2011年3月31日木曜日

寺門 晃さんからのメールです。

さとるさま
 この度は史上最大の震災 心からお見舞い申しあげます。
 岩手、宮城、福島と震災に加えて恐ろしい大津波、言葉に尽くせない
惨事でした。トリエンナーレは成功だったかと思いますが、登米市の被害はいかがでしたか?
水戸市も家屋は結構やられましたが、みな無事でした。しかし、福島の原発事故処理が先が見えず一番の不安です。
 人間の英知とはいかほどのものか疑問になります。
 お元気で、また
 あきら てらかど

◎ 頑張れ!ジャパン!◉ 立ち上がれ!ジャポン!


お役にたてて何よりです。やはり安否確認が最初ですね。
時代が変わる・・・ちょうど良い時期なのかもしれません。先行きの見えない混沌とした状態の日本でした。
 赤坂プリンスが閉館しましたが、明日から3か月は避難所になるそうです。また、全国に散らばっている避難所も短期間しか利用できないことがおおいようで、数回移転している避難民が増えています。また避難所にも差もあるのは仕方がないですね。
 3月31日(木)1時18分配信
【ベルリン時事】国際原子力機関(IAEA)のフローリー事務次長は30日、ウィーンの本部で記者会見し、事故を起こした福島第1原発の北西約40キロにあり、避難地域に指定されていない福島県飯舘村について、高い濃度の放射性物質が検出されたとして、住民に避難を勧告するよう日本政府に促した。同事務次長は「飯舘村の放射性物質はIAEAの避難基準を上回っている」と指摘。日本側からは調査を開始したとの連絡があったことを明らかにした。 
 このような情報があっても、官房長官の記者会見では、<すぐに影響が出るわけではない・・・>。水道水の時も、農産物への付着の時も、いつも同じ答えです。ずっと生きて行かない若者への責任はどうするのでしょうか。とにかくはっきり基準値を決めて行動してほしいものです。一か所に出る・・・県全体で出荷停止・・・ハウス物も・・・国民が振り回されています。
原子炉廃炉の話が突然(当然)出てきました。いまさらですが・・・。本当に後手後手の連続です。今更とあきらめない    といけないのでしょうか。日本は大人しすぎる・・・。リモコンのロボットをフランスの企業が貸し出すと言ってるのに断る国です。いま、ニュースでアメリカがロボット派遣・・・。チェルノブイリで使用した世界でも数が少ない、アームの長いコンクリートを高所に運ぶための機械を、日本の企業が操作員を社員から募り準備して、東電から断られ、政府からも断られたそうです。ところが、ドイツから横浜にある同じ機械の利用を認められるとそれを派遣する。素人目にみても何から何までおかしな方向に向いているようです。
これから長い目で見ないといけませんね。一度に先走りが起きないことを祈るばかりです。

 ◈ 田手さんからのメールです、田手さんのお陰で、電話で連絡が取れなかった気仙沼の谷村さんが元気だと言う情報を得れました、感謝! 確かにフランスは原発事故に関して素早く支援部隊準備に入り支援すると連絡していましたが、其の時、東電、日本政府から、一度、断られ、その後、最悪な状況に成ってから専門家の派遣依頼を東電の方から在ったとか、不思議な危機管理状態ですね、今の政党と言うより、長い日本の歴史が築き上げて来たシステム?ですから、バブルの時期から日本社会が代わり、バブルが弾けて、再度の意識革命が管理改革が必要でしたね、これからは、みんなで考えて頂きたいですね、そして、地震、津波の災害に立ち向かい復興に向けて現場で頑張って居る方々が居るのですから、パリから声援を、、、私の出来る範囲で義援金をふるさとにと、友人達に声をかけて動き回っています、◈

外村 孝史 さんからのメールです、No5


みなさま
こんばんは、原発事故が新たな段階を迎えたような気がします。メディアの解説では比較的楽観論が多かったのですが、近くの水から1000万倍の放射�能が計測されたという事は、圧力容器の中の燃料棒が傷つき、メルトダウンで容器を破損(可能性高い)、そして最後の砦の格納容器も傷がついて、そこから水蒸気と共に濃い放射能物質が流れ出した証拠です。
原発事故の3大原則「止める」「冷やす」「封じ込める」で「止める」だけは成功しましたが、残りの「冷やす」「封じ込める」が完全ではないようですね。これで完全にスリーマイル島のレベル5(経産省保安院の認識)を超えてレベル6(海外の認識)に入ったとみています。この濃度の高い放射能の検針で、現場での作業が更に困難になり、放射能は大気中に
出し続けます。電源の工事もなかなか進展せず、原子炉がどの程度傷ついているのか、はっきりつかめません。目くら運転している現状は、非常に危険な状態で我々は更に憂鬱になります。
本来は原子力の代替燃料の話が活発に出ても良い時期ですが、何一つ出てこないのはメディアに出てくる学者も、原子炉を作った、あるいは現場の隅々まで見てないので、下手な事(一言の影響が大きいので、、)は言えないため、話を聞いていても頼りがないように感じます。それくらい原子力は人間のコントロールを外れたら暴走するという事です。私もシステム・エンジニアの端くれですが、福島原発の設計思想に欠陥があった事は業界では誰でも認めるところです。東京電力の企業理念がいずれ問われるでしょう。原子力以外のシステムだと、すぐ解決できるのですが、原子力は人間が管理できなくなると、暴走して凶器となり、大きな犠牲が出ます。
 この事故で、日本は、これからは原子力分野から撤退(保守は残りますが、新規は無理)しますが、思えば、スリーマイル島の事故でアメリカは原発から撤退、それを継いだのが日本でした。まさに、今からこの産業で世界に打って出ようとした矢先の事故でした。東芝は、ここ数年アメリカの原子力企業を買収してきました。そして半導体と原子力を柱に集中と選択をしてきました。原子力に半端でない投資をしてきましたから、投資を回収できない可能性があり、これから厳しい経営を強いられますね。日立も原子力のウェートが高いし、三菱重工も力を入れているところですから、日本の基幹企業が大きな痛手は、日本経済に大きく悪影響し、立ち直るのにかなりの時間がいると思います。それは、我々市民生活にも目に見えて影響してくると思います。
さて、最後に私が一番危惧していることが御座います。原子力産業(原子爆弾開発含め)は、アメリカそして日本(平和利用のみ)とその技術が受け継がれてきましたが、これから何処の国が引き継ぐかです。恐らく北朝鮮、イラン、イスラエル、インド、パキスタン、中国などと名乗りを上げてくるかもしれません。これらの国で共通しているのは、何処かといつも紛争を起こしている(又は国内問題)ところです。彼らは、平和利用と言って原発に力をいれ原子爆弾への開発を促進して行くという口実を与えてしまったような気がして心配しています。(この部分は私の独断と偏見ですが皆様はどう考えられるか?)今回の原発事故は、思いもよらぬ方向へ行くような気がしてなりません。

田手さんからの情報です!

