4年間の東洋美術学校時代、自分のガリ版刷りの詩画集と小さな油絵を持って花巻の宮澤清六先生宅を訪ね、運良く、賢治の水彩画(日輪と山、他数枚)を見せて頂きビックリ、又、壁には鷹山宇一先生の小さな作品が飾られ、高村豊周(とよちか・鋳金家の第一人者で、与謝野晶子・鉄幹夫妻に師事し短歌を学び歌集を出版、光太郎の弟)の壺の作品を緊張しながら拝見したりお話を伺ったり、又、清六先生の勧めに従って田沢湖の辰子の像を観に行った事も、渡仏前の正に出来事でした?(写真は1968年頃の写真です)、1982年に宮澤賢治記念館が開館、その後、私の渡仏20年記念作品集を新潟の博進堂から出版して頂いた時には清六先生宅に作品集を届けに伺いました、今年、パリで出版された在仏50周年の作品集を届ける事が出来なかったのが残念に、温厚で優しい、そして厳しい先生、90歳過ぎても元気に自転車に乗って居る姿を思い浮かべます。
花巻の清六先生と植物がいっぱいの庭 |
高村光太郎の弟、高村豊周先生の鋳金作品と私の絵・・・ |
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