社会意識論や大衆社会論で知られる社会学者で、京都大名誉教授の作田啓一(さくた・けいいち)さんが15日、肺炎のため、京都市内の病院で死去した。94歳だった。
山口市生まれ。京大文学部卒。1959年に京大助教授となり、66~85年に教授。デュルケムやパーソンズらの研究をもとに理論社会学や文化社会学の研究を進めた。哲学や文学の領域から日本文化、大衆意識への考察も進め、現代日本の社会学に影響を与えた。
69年の京大紛争でエスカレートする暴力に抗議し、「無力な私は、私自身を苦しめるほかはない」と、2月の厳冬期にハンストを決行。紛争での体験は後に、ドストエフスキーの描く人間像を通し、組織と個人の内面の対立や暴力への思索へ深まった。京大退職後は甲南女子大教授を務めた。主な著作は「恥の文化再考」「価値の社会学」「個人主義の運命」「ドストエフスキーの世界」など。自らのホームページで「激高老人」と称して時事コラムを連載していた。(新聞記事より)
☆☆ 作田啓一先生とお会いしたのは、昔、作田先生が1年間パリ大学で授業を持っていた時期に、作田御夫妻の自宅に呼ばれて夕食を頂いたり、又、作田先生の大学の講義に顔を出たり、お付き合いのきっかけは、親しくさせて頂いていた美術評論家で、当時、京都国立美術館の小倉忠夫先生の紹介で作田夫人から連絡頂いたのが始まりでした、作田夫人(折目博子)は物書きで、小説の話から出版社の話迄、特に作田夫人が師事した稲垣足穂の話はおもしろおかしく不思議な文壇の話まで、又、私の書いた雑文の為に出版社を紹介させて頂いたり(結局、自信が無かったので行かずじまい)、又、その後、京都新聞に私の絵画に関した記事を書いて下さったり交流させて頂いて居ましたが、いつだったか、作田先生宅に電話した時に、既に、作田夫人が1986年に亡く成った事を知らされてからは、作田先生とお会いする機会も無く失礼していましたが、作田啓一先生から頂いた〖恥の文化再考〗、〖個人主義の運命〗の本は今も、私の書籍に在ります、当時、土居健郎氏の〖甘えの構造〗の話も面白く比較したり、夜遅く迄、楽しい時を過ごさせて頂いた事は昨日の様に思い出されます・合掌。☆☆
0 件のコメント:
コメントを投稿