋皮煮、佐藤屋の和菓子⎾りぶれ⏌、まさに、食のプロでも在ります。解説はChika ちゃんこと、チーズちゃんから説明いただきました。食べながら怜子ちゃんより説明受けましたが、食べながら順番に忘れて居ました。話題は最後の<みやぎの5人展>、1988年、当時の宮城県美術館の学芸部長は酒井さん、学芸員は三上さんはじめ、皆さん若く勢いが在ったけど酒井部長が移動してからは、徐々に静かに・・・そんな話題も・・楽しいランチでした。


2021年9月26日日曜日

6日 前に行った所は・・・

20日、8時30分に大江さんと待ち合わせ、大江さんの車で閖上のお寺に建設中の建物を観に行って来ました。丁度、骨組みの所で、柱の組立、構造が見れるのでワクワクします。現場の立て札・建築基準法による確認済の看板に設計者は伝統建築研究所・高橋直子と記されていました。現場では高橋さんからの紹介で担当の日下さんとお会いして、棟梁の菅野さんともお話し出来ました。10年前の閖上と異なり、綺麗に整理された感じですが、はてな?本当に市の復興都市計画って、街の風景を10年後、50年後を考えて整備しているのか気になりました。大江さん推薦の海鮮丼を頂き、海岸に出てみたら結構、人がまばらに出ていました。立て札には立ち入り禁止と書かれていました。

                                       

2021年9月25日土曜日

岡島レポート・2019 W杯·備忘録 96

2019 W杯·備忘録 96
 4回大会·決勝 AUS/FRA 

 前回大会後にプロ化したラグビー界(1995年)。そして、南半球のトライネーション、スーパーラグビーが始まり、戦術·戦略·フィジカル面などが急速に進化していった時代。
1999年、ある意味で現在につながる新たな時代の第1回目のW杯でもあった。5か国対抗(現在の6か国対抗の前身。ITAが含まれ6か国対抗になったのは2000年から)の各国で予選リーグが戦われた。この大会から参加チームが16から20に増え、各組4チームで構成された5グループに分かれ、1位チームは直接準々決勝に、2位チームに勝ち点の多い3位チームの上位3チームが準々決勝進出をかけた試合を戦うという方式。この2位チーム·3位チームの試合は水曜日に行われ、中2日ないしは3日で準々決勝に臨むという不公平な試合日程でもあった。
決勝は116日新装なったウェールズ·カーディフミレニアムスタジアムで72,500人を集めて行われた。

 試合経過は次の通り。AUSの得点は「○」、失点は「」、AUSが得点を逃したのは「×」、FRAが得点を逃したのは「*」。

得点
種類
起点となった(リ)スタート


×




 0

 3
 7

11

14
24
38

39

 0- 3

 3- 3


 3- 6

 6- 6
 9- 6


12- 6

PG

PG
PG

PG

PG
PG
DG

PG
FRAのキックオフで試合開始。
キックオフを10mライン後方に蹴りラックに。AUSP(倒れ込み)。FRA·10·PG
FRAP(ラックでのオフサイド)。AUS·15·PG
タッチジャッジからのアピールでFRA·5P+イエロー(FRA·5のノーボールタックル)。AUS·15·PG外す
タッチジャッジからのアピールでAUS·5P+イエロー(オブストラクション)。FRA·10·PG
FRAP(ラック・倒れ込み)。AUS·15·PG
FRAP(ラック・ハンド)。AUS·15·PG
FRAAUS陣内で攻め続けるも得点できず。FRA·15センターライン付近からDGを狙うもゴロになってしまう。
FRAP(ラック・ハンド)。AUS·15·PG





41
44
47

51
55
59
62

64



80

15- 6


15- 9
18- 9
18-12
21-12

28-12



35-12
PG
PG
DG

PG
PG
PG
PG

T+G



T+G
AUSP(ノットロールアウェイ)。FRA·10·PG外す
FRAP(ラック・オフサイド)。AUS·15·PG
FRAボール·ラインアウトからFWが前進し(ラック)97(ラック)9102(ラック)910·DG外す
AUSP(ラック・倒れ込み)。FRA·10·PG
FRAP(ノットリリース)。AUS·15·PG
AUSP(ラック・倒れ込み)。FRA·10·PG
タッチジャッジからのアピールでFRAP(ハイタックル)
AUS·15·PG
FRAのリスタートのキックオフ、ゴロパントが10m届かず、AUSが拾って前進(ラック)9106(ラック)91013前進(ラック)20ピック&ゴー(ラック)9125(ラック)15ランで前進(ラック)9122014·トライ、15·G
FRAP(ファールプレイ)AUS·PKをタッチに蹴り出しAUSボール·ラインアウト。92022m走り切りトライ。15·G
(注)「→」は順目のパス。「←」は内返しのパス。