私が気仙沼を検索した場所です。リンクを開き、左側中間にあるグリーンの部分の<人を探す>をクリックして名前を入力してください。ここで従妹の情報を見つけました。
http://www.google.co.jp/intl/ja/crisisresponse/japanquake2011.html
このようなご時世で、最初はいたずらやデマが飛び交っていたようですが、チェックが厳しくなったためか、真面目な内容が多くなっているようです。みんな必死なのでしょうか。

相変わらず東京も揺れています。メリーゴーラウンドのように回っているのでしょうか。
もともと地震慣れをしている宮城県人ですが、今回は<地震酔い>の症状が身につ
いている様で、敏感になっています。
平成23年03月30日22時22分 30日22時19分頃 茨城県沖   M5.0
平成23年03月30日22時03分 30日22時00分頃 宮城県沖    M5.0
平成23年03月30日21時55分 30日21時51分頃 千葉県東方沖     M5.3
平成23年03月30日19時57分 30日19時54分頃 長野県北部   M4.0
平成23年03月30日17時55分 30日17時52分頃 茨城県沖  M4.3
平成23年03月30日17時52分 30日17時50分頃 福島県浜通      M4.2

本当に東電の対応には呆れるばかりです。最初に逃げ出そうとしたり、嘘の数値を発表したり。そもそも自分たちだけで対応しようとしたところに問題があり、格好をつけるために申し出を断っていたようです。アメリカ、国内、フランス・・・それで手に負えなくなると援助を・・・わからない集団です。最前線に幹部は行っていないし、現場の食事環境は最悪と報道されても改善されない。空らがやっているのは電気敷設だけです。被爆した3人も1名は子会社の関電工、2名は孫請け会社だそうです。親には逆らえない・・・?
政府ももっと早く主導権を握ってほしかったのに・・・記者会見が、官房長官(重要なものは首相)、監督官庁の保安院、東電、それに今度は原子力委員会会長が2週間もしてから突然出てきて、記者会見を行う・・・4か所からではますます混乱します。情報をきちんとセリして、全部から一度に出てきて会見をすれば済むことです。国民も政府も情報に踊らされ、他にも計画停電という東電のジョーカーに振り回される・・・いつもやるところとやらないところが出ているので不平等と問題になっています。水無し電気無し、ガスはファンを回せないので使えない、玄関のオートロックダメ、玄関と家のインターフォンが使えないので鍵を忘れると大変です。合鍵で入るドアはある時期は開けてあるのでセキュリティーゼロ、信号機もだめで実際に死亡事故が数件起きています。0620~2200を5回に分け、毎日時間が変わります。夜は真っ暗で寒い・・・被災地のようなものです。水をためたり、電池不足に対応したり、無駄なことばかりで、これで節電をしろとは笑わせてくれます。押しつけですから。停電も同じエリアで必ず止まるところと全く止まらないところがあります。近くに大きな施設があると止まりません。我が家の前の道の反対側で止まらないところがあります。そこの飲食店があり、いつでもOKで混んでいます。我が家の側にある飲食店は止まるので、臨時休業や閉店を繰り返しています。ここに不平等が生まれます。営業的に凄い差がでます。このような現状を、停電のない東京23区の20区と、いろいろの地区の皆さんに理解してもらえません。ひさいちからも、どうして騒いでいるのかと言う声を聴いて驚きました。首相の自宅のある武蔵野市と隣の府中市は停電ゼロです。この4日ほどは停電なしなので気分的に楽です。とにかく精神的疲労を感じます。ある研究所でもデータが消えたとのことで、目に見えない被害が出ています。停電終了後に突然通電するので電気製品に悪影響を与えています。鉄道も影響大で、最近は動いていますが突然夕方に止めたりと東電の制御は続きます。そのために学校や会社に行けないこともあります。休業補償のない非常勤には辛いものがあります。これらすべてを東電に請求したいものです。東電は宿舎や保養所を避難所に提供していないことが分かり、またまた恥の上塗りをしています。
チャリティー・オークションですか。一人一人ができることをうまくまとめて、新しい日本を作りたいものです。若者の言動が変わっています。災害の大きさへのショックが、お互いを助け合う行動へと変わり始めているので、このまま進んでほしいと思います。
その中で盗難がある・・・暴動や略奪が起きないだけでもいいのでしょうが、気仙沼信用金庫では金庫の4,000万円が盗まれたそうです。そのままに放置していた金庫側のミスですが。被害を受け無住のコンビニ、商店、遊戯施設、個人宅などが狙われているようです。盗人猛々しいと言っても、このような状態での行為は許せません。警備強化が始まっているそうですが、捜索隊、救援隊、被災者の区別がつかないだけに怒り爆発です。

2011年3月28日月曜日

仙台からのメールです、

◎ブログを見てみました。そして他のみなさんの状況も読みましたら(関口先生のメールも発見!(・∀・ )、やはり皆さんそれぞれご苦労されているんだなと、しみじみ。。。うーーーむ、負けてたまるかーーーわたしも復興のためもっとがんばらなくては!っと改めて感じました!!取り急ぎ返信まで。 洋平

◉今日は月曜日。
いい変化があることを祈って、子供を送り出し、テレビをつけました。東北高校は、練習不足のためか甲子園1回戦を突破できませんでした。でも、全国の人々が甲子園に応援団を送りました。 小山田幸雄


◎かわいい写真ありがとう。ビーアイも子ども達の動きや声でいかされて
います。少しづつ春のひざしになって 何ら変らずに芽が膨らんでいることの不思議にしばしぼーっとみとれてしまいます。ぞうかばこ 


▷◀メール有難うございます。日を追うごとの被害の大きさに驚愕しています。家も店も酷い状態でしたが、なんとか片付けも終わりました。三陸沿岸の惨状を考えますと、営業を再開できました事は良い方だと思っています。当分はみんな大変だと思いますが何とか乗り切りたいと思っています。南の方からは桜の便りが届いていますが、東北は大分 先になりそうです。夏にお会いできる事、楽しみにしています。
                                    ♬☼国分町・ミステイの中村さんです✺♬

2011年3月27日日曜日

一日、一日、確実に回復向かっています。

佐藤さん
昨日 少し暗い感じのニュースになりましたが、今日の一番町や中央通りは 七夕を思わせるような人の出でした。何でだろう?と思ったら色んな店が再び営業を始めたのです。
洋服、アクセサリー、靴、バッグ・・仙台の中心部が6割くらい開いています。
相変わらず、マックやミスド、ケンタッキーは閉まったまま。燃料の問題なのでしょうか?都市ガスを使っての調理なら難しいかもしれませんでも、町全体としてみると確か昨日、1割強とメールしたはずですから、これはすごい進歩。
藤崎本館は1階の8割くらい開けました。相変わらず2階以上にはいけませんが・・・
婦人服が通常は2階以上にあるところを一部下ろして売っています。小学校の入学や卒業に向けた洋服なども並んでいて、これはシーズンですものね。藤崎の幹部の方にお会いしたので、今後どれくらいの次期に完全復旧になるのか伺うと『4月の中旬以降、ゴールデンウィーク前には必ず』とおっしゃってました。
藤崎は 仙台のど真ん中明かりがないと仙台の待ち全体が沈んで見えるのは私だけではないと思います。どこの都市に行っても 百貨店はその町を知る一番の場所だと考える私、
一日も早く 藤崎や三越、さくらのに今までのような明るさが欲しいです。今日が昨日より一歩大きく前進と、感じたことに食品を扱う店やドラッグストアが『お買い物は数量制限しません』になり、自由に好きなものを好きな数買えるようになりました。
原発の問題で東京ではどこへ行ってもミネラルウォーターが買えないといいます。が、仙台にもある大手輸入食品の「カルディ」では色んなお水が豊富にありました。
フランスやイタリアの軟水,硬水、炭酸水・・・お客さんを見ると焦って買い占めなんて一人もいませんでした。原発も問題ですが、それ以上に私たちには『津波』の被害がまだ解決してないのです。私の周りにもまだ見つからない、所在不明と言う方がたくさんいます。
実家が流された方も一人二人の数ではありません。我々が抱える問題は想像以上に深く大きいのです。でも、一日一日確実に回復に向かってます。頑張ります。   新井


今日から夏時間に成りました。

普段、フランスと日本との時差は8時間在りましたが、今日の午前2時に1時間時間が戻され7時間の時差に。昨夜も日本のニュースを夜中迄見ていたので、寝坊していつもの起床時間を一時間オーバーして居ましたが、パソコンを開いたら8時30分に自動変更されていました、当分、日本に電話をする時は間違えない様にと思います。東日本大地震からの一日も早い復興を願い、又、福島原発事故が速やかに治まる様に祈っています。こちらも、Satoru Sato Art Museum に寄贈して下さった仲間達に声をかけて、更に、作品傾向を無くしより多くの作家の皆様の協力を頂きながら、チャリテー・オークション企画を考えて動き出しています、詳しくは、後日、お知らせ致します(行き先は、日本赤十字社・宮城県支社)。頑張ります。

