2025年1月19日日曜日

打ち合わせは、chez Ditier Sutter

 今日は打ち合わせの為、ACM会長の Ditier Sutter ご夫妻のお宅に14時30分に訪ねました。ACM副会長の Anne Stephan 女史もご一緒に、展覧会の展示計画が進んで居て、ポスターも出来て居て、のんびり屋の若い私の方が慌てる感じでした。感謝 🙇🏼‍♂️ 🙏 1969年の作品から最近の作品まで、21点の絵画、レリーフの作品、全て一段掛けにして頂く事に。又、野外立体作品の模型など8点展示の予定です(予定は未定で変更在りですが)。展示空間( Salle Modigliani )は、4m72 X 12m80 。美味しいコーヒーとチョコレーを頂き、遠くにエッフェル塔や真下のモンパルナス駅の屋上公園を眺めながら楽しい時を過ごさせて頂きました。

2025年1月18日土曜日

岡島レポート・2019 W杯・備忘録 259

 好々爺として ボケ道を 究めてゆきたいものです…

                                                           2019 W杯・備忘録 259

                                                              〜 補強する 〜

 

代表チームにせよ クラブチームにせよ チームを「強化」する手法の一つに「補強」という手段がある。足りないものを他から調達する≒「助っ人」を入れる。前々回 SCOARG 似たチームになってきた と 書いていて でも違うようなぁ とも 思ってもいた。その違いの一つが 強化策にある。自国出身者で固めたARG と 他国出身者で弱点を補強してきたSCO

 

2023W杯 選手登録(当初)33人の出身国を見てみると ARGは 全員 ARG出身。SCOは 他国出身者が15人(うち ENG5人 RSA4人 AUS2人 CANFRAIREWAL:各1人)。(注:『ラグビー・ワールドカップ2023メモリアルフォトブック』(世界文化社)の中の選手名鑑「出身」による。なお 2023大会公式サイトの選手紹介では「HOMETOWN」として掲載されている。ただし このサイトでは たとえば FRAの選手の内 半数近くは 「HOMETOWN」欄が「-」となっている。)

参加20チームの選手の出身を見てみると なるほど 現在の各国の状況が透けて見えてくる気がする

 

( 2023W20チームの登録選手33名の他国(地域)出身者数 )

(注)国名のあとの()内は 国(地域)数

0 :ARGCHINAMRSA

1 :FRANZから)、GEO(ロシアから)

2 :URGARGから)

4 :FIJ(4)

6 :AUS(3)、ENG(6)

8 :IRE(4)、NZ(4)

9 :POR(1 FRAから)

10:WAL(4)

12:ITA(8)、ルーマニア(6)

15:SCO(7)

17:JPN(6)、TON(2)

23:SAM(2)

 

SAMは NZ出身:21人 AUS出身:2人。TONは NZ出身:13人 AUS出身:4人。ENGSCOWAL+北アイルランドが 国としては イギリスであり 一つの「圏」を構成していると見なすと それと同じく NZAUSSAMTONFIJは 一つの「圏」を構成している。その意味で POR・ルーマニア・(GEO)は FRA出身(おそらく二重国籍)の選手が 活躍しており FRA「圏」に含まれる とも 感じられる。南米「圏」のARGURGCHI、アフリカ「圏」のRSANAM… こういう風に考えていくと 参加20か国の中では 孤立しているのは JPNだけか。

現在 多くの国々が 「強化」のための「補強」に走っている。ルーマニアに トンガ出身の選手が4人も登録されていた! 選手ではなく コーチ陣に着目すれば 多国籍化は より深化している。ARGの前HCは AUSHCだったし RSAのアタックコーチは前JPNコーチだったNZ出身のトニー・ブラウンだ。

ラテン系中心のFRA 伝統的に「トロくないノッポ」・「ノロくないデブ」が見当たらない。ここがウィークポイント。プロ化黎明期・2000年ごろは 現SCOFWコーチのRSA出身:デヴィリエがFRA代表になることに Midol紙上では 賛否両論が掲載されていた。それが 今や 出身地は問わず 走れるノッポ・デブは珍重される チーム強化のために。今昔の感がある。2023W杯 3番は元U20NZ代表・アトニオが定着したが、5番は代表に定着した元U20RSA代表・ウィルムセがケガで、期待の新星・NZ育ちのサモア系・メアフーは 当時のWRの代表選手基準を満たしておらず、いずれもW杯本番に出場できなかった。5番 どちらかでも出場していたら チーム力は少なからずアップしていただろう… 2024ANSでは 3番・アトニオの後釜にトンガ系のテビタ・タタフ(日本代表と同姓同名、ただし血縁関係はないようだ)が代表デビューを果たしている。

この分野で 先行していたWAL8番にTON出身のファレタウ 12番にNZ出身のパークス。もちろん アラウィンジョーンズらの伝統的なFW力・ノース ウィリアムスらのBK 黄金世代の存在が一番大きかったのだろう) が 近年 有効な「補強」ができずに 劣後してきた感がある。

