7月30日から8月2日迄、3泊4日の朋優学園のデザイン・コースと芸術・コースの夏の合宿に参加、先生方は昨年と同じ、市野、中川、村上、奈良先生(少林寺、居合い、サーファーと知的で体力にも自信のある男性群に花火が好きな奈良先生)に15名の学生、天候に恵まれた4日間、夜の月光は眩しいほど、天体に詳しい市野先生は素早く、北斗星や蠍座を発見、清々しい大自然で学生の共同作品、予想以上にまれに見る力作、個々の作品にも眼を見張るものが在りました、皆さん課題も終わり、最終日の夕食は野外でのバベキューと花火大会、楽しい、有意義な標高1300m の清里での合宿、富士山は連日4日間姿を現していました。学生達と引率の奈良先生、高速バスで清里に私も同行しましたが帰りは別行動させて頂き、皆さんとお別れ、学校の合宿の為の器材、画材と学生達の作品の移動の為だけでなく現地での学生移動にも必要なワゴン車とデザイン校正のプロ級、運転の村上先生とも別れて、途中、市野夫人の運転する車と合流、市野夫妻と中川先生とご一緒に、大月の窪田(1964年、阿佐ヶ谷美術研究所時代からの友人)俊ちゃんのアトリエを訪問、奥様と皆さんで俊チャンを偲ぶお話を、奥様が見せて下さった大きなアルバムの最初のページには大きな写真が一枚、1968年、竹川画廊の1階と2階で同時に個展を開いた時のツーショットの写真が在りました(実は私もその写真は持っていて、他に何枚かコピーして奥様に手渡して来ました)。又、その時、ご来廊して下さった窪田の恩師に当る、杉全直先生、斎藤義重先生の姿も、懐かしい時を過ごさせて頂きました(両先生とは、1974年、新橋の第七画廊で個展を企画して頂いた時から再会し、その後、東京やパリで、ドイツのドキュメンタに同行した事も、斎藤先生は TSAの関係もあり、お会いする機会が増えて、ベルギーでの斎藤先生の個展の時は、作品展示の助手でお手伝いに行った事も在りました)、窪田が心筋梗塞で亡く成ったのは今年の春、一年半前に会った時が最後に成りましたが、その時は元気にお酒も飲めて元気におしゃべりして居ましたが、人の命は解らないモノです(元気一杯のマイちゃんこと、親友の眞板雅文さんが3年前に亡くなったのも心筋梗塞でした)。市野先生、中川先生は窪田と同じに2年前、登米市アートトリエンナーレに参加した仲間でも在りました。窪田夫人と2匹の愛犬に別れを告げて我々4人はいざ東京に、帰り道、途中、中川先生と別れて、私は市野先生夫妻の車で横浜迄、早く着くはずが高速で事故が在り、のろのろ運転の渋滞、学生達の一行は予定通り無事、東京着と奈良ちゃんより連絡が在り、その後、1時間後に中川さんからも自宅に到着と言う連絡が市野さんの携帯にメールされ、我々一行は途中、渋滞なのでと簡単な夕飯を取り横浜にはのんびり22時に着き、東京の住処に着いた時は23時でした。翌日8月3日の昼は岡島さんと1年ぶりに再会、(1年前は清里でお会いしていました)、昼食は東京駅ほろ酔い通りで(同級生の春日の勝ちゃんの関係のお店で、彼の企画のミニクラス会は最近、この場所と定番に成っている所)、岡島さんとは、芸術とスポーツ、国益、農業問題、東日本大震災と福島原発事故後の対応、ヨーロッパから見た最近の日本の様子等等、話は短い時間でしたが楽しかったです。新幹線で17時に仙台着、早速、関本君に電話して、今夜の待ち合わせは、千石先生、明日(8月4日)、Gallery Turnaroud で上映の<わたしの夏>に出演していて、17時から映画上映会とその後、映画監督で詩人の福間健二の朗読会、又、福間健二と千石英世ゲストのトークが開催されると言うので、前日の打ち合わせと前祝いの様子、19時に、いろは横丁で待ち合わせ、千石先生とは4ヶ月ぶり、関本君と同席した仲間は、明日の進行係の仙台在住の俳人、それにTSAの仲間、酒豪ぞろい、先ずは乾杯とビールを少々頂いて、私はいつもの様に食べる方に専念、酒が入り文学の話が中心に盛り上がり、私の知らない世界、多いに勉強に成りました明日は、映画と朗読とトークを聞きに伺う予定です。
2012年8月3日金曜日
久しぶりに再会!清里から大月、東京、仙台へ。
