Michel Seuphor は、1901年5月10日、ベルギーのアントワープ生まれ、彼の苗字、本名は Michel Orpheus 、この Orpheus を逆さ読に(アナグラム)にして、Seuphor と名乗って居ます。第一次欧州大戦が終わるとMichelは過激派の戦闘員の一人として先頭的な機関誌を創刊して反政府活動をして居ます。1920年、アントワープ広場でのデモに参加、目の前で彼の仲間が警官の銃で即死、Michel も頭に2け所の刀傷を負って居ます。1921年6月15日、雑誌 Overzicht (パノラマ)を刊行。これが Michel の抽象芸術運動の第一歩と成っていきます。1922年ベルリンに旅し、Marinetti やPrampolini(未来派)、そして Mohly-Nagy、Gabo、Rudof Belling、Herworth Walden、Gropius、Adolf Behne、Westheimなどと交流し。1923年巴里滞在中は Mondrian、Delaunay、Leger、Ozenfant、Gleizes ,Brancusi、Lario-Goll、Marcoussis、Picassoなどの新進前衛画家と交流し、さらに詩人のDermée、Goll、Céline、Arnauld、Tzara、Delteil、Crevel、Cocteau、Cendrars と交流。1925年 Michelは巴里に永住を決め、雑誌 Overzicht を廃刊する。この年の末に南仏で Vantongerlooと会っている。1926年には Mondorian、Paul Dernée、Arp、Sophie Taeuber との仲間の交流は永く続く。1929年 画家 Torrés Garcia と出会い、Cercle et Carré のグループを結成し、歴史的な セルクル・エ・カレ展はパリで開催されました。彼は美術評論家で在り、詩人・小説家で、展覧会の企画者でも在りました。その後、彼は体調を崩して南仏に静養。そんな訳で Cercle et Carré 展は1回きりの展覧会に終わりましたが。その後、1933年、その流れを汲んだ 幾何学構成アート系のAbstraction-Création 展が 1933年〜1936年迄開催され。更にその流れを継いだ形で 1939年、Réalités Nouvelles が結成されると言う歴史が在ります。1933年、彼の小説 Les Evasions d'Olivier Trickmansholm がパリのモンテーニュ社から出版され、出版社はフランスの権威あるゴンクール大賞獲得に力を入れて居ましたが。出版1ヶ月後に大戦の宣戦布告が在り、ヨーロッパは戦火に巻き込まれ。Michel は1934〜1944年の大戦中はベルギーのレジスタンスとしてフランスのグルノーブル地域に所属して、主に南仏で活動。戦後、1946年、Itinéraire spirituel de Michel Seuphor-366ページを出版と言った経歴が在ります。詳しい話は次回に 🙇🏼♂️ 私が Michel Suephor にお会いした時(1975年) 既に彼は抽象絵画の生き証人として世界に君臨して居た国際的美術評論家でした。彼は1926年頃からグアッシュや鉛筆で幾何学系の作品を描き始めて居て。ポンピード文化センターで個展を開催して居ます。今回、そんな Michel Seuphor の作品・ドローイングにコラージや初公開のシルク版画の展覧会、見応えが在ります。是非、ご鑑賞下さい。
当 Satoru Sato Art Museum には、他にMichel Seuphor とMondorian との共作、(Seuphor の詩を Mondorian がキャンバスに描いて居る)タイトル<Tableau - Poéme >と言う油絵の石版画もコレクションされて居ます。又、当時の貴重な資料・ Torrés Garcia の1932年出版の石版画(理性と自然)45点の版画集や、現在、ウルグアイ国の紙幣に成って居るGarcia の顔写真の紙幣も当館にコレクションされています。
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