こう書いてくると リーグワンの各チームの盛衰の一因も このあたりにある気がしてくる。そして クラブチームでの切磋琢磨が 代表チームの強化につながる。悩ましい問題と捉えるか 強化至上主義の下 迷わず 「補強」競争に委ねるべきなのか…

花園・大学選手権を見ていても 「留学生」の活躍が目に付く。ラグビーの先を行くサッカー界では FIFAが高校年代でのサッカー留学を禁止している。だから 現日本代表・久保建英は 高校年次 バルサの下部組織を離れ 日本でプレーしていた。ラグビー界 いずれの日にか 同様の措置が講じられるようになるのだろうか…

選手・コーチといった「ヒト」の移動もさることながら 情報は瞬時に世界中を駆け巡る。グローバル化は深化し続けるだろう。風土に根付いたものから沁み出してくる各国固有のラグビー文化を体現する代表チームを求めるのは 無理筋なのだろうか…

あくまでも 強化あっての補強 だと 思う… 近い将来 あるいは 中長期的に JPN どんなチームになっているのだろうか。

 

令和7118

2025年1月16日木曜日

時には仲間とお喋り楽しんでいます。

 今日はどちらかと言うと、Daniel と Claude の若い時の話からご両親の話まで、楽しかったです。11時過ぎの外の気温は、未だ、マイナス 2度でした。

千葉さんから素敵な🎉写真が届きました✌️😊

少し遅れましたが今年もよろしくお願いいたします。

 

さてこちらは昨年より寒い冬となりました。金曜日息子の音楽教室に泉の方に迎えに行ったら

しっかり雪が降っていました。この日はたくさん降り積もってしまいました。丁度3連休で雪が溶けましたがまだ日差しが差し込まない路面は残雪がありますね。

 

昨年は成田空港に日本で有名な航空写真家のセミナーに参加してきました。初めてお会いしたのですがオーラを感じました。その時の写真を送ってみます。

最後に冬になるとマレーシアからチャーター便で仙台にやってきます。やく1000人ほどだそうですが。貞山堀の川から撮影してみました。朝一なので空気がきれいでいいロケーションで撮影できました。 こちらの航空会社のチャーター便は1月1日が最終便でしたが、元旦早々撮りに行ってきました。

 今年は何月に来られますか?? お体ご自愛してくださいね。またお会いできますこと楽しみにしております。   千葉 和彦


2025年1月14日火曜日

今日、1月13日の午後の訪問者は・・・

 L'ACM(Association Culturelle Mouchotte) の会長、Didier Sutter ご夫妻と副会長のAnne Stephan 女史が我が家に初めて訪問して下さいました。昔、8 rue du commandant rene mouchotte 75014 Paris(モンパルナス駅隣の17 階ビル、正確には地上から20 階) の一廓 A - 9 階のパリ市営アトリエ付きアパートに1980 年から今のアトリエに引っ越す迄、4 年間住んでいた事が在りました。そこに住んでいる芸術家の協会が管理するSalle Modigliani の空間が在り、L'ACMの企画で展覧会が開催されて居ますが。昨年、Didier Sutter ご夫妻から連絡を頂き、個展を企画させて欲しいと言われて居まして。昨年は日程的に無理だったので、今年に日程調整をして頂き。来月、2月 8、9、10日の3日間、個展を開催して頂く事に。今年も楽しい年に成りそうで、快くお受けした所でした。(娘のAki・Auroreが 3歳まで育った所でも在ります )。今日はその打ち合わせと言う事で 14時30分に我が家に来て頂き、Ditier ご夫妻から既に可能で在れば、立体作品の模型と平面の作品、レリーフの作品を含めた、なほかつ、小さな回顧展に近い企画をと言う事で、4人で作品集を見ながら作品選びを楽しくさせて頂きました。作品運送、展示、作品の保証、案内状、ポスター、オープニング・パテイーの諸経費は L'ACM持ち。思い出に残る展覧会にと期待しています。

2025年1月12日日曜日

Satoru Sato Art Museum 常設展 <構造と概念・構成と概念(1991ー1992年)>展

 2025年1月10日から新しく公開された  Satoru Sato Art Museum の常設展は<構造と概念・構成と概念( 1991年〜1992年)展。平面から立体と変化する中で、生まれたレリーフ作品で、キャンバスにアクリル絵の具と木目の木材を使っています。

2025年1月11日土曜日

岡島レポート・2019 W杯・備忘録 258

もう何年も お屠蘇を飲んでいません   一体 どれぐらいの人びとが 飲んでいるのでしょうか?

                                                            2019 W杯・備忘録 258

                 〜 道が拓かれる 〜

 

ファアウリ ご存じですか?

