2024年6月28日金曜日

今日(6月28日)は昨年からのお約束・神楽坂のランチ会に参加出来ました。

東京・神楽坂、昨年同様、フランス料理のラリアンスでのランチ会、中学・高校の親しい仲間と会うのは時を超えて癒されます。あつちゃんが、55年前、羽田空港に同級生で見送りに行った事、覚えて居るかな〜!当時は本当に帰って来れるのかしらと 思ったけど 🙇🏼‍♂️ 勿論、覚えて居ます。あの頃の羽田国際航空屋上には見送りデッキが在り手を振ってくれた様子も見えましたから。その時は快晴で暑かった 🙏今日は土砂降り。 毎年開催されるサトル君を励ますランチ会、感謝感激。今日も失敗しました。1時間、勘違いして迷惑をお掛けしましたが。お許し頂けました。それにしても楽しいひと時でした。🎉🍷

2024年6月26日水曜日

公開制作<立体モニュメント模型>最終日、無事、終えました。皆様に🙏感謝です🙇🏼‍♂️

6月11日から26日迄の公開制作、最終日の為、今日は地下鉄・旭ヶ丘駅8時30分に丹吾ちゃんと待ち合わせ。珍しく予定時間より早く着き過ぎ、バスターミナル側をウロウロと眺めて居る内にタクシー乗り場に着きましたと連絡が在り、外に出て見ると、昨日購入したばかりの車が目に入りました。赤(あずき色)のトヨタ・カローラー車体が低い安定感の在る洒落た車、丹吾ちゃんにはピタリの車でした(弟さんや妹さんの意見に従って購入した=老人暴走族にならない様にと最新の安全装置の付いた車)。これまで乗せて頂いた10年間愛用したホンダの車より豪華版🎉✌️ハイブリット車で目指すは登米市Satoru Sato Art Museum 、公開制作最終日の様子を撮るために同行させて頂きました。座りごごちも良く快適でした。なんとリッター30 Kmとか😵‍💫✌️ 10時前に到着、コーヒーを飲んで居る間に、既に、中嶋先生がお友達2人を連れて、これから盛岡の百瀬さんの個展を見に行く前にと挿し入れを助手の亜土ちゃんの分も🙏🎉、同時に良男さん、島原先生一行が清野さん、船木さんを誘って訪ねて下さいました。清野さんは久ちゃん(小関)と友人で登米の武家屋敷の隣同士。懐かしい話が出来ました。同時に、元・教育長の寿昭先生も観に来て下さり、旧知の島原先生とお話をして居ました。皆さんがお帰りに成った頃に丹吾ちゃんの撮影が始まり、昼休み前に高橋所長が顔を出して下さいました。今日のランチは珍しくコンビニでサンドイッチを購入、亜土ちゃんと飲み物2種類(中嶋 先生からの)で頂きました。バームクーヘン(センター天使の輪)はセンターの皆様と🎉。デザートは亜土ちゃんが持って来た大福を頂きました(甘党でも10個の大福は食べ切れずセンターの皆様に)。丹吾ちゃんの撮影の時に映像に音を入れる話に成り、好きな曲はと言われたので即座、バッハの幻想曲とフーガ✌️思い出の曲です。勿論、ベートーベンの田園、月光ソナタ、チャイコスキーやショパンの曲も大好きで、クセナキスの現代音楽も、話が進んで・亜土ちゃんのお母さんはピアノの先生✌️丹吾ちゃん曰く、決まりだねと、亜土ちゃんのお母さんにお願いしましょうか。一件落着 🙏午後一番に佐々木さんが見えられて、お喋りしながら模型作品を見て頂き。折茂さん(登米市観光物産協会事務局)は前回同様、カメラと登米市のキャラクター<はっとン>君を抱えて取材に来て下さいました。同時に、久しぶりに南方町時代(南方国際アートフェステバル)から付き合いが在る・及川昌憲さん(登米市議会議員)が 津山町の佐々木好博(登米市議会議員)と一緒に訪ねて下さいました。今回は前回の公開制作とは異なり多くの方々が見えられて楽しかったです。いつもの様に16時半の高速バスで忘れ物はないかと確認して後は来月で脛とバス停で粕谷さんとお別れ出来ました。19時前に仙台の仕事場に戻り、19時には配達で〜すと丹吾ちゃんが荷物(作品と大人の幾何学絵画教室などのポスター)を届けて下さいました。丹吾ちゃんは午後に仙台に戻って打ち合わせの用事を既に終えて居ました。多くの皆さんに来て頂き、感謝です 🙏 公開制作終了の報告でした。

