ライフライン復旧懸命 一刻も早く―不眠不休の作業
急ピッチで進む電線の復旧作業=4月19日、石巻市の石巻工業港
本土と大島を結ぶ海底送水管を押しつぶした沈没船の引き揚げ作業=4月27日午前8時30分ごろ、気仙沼市
東日本大震災では、暮らしを支えるライフラインがずたずたに寸断された。震災から50日が過ぎても水道、電気、ガスが通じない地域がある。「一日でも早く、一世帯でも多く」。被災地ではきょうも、復旧に向けて懸命の努力が続いている。
◎水道/気仙沼大島51日ぶり給水 最大余震直撃沈没船、海底管つぶす
気仙沼湾の尾崎漁港沖で4月27日朝、海底に沈んだ漁船の引き揚げ作業が始まった。約1キロ先には離島・大島がかすんで見える。
大島で暮らす約1100世帯、約3200人は震災以来、沢水やプールの水を消毒して飲み、しのいできた。大島への給水を再開できるかどうかは全て、この沈没船引き揚げに懸かっていた。
本土と大島を結んで海底を走る送水管は2本。うち1本(直径10センチ)がまず、3月11日の本震で破裂した。本土側の給水網もずたずたになった。
気仙沼市は本土側の浄水場から給水網の修復を進めた。4月3日、残る1本が沈没船の下敷きになりながらも「奇跡的に生きている」(気仙沼市工務課)ことが分かった。
光明が見えた直後の4月7日、最大余震が襲う。沈没船が傾いた弾みで、辛うじて生き残っていた送水管(直径15センチ)に亀裂が走った。万事休す。沈没船を取り除き、傷ついた送水管を取り換える以外に選択肢はなくなった。
沈没船の撤去を見届けて、市の復旧作業は加速した。ダイバーが送水管の水漏れ箇所を確認し、破損したパイプを交換。大島側でも壊れたポンプ場の修理を急いだ。4月30日には試験通水で塩分が混ざっていないかをチェックした。
5月1日、震災から51日ぶりに大島への給水ラインが復活した。
一方、気仙沼市南部の本吉町地区では、沿岸部に近い水源地域が相次いで津波にのみ込まれ、高台の浄水場に水を送るポンプも壊れた。
水源の塩分濃度は国の基準の3倍に上る。本吉町地区の約3500世帯のうち約2500世帯は、今も断水生活を強いられている。
市は、比較的被害の少なかった水源を探して仮設ポンプを置き、浄水場まで送って飲料水を確保する計画を立てた。ポンプは5月下旬に稼働する予定で、ようやく大半の世帯の断水が解消される見通しとなった。
市中心部と本吉町地区の両水道事務所も津波に襲われた。直後の混乱の中、市は「人命保護」を最優先に「漏水覚悟」(工務課)で市立病院に水を送る決断を下した。
水道の全面復旧に向け、超えなければならないハードルはなお多い。
市浄水課長の昆野正彦さん(58)は「一日でも早く全世帯に水を届けられるよう、復旧に全力を尽くす。一つ一つの問題を片付けるだけだ」と淡々と話した。
(田柳暁、狭間優作)
◎電気/石巻工業港 荒野に電柱200本月内供給目指す
津波の直撃を受け、林立する工場群が徹底的に壊された石巻工業港。
「石巻市の産業復興の浮沈を左右する。何としても事業所の再開スケジュールに間に合わせる」
東北電力石巻営業所長森則之さん(52)が力を込めた。「工業港の再生」。電力マンのプライドを懸けた大工事が始まった。
がれきの荒野に高所作業車が並ぶ。電柱約200本を新たに立て、電線をはわせる。他県からの応援を含め、多い日で75人が作業に当たる。
電力供給の心臓部とも言える変電所も破壊された。一部の工場には、別の変電所経由で送電できるが、工業港一帯の電力を賄うには、変電所機能を回復させなければならない。
東北電力は移動用変圧器2基を持ち込み、5月中の供給再開を目指す。「地域の期待に応えるためにも作業を急ぎたい」と森さんは語る。
各家庭に明かりを届ける懸命の作業は、海沿いに小さな集落が点在する牡鹿半島でも続いていた。
25戸70人が暮らす宮城県女川町の高白浜集落では、津波で幹線が数百メートルにわたって寸断した。