外村 孝史 さんからのメールです、No4


みなさま
 こんにちは、福島原発事故は未だ先が見えず不安な毎日を送っています。下記のレポートは「柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会」が作成したものですが、今までの経緯について細かく記しています。原発にはネガティブな立場ですから、今回の事故は可也厳しい見方されています。現在も続けられている電源の確保、機器破損の修理などがスムーズに進み、「冷やす」機能が上手く動くように祈るばかりです。
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 福島第一原発では、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震発生から10日以上を過ぎた今も、原子炉炉心の冷却が進まず、この重大事故がどのように収束するのか予断を許さない深刻な事態が続いています。現在の事態が示しているのは、日本全土に立地する原発が、地震・津波に対して、いかに脆弱であるか、他の場所で大きな地震が起これば、第二、第三の「福島原発震災」が再現する可能性が十分あるということではないでしょうか。
とくに、2007年の新潟県中越沖地震で被災した柏崎刈羽原発、想定東海地震の震源断層真上の浜岡原発などで、近い将来、福島原発と同様の事故が起こる危険性を過小に見積もることはできません。先の地震で被災した柏崎刈羽原発の安易な運転再開を危惧してきた私たち「柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会」では、この深刻な事態をどのように受け止めるべきか、また、事業者や政府に何を要求すべきかを議論しました。私たちの考えは以下の通りです。