7月30日から8月2日迄、3泊4日の朋優学園のデザイン・コースと芸術・コースの夏の合宿に参加、先生方は昨年と同じ、市野、中川、村上、奈良先生(少林寺、居合い、サーファーと知的で体力にも自信のある男性群に花火が好きな奈良先生)に15名の学生、天候に恵まれた4日間、夜の月光は眩しいほど、天体に詳しい市野先生は素早く、北斗星や蠍座を発見、清々しい大自然で学生の共同作品、予想以上にまれに見る力作、個々の作品にも眼を見張るものが在りました、皆さん課題も終わり、最終日の夕食は野外でのバベキューと花火大会、楽しい、有意義な標高1300m の清里での合宿、富士山は連日4日間姿を現していました。学生達と引率の奈良先生、高速バスで清里に私も同行しましたが帰りは別行動させて頂き、皆さんとお別れ、学校の合宿の為の器材、画材と学生達の作品の移動の為だけでなく現地での学生移動にも必要なワゴン車とデザイン校正のプロ級、運転の村上先生とも別れて、途中、市野夫人の運転する車と合流、市野夫妻と中川先生とご一緒に、大月の窪田(1964年、阿佐ヶ谷美術研究所時代からの友人)俊ちゃんのアトリエを訪問、奥様と皆さんで俊チャンを偲ぶお話を、奥様が見せて下さった大きなアルバムの最初のページには大きな写真が一枚、1968年、竹川画廊の1階と2階で同時に個展を開いた時のツーショットの写真が在りました(実は私もその写真は持っていて、他に何枚かコピーして奥様に手渡して来ました)。又、その時、ご来廊して下さった窪田の恩師に当る、杉全直先生、斎藤義重先生の姿も、懐かしい時を過ごさせて頂きました(両先生とは、1974年、新橋の第七画廊で個展を企画して頂いた時から再会し、その後、東京やパリで、ドイツのドキュメンタに同行した事も、斎藤先生は TSAの関係もあり、お会いする機会が増えて、ベルギーでの斎藤先生の個展の時は、作品展示の助手でお手伝いに行った事も在りました)、窪田が心筋梗塞で亡く成ったのは今年の春、一年半前に会った時が最後に成りましたが、その時は元気にお酒も飲めて元気におしゃべりして居ましたが、人の命は解らないモノです(元気一杯のマイちゃんこと、親友の眞板雅文さんが3年前に亡くなったのも心筋梗塞でした)。市野先生、中川先生は窪田と同じに2年前、登米市アートトリエンナーレに参加した仲間でも在りました。窪田夫人と2匹の愛犬に別れを告げて我々4人はいざ東京に、帰り道、途中、中川先生と別れて、私は市野先生夫妻の車で横浜迄、早く着くはずが高速で事故が在り、のろのろ運転の渋滞、学生達の一行は予定通り無事、東京着と奈良ちゃんより連絡が在り、その後、1時間後に中川さんからも自宅に到着と言う連絡が市野さんの携帯にメールされ、我々一行は途中、渋滞なのでと簡単な夕飯を取り横浜にはのんびり22時に着き、東京の住処に着いた時は23時でした。翌日8月3日の昼は岡島さんと1年ぶりに再会、(1年前は清里でお会いしていました)、昼食は東京駅ほろ酔い通りで(同級生の春日の勝ちゃんの関係のお店で、彼の企画のミニクラス会は最近、この場所と定番に成っている所)、岡島さんとは、芸術とスポーツ、国益、農業問題、東日本大震災と福島原発事故後の対応、ヨーロッパから見た最近の日本の様子等等、話は短い時間でしたが楽しかったです。新幹線で17時に仙台着、早速、関本君に電話して、今夜の待ち合わせは、千石先生、明日(8月4日)、Gallery Turnaroud で上映の<わたしの夏>に出演していて、17時から映画上映会とその後、映画監督で詩人の福間健二の朗読会、又、福間健二と千石英世ゲストのトークが開催されると言うので、前日の打ち合わせと前祝いの様子、19時に、いろは横丁で待ち合わせ、千石先生とは4ヶ月ぶり、関本君と同席した仲間は、明日の進行係の仙台在住の俳人、それにTSAの仲間、酒豪ぞろい、先ずは乾杯とビールを少々頂いて、私はいつもの様に食べる方に専念、酒が入り文学の話が中心に盛り上がり、私の知らない世界、多いに勉強に成りました明日は、映画と朗読とトークを聞きに伺う予定です。
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