 AUSの完勝という残像が焼き付いていた試合。見返してみると、60分あたりまでは試合になっている。グランドの芝がきちんとしていれば、違った展開になっていたかもしれない。

 ラインアウトのリフティングが定着したせいか、ラインアウトの回数が少なくなり「ぶつ切り」感が薄れて、見慣れた試合になってきた。ペナルティ·キックを蹴り出した後のラインアウトもマイボールになっている。毎大会ごとにルールが少しずつ変わってきている。この是非はともかく、ルール変更を柔軟に行ってきているというのもラグビーの特質なのかもしれない。「完成したラグビー!?」がどんなルールの下で行われるのか、興味深いテーマである。
 ちなみに、ここまでの決勝のSLOP、その他のリスタートの数は次の通り。

    S
    LO
     P
 その他
  計
1回決勝
    38
    44
    17
    15
   114
2回決勝
    29
    47
    22
    13
   111
3回決勝
    26
    50
    16
    18
   110
4回決勝
    14
    27
    28
    18
    87
(注)第3回は、延長を含まず、80分間での数値。

 決勝戦だけの比較ではあるが、ラインアウトのみならずスクラムの回数も減っている。ルール変更とともにプロ化してプレーヤーの技術が向上しハンドリングエラーが減ったのであろうか。負傷交替だけでなく戦術的入替によるリザーブ選手の投入が定着しつつある時期でもあった。
80分、FRAのフッカーがイパネスからダルマゾ(2015W杯·日本代表スクラムコーチ)に変わる。両者目も合わさずボディタッチもない。やはり、ダルマゾは独特な人だ。

 この時代、オーストラリアの先進性は群を抜いていたのかもしれない。この大会、予選リーグ3試合·決勝ラウンド3試合の計6試合で奪ったトライが22、失ったトライは予選リーグ·USA戦の1のみ。ディフェンスの組織化で一歩先に出ていた感がある。

 一方で、まだまだアマチュア時代の残滓があり、それが端的に出ているのがPの数(AUS12FRA16)。しかも、前半、両チームの選手に「イエロー」が出されている。ただし、現在の10分間のシンビンではなく「(単なる)Caution」に過ぎず、試合への影響はほどんどなかった。

 第1回:NZ、第2回AUS、第3回RSAと南半球3強が順にエリスカップを掲げ、AUSが2度目の優勝を飾った大会であった。

令和3925

2021年9月18日土曜日

宮城県美術館の現地存続を求める県民ネットワークのチラシを頂きました。

明日から、40歳のハッピーバースデイ展が 9月15日から始まります。高橋直子さんよりチラシを頂いたので掲載させて頂きます。ちなみに、9月18日トークイヴェントが在り、私も参加します。19日は竹馬の友、関口怜子ちゃんもトークセッションに参加のお知らせです。

岡島 レポート・2019 W杯・備忘録 95

2019 W杯・備忘録 95
 3回大会・準決勝 RSA/FRA 

 豪雨が襲い、試合開始が90分遅れた。試合途中でも再び豪雨が襲い、グランドの一部は水浸し・泥田化していた。そんな試合をFRAHC・ベルビジエが爪を噛みながら凝視しているのが印象に残っている試合。無線装置もウォーター係りも暗躍しない古き良き時代。試合が始まれば、グランドで戦っている選手たちだけの意思決定でゲームは進行していた。

 試合経過は次の通り。RSAの得点は「○」、失点は「」、RSAが得点を逃したのは「×」、FRAが得点を逃したのは「*」。

得点
種類
起点となった(リ)スタート

×

×




×



 0
 6

11

24



28

34

37

 3- 0




10- 3





10- 3

10- 6

PG
PG

PG

TG



PG

PG

PG
RSAのキックオフで試合開始。
FRAP(ライン・オフサイド)。RSA10PG
RSAボール・ラインアウトからモール。FRAP(サイドエントリー)。FRA22m内、RSA10PG外す。
RSAボール・ラインアウトでFRAP(オブストラクション)。FRA10mライン付近、RSA10PG外す。
FRA陣内FRAボール・ラインアウト。FRA4タップするもRSA9がキャッチして縦をつき(ラック)RSA2がピックして(モールからラック)RSA8がピックしてモール、回ってインゴールへ。RSA・7・トライ、10G
FRAP(タッチジャッジのアピールでFRAの目潰し(?))
RSA10PG外す
FRAボール・ラインアウトからラック。RSAP(サイドエントリー)。FRA12PG
RSAP(ラック・倒れ込み)。RSA9がレフリーに文句を言って10m下げられる。FRA12PG



