  「”福島原発震災”をどう見るか〜私たちの見解〜」

1.福島原発では何が起こり、今どういう状態にあるのか
(1)原子炉圧力容器と格納容器
(2)使用済み燃料プール
(3)さらなる事故拡大の懸念
2.放出され続けている放射能の危険性について
(1)原発サイトにおける被曝労働
(2)周辺30km圏での退避の必要性
(3)周辺80km圏内からの退避について
(4)首都圏など200km圏内での対応
(5)農作物などへの影響
3.柏崎刈羽原発被災の経験は生かされなかった
(1)地震・津波の過小評価
(2)海水注入の遅れ
(3)情報公開の遅れ
4.柏崎刈羽原発の今後についての要求
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               「柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会」
 福島第一原発では、2011 3 11 日の東北地方太平洋沖地震発生から10 日以上を過ぎた今も、原子炉炉心の冷却が進まず、この重大事故がどのように収束するのか予断を許さない深刻な事態が続いています。
現在の事態が示しているのは、日本全土に立地する原発が、地震・津波に対して、いかに脆弱であるか、他の場所で大きな地震が起これば、第二、第三の「福島原発震災」が再現する可能性が十分あるということではないでしょうか。とくに、2007 年の新潟県中越沖地震で被災した柏崎刈羽原発、想定東海地震の震源断層真上の浜岡原発などで、近い将来、福島原発と同様の事故が起こる危険性を過小に見積もることはできません。
先の地震で被災した柏崎刈羽原発の安易な運転再開を危惧してきた私たち「柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会」では、この深刻な事態をどのように受け止めるべきか、また、事業者や政府に何を要求すべきかを議論しました。私たちの考えは以下の通りです。
1.福島原発では何が起こり、今どういう状態にあるのか
情報の公開が不当にも極めて不十分な現状において、明確な事故進展経過を描くことはできない。また、炉内の計測器(温度計など)の多くが破損されたと思われる状況では、今後とも真相が分からぬままに終わるという可能性もある。知りえた情報のもとでの私たちの現状認識は次の通りである。
福島第一原発では、1 号・2 号・3 号機が運転中であり、4 号・5 号・6 号機は定期検査中であった。また、第二原発では全4基が運転中で、運転中の原子炉は、地震の際、いずれも制御棒が自動挿入され、燃料の核分裂反応は停止した。しかし、福島第一原発では外部電源が喪失し、しかも、非常用のディーゼル発電機が故障し、燃料タンクも流出したと伝えられている。その結果、停止後直ちに必要な炉心冷却が不可能になった。
・原子炉圧力容器と格納容器
冷却水を喪失した福島第一原発の1 号・2 号・3 号機内では、核分裂生成物の崩壊熱によって炉水が蒸発して水位が下がり、燃料棒が水面上に露出してしまった。この状態が継続すると、燃料棒の溶解(メルト)は時間の問題であった。
東京電力は、外部から消防ポンプを配管につなぎ原子炉内に水を注入しようとしたが、給水タンクから水を供給できなかったためであろう、注水に失敗し、炉の水位は低下し続けた。1 号機においてそのような事態が確認された時点で海水を用いての給水が検討されたが、原子炉が廃炉となることを怖れて見送ったと伝えられている。海水による給水が決断されたのは1号機の水素爆発が起こってからであった。この間に事態は急激に悪化していた。炉水が蒸発して原子炉圧力容器内の圧力が上昇すると、その圧力を低減するため、安全弁が開き、圧力容器内の水蒸気が、格納容器の圧力抑制室(サプレッションチェンバー)に送られるようになっている。そのとき、圧力容器内の水位が下がるので、安全弁を継続的に開いていると、燃料棒が水面の上に露出する。冷却水を失った燃料棒の温度が上昇し、燃料棒の被覆管であるジルコニウム合金(ジルカロイ)が、水蒸気と化学反応を起こし、水素が発生したと考えられる。
この格納容器に送られた水素が、1 号、2 号、3 号機の爆発の原因であると考えられるが、1 号と3 号では建屋上部で水素爆発を起こし、2 号は下部の圧力抑制室で爆発がおこった。なぜそのような違いが生じたかは検証が必要である。2 号機の圧力抑制室をはじめ、各号機の原子炉や配管などが、地震の影響で、すでに破損していた可能性がある。
・使用済み燃料プール
3 15 日に、4 号機の使用済み燃料プールで水素爆発が起こり、続いて16 日に3 号機が白煙をあげた。これは、炉内から取り出して保管されていた使用済み燃料が、プール内の水が減ったことにより大気中に露出し、水蒸気と反応して発生した水素が酸素と反応して爆発を起こしたと考えられる。
プール内で燃料棒が露出した原因としては、通常の蒸発だけでなく、地震の際のスロッシング(燃料プールが揺さぶられたことによって水面が上下すること)によって、プール内の水が、大量にこぼれて出たのではないかと考えられる。
3 号機・4 号機の燃料プールには、その後、消防車等による海水の放水がおこなわれたが、最終的には電源を回復してポンプを起動し、冷却水を循環させることが不可欠である。なお、3 号機、4 号機への大量の放水によって、放射能に汚染された水が海や地下水に流れ込むことが懸念され、実際、すでに原発近辺の海からは規制値を大幅に超えるヨウ素ならびにセシウム等の放射性物質が検出され始めた(3 22 日東電発表)。
・さらなる事故拡大の懸念
3 21 日になって原発サイトには外部電源が引かれたが、23 日朝の段階で、いまだ機器への接続はなされていない。いつになったら原子炉内の冷却水の循環が正常に行われるのか、見通しは立っていない。崩壊熱の量は時間とともに減少するとはいえ、現在かろうじて維持されている放熱と冷却とのバランスが崩れて、溶けた燃料が沈下し、圧力容器や格納容器の底を抜く危険性は消えていない。また、再臨界の可能性もある。
東京電力は、3 14 日と15 日に、中性子線の放出を観測したと報道されている。これが事実だとすれば、再臨界が起こって核分裂反応が生じた可能性がある。再臨界は、原子炉内だけでなく、燃料プールでも起こりうる。地震の際、クレーンやマニピュレーターが落下し、燃料棒を隔離・保持していたラックが崩れ、燃料棒同士が接近した可能性が否定できない。
2.放出され続けている放射能の危険性について
福島第一原発からの放射能(放射線物質)の放出が続いている。原発敷地周辺で高濃度の汚染が観測されるとともに、東日本の広い範囲にわたって原発事故に起因する放射能が観測された。福島県や関東各県では農産物(牛乳やホウレン草)で食品衛生法の暫定基準値を超える汚染が報告された(3 21 日)。また、原発サイト周辺の海水の汚染も確認され、海産物への影響も心配である。放射能汚染のレベルをどのように考えるべきなのか、避難の行動をとるべきなのかどうか、また農産物を食べてよいのかどうか。それらの問題について私たちの考えを述べたい。
放射性物質の放出量について東京電力は何らの発表を行っておらず、そのことが放射能汚染の全容を把握することを困難にしている。また観測モニタの測定値についての報告も不十分である。各都県の測定値と、それにもとづいた拡散シミュレーションも発表されていない。このような状況が、汚染についての適確な判断を下すことを困難にしている。
私たちが汚染状況を判断し、行動するに当たって、外部被曝と内部被曝とを明確に区別して考察することも不可欠である。原発サイト内あるいは上空での放射線量には、露出した燃料棒からの直接的な放射線量の寄与も大きいと考えられるが、原発近隣を含め、そこから離れた地域での放射線被曝は、大気中に放出された放射性物質からのものである。これらは外部から放射線をあびせるだけでなく、体内に取り込まれて内部被曝を起こす。
体内に取り込まれた粒子から放出されるアルファ線やベータ線は飛程が短く(アルファ線では40μm程度)その粒子からのごく近くの組織を集中的に破壊するので、がん発生率が大きくなる。そのような効果を考慮すると、被爆線量規制値はICRP報告より厳しく評価すべきだという見解も出されている。
・原発サイトにおける被曝労働
原発サイトでは、敷地内のモニタや上空で100mSvh を超す高い放射線量が観測され、作業も度々中断されている。原子炉を安定化させ危機を回避するための作業は、緊急に行わなければならないが、作業員(東京電力と下請け企業の社員、消防隊員、自衛隊員等)の被曝労働は極力避けねばならない。厚生労働省は被曝線量限度値(法定限度)を100mSv から250mSv に引き上げた。これが、作業における被曝線量を過小評価することや、被爆労働の強制につながるものであってはならない。
・周辺30km圏での退避の必要性
原子力安全委員会の定めた防災指針の規準(予測線量50mSv 以上で退避、10mSv 以上で屋内退避)を適用するに当って、どのような予測にもとづいて現在の退避範囲(福島第一原発から20km 圏内は圏外への退避、30km圏内は屋内退避)が設定されたのかが不明確である。事態を過小評価している危険が大きい。
特に、30km圏内の屋内退避を強いられている方々には、救援物資が滞る(運送業者が立入りを望まない)という事態が生じており、一刻もはやく圏外退避を決めるべきことを政府に求める。
・周辺80km圏内からの退避について
アメリカ政府は、福島第一原発周辺80km50 マイル)圏内からの自国民の退避を決め、多くの国々も同様の措置をとっている。この判断は一定の根拠にもとづいておこなわれたものであると考えられるので、その地域に居住する日本人にも何らかの危険が生じうると考えるべきではないか。
実際に圏外に退避できるかどうかは、生活環境や、周りの人びととのつながり、退避先の有無など条件はさまざまであろう。しかしながら、妊婦(胎児)・幼児・青少年など被曝の影響が大きく現れる人びとは、優先して退避させるべきである。
・首都圏など200km圏内での対応
首都圏など200km圏内でも、1μSvhに達する放射線量が観測されている。この放射線量を1 年間(8760時間)浴び続けると8.76mSv となり、公衆被曝の法定限度1mSv/年を超える。日本人が浴びるとされる自然放射量1.2mSv/年と同程度であるとされるが、内部被曝が加わることを考えると、この線量を被曝し続けて安全だとは言えない。
問題は、事態がどのような期間ののち収束に向かうのかである。原発サイトで何が起こるか、放射能の放出量がどう変化するか、注意深く監視していく必要がある。
・農作物などへの影響
福島県内の牛乳、茨城県など関東各県の野菜(ホウレン草など)に食品衛生法の暫定基準を超える放射能汚染が検出され始めた。食の安全が脅かされつつある。また、原子力災害対策特別措置法の規定にもとづいて出荷停止措置が発動され、生産農家は農産物の廃棄を余儀なくされている。このような事態を招いた政府や東京電力などには、しかるべき補償を行う責任がある。この状態がいつまで続くのか、場合によっては東日本各地の農業生産が大打撃を受けようとしている。このような被害を最小限に抑えるためにも、これ以上
の放射能放出の防止と、原子炉および燃料プールの冷却機能回復が急務である。
3.柏崎刈羽原発被災の経験は生かされなかった
今から考えれば、かろうじて大事故に至らなかった柏崎刈羽原発の被災は、日本の原発政策への警告であった。私たちはこの4年間、そのことを言い続けてきた。しかし、不幸にも、柏崎刈羽の経験は生かされなかった。そのことに私たちは強い憤りを感じている。
・地震・津波の過小評価
今回の原発事故はM9.0 という巨大地震と津波によるものであって、想定外のことであったという「言い訳」が、今まで原発災害の可能性を否定してきた人たちの口から出はじめている。しかし、私たちは2004 1226 日にはM9.0 というスマトラ沖地震と大津波を経験しているのであって、今回の地震を想定外のものというわけにはゆかない。津波(地震随伴事象という名称で審議されている)の予測は不十分であり、実際、流出したとされる第一原発の燃料タンクは水面近くに設置されていて無防備だった。
・海水注入の遅れ
伝えられるところによれば、東京電力は地震発生の翌日の3 12 日午前という早い段階で、付近の海岸からの海水注入を検討したという。しかし、東電がそれを実施したのは、炉内の状況が悪化して、1号機の爆発が起って、首相が海水注入を命じた同日の夜になってからだった。ほかの原子炉ではさらに遅れ、13 日以降になった。燃料プールへの注水も火災爆発が発生した15 日になってからだった。これらの注水の遅れが事故をさらに拡大させた。
東京電力が海水注入を渋ったのは、そのことにより原発施設が二度と使えなくなることを恐れたためだと言われている。もしそうであるならば、安全性よりも利益を優先するこの東京電力の姿勢、それに追従する原子力安全・保安院、学者という構図は、柏崎刈羽原発の運転再開に際してのいいかげんな安全審査の構図と同様のものだった。
・情報公開の遅れ
発電炉内のさまざまな設備の破損状態や原子炉運転操作上重要な炉内各パラメータのデータがなかなか開示されず、現在でもまだリアルタイムでの開示がなされていない。これらの情報を広く開示することは、当事者のみならず、かたずを呑んで見守っている多くの科学者・技術者が、今後の状況を予測し、適切な助言をするためにぜひとも必要なことである。例えば海水注入についての助言をより早く官邸に届けられた可能性がある。
放射性物質の放出量についての情報についても同様である。今もって放出量の推定値が発表されていない。サイト内の放射線モニタリングポストのリアルタイムの情報も公開されず、それらのポストの増設や常時の監視ビデオ設置もされていない。また、政府は、福島県内外各地の放射線モニタリングポストのデータを集約し、放射能拡散予測のシミュレーションを行って結果を速やかに公開してゆくべきであるが、それもされていない。
4.柏崎刈羽原発の今後についての要求
柏崎刈羽原発に反対する地元三団体と「原発からいのちとふるさとを守る県民の会」は、新潟県知事、柏崎刈羽市長、刈羽村村長および東京電力社長宛に、運転再開された4基の原発の即時運転停止を求める申し入れをおこなった。私たちは、この申し入れを強く支持する。また、このような原発災害を予測せず、その可能性を否定してきた学者たちが県技術委員会委員などとして安全審査に当たっていることに異議申し立てをしていることを、私たちは支持する。技術委員会メンバーを刷新し、原発の安全に対して懸念を示してきた学者や現場を知る技術者、および市民のなかから選ばれたメンバーによって再構成することを求める。国の原発安全審査に当ってきた原子力安全・保安院と原子力安全委員会の責任は重大である。日本の安全審査の体制は、米国の国家規制委員会(NRC)などにくらべてもいちじるしく見劣りするものである。想定をはるかに上回った地震動を受けた柏崎刈羽原発の経験を踏まえて、国は全国各地の原発のバックチェック(見直し)を実行し、福島原発もそのなかに含まれていた。しかし、その見直しが甘いものであることが今
回の「原発震災」で明らかになった。
「柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会」に結集した科学者・技術者は、市民と協力しながら、地震動評価や設備機器の耐震安全性評価について、折に触れ意見を述べてきた。自然を対象にした地震動評価のみならず、人が作る設備機器の安全性評価においても、未知な領域が存在することによる不確実性がかならず伴うものである。それを「まれ」な事象であるとして「工学的判断」の名のもとに切り捨て、被災した柏崎刈羽原発の運転再開が進められてきた。そのような評価のあり方が間違いであることを私たちは訴え
てきたが、今回の「原発震災」でそれが明らかになった。
私たちは、日本から「原発震災」をなくす活動を今後も続けてゆく決意である。
以上

