2019 W杯・備忘録 95
~ 第3回大会・準決勝 RSA/FRA ~
豪雨が襲い、試合開始が90分遅れた。試合途中でも再び豪雨が襲い、グランドの一部は水浸し・泥田化していた。そんな試合をFRA・HC・ベルビジエが爪を噛みながら凝視しているのが印象に残っている試合。無線装置もウォーター係りも暗躍しない古き良き時代。試合が始まれば、グランドで戦っている選手たちだけの意思決定でゲームは進行していた。
試合経過は次の通り。RSAの得点は「○」、失点は「●」、RSAが得点を逃したのは「×」、FRAが得点を逃したのは「*」。
分 | 得点 | 種類 | 起点となった(リ)スタート | |
○ × × ○ × ● ● | 0 6 11 24 28 34 37 | 3- 0 10- 3 10- 3 10- 6 | PG PG PG T+G PG PG PG | RSAのキックオフで試合開始。 FRAのP(ライン・オフサイド)。RSA・10・PG。 RSAボール・ラインアウトからモール。FRAのP(サイドエントリー)。FRA22m内、RSA・10・PG外す。 RSAボール・ラインアウトでFRAのP(オブストラクション)。FRA10mライン付近、RSA・10・PG外す。 FRA陣内FRAボール・ラインアウト。FRA・4タップするもRSA・9がキャッチして縦をつき(ラック)RSA・2がピックして(モールからラック)RSA・8がピックしてモール、回ってインゴールへ。RSA・7・トライ、10・G。 FRAのP(タッチジャッジのアピールでFRAの目潰し(?)) RSA・10・PG外す FRAボール・ラインアウトからラック。RSAのP(サイドエントリー)。FRA・12・PG。 RSAのP(ラック・倒れ込み)。RSA・9がレフリーに文句を言って10m下げられる。FRA・12・PG |
○ ● ○ * ● * ○ ● * * | 42 44 47 54 57 62 68 75 77 78 | 13- 6 13- 9 16- 9 16-12 19-12 19-15 | PG PG PG 幻のT PG PG PG PG 幻のT 幻のT | FRAボールのキックオフが10mラインを越えずRSAボール・センタースクラム。FRA押すもラックが出来てFRAのP(寝たままでのプレー)。RSA・PKをタッチに出しRSAボール・ラインアウトからのラックでFRAのP。RSA・10・PG。 リスタートのFRAのキックオフ、ゴロパントを蹴ってRSAのP(ノックオン・オフサイド)。FRA・12・PG FRAのP(ラック・倒れ込み)。RSA・10・PG FRAボール・ラインアウトから9→10ゴール前へハイパント。両チーム選手の手が伸びボールが弾んでFRA・14の胸に入りインゴールへ。FRAのノックオンの判定でRSAボール・スクラムに。 FRAボール・ラインアウトからモール。RSAのP(サイドエントリー)。FRA・12・PG RSAボール・ラインアウトからのラックでRSAのP(ノットリリースザボール)。FRA・12・PG外す FRA22m内のFRAボール・ラインアウトをRSAがスチール。ゴールに迫るもラックでボールが出ずレフリーが笛。タッチジャッジのアピールでFRA・4が殴ったとしてP。RSA・10・PG RSA22m内のFRAボール・ラインアウト。二人ラインアウトの前に合わせて5→9→10←4が縦を付いてラック。RSAのP(オフサイド)。FRA・12・PG リスタートのRSAのキックオフ、ノット10mでFRAボール・センタースクラム。9→10がRSA22m内にハイパント。RSA・14がノックオンでFRAボール・スクラム。FRA5m押して9→10がゴール前にハイパント。RSA・15がノックオンしFRA・6の胸に入りインゴールへ。レフリーはゴールラインに届いていないとしてFRAボール・スクラムで再開 RSAゴール前5mのFRAボール・スクラム。FRAが押し10・11・15もスクラムに加わるが崩れて組み直し。二度目も崩れて組み直し。三度目のスクラムでFRA少し押してから9→12でラックになりRSAボール・スクラムに |
(注)「→」は順目のパス。「←」は内返しのパス。
FRA・キャプテン・サンタンドレは、20年後出版された自伝の中で、こう振り返っている。
『レフリーは、RSA・7の架空のトライを認め …数年後、この7番は自らボールを押さえていなかった、と告白している… FRA・6のトライを認めないという明らかに偏向した立場を取っていた。ベナジのトライに関しては、自分にも責任の一端がある。なぜなら、レフリーが笛を吹いたときに、自分がレフリーの前に立ちはだかっていたのだから。あの黙示録的な状況下で何人もアトラス山脈の巨人・ベナジ(注:ベナジはモロッコ人・国籍)を止めることが出来ない。誰も、ただし自分の足が! 6cm前にあれば、あるいは6cm後ろにあれば… 謎は残されたままだ。
私から見れば、その後のスクラムでのレフリーからRSAへの究極の施しが忘れられない。RSAが意図的に崩したのでペナルティ・トライを取るべきだったのに… 理の当然に反して負け、我々はスタンドで長い間涙にくれた。
1週間後、大会閉幕の会合で、RSA協会会長からこのレフリーに金時計が贈られ、彼ら夫妻は4週間のバカンス旅行に招待された。