2024年6月25日火曜日

今日も元気に公開制作・・・出来ました。

 高速バスで登米市役所に着くと、洋忠さんが迎えに来て居ました。明日で公開制作は終了。助手の亜土ちゃんも追い込みで熱が入ります。昨日から京都で3人展に参加している パリの友人 Claude からメッセンジャーでお喋りが出来ました。ランチは彼女の車で諏訪公園の近く菅原屋へ、冷やし中華を注文して美味しく頂きました。最近、日本に着いてから散歩の距離が極端に少なく成り、運動不足の様で、私の体型に変化が出て来て居る様です気をつけないとと反省😱午後から再度、制作再開始。お世話になって居る阿部さんがどんな様子で制作して居るのかと佐々木さんに誘われてやって来て、2日前に来た時は用事で作品を観る時間が無かったので、今日はゆっくり観て頂きました。蒸し暑い1日を終えて、今日は高橋所長にバス停迄送って頂きました。

2024年6月23日日曜日

6月23日、雨だった😱

日曜日、人通りも少ない仙台フォーラス前(広瀬通り一番町)高速バス停迄、傘をさして散歩😵‍💫。登米市着いても雨でした。迎えの洋忠さんの車でセンターに10時に着いて、一休み。既に、菅原さんと粕谷さんはお仕事中でした。10時半公開制作開始、鈴木さんが差し入れを持って訪ねて下さいました。石森章太郎さんの生家のボランテアで、6人町通りの掃除もして下さる方でも在ります。我が家はその中間に在りますから。最近、実家に泊まって居ない事も知っている方で🙏、お店の前を掃除し下さる方。以前からお会いして居ましたがゆっくりお話出来たのは今日が初めて🙇🏼‍♂️失礼いたしました。なんと、小田中先生ご夫妻の親戚と聞いて😱驚きました。お話を聞いてみないと判らないもの✌️世間は狭いモノです。木村創子ファミリーとも久しぶりの再会、木村さんは中田生涯学習センター勤務中、お世話に成りました。羽生さんも来て、賑やかに一緒に写真を撮りました。助手の亜土ちゃんのご両親も来て下さり、お父さんのお仕事のスクラップ写真集も拝見出来ました。



2024年6月22日土曜日

今日、朝、8時に玄関先で待ち合わせ。

玄関先に7時50分に降りたら、犬の散歩から戻った瀬戸さんとバッタリ、1年ぶりの再会で立ち話して居たら、丹吾ちゃんの車が定刻に着きました。早速、丹吾ちゃんの車に乗って宮城インターから高速に、そこから南三陸道にと丹吾ちゃんの運転する車は快調に時間定刻の9時30分前に目的地、Satoru Sato Art Museum に着きました。土曜日と言う事も在り、車は少なく天候も良く、風景を観ながら、快適に目的地に着きました。今日は粕谷さんと丹吾ちゃんの映像の打ち合わせと公開制作の撮影も兼ねて、ご一緒させて頂きました。10時30分には亜土さんが手伝いに来て下さり、材木(模型)にジェッソを塗る作業を手伝って頂き、亜土さんの紙に描いた作品も見せて頂きました。丹吾ちゃんは12時に仙台に向かって出発。我々はランチに<新井のハット>を食べに、店内にはいつもと変わらず笑顔で元気な新井夫妻と再会、ランチの後は、コーヒーを頂きました。亜土さんの車でセンターに戻り、公開制作再開、15時30分迄、制作が進みました。その後、今日はパリの篠原さんとメッセンジャーで会話が出来、ミュージアムの展示と公開制作の様子を映像で見て頂きました。その後、いつもの様に16時30分の高速バスに乗って仙台に帰りました。昨日は秋山副館長に😱ご迷惑をかけましたが、今日は時間的に余裕を持ってバス停まで送って頂きました。粕谷さん、菅原さんはファミリーアート・ワークショップや大人の幾何学絵画教室、子供の幾何学絵画教室のポスターなどの作業に取り込んで居ました。


