2019 W杯・備忘録 54
~ 栄光の日 ~
昨年の今頃は、よく、テレビのバラエティ番組で代表選手が「いじられている」のを見た記憶がある。大会期間中は、連日連夜、ワイドショーなどで、ラグビーシーンが流されていた。12月11日には、東京・丸の内の「ラグビー日本代表ONE TEAMパレード~たくさんのBRAVEをありがとう~」に約5万人がつめかけた。
隔世の感を覚えたものだ。
2015年9月19日・ブライトン、エディーHCが試合前に「歴史を変えるんだ。歴史を変えるチャンスは一度だけだ。」と檄を飛ばし、最後のペナルティで「歴史を変えるのは誰?」とトンプソンが叫んだあの試合。JPNは、第8回W杯の初戦、RSAと初めて対戦し勝利した。世界が驚愕し、日本の一部が歓喜した。
あの時、たしかに歴史は変わった。
今大会前、国内のラグビーを語る少数の人々の間には、俯き加減の「ブライトン前」人と明るく語る「ブライトン後」人が存在し、JPNへの期待度に大きな温度差があった。
今大会前、ベースボールマガジン社から出版された『ラグビーワールドカップ激闘の歴史vol.3 ジャパン!』の表紙には「日本代表、第1回大会から苦闘の歴史 2015の快挙と未来につながるステップを振り返る!」とある。
ブライトン前からのラグビーファン(以下、「古代RF」とする。)には、W杯のたびに期待を裏切られ続けてきた苦渋の体験がある。いや、苦渋の体験しかなかった。第1回・1978年から2015年までの長くつらい道。その中には、NZに145-17で敗れた試合もある。苦闘が常態化し、当たり前だよな、と傷を舐めあう日々。
古代RFにとって、いつしか、W杯とは「大会前に泡沫の夢を見て、大会中に現実を思い知らされる」ものとなり、甘い言葉に踊らされなくなった。大会前の盛り上がりにも醒めてゆく。よくも悪しくも世知に長けた落ち着きがあった。
それに比べて、歴史が変ったブライトンあたりからラグビーに触れたファン(以下、「近世RF」とする。)は、苦闘の歴史を体験していない。だから、捻じれた感情を持たずに、素直に日本代表を見ている。純粋に代表を応援している。応援すれば勝てると信じている。大会前の盛り上がりにも素直に乗っていける。古代RFから羨ましがられもし、世間知らずだと見做されていた。
そんな違いを感じながら大会が始まった。
異次元の世界が待っていた! 日本中がラグビーに染まった。
大会前、古代RFは、奇跡は一度しか起こらない、「甘い言葉」を信じない、夢をもう一度などと思わず現実を見ようというリアリスト(を自任する悲観論者)であり、近世RFは、応援すればなんとかなると夢見る楽観論者だった。そこに、圧倒的大多数の現代RF、「にわか」が出現した。おそらく、彼女ら・彼らには古代RFの心性は理解できず、近世RFの感覚とも異質で、四の五の言わずにラグビーを愉しんでいる。すごいことだ。
そして、日本中が揺れたエコパの夜の歓喜。快挙が、奇跡がつながった。
「もはや奇跡ではない」。歴史は、再び変わったのだろうか? ブライトン後の歴史に1ページが加わったのだろうか?
古代RFは化石化し、近世RFは圧倒的多数の現代RFに同化する、そんな昨年の秋だった。いたるところにラグビーが存在していた。
そして、今、ラグビーはどこに行ったのだろうか?
それにしても、国内にラグビーが根付く・文化となる、というのは、どういうことを言うのだろうか?
バラエティ番組やワイドショーではなく、ラグビーの試合を熱くなって見ていたいものだ。歴史が変ろうとも、それが原点であろう。
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IREのベスト主将の自伝『RORY BEST The Autobiography with Gavin Mairs』(Hodder & Stoughton 2020)の中に次の一節があった。(拙い訳で申し訳ありません…)
… 2019年9月28日 日本、静岡スタジアム・エコパ、袋井
JPN 19 - 12 IRE
私たちは試合前半に失望していたわけではなかった、ジャック・カーティ―のクロスキックからガリー・リングローズがトライし、その後、再びジャックからのショートパントでロブ・カーニーがトライしていた。
12-3とリードすれば、前年の2018年には私たちは一度も負けなかった。しかし、私たちはブレイクダウンであまりにも多くのペナルティを取られ、ハイテンポで強度の高い試合に格闘し、2度の重要なラインアウトでスチールされた。疲労の蓄積からの珍しいミスだった。私たちは新たなエネルギーの補給が必要でありながら、それなしで戦ったかのようだった。
それと、ジャック(カーティ―)にジョナサン・セクストンと同じようにプレーすることを求めすぎた。彼には大試合の経験がなかった。私たちは選手層の厚みを増すことに取り組んできたが、スタンドオフのポジションは、第一リザーブ候補が去り、第二候補のジョー・カーベリーがケガをしてしまった。2019年冬の6か国対抗からIREの戦績が上がらず、セクストンの出番を必要以上に多くしてしまっていた。もっとジャックに経験を積ませなければいけなかったのに。
後智慧だけど、私はジャックにこう言うべきだったのだろう。「お前は、ワールドクラスのベストキッカーだ。キックして(Just put the ball on a sixpence)、JPNに圧力をかけ続けろ。セクストンのようにプレーするな、お前らしくあれ」。
前半の田村の3本のPGでJPNは息を吹き返し、後半途中の福岡堅樹のトライで逆転された。その時点でも、落ち着いて精度を高めれば勝てると思っていた。しかし、田村の4本目のPGでJPNが勝利をものにした。(p328~329)
… (サモア戦に勝利し)私たちの準々決勝の相手・場所は、JPN/SCO戦の結果次第となった。台風が過ぎ去り試合が行われるとなったとき、私はSCOが勝利し、自分たちはRSAと戦うだろうと思っていた。
SCOは、しかしながら、8点差でJPNに勝てばいいということを忘れたかのようだった;彼らは80点を必要としなかったのだ。彼らは、JPN相手にディフェンスしなかった。見ていて頭に来た(It was maddening to watch.)。(p330)
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それにしても、次なる「栄光の日」は、いつ来るのだろうか?
そのときには、W杯で、ベスト4に進出する? その先の決勝進出、優勝 あるいは NZに勝利する?
ベスト主将は、IREが「W杯で優勝する」ことと「NZにテストマッチで勝つこと」を等価に見做していた。
二度あることは三度ある、二大会続いたことは三大会続く。そして、歴史は、また変わるのだろうか? 輝かしい新たな1ページが加わるのだろうか?
次回大会、古代RFは、どういう心構えで大会に臨めばいいのだろうか、それも気になる。
令和2年11月28日
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