恒例の夏休みは6月後半、日本着の予定でしたが、3月の東日本大震災の影響で計画は延期、宮城県に送るべき義援金確保の為の Solidarité Tomé オークションを終えて、7月9日、やっと懐かしの羽田空港(羽田空港国際線ビル駅)に到着、健ちゃんに迎えに来て頂いて、パリから預かった大切な書類を手渡し、空港内の出発ロビーに在るレストランで軽い朝食をご一緒して別れました。1969年8月、羽田からパンナム航空でパリに向った頃をダブらせながら、暑い羽田に、周りの風景は変わりながら、今も昔も羽田から浜松町駅迄はモノレール、手荷物無しで、そこから山手線で新宿へ、新宿西口交番前で菊地さんと待ち合わせ、早速、城市富夫大先輩の見舞いに、我が佐沼高等学校の大先輩でも在り、AFM研究会二代目会長を務め、昨年の77歳の誕生日祝いのパーテイーのお返品をパリまで買い付けに来た城市先輩、個人的にもお世話になっている先輩、新宿駅から早速、京王線で仙川駅に、何度も見舞いに行っている菊地アさんの後を私はついて行くだけ、駅からタクシーで至誠第二病院へ、病室で寝ている城市先輩、ベットを囲んで菊地さんとおしゃべり45分後、親戚の高木さんのお嬢様が病室に、15分後、3人のおしゃべりに気がついて目を覚まして下さった城市先生、多少、会話が出来ました。返事が無くとも話しかける事が大切と聞いていたので眼をつむって居ても、声をかけると時には、うなずいたり手でシグナルを送って下さいます、1時間と30分後、私と菊地さんは、高木さんのお嬢さんと城市先輩に、又、来ますと挨拶して、12時丁度に病室を出ました、外は梅雨明け、猛暑の東京、二人の会話は、城市先生の今後と、やはり、共通の友、同級生の高崎さんのお嬢さんの事でした、眼に入れても痛くない21歳のお嬢様が外国で亡くなられ、大きなショックを受けている高崎さんに何と連絡をしたら良いのかと話している内に京王線新宿駅に着きました、他で打ち合わせが在る菊地さんとは新宿で、次回に再会を約束して別れました、私の方は、JR新宿駅南口で、同級生の佐藤和夫ちゃんと待ち合わせ、スミちゃんに連絡したら車で来るので少し時間が掛かるので先ず伊勢丹の駐車場に入れると言う事で、我々は勝手に伊勢丹迄地下道を歩いて伊勢丹近くの喫茶店に、飲み終わらないうちに和夫ちゃんの方に連絡が在り、待ち合わせ場所は西口に在る美味しいレストランと言う事で、駅の反対側に移動する事に、数分後に予約を入れたが席が取れなくって、先ず、そちらに行くと言う事で、カプチーノを飲みながらおしゃべりしている内に、御久しぶりと木下夫妻、では昼食は伊勢丹の7階の食堂街に、ここは人が多いだけで我慢して、ご免なさい、と言う事で、いやいや、美味しそうなお店が一杯在りましたが、昼食時、どこのレストランも一杯でした。城市先輩の報告、高崎さんの報告、春日さんの報告など、パリに居る私の方がどうも情報が早い様です。
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