昨年 日本代表候補合宿に召集されるも 残念ながら 代表には選ばれなかった。

一昨年秋 2023W杯予選プール観戦後 帰路のパリ発のエアーフランスの機内で 出会った。羽田に着陸直後 隣の初対面の日本人一人旅のおばあさんに命じられるまま 彼女の重そうな荷物を座席上の棚から下ろし・入国管理ゲートまでの長い道のり ニコニコ 彼女の荷物を抱えて 従って歩いていた。ナイスガイ! 一遍にファンになった。

ファアウリ 現在は ホンダヒートに所属。彼の経歴 今年のリーグワン・オフィシャルファンブックによると ㈰180cm/100kg ㈪1995.9.13生 ㈫29歳 ㈬出身校:セントケンティカレッジ ㈭ラグビーを始めた年齢:13歳 ㈮代表歴:高校NZ代表、セブンズ日本代表(一時期キャプテン) ㈯在籍シーズン:’24-25〜 ㉀過去の所属チーム:NPCカウンティーズ(’15)、タラナキ(’1617)、SRチーフス(’1718)、BL東芝(’18-21)、静岡BR(’2223

現在のリーグワンのカテゴリーでは「A」に位置付けられている。職業人としてラグビープレーヤーになり・日本に職場を求めてやってきて・日本代表に近づいている。

カタカナ名の日本代表 昔であれば 大東大出身のラトゥを 近年であれば札幌山の手高校→東海大出身のリーチを 直近であればライリー・コーネルセンなどが思い浮かぶ。

1995年 ラグビーがプロ化=職業化するまでは カタカナ名選手で日本の学校を卒業していない選手 一時期 神戸製鋼にいた選手たちぐらいしか 思い浮かばない。 それが 今では 母国で学業を終えたのち・職業人としてラグビープレーヤーになり 職場を求めて 大挙して やってきている気がする。

たとえば 先週末のリーグワンで各チームの背番号別に見てみる。

(注)左から右に第3節終了時の順位

高:高校(あるいはそれ以前)から日本在住

大:大学から日本在住

A:母国で学業を終えたのち来日(リーグワンのカテゴリー「A」で「高」「大」を除く

B:リーグワンのカテゴリー「B

C:リーグワンのカテゴリー「C」(≒他国代表選手)

(-1 各チームの背番号別カタカナ名選手のカテゴリー(第3節先発メンバー))

 

パナ

東芝

ヤマ

クボ

ホン

神戸

キャ

リコ

重工

トヨ

サン

NT

  1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2

 

 

 

C

 

C

 

 

 

 

 

 

  3

 

 

 

A

 

 

 

C

 

 

 

 

  4

B

B

 

A

B

A

B

B

C

B

 

  5

A

A

A

C

C

C

A

 

A

B

  6

A

C

B

A

C

 

B

B

 

 

B

  7

B

 

C

 

B

 

 

 

 

 

  8

A

A

C

C

 

C

C

  9

 

 

 

 

 

 

C

C

 

C

 

 

10

 

 

 

C

B

 

 

B

 

 

B

11

 

 

A

 

A

 

 

A

 

 

C

12

C

 

C

B

C

 

 

A

 

 

13

A

C

A

A

A

C

 

B

B

A

14

 

 

 

 

 

C

 

 

 

15

 

 

C

 

A

 

 

 

 

B

 

 

15人×12チーム=「180」のうち 88がカタカナ名。ほぼ半分だ。

ポジション別に見てみると 5番・8番・13番は 12チーム中11チーム。4番も10チーム。

パナは 有望な若手をうまく育成している。これが 好結果につながっている。サントリーも 「長けていた」はずが 今年は 躓いている!? まだ 3試合が終わったばかり。これから どうなるのか…

(表-2 チーム別・カテゴリー別小計)

 

パナ

東芝

ヤマ

クボ

ホン

神戸

キャ

リコ

重工

トヨ

サン

NT

  -

  2

  -

  1

  1

  -

  1

  1

  1

  -

  -

  -

  -

  1

  1

  2

  1

  3

  -

  1

  -

  2

  -

  2

A

  4

  -

  3

  3

  4

  2

  1

  1

  2

  -

  1

  1

B

  2

  1

  1

  1

  2

  1

  1

  2

  2

  2

  2

  3

C

  1

  2

  3

  2

  2

  3

  3

  3

  2

  2

  2

  1

  7

  6

  8

  9

10

  9

  6

  8

  7

  6

  5

  7

「高」が7人・「大」が13人。これに対して 学業を他国で終えて・プロ選手になってから職場を求めて来日した選手=「A」が22人・「B」が20人・「C」が26人。

これは 日本固有の現象ではない。1995ラグビープロ化⇒職業人としての「ラグビープレーヤー」の確立⇒高技能技術者としての越境の増加 は かなりの地域で加速化している。すぐに思い浮かぶのは SCOの切り札:ファンデルメルバ RSAでプロ選手になり FRA・モンペリエで芽が出ず SCOに渡り SCO代表になっている。あるいは IREの躍進は ギブソンパーク・ロウ・アキにNZ(出生)勢抜きには語れない。資本主義の深化と足並みを揃えるかのようにラグビー界も変化してきている。

 

令和7111