2011年7月17日日曜日

南三陸町を訪ねて



トンネルの外の路線が消えていた気仙沼線
気仙沼線の基礎部分が浮いていた



津波警報と避難を叫び続けた職員の方は津波に攫われ鉄骨だけが残った防災センター
奇麗だった歌津大橋

17日、南方の均ちゃん(小野寺)の車で、昼、仙台から三陸道、河北インターで高速を降り、その後、北上川を下り、北上にその後、金比羅崎、神割崎を廻ると、震災と津波の被害風景は眼に入って来ます、ホテル観洋で一休み、コヒーを頂いて志津川の街に着くと、覚悟して居たにも関わらず、意識の中で、そこに存在すべき風景がスクリーンのラストシーンの様になにもかも廃墟と化し、親戚の旅館も友人の家も蔵も消え、言葉に成らない風景が夏風にされされていました、更に北上、小野寺重機が被害地現場で仕事をしている歌津に、被害地に立ち、悪夢ではない、現実に破壊された街並、消えた街並、亡くなった方々が居るのだから、海は何事も無かった様に静かなさざ波を立て静かに横たわっている、まるで自然界の荒れ出している恐怖を覆う隠す様に、砂漠いや荒野の様な荒れ果てた空気は無く、湿きった魂が精神がそこに在る、もうろうと睡魔に襲われながら登米市に送り届けて頂き、最終高速バスで仙台に戻りました。

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