松本 正 さんからのメールです。

外村孝史さんのメールリストを借用して、情報をお送りさせていただきます。

「ハイチ支援コンサート(延期)」のお知らせ
セールス・フォース・マネジメント研究会の2月、3月の例会の際、ご案内しました 4/1(金)、国立オリンピック記念青少年総合センターにて実施予定の「ハイチ支援コンサート」は、主催者側から、3/11(金)発生した「東北・関東大震災」の現況により延期するとの通知を受けました。
次回の日程については、この災難が快方に向かってきたら再度、ご案内をいただくよう になっています。
取り急ぎ、ご連絡申し上げます。
なお、友人等、お声をお掛けくださった方にも、よろしくお伝えくださるようお願い申し上げます。本延期の情報をすでにお知りの方には、重複になりますが、お許しくださいませ。
また、初めて開催の情報をお知りになった方には、申し訳ありません。
セールス・フォース・マネジメント研究会・松本 正

室尾武久さんからのメール。

SFM研究会の皆様

お久しぶりです。元SFM研究会の会員・室尾です。地震・津波・原発損傷と、大変な日本になりましたネ。
外村さんからいただいたメールのリストを借用して、チャリチィ公演のお知らせです。
来る5月13日(金)18:30より、中目黒GTプラザホール(地下鉄・東急東横線、中目黒駅より徒歩2分)においてNPO法人「楽しいひととき出前どころ」のチャリティ公演を実施いたします。
出演者は会員の中の希望者で、14人(組)が出演いたします。全員が熟練の素人と、セミプロたちです。
出演者はマジシャン、パントマイム・アート、腹話術、能、日舞、朗読、フラダンス、のこぎり音楽、朗読と歌のコラボレーション、太極拳の方々です。司会は元ミス世田谷・ひうち優子さんがゲスト出演いたします。
入場料は1500円です。
収益の一部を公共移設を通じて東北関東大震災に寄付致します。この公演は出演者もスタッフも観客も(一部を除いて)全員、入場料1500円をいただくことになっております。
是非、お出かけ下さい。

2011年3月26日土曜日

頑張る!仙台からのメールです。

◀▷連絡いただいていながら 無事のお知らせが遅くなり申し訳ありません。あっちもこっちも色々でようやく数日前から仕事を復帰しました。今回の震災は もう終わった、とそのときは覚悟をしました。電気が数日つかなかったのと、未だガソリンが不足しているので交通も麻痺、間引き運転の市バスに仙台市民が全部集中するのですから通勤は地獄です。おまけに食料もいきわたらずコンビニも一日数時間開くだけファストフードのマクドナルド、ケンタッキーなどどこもしまったままです。3月26日現在で仙台市内中心部の商店は1割強、の開店率です。節電と未だ不通の電気のために町中が暗く、本当に大変な状況です。
今回は3万人いようの犠牲者になるだろうと言われています。ユーチューブを見ると仙台市ゆりあげのあたり、名取などの海岸に押し寄せる津波が仙台の町をどんどん壊していく映像が世界中に配信されていますが、今更ながらに震えます。それでも残った私たちは復興に向けて頑張らねばなりません。頑張りますね。しずチャンも元気です。週明けに会う予定です。新井 典子


◁▶メール有難うございます。余震が凄く今も服を着たまま寝ておりますし、福島の原発の事もあり大変です。会社では何時でも避難出来るように、コート・バッグなどは席の脇において仕事してます。仕事中でも余震があればすぐ逃げる。  今、余震あり宮城県沖が震源地震度4でしたが、まだ揺れています、2週間で震度4以上は7〜80回なそうです。電話してても余震が、怖くて今もゆっくりはやすめませんし、ガスも飲み水もまだ、また余震、今度は茨城県沖で、そんな緊張の連続です。 Miu

痛みを分かち合い、助け合って、

日本は予測出来ないくらい大変な状況です。日本という文明は壊滅してしまうかの様に思えます。しかし民間レベルでは日本人の精神文化はまだ健在であることを改めて確信致しました。痛みを分かちあえます。松井千佳子

◉メールを有り難うございます。
震度5ぐらいの余震が今も毎日続いています。電気が一週間つかず、ロウソクでした。地元のラジオ、ハットFMを聞いてました。すいどうは5日間断水でした。それでもガスが使えましたので助かりました。毎日、店を開けています。被災地から買い物に毎日来られます。歌津では23メートルのところまで津波が押し寄せたそうです。入谷小学校の下まで津波がきたそうです。何もかも流されたという方々ばかりです。寒い日が続いて大変です。津谷、小泉、歌津、志津川などの親戚に練炭や豆炭、ホッカイロを届ける方も来られます。灯油、ガソリンは長蛇の列です。今日も朝からガソリンを買いに道路が大渋滞です。仙台は今もガスが使えず、水道も一部しか使えないようです。
東北の沿岸部は壊滅状態です。今日の発表では亡くなられた方は一万人を超えました。行方不明の方も一万五千人ということです。それでも皆秩序を守って暮らしています。助け合っています。ありがとうございます。      感謝 日下 修

2011年3月25日金曜日

久しぶり、洋ちゃんからのメールです。


佐藤 達 様
奥様
 
おひさしぶりです。洋平です。
 
このアドレスのメールは普段なかなか開かないのでご連絡いただいたのに気づきませんでした。
すみません。。。サトルさんのご実家も皆様ご無事だったでしょうか?
 
