【 東日本大震災で被災した宮城県の名取市閖上小と閖上中の始業式が21日、同市不二が丘小で開かれた。児童生徒は避難所などからスクールバスで登校。悲しみが癒えない中で、新学期に臨んだ。閖上中の始業式には新2、3年生88人が出席。高橋澄夫校長が「桜の花が満開になった。犠牲になった友人や先輩の分まで、助かった命を大切にしてください」と式辞を述べた。自宅を津波で流され避難生活を送る生徒が大半で、ほとんどが私服で出席。生徒代表としてあいさつした3年生相沢佳奈さん(14)は「同級生や先輩、後輩、祖父と祖母を亡くした。もっと話すことがあったのにと後悔している。これからは一日一日を悔いのないよう、大切に生きていきたい」と涙ながらに話した。閖上小の始業式も児童約200人が出席して開かれた。両校の授業は当分の間、不二が丘小の空き教室を使って実施される。児童生徒が複数の避難所などに分散しているため、市教委は市内や仙台市南部などを結ぶ送迎バスを走らせる。仙台市内などの多くの公立高校でも同日、始業式が行われた。2011年04月21日木曜日/河北新報より。】
〖東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県東松島市野蒜 のびるのJR仙石線野蒜駅で21日、在日米陸軍と自衛隊によるがれきの撤去作業が始まった。あおば通駅(仙台市)と石巻駅を結ぶ仙石線は、JR東日本ががれきの撤去や線路の復旧に取り組んでいるが、沿岸部の被害が甚大で、宮城県などの要請を受け、米軍などが撤去作業に協力することになった。米兵約40人と自衛隊員16人がこの日、津波で駅舎に流れ込んだ冷蔵庫や自動販売機を運び出し、重機でホームのがれきを取り除いた。米軍はこの作戦を「ソウル トレイン」と命名。指揮を執る在日米軍のアラン・ネイランド大佐は「作戦に日米の魂を注ぎたい」と話した。(2011年4月21日14時41分 読売新聞)〗
【東北大ボート部が、震災を乗り越えて夏のインカレ(全日本大学選手権)を目指している。部員は無事だったが、本拠地の名取市の合宿所が被災。艇庫のボート33艇も壊れた。それでもオールをこぎ続けるのは、激しい議論の結果だった。東北大ボート部の前身は、1895年設立の旧制二高水上運動部。ローマ五輪に出たこともある。インカレの9人乗りエイトでは5回優勝した強豪校だ。部員は約50人。普段は、仙台空港に隣接する合宿所・艇庫を足場に、脇を流れる堀で練習している。春休みも例年なら名取市で合宿するが、今年は改修のため、2月14日〜4月3日の予定で埼玉県戸田市の合宿所で練習していた。3月11日、4年の主務・松本安弘さんは東京の実家にいた。テレビが仙台空港と津波を映し出した。隅には艇庫。名取川を津波とがれきがさかのぼっていた。「見慣れた場所なのに、日本とは思えなかった」。主将の佐藤洋平さんの実家は東松島市で、家族の無事の確認に数日かかった。13日午後、部員は戸田市の合宿所に集まった。「何をすべきなのか」を話し合うためだった。「こいでいる場合ではない」「ボランティアに加わりたい」。合宿中止の意見に対し「自分たちは現役の漕艇(そうてい)部員。レースに出るのは自分たちにしかできない。この場所でこぎ続けるべきだ」との声もあった。議論はどうあれ、練習しないと競技にはマイナスだ。少しずつ練習する部員が現れ、15日から全員が練習を再開した。同時にグループ別の議論を繰り返すうちに、方向性が固まった。「部のスタンスとしては個人の意思を尊重する。個人としてボランティアに行くのは仕方がないが、部としてはインカレでの優勝を目指して練習する」約2カ月間の合宿を今月3日に終えた部員らは、名取市の合宿所に駆けつけた。艇庫のボートは壊れ、練習で使っていた堀には、がれきがたまっていた。黙々と片付けた。ボート部長の黒川良望さん(東北大教授)は「全員無事だったのは奇跡」と話した。部員は再び戸田市の合宿所に戻り、今月下旬まで練習する。新入生を勧誘し、他大学のボートや練習場を借りてこぐ。主将の佐藤さんは言う。「自分たちができるのは、こぎ続けることしかないんです」(山上浩二郎)2011年4月21日/朝日新聞より。】
〖東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県東松島市
【東北大ボート部が、震災を乗り越えて夏のインカレ(全日本大学選手権)を目指している。部員は無事だったが、本拠地の名取市の合宿所が被災。艇庫のボート33艇も壊れた。それでもオールをこぎ続けるのは、激しい議論の結果だった。東北大ボート部の前身は、1895年設立の旧制二高水上運動部。ローマ五輪に出たこともある。インカレの9人乗りエイトでは5回優勝した強豪校だ。部員は約50人。普段は、仙台空港に隣接する合宿所・艇庫を足場に、脇を流れる堀で練習している。春休みも例年なら名取市で合宿するが、今年は改修のため、2月14日〜4月3日の予定で埼玉県戸田市の合宿所で練習していた。3月11日、4年の主務・松本安弘さんは東京の実家にいた。テレビが仙台空港と津波を映し出した。隅には艇庫。名取川を津波とがれきがさかのぼっていた。「見慣れた場所なのに、日本とは思えなかった」。主将の佐藤洋平さんの実家は東松島市で、家族の無事の確認に数日かかった。13日午後、部員は戸田市の合宿所に集まった。「何をすべきなのか」を話し合うためだった。「こいでいる場合ではない」「ボランティアに加わりたい」。合宿中止の意見に対し「自分たちは現役の漕艇(そうてい)部員。レースに出るのは自分たちにしかできない。この場所でこぎ続けるべきだ」との声もあった。議論はどうあれ、練習しないと競技にはマイナスだ。少しずつ練習する部員が現れ、15日から全員が練習を再開した。同時にグループ別の議論を繰り返すうちに、方向性が固まった。「部のスタンスとしては個人の意思を尊重する。個人としてボランティアに行くのは仕方がないが、部としてはインカレでの優勝を目指して練習する」約2カ月間の合宿を今月3日に終えた部員らは、名取市の合宿所に駆けつけた。艇庫のボートは壊れ、練習で使っていた堀には、がれきがたまっていた。黙々と片付けた。ボート部長の黒川良望さん(東北大教授)は「全員無事だったのは奇跡」と話した。部員は再び戸田市の合宿所に戻り、今月下旬まで練習する。新入生を勧誘し、他大学のボートや練習場を借りてこぐ。主将の佐藤さんは言う。「自分たちができるのは、こぎ続けることしかないんです」(山上浩二郎)2011年4月21日/朝日新聞より。】
0 件のコメント:
コメントを投稿