岡島・レポート・2019 W杯・備忘録 229

あっという間に 夏至を過ぎてしまいました
今日は 長野で 90分×3コマ 話してきて 咽喉をやられました
日頃の鍛錬が 必要なようです…
2019 W杯・備忘録 229
~ M46 RSA/ENG 5 ~
 
激闘が終わる。1点差の熱戦 後日 「作品」を見返してみる。ライブ観戦時とは 違う視点が 入り混じってくる。完成された「作品」として見ていると いつしか 勝因・敗因(らしきもの)が感じられてくる。「たられば」が いたるところにある。結果が分かっていて 順を追って あるいは 巻き戻して 時間を遡って 見ていく。ピッチでは 局面局面 複数の起こりうる事象が可能性として 存在している。しかしながら 事後的には 唯一無二の「起こった事象」だけが残り 無数の「起こりえたかもしれないが生じなかった事象」は 瞬時に忘れ去られてゆく… でも 見返しているうちに 「起こりえたかもしれないが生じなかった事象」が 心の中に浮かんでくる。
 
ENG 勝てる試合だった。勝ってた試合だった。でも負けた。なぜ? 20分:ファレルの不用意なレフリーへの抗議と76分:スチュワートのミスキックが気になっていた。それぞれ RSAの得点=ENGの失点につながった。この二つがなければ 違った試合経過になっていたのに…
 
事象は 次々に 起こる。連鎖している。その過程で 一つでも 違ったことが起こっていれば その後の連鎖は違ったものになる。事後に録画された映像を見る=逆回しで時間を遡れる・事象を遡ることが出来る≒原因に接近する。76分のシーンを遡っていくと RSAPG ⇐ RSA・⑮番のノックオン ⇐ ⑮番のハイパント・ミスキック ⇐ RSA23番のロングキック ⇐ RSAスクラム ⇐ RSA23番のフェアーキャッチ ⇐ ENG・⑩番のハイパント・ミスキック … RSA22番のフェアーキャッチ ⇐ 70分 ENG・㉑番のボックスキック・ミスキックに辿り着く。
 
僅かな時間に 二度の フェアーキャッチ。フェアーキャッチそのものは 規則に定められた合法的プレー。しかし 試合中 あまり多くは生じない。それが2連続で。近年では ロングキックの蹴り合い(ピンポン・ラグビー)を 一休みするために 「マーク」と叫ぶシーンが多い気がしていた。それが この試合の2連続のフェアーキャッチは 21番・10番の それぞれ RSA22m外を狙ったキックが わずかに長すぎて 22mに入ったように 見受けられる。そして RSAのキャッチャーは 「易々と」 マークと叫んでいる。それが 決勝点につながった!? すくなくとも 事象としては 繋がっている。連鎖の一部を構成している。「神は細部に宿る」 とは こういうことか…
それにしても 「フェアーキャッチ」
エレロ『ラグビー愛好辞典』「マーク」の項は 次のように解説している。
 
『「マーク」は 選手が叫ばなければ意味をなさない。それは試合停止を意味し、自陣22mライン内でしか行えない。どの選手でも 自陣22m内で敵がキックしたボールを「マーク」と叫んでキャッチすれば 試合を止めることが出来る。「ある選手が発する言葉が試合を止める」というこんな変な規則は 他のスポーツには 存在しない。これは 19世紀イングランド・ラグビー校でプレーされていたフットボールの「遺物」である。この規則 化石化しながら 今日まで 存続している。
しばしば見受けられるのが 孤立したフルバックが ハイボールをチェイスしてくる相手選手たちに襲い掛かられそうになり 大声で 「マーーーーク!」と叫ぶシーンだ。(以下、略)』(p275
 