11日におこった地震についてはご存知のとおりかと思います。会社にいてあ、地震だ・・・っと思っているうちにどんどん揺れが大きくなっていって電気がブチッと切れ、玄関にかけてあった写真などがガシャーーン!ガシャーーーン!ガシャーーーン!!と次々落ちていったのがとても怖かったのを覚えています。
 仕事柄、すぐに各役所からの緊急要請があり、復旧活動が行いましたが、急のことでしたので連絡の行き違いや、情報の少なさにかなり手間取ったままその日は遅くに帰宅しました。 どうも津波がきているようだ・・・そうラジオでは聞いていましたが、あまりピンと来ず、翌朝、号外の写真を見てわたしも愕然としましたし信じられない光景を見ているようでした。  幸いにしてわたしの住む柴田町あたりは建物の被害は少なかったものの、やはり電気、水道、電波の通じない生活が続きました。 食料品を買いに行けば3〜4時間、給水車の前に並んでも3〜4時間、緊急用の公衆電話の前には長蛇の列でどこにいっても並ぶような数日でした。
地震から2週間がたち、このあたりもライフラインが復旧したので、いくぶん落ち着きを取り戻したような気がします。しかし依然 沿岸部の様子はさんさんたるもので当社でも作業しにいっておりますが、とてもすぐにどうこうなる状態ではない、というのが感想です。
また今は福島の原発が壊れたことによる放射能漏れがかなり問題視されておりますし、汚水処理場が津波でこわれたことからくる河川・海への環境問題など、今後に深い傷を負ったような気がします。。。
どうなるんだろう、東北・・・ ですがとにかく今はわたし達で出来る精一杯の復興作業をこなすことが大切だと思うので、ここが踏ん張りどころときめ、仕事に励んでいますp(`・ω・´)q!
話は前後しますが、、、このあたりで透析治療が困難になった父は病院の手配で地震の翌々日から山形へ入院・治療を行っており、今夜帰ってくる予定になっています。
母も賢ちゃんも妻も無事でしたし、親戚一同被害がなく安心しています。
ただ妻・由佳の祖母が志津川に入院していたのですが、そこも被害を受けたと聞いていますし、また行方が分かっていないのが気がかりです。
 またサトルさん一家もいらっしゃった亘理の鳥の海の家は(見に行けていませんが、聞いたところによると)どうも流されてしまったようです。残念。
 以上取り急ぎ近況をお伝えいたしました。もう少し落ち着いたら改めてご連絡いたします。
 サトルさん、おばさんもお元気で!!
 
洋平

〖 やっと、元・パリの内弟子(パリでは度々、私の息子と勘違いされて本人は迷惑の様でした)、松浦組みの洋ちゃんから連絡を頂きました、既に、仙台の賢ちゃんやお母さんと電話がお話出来ていましたが、肝心の洋ちゃんとは連絡が出来なかったので安心しました、5年前、夏のヴァカンスに家族でお世話になった海辺の別荘が津波で消えている事は解っていました、地震と津波被害からの復旧を、そして、福島原発の事故が最小限に収まる様に祈っています〗

畠山さんからのメール、

東北放送の畠山です。中田の方とはご連絡つきましたでしょうか?登米市内でも100棟以上が全壊・半壊と被害ひどかったようですが、私の実家は今や全然問題無く、福島から私の妹家族が疎開しています。達さんの仙台のマンションも一見したところは大丈夫そうでしたが・・。フランスでは原発への報道などいかがですか?宮城の影響など「あまりない」としか発表されておらず、日本中皆疑心暗鬼になっております。  TBC 畠山


〖登米市内も今回の被害は日本中の問題でもある訳ですから心を痛めています、中田の兄達や友人達と、ミュージアムの関係者とも連絡がつきホットしています、家が全壊した友人も居ましたが皆さん生きて居ました、同じ中田でも地区によって被害が違いますね、親戚が志津川、気仙沼、大船渡に、又、友人達と連絡が取れてない方々が未だ居ますので気になっている所です、白石に居る甥の一家は相馬の両親を白石に呼び、その後、2人の幼児が居るのでと、甥をのぞいて皆さん一家で親戚の居る東京に避難したと連絡が入りました。仙台の仕事場も相当な揺れで冷蔵庫、机等が1メートル近く移動され、食器棚、本棚のモノは床に投げ飛ばされていました、建物自体、大丈夫の様ですが、壁にヒビが入っていま〜す。又、フランスでの死の灰と言われる雲は一昨日、フランス上空にもやって来ました、心配性の方、情報に過敏の方々は、その日は幼児を連れて公園に散歩する方が少なかったです、専門家はなんら身体に影響を及ぼす事が無い、問題ないと説明しているのですが、なんせ、25年前のチェルノブイリ原発事故では当時、フランス政府が正確な情報を発表せず、夏のヴァカンスが終了する頃迄、安全と言っていた、過去が在りましたから、不信感を抱いて居る方も居る様です、当時、私はフランスとスイスの国境の近くの湖で泳いだり家族で過ごしていました、今回はその当時の10000分の1で、人体に影響する事は無いと言われています、只、選挙が近いと、政治家の中には大げさに言う方々もいます、テレビ局によって、また、司会者によっては、視聴率を上げるには絶好のチャンスと思って居る方も居る訳ですから、正確な情報を伝えるだけで良いのですが ! 又、視聴者も冷静にいろんな情報をいろんな角度から正確にみてないと困りますね! SENDAI と FUKUSHIMAの名前は今回の災害で多くのフランス人の知る所と成りました、勿論、冷静にみているフランス人も多く居ますので救われます。今はフランス軍によるリビア空爆のニュースと東日本大地震の映像が連日流れ、2日後の地方選挙の成り行きが注目されています、サルコジ大統領率いる与党が苦しい立場に置かれています、世界中のみなさんの生活は、いろんなリスクの在る空間で生活している訳ですから、7月の再会を楽しみにしています。〗

Dr Pierre-Marie GAGEY 先生より、

Dr Pierre-Marie GAGEY 先生より、
Merci de me rassurer sur la santé du Pr KAKETA et de sa famille, car j'aime beaucoup le Pr KAKETA; je suis content pour eux, mais quelle aventure!....

今井 美樹 先生からのメールです。

佐藤サトル先生、ごぶさたしています。この度の震災は、宮城を中心に東北のみならず関東一円にも被害が大きいようですが、お知り合いの皆さんは、ご無事だったでしょか。ニュースで三陸の津波の情報や被災状況を見るにつけ、気になっておりました。ご実家はまだ内陸なんですよね。 ご無事をお祈りします。関西でも当日は揺れましたが、大学のガイダンスなどを普通に続けられる程度でした。でも関西人の多くは阪神淡路震災を経験していますので、その後の被災の状況を思い出すにつけ、混乱や疲弊がないことを祈るばかりです。
さて、今さらながら、去年お世話になった特別講義のレポートや卒業制作の作品集などお送りしようと思っているのですが、パリのご自宅宛にお送りしてもよいでしょうか。
こちらは、1〜3月で卒業研究の審査・展覧会・そして卒業式を終えて、少し落ち着いた状況です。  今井美樹


今井 美樹 先生へ   : 大学の授業が終了、今は、少し、ホット出来る時期でしょうね、さて、私の方、地震発生後、8日ぶりで、 兄達やふるさとの先輩、友人、勿論、ミュージアムに電話が通じ、本当にホットしましたが、その間は心配、なんせ、電話が通じなかったので、電気が無いとパソコンも通じないのですから、友人の家が全壊したり古い橋が痛んだりと散々の様でしたが、それでも登米市はまだ内陸で良かったです、ミュージアムの建物は無事で、亡くなった方が居ないのが良かったと思います、北上山脈を越えてすぐ隣の南三陸町から多くの遺体が運ばれ、避難の方々も裸足で歩いて来た方も、ミュージアムの在る登米市中田生涯学習センターも一時、避難所に成って居たそうです、三陸海岸、仙台港、仙台空港など海岸線が津波に襲われ余震も続く中、まだまだ心配です、福島原発もすごい事に成っていますから、パリでも大騒ぎしています。命がけで作業に携わっている方々には、本当に感謝致して居ります、さて、昨年の特別講義の時はお世話になりました、レポートや卒業制作作品集は、地震災害の復旧が一段落した頃、登米市中田生涯学習センター、佐藤静樹(佐藤達)様で郵送して下さい。サトル