RSAは、多分FRAを犠牲にして、「歴史」を作るチャンスを掴んだのだろう。だけども、それは道義に適っているのだろうか? 私は、27年間の牢獄生活に耐え・大統領になり・RSAの白人のキャプテンの緑のジャージを纏ったネルソン・マンデラの姿を、生涯、忘れないだろう。
自分たちが犠牲となったスポーツ上の不公正を嘆き続けるべきなのだろうか、それとも、平和と人権のために戦い・人種差別政策を廃止し・統一されたRSAの勝利だけを考えるべきなのだろうか? ネルソン・マンデラは世界への使命を果たし、2013年12月5日に亡くなったことも記しておく。
そして、いやいやながら、RSAの勝利を祝福している、20年後も…』
2011年、映画『インビクタス』が公開されたとき、FRA・HC・ベルビジエはこう語っている。
『「フランスでインビクタスが上映されて称賛されている、そして同時に、これがスポーツ史上最大のペテンであることもおそらくみんな知っているということをすごいことだと感じている。準決勝前夜、5人ぐらいの選手が下痢に悩まされた。」そして、ベルビジエは、この体験と、1週間後、決勝直前にNZ選手を襲った惨事との間に関係があると決然として語る。「準決勝4点差で我々は敗れたので、RSAの人びとは「決勝のNZは全員を標的にしよう」と考えたのだろう。決勝前夜、NZ選手はホテルの部屋とトイレを幾たびも往復していた。何人かはキックオフ直前までもどしていた。」運命論者:ベルビジエはこう結論付けている。「結果的にはそれがよかったのだろう。RSAの勝利は、あの国が真に必要としていたなにものかをもたらした。だけれども、あのW杯ではスポーツよりも政治が上回っていたことは明白だ。決勝ラウンドでFRAは絶好調だった。NZも過去最高のW杯にする可能性があった、決勝までは。」』
FRA・6・ベナジは、2005年に出版された自伝の中でこう語っている。
『1995年以降、あのシーンについて様々な角度から撮られた写真を見てきた。そして、私の確信は変わらなかった。あれはトライだ。私が押さえた。今でもあの時グランドでの確信したことを感じている。ゴールラインの上にボールを置いたんだ。しかしトライは認められず、誰も再現できない。多くの選手が重なり合っていて10cmが運命を分けたという伝説が語られている。レフリーは、アメリカンフットボールのように一人ずつ起き上がらせてボールの位置を確認しようとはしなかった。RSAの選手がボールを動かしゴールラインから遠ざけたのを見た。レフリーは大急ぎでトライを認めなかった。不公正だ。
しかしこれもラグビーの伝説の一つとなっている。そして、私の辿ってきた道の一部でもある。同じ状況下であれば、10回中9回は同じプレーをしてトライするだろう。もし、サンタンドレを押し倒して真っ直ぐに泥田の中に飛び込めば… そうは出来なかった:それは過ぎ去ったことだ。
試合終了後、他のフランス選手同様、打ちひしがれて控室に戻ったら「トライした!」という憤りの叫びが耳に入った。ほとんどみんなが口々に不公正に抗議していた。鼓膜が破れそうだった。そこでみんなを集めて静かにしてくれと言い:「違うんだ! 止めろよ! 俺はトライしてない。10cm足りなかったんだ。」と嘘をついた。もちろん、あれは多分トライだった、トライしたという確信があった、でも、次のことに集中すべきだ、こんな風に汚してはダメなんだ。試合は終わった、負けた。』
ベナジの自伝には、マンデラ大統領の序文がある。
「スポーツには世の中を変える力があります、なぜなら、人びとの魂に働きかける力があるからです。私たちは人々をまとめることができるませんでした。スポーツは若者たちが理解できるように語り掛けました。そこに希望が生まれました、かつての絶望に置き換わって。人種間の壁や社会的差別・偏見を打ち破るには、政治や行政よりもスポーツは強力でした。
深甚なる敬意をもって、アブデル(ベナジの名前)、これを書いています。
ご存じの通り、W杯はRSAに消えない思い出を残しました。私やRSAの人びとにとって忘れられない瞬間の一つがダーバンで行われた劇的な準決勝です。1995年6月17日、豪雨の中の不可能な状況下でRSAがFRAと対戦した試合です。
アブデル・ベナジというFRAの選手がゴールラインの数センチメートル手前で止められて、少なくとも私たちはみんなそう信じています、スプリングボックスが緊迫しエキサイティングな試合を英雄的に勝利し決勝戦へ駒を進めました。そして、1週間後にオールブラックスを破って優勝しました。
あの日、ダーバンで、FRA選手がキングスパーク・グランドからうなだれて引き上げていくのを見、彼らの落胆を強く感じました。両チーム勇敢に戦い、どちらのチームも敗北に値しませんでした。
しばらく後に貴方の試合後の賢明なる発言を知りました。そして、RSA全土での優勝への歓喜やとりわけRSAの人びとが一緒になったという実感が生まれたことで、RSAに敗北した失意は少し和らいだであろうと思います。
アブデル、あなたの見事なスポーツ精神と私たちの国への気遣いに感謝しています。
Yours faithfully Nelson Mandela 』
『南アラグビーの150年』の著者ウィム・ヴァン・デル・ベルグ(南アフリカ人)は「僅差だったがフランスはミスジャッジで負けたと思う。でも、またそれも歴史だ。」と振り返っている。
令和3年9月18日
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