下北半島・大間崎へ・・・
今日は七戸の坂田夫妻と七戸十和田駅で再会、小雨降る中、坂田さんが運転、奥様がナビ役で横浜町・むつ市経由で恐山に、1960年代後半、寺山修二と天井屋敷に興味を持ち、1968年かな、恐山を訪ねようと登山靴に冬用のリック姿で試みたが山に登れず引き返した事がありました、実際、訪ねてみると、それが無謀であることも判り、また、当時の写真で見た恐山とは異なる現在の風景がありました、原発の六ケ所村が近くに在る事を知り、寺山修二が生きていたら、いの一番に反対運動していたのかもと思いながら、薬研温泉付近の山道でタヌキが出て来てこんにちわ、写真に撮れずに残念、ただ、その後、日本猿の家族に出会い写真が撮れました、更に佐井村(マサカリの刃の部分)から南下して、待望の昼食(佐井村福浦、『ぬいどう食堂』生うに丼を、私が生うに丼が大好物と知っていた坂田夫妻の計らいでしたが、残念ながら朝一番、海が荒れていて漁師が海に出ていないと言うことで、生うにには会えずに別のメニュウを頂きました、その後、南下して仏ヶ浦(海岸までわずか600mですが、急な階段、きつかったですが、食後の運動には最適ですよと坂田夫人が、今日はサトルさんに合わせてゆっくり歩いていますと言われて、なるほど、ヴェトナムから帰国したばかりの坂田夫妻、あちらは、ジャングルの中を歩いたとか=納得、それにしても誰がつけたか、仏ヶ浦、凝灰岩の風景にびっくり、仏様群を見せて頂きました、その後、北上、佐井を通過、本州最北端の大間崎(大間のマグロの地)すごい風雨の中で写真を撮りました。その後、刃の上の部分を東へ、大畑町、更に南下、元来た道をむつ市経由、七戸町に、鷹山宇一美術館はすでに閉まっていましたが玄関先を見て、七戸十和田駅に到着、青森に行くか仙台に行くか一瞬戸惑いましたが、12時間の旅を終えて、仙台へと、坂田ご夫妻の行為に甘えて素晴らしい下北半島の旅が出来ました。今日は7月14日、Le 14 Juillet フランスの革命記念日の日でした。
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山道で、タヌキと猿が出て来て、こんにちわ! |
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