お返事をありがとうございました。震災に遭ったとはいえ、身近なお知り合いや被害状況が知ることができたのは、精神的に大きな違いだと拝察します。ミュージアムも軽傷で済んだのでしょうか。1995年のサントリーのオープニング企画を思い出しました。担当者だった私は京都に住んでいて、当日は大阪に出勤することもできませんでした。さらにテレビ・ラジオも持ってなかったので、仕事場に電話がつながる朝10時頃まで河原町(京阪と阪急を行ったり来たりしていた)にいて、自宅に帰るタクシーで地震の災害状況を知りました。その日以降は、天保山は船着き場ですから、ポリタンクに水を詰め大きなリュックを背負った人たちが、神戸まで船で通う様子が続きました。あの震災でさえ精神的に疲れたのですが、今回は地震・津波・原発という副次的な災難も大きいので、遭遇された方の心労は察するに余りあります。ブログには掲載してくださって問題ありません。関西の緊張感のない様子が反感買わなければ良いのですが(汗)。
それでは、登米の状況が復旧した頃合いに、生涯学習センター佐藤静樹さん宛にお送りさせて頂きますね。サトル先生が帰国される6月までにはお送りする予定です。
今井美樹 拝

怜子ちゃんより元気なメールが届きました。

年1回の作品展の初日に1000年に1回の地震に遭遇し、幻の作品展を静かに行っているビーアイです。
地震で帰れなくなったお客様とビーアイに三泊したりしてご心配をおかけしましたが、24日現在、私もスタッフのチーズちゃんも元気に「どこでもビーアイ・1号」のお便りを発送しました。
『雨ニモマケズ』の詩の中に<行って○○してやり・・・・>というフレーズがあるのですが
<ここで行かず>に今はダレカレがビーアイにいらっしゃるのを待っています。
高校合格のお知らせに来たケンイチくんが「何も変ってないなあ・・」と言いながら手伝ってくれています。
ハート&アート空間“ビーアイ”    関口ぞうかば子

〖  不死鳥が飛ぶ廻る空間、ビーアイから、やっとメールが届きました、明るく笑顔で、頑張って下さ〜い〗

2011年3月24日木曜日

日本は、必ずや立ち直る!

全国地方選挙(県議会議員選挙)の第二回目の投票日が今度の日曜日に控え、又、来年の大統領選には、何かにつけて注目され、多忙な、フランソワ・フイヨン氏(フランス共和国首相)が日本大使公邸で記帳、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)とそれに伴う災害者(日本国及び日本国民に)にたいしてのお見舞い、励ましと連帯の気持ちを伝え、犠牲者の追悼を、日本の被災者について、危機の中での人の輪を、助け合いの精神、他人への配慮を忘れない素晴らしさを語り、福島第1原発で放水を行う消防士の家族を思いやりながらも国民のために活動する勇気をたたえ、又、日本には技術や工業力が在り、何よりも道徳、礼儀があり、「日本は、必ずや立ち直る」と、又、今回の被害に対してフランス政府はいち早く救助隊と物資支援を行っていますと述べていました。そうです、日本は必ず立ち直る! 我々の為に危険を冒して現場で働いている方々に敬意と感謝を持ち、我々一人一人が譲り合いの精神で、自立する国民である事を、苦難に立ち向かう、誇り在る、立ち上がるジャポン!を願っています!祈っています、そこに希望が未来が在るから。

2011年3月23日水曜日

佐藤静樹さんから、震災後、初めてのメール!

〖登米市のSatoru Sato Art Museum は、無事でした
今日初めて、ミュージアム担当の佐藤さんからメールを頂いた所です。ミュージアムの在る登米市中田生涯学習センターは破損なく大丈夫でした、ミュージアムの展示中の作品、7割程度が 床に落ちてしまいましたが、破損無し(重い作品は床に落ちれば角等、傷んで居ると思いますが、心配させない様にと静樹さんの心づかい!かも!作品保存に関しては異常な程、注意を払い、作品を粗末に扱われただけでも発狂する私を心配して下さったのかも)、破損したのが私の作品1点だけと聞いてホットしました、私の作品は自分で修正が出来ますが、寄贈作家の作品は修正技術を教わる必要が在るので破損がなくて良かったです、強い余震に対処して作品は当分、床に置いておくとの事、収納庫に置かれてある作品は傷んだものも無く問題無さそうでした、登米市は南三陸町に近く、ミュージアムの在る登米市中田生涯学習センターも数日前迄、避難所に使われて居て、センタースタッフが24時間体制で対応したそうです、避難の方々はその後、他の施設に移行したとの事、今は永浦所長の指揮のもと、センターの片付け等を行いながら、日常業務に向けて進めていますと、前向きなメールを頂き嬉しく思います、隣町の南三陸町から600人を超える避難者を受け入れながら、登米市職員も市民も一緒に復旧に向けて日夜励んでいる様子、まだまだ時間が掛かると思いますが、皆さんで支えて、復旧&復活を願っています。みんなが手を取り合って頑張る我らがトメ! 復活センダイ、飛び出せ ジャポン!私もパリの画家仲間達と手を取り合って支援の準備を始めている所です。〗

日本からのメールが届いています。

◯佐藤様
今回の地震で、ご家族、ご親戚、お知り合いはご無事でおられたでしょうか?
Satoru Sato Art Museumは如何な状況でしょうか?
Museumには電話をしても通じないので心配です。
 本当はもっと早くご連絡と思っていたのですが、こちら小田原も震度5弱の余震があったり
私の普段のメルアド管理が出来ていなかったりで、やっとメール差し上げることが出来た次第です。彫刻などがどのように原形を保たれているのかも御心配でしょう。
兎に角、ご関係の皆様、作品の無事を祈ります。
小田原市南町4-1-6
高橋茂樹


△先生もご心配の事でしょう。仙台市内はガス以外はライフラインも順調に回復していますので大丈夫です。登米市も被害はあったと思いますがニュースで取り上げる事もなく大丈夫ではないでしょうか?(詳しくは分かりません)
僕は原発のまち、福島なのでそちらが心配です。フランスでは、災害危険度レベル6と発表。一日でも早い解決と復旧を願うばかりです。先生が夏休みでお帰りになる時期には、東北人の粘り強い根性と精神で復興している事を祈ります。

         (株)ディーモード 加藤

▢さとるさんへ
電話有り難う御座います、昨日は息子の車が自宅近くでガス欠になったのでみんなで推して自宅まで運びました電話の途中で申し訳ありませんでした。   高倉
大江さんとは連絡とれました、無事でした。

2011年3月22日火曜日

みんな一緒に、愛の手で、立ち上がろう!


◎みんな一緒に、1億人の愛の手で、災害を分かち合おう、助け合おう!立ち上がろう!

宮城県登米市、布施孝尚市長は20日、南三陸町の災害対策本部がある志津川ベイサイドアリーナを訪れ、仮設住宅の敷地の提供などの支援を佐藤仁町長に申しでて、「要望があれば、仮設住宅の敷地を提供したい。市内の学校の空いている施設を、町の子どもに学校として活用してもらってもいい」と提案した。又、登米市コミュニテイエフエム(斉藤恵一社長)は、津波被災地の気仙沼市に臨時のラジオ局を開設し、「災害放送」を流すことを決めた。近く総務省へ申請し、早ければ24日にも開局する、気仙沼には FM 局がなく、貴重な生活情報源と成りそうだ、と河北新聞に掲載されて居ました。既に、登米市では南三陸町の方々の避難所を、又、遺体の安置所を提供、行政、民間の力が一緒に、当たり前の事!何でもない事!でも、素晴らしい事! そこに、愛の手が、皆の手が結ばれている、一人じゃない、みんなで、立ち上がろう、みんなのために!