『ラグビーの世界史(トニー・コリンズ 北代美代子訳 白水社 2019年)』によれば 「1870年代になってもなお、ラグビーは主として足を使ってプレイされるゲーム、当時しばしば綴られたように、文字どおり「フット=ボール」だった。ハンドリングは厳しく制限された。キックされたボールが地面に落ちる前にキャッチ-「フェアキャッチ」-された場合、キャッチャーは敵に妨害されずにボールをキックすることが許された。これは「フリーキック」と呼ばれる。ボールをもって走るのは地面に落ちてバウンドしたボールを拾った場合にだけ許され、停止しているボール、あるいは転がっているボールでも手で拾いあげてはならず、キックしなければならなかった。」(p29)と記されている。
 
現在の競技規則は 全21条で構成されている。その中の1条 「第13条 マーク」が規定されている。ラグビーをラグビーたらしめている一条なのかもしれない。
 
ともかく RSA 二度のフェアキャッチによって 救われた。
 
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616日 フランスTOP14・プレーオフ ボルドー=べグル(UBBvsラシン戦が行われ UBBが 31-17で勝利した。この試合に 日本代表のタタフが UBB8番でフル出場し Midolの採点では 両チーム先発30選手中 唯一 「8」点の 最高点をつけられる大活躍をした。ちなみに ラシンの3番・ニャカネ「4.5」 7番・コリシ「3.5」だった。Midolは ここまでも タタフを 高く評価してきていて TOP14にやってきた日本代表選手としては 初めて大活躍している と 報じてきている。大谷選手の海外での日々の活躍は 国内で 時々刻々 報じられる。タタフの活躍も 凄いことなんだけどなぁ…
 
令和6622

2024年6月21日金曜日

久しぶりに幹男ちゃんと再会出来ました。

私の野外彫刻を初めて設置したのは1990年、南方中学校、当時のPTA会長の阿部幹男チャン。その縁で、1992年、南方花菖蒲の郷国際アートシンポジュウムもまとめて下さり、当時、南方青年部の方々の応援も在り、南方町とは深い繋がりが出来ました。外国作家との文化交流も出来て大いに盛り上がりました。その後も何かとお世話に成り🙇🏼‍♂️🙏感謝の連続です。80歳に成っても元気いっぱいです。

2024年6月20日木曜日

6月20日の仙台市と登米市は快晴で気温は29度を超えて居ました。

 公開制作10日目、高速バスが定刻に着いて、中田生涯学習センターには10時に到着。定番のコーヒーを頂いて居ると。10時30分丁度に一関市から見学に来たと言う橋本親子さんにお会い出来ました。抽象的な絵が好きで、興味の在る作品が在りましたと、初対面では在りましたが楽しいお喋りが出来ました。ランチの時間は生姜焼き定食の弁当を美味しく頂き、食後のコーヒーを飲んで居たら、仙台の天江新六郎さんが受付に来ていてビックリ😊✌️早速、3階のミュージアムを案内、新しく展示替えしたばかりの展覧会を見て頂きました。その後、2階の公開制作を見て頂きながらいろんな話を伺いました。天候が良いので散歩がてら来ましたと天江さんらしく車はブルーの色でした。15時過ぎに南方に住んでいるピアノの鎌田先生が中嶋先生の紹介で来ましたと。ご一緒の娘さんは私がアート出前講座で講義して居る隣の登米総合産業高校美術部の卒業生。早速、9月7日、8日に開催される<おとなの幾何学絵画教室>に誘った所でした。