集落の高台にある民宿「海泉閣」には、多いときで約320人が避難した。非常用発電機で照明を確保したが、高白浜区長の木村清蔵さん(70)は「燃料不足で、集落内の軽油をかき集めた。電気が通ったときは本当にほっとした」と振り返る。
東北電力は、集落を大きく回り込むように走る県道に目を付け、新しい幹線を敷いた。電気が通ったのは、震災から1カ月がたった4月13日だった。
石巻営業所配電計画課長の種市法弘さん(46)は「応援隊も含め、一丸となって取り組んだ。現場の作業員には感謝の言葉もたくさん寄せられ、大きな励みになった」と言う。
震災では石巻営業所自体が津波で冠水し、社員約80人が取り残された。作業車両も約半数の35台が壊れた。復旧への第一歩は、社員がボートに乗り込み、営業所周辺の電線を巡視することから始まった。
あれから約50日。管轄する石巻、東松島両市と女川町の全約12万6000戸に及んだ停電は、住宅自体が流失した地域を除けば、4500戸を切るところまでこぎ着けた。「あと一歩」。営業所は、被災地の真ん中で奮闘する。(佐藤崇)
◎都市ガス/人海戦術全国から延べ8万人
震災直後に供給が全面停止した仙台圏の都市ガスは、全国のガス事業者延べ約8万人が応援に入る空前の人海戦術で、復旧作業に臨んだ。
2日現在、3市3町1村の31万4196戸(復旧率99.8%)で開栓作業を終えた。津波被害の大きな仙台市の東部沿岸地区と、地滑りの危険性がある一部地区は、いまだに復旧のめどが立っていない。
津波に襲われた宮城野区蒲生地区と周辺の計372戸は、国や県の復興計画が関係するため、復旧作業も進まない。
仙台市ガス局は「住民のほとんどが避難生活を送っている地区で、各戸の開栓を急ぐ必要性は低い。地域の復興に合わせて復旧作業を進めたい」との考えを示す。
青葉区折立4、5丁目と太白区緑ケ丘4丁目は、地震による土砂崩れや地割れで警戒区域、避難勧告地域の指定が解けない。市は地中で地滑りが起きている可能性があるとして現在、地盤調査を行っている。
調査結果は5月中旬にも示す予定。市ガス局は「地滑りが起きていないことが確認でき次第、開栓作業に着手したい」と説明する。(河北新報・2011年05月03日火曜日より)
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◎水道/気仙沼大島51日ぶり給水 最大余震直撃沈没船、海底管つぶす
気仙沼湾の尾崎漁港沖で4月27日朝、海底に沈んだ漁船の引き揚げ作業が始まった。約1キロ先には離島・大島がかすんで見える。
大島で暮らす約1100世帯、約3200人は震災以来、沢水やプールの水を消毒して飲み、しのいできた。大島への給水を再開できるかどうかは全て、この沈没船引き揚げに懸かっていた。
本土と大島を結んで海底を走る送水管は2本。うち1本(直径10センチ)がまず、3月11日の本震で破裂した。本土側の給水網もずたずたになった。
気仙沼市は本土側の浄水場から給水網の修復を進めた。4月3日、残る1本が沈没船の下敷きになりながらも「奇跡的に生きている」(気仙沼市工務課)ことが分かった。
光明が見えた直後の4月7日、最大余震が襲う。沈没船が傾いた弾みで、辛うじて生き残っていた送水管(直径15センチ)に亀裂が走った。万事休す。沈没船を取り除き、傷ついた送水管を取り換える以外に選択肢はなくなった。
沈没船の撤去を見届けて、市の復旧作業は加速した。ダイバーが送水管の水漏れ箇所を確認し、破損したパイプを交換。大島側でも壊れたポンプ場の修理を急いだ。4月30日には試験通水で塩分が混ざっていないかをチェックした。
5月1日、震災から51日ぶりに大島への給水ラインが復活した。
一方、気仙沼市南部の本吉町地区では、沿岸部に近い水源地域が相次いで津波にのみ込まれ、高台の浄水場に水を送るポンプも壊れた。
水源の塩分濃度は国の基準の3倍に上る。本吉町地区の約3500世帯のうち約2500世帯は、今も断水生活を強いられている。
