2021年7月10日土曜日

岡島レポート・  2019W杯・備忘録 85

         2019W杯・備忘録 85

 ライオンズ(4) 

 2021ライオンズRSAツアーが始まった。ライオンズツアー日程について、ハンセン(元ライオンズHC,元オールブラックスHC)が、以前、「suicidal(自滅的)」と断言していたが、今回のツアーも伝統に則り、各地で地元クラブと5試合行った後でテストマッチ3試合を戦う日程となっている。まさに「前世紀・アマチュア時代の遺物」のスケジュールである。加えて、コロナ禍・無観客、どのようなドラマが待っているのか、楽しみである。

 今回のツアーもHCを務めるガットランドの自伝を読んでいると、ライオンズとの縁の深さを感ぜざるをえない。全14章から成るGT本。そのうちの3章は「A Different Shade of Red (Part One, Two, Three)」(Redは、ガットランドがHCを長きにわたって務めたWALのジャージの色でもあり、ライオンズの色でもある)として、コーチ・HCとしてのライオンズ体験を詳細に書いている。

 そもそものガットランドのライオンズ・原体験は、ライオンズを迎え討つ側である。まず、13歳の時、地元ワイカトにやってきた1977年のライオンズツアー:地元クラブ・ワイカトとの試合を観戦した。
8歳か9歳の時からワイカトのスタジアムで相当数の試合を観戦した:よく覚えている最初の試合は1977年のライオンズツアーのものだ。満員のスタジアムでビックネームのプレーヤー(the biggest names in the sport)を迎えて18-13で勝利した:フルバックはAndy Irvine、センターはIan McGeechan、スタンドオフがPhil Bennettなどなど。スター選手ばかりだったけれど、どれだけ子供心に印象付けられたかは定かでない。正直に言うと、当時のNZの地元では、オールブラックスと地元チームしか関心がなく、それ以外の世界は謎だらけで無関心(both a mystery and an irrelevance)だった。』(p12

 次に、選手として、ライオンズに遭遇したのが、1993年ライオンズツアー。ワイカトの一員として、最終テストマッチ直前のミッドウィークマッチを戦い、38-10で勝利している。

 ちなみに、1995年ラグビー・プロ化後のライオンズ遠征の戦績は次のようになっている。

  
遠征先
 ヘッド・コーチ
 戦績
1997
 RSA
 MacGeechan ( SCO )
21
 2001
 AUS
 Henry ( NZ )
12
 2005
 NZ
 Woodward ( ENG )
03
 2009
 RSA
 MacGeechan ( SCO ) 
12
 2013
 AUS
 Gatland ( NZ )
21
 2017
 NZ
 Gatland ( NZ )
111

 ガットランドがライオンズツアーのコーチ陣に参加したのが、McGeechanHCに声をかけられた12年前のRSA遠征。McGeechanは、選手としてSCO32キャップ:ライオンズ8キャップ、コーチ・HCとしてライオンズツアーに参加し、ライオンズの伝統の中心にいる人物だった(He had earned himself a place at the heart of Lions lore)。
 ライオンズの命運がかかった遠征だった。
この遠征の4年前のNZ遠征は、Woodward ( 2003W杯優勝時のENGHC )の抜本的な改革(テストマッチ・チームとミッドウィーク・チームを分けて編成した大所帯のツアー)が結果を残せず、かつ、ライオンズの伝統を棄損したものとして批判された。テストシリーズは、3-2118-4819-38と、点数だけ見れば「いいところなし」の3連敗。その4年前のAUS遠征テストシリーズ第2戦:14-29、第3戦:23-29から数えると、5連敗で迎えた遠征であった。
コーチ陣は『ライオンズを緩慢死(a slow deathから救い出し、ライオンズツアーの正当性を証明するミッションを共有していた』(p178)。ところが、テストマッチ第1戦:21-26、第2戦:25-282連敗する。TMOの存在しない時代、RSA選手のラフプレーがペナルティにならないなど、ライオンズ側から見るとストレスのたまる試合内容だった。特に、第2戦に関しては、『ラグビーの神々がいたとしたなら、あの日は敵に味方した(If the gods of rugby exist, they were against us that day.)』(p184)『この敗戦は、経験した不幸のなかでも最もつらいものだ(I still consider that defeat as one of the most painful I’ve ever had the misfortune to experience.)』(p184)と書いている。
⦅ どうでもいいことかもしれないが、なぜ「GOD of rugby」ではなく「the gods of rugby」なのか、気になっている ⦆
この2連敗で、ライオンズは通算7連敗となった。その時の気分をこう書いている。
To be frank, I was in no mood to see us pushed around by the South Africans. I felt we’d been a little too legitimate in the first two Tests, a little too compliant. It is of course important to have faith in referees and trust them to make the tough decisions, but if we’re going to get real for a second, there are times in rugby when the toughness has to come from you. (p186)
そして迎えた第3戦の試合前、I was equally forceful when I spoke to the team. I held up the Lions jersey. ‘For most of you this is the last time you will ever this jersey. Losing this game isn’t option,’ I said. ‘The only way you earn respect from these ***** is to beat them. They won’t respect you if you don’t. Not a chance.’p187)と檄を飛ばした。試合は、28-9で勝利する。It was a sweet moment, even if it could never have been completely satisfying.

 この勝利でライオンズの伝統が救われた。仮に、負けていたら、ライオンズツアーは消滅していたかもしれない。

 その後の2度のツアーで、プロ化したラグビー界でもライオンズの価値が認められ、再び定着したかに見える。
 今回のツアーは、コロナ禍という新たな攪乱要因の下で実施されている。今春構想されたように、イギリスでテストマッチ3試合だけ行うという選択肢もあった。臨機応変に対応するのか、伝統を守るのか、それを誰が判断するのか これまで同様の日程で強行したことが「吉と出るか凶と出るか」気になっている。時を同じくして、開催される(であろう)東京五輪もどうなることやら

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 先週末(73日)のIRE/JPN戦、惜しい試合だった。2点差に逆転された後半10分、松島がケガで交替した。松島のあのプレー、ペナルティを取られ、IREがそのペナルティキックからJPNゴール前ラインアウト、そしてIREに突き放されるトライを許したことを記憶している人はどれぐらいいるのだろうか? Jスポーツで見ていたら、解説の沢木・村上からは松島の「ケガ」に関してのコメントはあるが、松島の「ペナルティ」には一切触れていなかった。実に不思議だ。
松島が傑出したプレーヤーであることは間違いない。一方で、ハイボール・コンテストで、しばしばジャンプしている相手選手に手をかけている。これは非常に危険なプレーである。特に中高生には絶対に「真似すべきではない」プレーだ。だから、きちんとプレーそのものについて、ラグビー的観点から解説してほしい、と強く感じた。
2019W杯、対IRE戦、対RSA戦でも松島の同じような危険なプレーがあった。しかし、その時はなぜか「お咎めなし」だった。なぜペナルティを取られなかったのか、なぜカードが出されなかったのか、未だに不思議でならない。

令和3710

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