42



44

47
54



57

62

68



75


77





78
13- 6



13- 9

16- 9




16-12



19-12



19-15
PG



PG

PG
幻のT



PG

PG

PG



PG


幻のT





幻のT
FRAボールのキックオフが10mラインを越えずRSAボール・センタースクラム。FRA押すもラックが出来てFRAP(寝たままでのプレー)。RSAPKをタッチに出しRSAボール・ラインアウトからのラックでFRAPRSA10PG
リスタートのFRAのキックオフ、ゴロパントを蹴ってRSAP(ノックオン・オフサイド)。FRA12PG
FRAP(ラック・倒れ込み)。RSA10PG
FRAボール・ラインアウトから910ゴール前へハイパント。両チーム選手の手が伸びボールが弾んでFRA14の胸に入りインゴールへ。FRAのノックオンの判定でRSAボール・スクラムに。
FRAボール・ラインアウトからモール。RSAP(サイドエントリー)。FRA12PG
RSAボール・ラインアウトからのラックでRSAP(ノットリリースザボール)。FRA12PG外す
FRA22m内のFRAボール・ラインアウトをRSAがスチール。ゴールに迫るもラックでボールが出ずレフリーが笛。タッチジャッジのアピールでFRA4が殴ったとしてPRSA10PG
RSA22m内のFRAボール・ラインアウト。二人ラインアウトの前に合わせて59→104が縦を付いてラック。RSAP(オフサイド)。FRA12PG
リスタートのRSAのキックオフ、ノット10mFRAボール・センタースクラム。910RSA22m内にハイパント。RSA14がノックオンでFRAボール・スクラム。FRA5m押して910がゴール前にハイパント。RSA15がノックオンしFRA6の胸に入りインゴールへ。レフリーはゴールラインに届いていないとしてFRAボール・スクラムで再開
RSAゴール前5mFRAボール・スクラム。FRAが押し101115もスクラムに加わるが崩れて組み直し。二度目も崩れて組み直し。三度目のスクラムでFRA少し押してから912でラックになりRSAボール・スクラムに
(注)「→」は順目のパス。「←」は内返しのパス。

 FRA・キャプテン・サンタンドレは、20年後出版された自伝の中で、こう振り返っている。
『レフリーは、RSA7の架空のトライを認め 数年後、この7番は自らボールを押さえていなかった、と告白している FRA6のトライを認めないという明らかに偏向した立場を取っていた。ベナジのトライに関しては、自分にも責任の一端がある。なぜなら、レフリーが笛を吹いたときに、自分がレフリーの前に立ちはだかっていたのだから。あの黙示録的な状況下で何人もアトラス山脈の巨人・ベナジ(注:ベナジはモロッコ人・国籍)を止めることが出来ない。誰も、ただし自分の足が! 6cm前にあれば、あるいは6cm後ろにあれば 謎は残されたままだ。
 私から見れば、その後のスクラムでのレフリーからRSAへの究極の施しが忘れられない。RSAが意図的に崩したのでペナルティ・トライを取るべきだったのに 理の当然に反して負け、我々はスタンドで長い間涙にくれた。
 1週間後、大会閉幕の会合で、RSA協会会長からこのレフリーに金時計が贈られ、彼ら夫妻は4週間のバカンス旅行に招待された。
 RSAは、多分FRAを犠牲にして、「歴史」を作るチャンスを掴んだのだろう。だけども、それは道義に適っているのだろうか? 私は、27年間の牢獄生活に耐え・大統領になり・RSAの白人のキャプテンの緑のジャージを纏ったネルソン・マンデラの姿を、生涯、忘れないだろう。
 自分たちが犠牲となったスポーツ上の不公正を嘆き続けるべきなのだろうか、それとも、平和と人権のために戦い・人種差別政策を廃止し・統一されたRSAの勝利だけを考えるべきなのだろうか? ネルソン・マンデラは世界への使命を果たし、2013125日に亡くなったことも記しておく。
 そして、いやいやながら、RSAの勝利を祝福している、20年後も