▢株式会社ココムの男澤 亨さんも、愛の手をさしのべています。

東北地方太平洋沖地震でとりわけ大きな被害を受けた宮城県そして東北地方。
復興に向けて動き始めた企業・団体・公的機関が、インターネットで必要な情報を発信できるように、ココムはホームページの更新サービスを無料で行います。
【対象】東北の企業・団体・公的機関の、東北地方太平洋地震に関係する情報を発信したいホームページ
【概要】申込者から提供いただいた文章や写真・図表などをホームページに追加したり修正したりする作業を無償で行います。
【無料サービス期間】当面は期限なし。状況によって検討します。
【その他詳細】ホームページhttp://www.ganba-tohoku.net/をごらんください。

2011年3月21日月曜日

菊地さんからの報告です、

パリ 達先輩様
・佐沼情報 電気が来て一気に皆さん、元気になっている様です。 水道も朝晩、来ている。電気が来たので、携帯が通じる様になり情報はかなり入ってきています。役場職員の交通事故の件も病院関係者から聞きました。
店も路上開店しているところも出て来た様で、少しずつ復興に向かっているのでしょうか、小生の身内(佐沼は母と介護で戻っている姉)は無事でした、他の仙台、多賀城他の身内も色々ありましたが無事。佐沼は、志津川の人たちが歩いて避難していることも有りその受入れ含めての事の様です。幸いなのは、半壊、全壊の家屋が有る割には、死亡災害が少なかったこと。ガソリン、油系が無いのはあまり変わっていない様子。
こちらもガソリン、食料がてに入りにくいため、まだ帰佐の時期を決めかねています。

〖心配に成りますが、登米市は確実に復旧作業が進んでいる様ですね、一億人の温かい手で支え、地震、津波の災害、そして福島原発事故からの復興に向かって、現場で立ち向かっている方々に声援を!みんなの為に!〗

佐藤巳喜夫さんの個人的な情報です、


◎時々、連絡を頂いて居る東京中田会事務局長の佐藤さんから、彼が個人的に入手した今回の地震に関した貴重な登米市関連情報を頂き、最新の第三弾目のレポートを掲載させて頂きました。
20日午前、登米市内からの情報】
 ◆市内の避難所もある程度整理されつつあるが、家屋の倒壊や半壊、さらに地震の不安や食料の不安などで、まだ避難所生活を余儀なくされる市民もいる。大半は自宅生活に戻っている。
 ◆南三陸町の避難者の一部は、登米町や東和、津山町の施設に避難している。
 ◆志津川からの国道45号は、仮設の橋などで気仙沼まで通じた模様。横山から入る「戸倉」から志津川海洋青年の家、北上町に通じる道路は、途中で橋が落ち、仮復旧していなく、橋の向こうにある数か所の避難所が依然 孤立状態。橋向こうで救急患者が発生し、救急隊が橋の手前まで出動。しかし渡れないので、橋向こうから  川を渡り、救急隊に患者を引き渡したという未確認情報も。
 ◆南三陸町の支援活動を行なうため、登米市内にキャンプを張っていた鳥取県隊が20日朝引き揚げ、京都府隊は残留。大崎消防、栗原消防、登米消防の援助隊も、19日で隊を解散。大崎消防と栗原消防は救急隊を現地に派 遣継続。(緊急消防援助隊は指揮系統が明確にされ、救援する地域を決めて支援活動を行なっており、登米隊 も仙北ブロック=大崎・栗原・気仙沼=の一員として、決定に従って行動している)
 ◆市内一部地域では断水が続いているところも。これは町によって漏水個所が多いため、水圧を確保できず、給水車でカバーしている。地震による漏水個所が多すぎて、復旧作業が困難な模様。
 ◆20日午前6時すぎ、群馬県から若い2人がトラックで到着。迫町出身で、群馬と大阪に住んでいる兄弟。ふるさとが大変だからと、支援物資を運んできた。11時間かけての到着。知人らも金を出し合い、物資を購入してきた様子。一部物資は、彼等の直接知り合いの方々に届け、あとは市民の救済用。
 ◆ガソリンの実態。ガソリンスタンドの周囲の道でまだ暗い早朝から、片側2車線の中央を開けて上下道に長蛇の列。前夜から並んだ模様。しかし周囲2店のうち1店は結局休業。そこに並んでいた人たちはもう1つのスタンドの列に並び替えたのか?
 ◆19日営業した佐沼・光ヶ丘球場付近のスタンドにも長蛇の列。このスタンドは、登米町方面から来ると左折してスタンドへ。佐沼高校第2グランド方面から進んでも信号機を過ぎれば左折でスタンドに。左折するとスタンドインが有利なので、GSから佐沼大橋→、国道346号線南下→、消防本部前→、登米方面からの県道への交差点 →、そしてGS方面へ北上という、町内を一周する車の並びが続いた。一方、右折車両も多いため、佐沼大橋は渋滞。ドライバーは誰も割り込みを許さないため、道路の渋滞が一段と過熱状態に。
 ◆車がないと、何もできない地域だが、20日から市民バスが運行開始。しかし、行く範囲は限られ、決して自由に行き来できない。「ガソリン泥棒がなければいいが、生活問題である。国会にいる先生方や都会人には理解できない光景であろうか。それとも、いつの間にか、地震災害を原発事故にすり替えられたのか」と地元の方からの嘆きと懸念が聞かれる。
 ◆19日、ウジエスーパー南佐沼店、やはり長蛇の列。
 ◆佐沼地域のある一般家庭。建物は平屋で見た目は何ともないが、瓦屋根の重みで構造的に内部が破壊されており、取り壊ししか方法はないとのこと。地震発生後、昼はビニールハウスで生活、夜は無事だった蔵で寝泊まりを続けていたが、いまは作業場のコンクリート壁に母屋から取り出した襖などを張って寒さをしのぎながら生活している様子。
 ◆災害により生じた不用品などは、19日まで長沼漕艇場の駐車場で受け入れていたが、満杯になり、新田総合運動場へ搬送することになったが、遠くなったのと、ガソリンもほとんどないので断念する人も。
 ◆佐沼駅前通りの20日の様子。紳士服店「フォーカスクロージング」が傾斜。駅前通りの長沼川付近の杉山時計屋の1階が押しつぶされ、キゼン交差点向かいの元「菅々スポーツ」の空き店舗が道路側に倒壊。一市通りや八日町通りでも「ハットFM」ラジオ局の隣の建物などが2~3件倒壊した模様。FMラジオは出力をアップ し「とめ災害FM」として市民への情報伝達に活躍している模様。

21日午前9時の登米市の災害状況まとめ】
 ※以下の情報はサトー個人が入手したものです。公式レポートとは受けとめないで下さい。

①住宅の損壊
 全壊118棟 102世帯(迫29、中田19、豊里19、米山15、石越5、南方14)
 半壊126棟 91世帯(迫11、登米11、東和12、中田36、豊里32、米山12、石越2、南方10
 一部損壊225棟 56世帯
 非住宅264

②火災 2件

水道給水車による給水
 迫=新田公民館、北方公民館、東和=勤労青少年ホーム(錦織)、旧嵯峨立小学校、米山=中津山公民館、南方=西郷公民館
 南三陸町応援 1000ℓ・500ℓ 8基 車両6台(水道事業所)

④死者・負傷者等
 死者1名、行方不明14名、重症9名、軽傷33名

避難所の状況
 迫=迫公民館47名(市内35、市外12)、迫保健センター28名(市内19、市外9)、登米=登米中学校297名(南三陸293、気仙沼3、市外1)、東和=米谷公民館14名(市内)、勤労青少年ホーム21名(南三陸19、気仙沼2)、中田=石森ふれあいセンター21名(市内20、南三陸1)、豊里=豊里公民館26名(市内13、南三陸3、石巻10)、米山=米山公民館29名(21日閉鎖)、石越=なし(閉鎖)、南方=南方公民館38名(市内35、石巻3)、津山=ふれあいセンター34名(市内)、横山小学校238名(南三陸)、柳津小学校80名(市内・南三陸とも)、※津山は、柳津の若者総合体育館に集約の予定

⑥通行止め
 錦橋(迫佐沼)、三陸自動車道、その他11路線

⑦南三陸町関係
  戸倉から北上町に通じる海岸線の道路で落橋した橋は、自衛隊が仮復旧し通行可能に