Eduardo Chillidaの作品の前で
Satoru Sato の作品の前で
公開制作の作品の前で


2024年6月19日水曜日

懐かしい方も・・・

 今日は珍しく高速バスが普段より20分ぐらい遅く終点登米市役所前に着きました。迎えに来て下さった佐々木さんと、そのままファミリーワークショップで使う木材選びの確認にお店に寄寄りました。中田生涯学習センターに着くと既に島原先生と菅原さんが来て居ました。昨年まで杖を使っていた島原先生、股関節を手術して今は元気に杖なしで車で来て下さいました。3人でコーヒーを頂き、2階の公開制作の部屋に移動、ゆっくり作品模型制作の様子を見て頂きました。ランチは及川会長と一緒にと、菅原さんの車でポスト(食堂)に、三浦さんや及川(武志)さんも来て下さり、懐かしいメンバーが揃いました。中田町時代にパリでお会いした方々で、当時は皆さん30代でサトル友の会の主力メンバーでした。帰り際に中嶋 先生が差し入れを持っていつもの笑顔で来て下さいました。

2024年6月18日火曜日

今日、6月18日の公開制作は・・・

 登米市観光物産協会事務局の折茂さんが一番に取材に来て下さいました。お話をして居る内に日曜日に続き佐藤千賀子さんと一緒に、石森に住む、首藤忠則さん、鈴木実さん(登米市議会議員)3人の訪問を受けました。登米市の文化行政のお話を伺ったり楽しいひとときでした。首藤さんは小さい時から、忠則ちゃんと呼んでいた(今でもそう呼んでいる)近所と言っても、道を挟んだ真向かいの家。あの頃の六人町の子供達は歳の上下、男女関係なく家族の様にチャン呼びで、今でも会えばチャン呼びで話せるのは嬉しい事です。鈴木さんは以前応援して頂いて居た佐藤さんの後輩です。✌️昼休みに入り、今日のランチは好物の新井・ハット店にと歩いて行きましたが工事中で休店日。コンビニに立ち寄りましたが珍しくそこでは買わずに歩き出し、結果的にはカーレン迄で散歩してランチ出来ました。先週、ランチを食べて居たので今回は2度目、ランチ後、中田庁舎を目指して散歩、普段は車で往来するので✌️良し近道をと歩き出したのが間違い、近道が遠回りに成り予定時間より遥かに遅く戻れました。途中、微風に吹かれて畑で舞う蝶々の集団が見え隠れしてしばし眺め、気分良く制作現場に戻った所で、熊谷康信さんが来て下さいました。待たせた様で、その分 🙏 3階の展示会場をゆっくり見て頂いた様でホットしました。初対面でしたが、中田町出身で現在南方町に住んでいる登米市議会議員さん、熊谷さんの息子さんが通う南方中学の話や南方花菖蒲の郷公園の話も出来て楽しかったです。若くて好感度持てる方でした。皆さんの応援が在り、感謝しています🙇🏼‍♂️😊

2024年6月16日日曜日

公開制作、久しぶりにお会いする方、初めての方の訪問も在りました。

土曜日には1年ぶりの再会、登米の友人・新田さんが来てくださいました。日曜日は初めてお会いする高橋さん(珠算学院でソロバンを通して人間学を教える学院長)。佐沼高校28回生で佐沼高校の現状を Facebook で伝えて居る母校愛の高橋さんの知らせで、私の公開制作を知らせて下さり、義彦さんの同級生、及川さんが訪ねて来て下さいました。中田生涯学習センターは彼の母校、元・桜場小学校ですから話が盛り上がりました。早速、🙏高橋さんにお礼をメッセンジャーで伝えた所でした。また、6月1日の東京中田会でお会いしていた佐藤千賀子さん(登米市市会議員)も訪ねて下さいました。千賀子さんとは中田町時代から応援して頂いている方で、第一回登米トリエンナーレの時にもお世話に成り、元・芳賀町長の話まで会話が弾み楽しかったです。夏休み、今後の Satoru Sato Art Museum 、中田生涯学習センターの今後の日程など、粕谷さんから詳しく聞いて居ました。又、昨年お会いして居る高校生、大学受験に関して相談が在り、彼のデッサンを見せて頂き、アドバイスさせて頂きました。好きな事を、夢に向かって行動する事は元気を頂きます。月曜日は休館と言う事で、火曜日から再度、公開制作再開です。