市は、比較的被害の少なかった水源を探して仮設ポンプを置き、浄水場まで送って飲料水を確保する計画を立てた。ポンプは5月下旬に稼働する予定で、ようやく大半の世帯の断水が解消される見通しとなった。
市中心部と本吉町地区の両水道事務所も津波に襲われた。直後の混乱の中、市は「人命保護」を最優先に「漏水覚悟」(工務課)で市立病院に水を送る決断を下した。
水道の全面復旧に向け、超えなければならないハードルはなお多い。
市浄水課長の昆野正彦さん(58)は「一日でも早く全世帯に水を届けられるよう、復旧に全力を尽くす。一つ一つの問題を片付けるだけだ」と淡々と話した。
(田柳暁、狭間優作)
◎電気/石巻工業港 荒野に電柱200本月内供給目指す
津波の直撃を受け、林立する工場群が徹底的に壊された石巻工業港。
「石巻市の産業復興の浮沈を左右する。何としても事業所の再開スケジュールに間に合わせる」
東北電力石巻営業所長森則之さん(52)が力を込めた。「工業港の再生」。電力マンのプライドを懸けた大工事が始まった。
がれきの荒野に高所作業車が並ぶ。電柱約200本を新たに立て、電線をはわせる。他県からの応援を含め、多い日で75人が作業に当たる。
電力供給の心臓部とも言える変電所も破壊された。一部の工場には、別の変電所経由で送電できるが、工業港一帯の電力を賄うには、変電所機能を回復させなければならない。
東北電力は移動用変圧器2基を持ち込み、5月中の供給再開を目指す。「地域の期待に応えるためにも作業を急ぎたい」と森さんは語る。
各家庭に明かりを届ける懸命の作業は、海沿いに小さな集落が点在する牡鹿半島でも続いていた。
25戸70人が暮らす宮城県女川町の高白浜集落では、津波で幹線が数百メートルにわたって寸断した。
集落の高台にある民宿「海泉閣」には、多いときで約320人が避難した。非常用発電機で照明を確保したが、高白浜区長の木村清蔵さん(70)は「燃料不足で、集落内の軽油をかき集めた。電気が通ったときは本当にほっとした」と振り返る。
東北電力は、集落を大きく回り込むように走る県道に目を付け、新しい幹線を敷いた。電気が通ったのは、震災から1カ月がたった4月13日だった。
石巻営業所配電計画課長の種市法弘さん(46)は「応援隊も含め、一丸となって取り組んだ。現場の作業員には感謝の言葉もたくさん寄せられ、大きな励みになった」と言う。
震災では石巻営業所自体が津波で冠水し、社員約80人が取り残された。作業車両も約半数の35台が壊れた。復旧への第一歩は、社員がボートに乗り込み、営業所周辺の電線を巡視することから始まった。
あれから約50日。管轄する石巻、東松島両市と女川町の全約12万6000戸に及んだ停電は、住宅自体が流失した地域を除けば、4500戸を切るところまでこぎ着けた。「あと一歩」。営業所は、被災地の真ん中で奮闘する。(佐藤崇)
◎都市ガス/人海戦術全国から延べ8万人
震災直後に供給が全面停止した仙台圏の都市ガスは、全国のガス事業者延べ約8万人が応援に入る空前の人海戦術で、復旧作業に臨んだ。
2日現在、3市3町1村の31万4196戸(復旧率99.8%)で開栓作業を終えた。津波被害の大きな仙台市の東部沿岸地区と、地滑りの危険性がある一部地区は、いまだに復旧のめどが立っていない。
津波に襲われた宮城野区蒲生地区と周辺の計372戸は、国や県の復興計画が関係するため、復旧作業も進まない。
仙台市ガス局は「住民のほとんどが避難生活を送っている地区で、各戸の開栓を急ぐ必要性は低い。地域の復興に合わせて復旧作業を進めたい」との考えを示す。
青葉区折立4、5丁目と太白区緑ケ丘4丁目は、地震による土砂崩れや地割れで警戒区域、避難勧告地域の指定が解けない。市は地中で地滑りが起きている可能性があるとして現在、地盤調査を行っている。
調査結果は5月中旬にも示す予定。市ガス局は「地滑りが起きていないことが確認でき次第、開栓作業に着手したい」と説明する。(河北新報・2011年05月03日火曜日より)
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