 2011年、映画『インビクタス』が公開されたとき、FRAHC・ベルビジエはこう語っている。
『「フランスでインビクタスが上映されて称賛されている、そして同時に、これがスポーツ史上最大のペテンであることもおそらくみんな知っているということをすごいことだと感じている。準決勝前夜、5人ぐらいの選手が下痢に悩まされた。」そして、ベルビジエは、この体験と、1週間後、決勝直前にNZ選手を襲った惨事との間に関係があると決然として語る。「準決勝4点差で我々は敗れたので、RSAの人びとは「決勝のNZは全員を標的にしよう」と考えたのだろう。決勝前夜、NZ選手はホテルの部屋とトイレを幾たびも往復していた。何人かはキックオフ直前までもどしていた。」運命論者:ベルビジエはこう結論付けている。「結果的にはそれがよかったのだろう。RSAの勝利は、あの国が真に必要としていたなにものかをもたらした。だけれども、あのW杯ではスポーツよりも政治が上回っていたことは明白だ。決勝ラウンドでFRAは絶好調だった。NZも過去最高のW杯にする可能性があった、決勝までは。」』

 FRA6・ベナジは、2005年に出版された自伝の中でこう語っている。
1995年以降、あのシーンについて様々な角度から撮られた写真を見てきた。そして、私の確信は変わらなかった。あれはトライだ。私が押さえた。今でもあの時グランドでの確信したことを感じている。ゴールラインの上にボールを置いたんだ。しかしトライは認められず、誰も再現できない。多くの選手が重なり合っていて10cmが運命を分けたという伝説が語られている。レフリーは、アメリカンフットボールのように一人ずつ起き上がらせてボールの位置を確認しようとはしなかった。RSAの選手がボールを動かしゴールラインから遠ざけたのを見た。レフリーは大急ぎでトライを認めなかった。不公正だ。
しかしこれもラグビーの伝説の一つとなっている。そして、私の辿ってきた道の一部でもある。同じ状況下であれば、10回中9回は同じプレーをしてトライするだろう。もし、サンタンドレを押し倒して真っ直ぐに泥田の中に飛び込めば そうは出来なかった:それは過ぎ去ったことだ。
試合終了後、他のフランス選手同様、打ちひしがれて控室に戻ったら「トライした!」という憤りの叫びが耳に入った。ほとんどみんなが口々に不公正に抗議していた。鼓膜が破れそうだった。そこでみんなを集めて静かにしてくれと言い:「違うんだ! 止めろよ! 俺はトライしてない。10cm足りなかったんだ。」と嘘をついた。もちろん、あれは多分トライだった、トライしたという確信があった、でも、次のことに集中すべきだ、こんな風に汚してはダメなんだ。試合は終わった、負けた。』

 ベナジの自伝には、マンデラ大統領の序文がある。
「スポーツには世の中を変える力があります、なぜなら、人びとの魂に働きかける力があるからです。私たちは人々をまとめることができるませんでした。スポーツは若者たちが理解できるように語り掛けました。そこに希望が生まれました、かつての絶望に置き換わって。人種間の壁や社会的差別・偏見を打ち破るには、政治や行政よりもスポーツは強力でした。
深甚なる敬意をもって、アブデル(ベナジの名前)、これを書いています。
ご存じの通り、W杯はRSAに消えない思い出を残しました。私やRSAの人びとにとって忘れられない瞬間の一つがダーバンで行われた劇的な準決勝です。1995617日、豪雨の中の不可能な状況下でRSAFRAと対戦した試合です。
アブデル・ベナジというFRAの選手がゴールラインの数センチメートル手前で止められて、少なくとも私たちはみんなそう信じています、スプリングボックスが緊迫しエキサイティングな試合を英雄的に勝利し決勝戦へ駒を進めました。そして、1週間後にオールブラックスを破って優勝しました。
あの日、ダーバンで、FRA選手がキングスパーク・グランドからうなだれて引き上げていくのを見、彼らの落胆を強く感じました。両チーム勇敢に戦い、どちらのチームも敗北に値しませんでした。
しばらく後に貴方の試合後の賢明なる発言を知りました。そして、RSA全土での優勝への歓喜やとりわけRSAの人びとが一緒になったという実感が生まれたことで、RSAに敗北した失意は少し和らいだであろうと思います。
アブデル、あなたの見事なスポーツ精神と私たちの国への気遣いに感謝しています。
Yours faithfully                                          Nelson Mandela       

 『南アラグビーの150年』の著者ウィム・ヴァン・デル・ベルグ(南アフリカ人)は「僅差だったがフランスはミスジャッジで負けたと思う。でも、またそれも歴史だ。」と振り返っている。
令和3918