2025年3月11日火曜日

午前中はバスに乗り込んで、仙台文学館に行って来ました・・

仙台文学館は久しぶり、大沼さんの写真展が開催されていると言うので、昨日、9時過ぎ、ブラリと仙台バスターミナル6番迄散歩できました。運良く 10分待たずにバスが来て乗車✌️街を見学しながら予定通り北根二丁目下車、無事、文学館に。那波さんより頂いたチケットを受付で見せようとしたら、ビックリ!本人の大沼さんが居てご挨拶。ゆっくり拝見させて頂きました。12時過ぎに帰る時に、大沼さんが車で送ってくれると言うので助かりました。帰り際、以前、山口ジョージさんの個展(2022年10月1日オープン)の展示準備の時に(9月27日)お会いしました、文学館の責任者、学芸員の方々とも再会出来ました。残念ながら会場入り口の写真を撮り忘れました。最近、😵‍💫😱忘れ物が多いのですと言えば許される。😅 実は幼年時から変わらないのです.🙏肝心の写真展、素晴らしかったです。作品の数が多く、圧倒されました。沖縄では既に桜が 🎉 那覇では1月、南大東島では今月が満開とか。

2025年3月10日月曜日

今日は蔵王町に行って来ました。

 3月10日、Facebook で最近、知り合いに成り、既に Satoru Sato Art Museum に何度か訪ねて佐藤先輩の作品を拝見して居ますと言う方から。急に、蔵王町に在るキャンプ場をご案内しますと電話を頂き。私の方は、12時45分には他の用事が在るのでと言ったら。早めに、朝、9時に迎えに行きますと言う事で。初対面、12年後輩の気さくな鈴木さんは、樹の里・真田キャンプ場の経営者でした。彼の車に乗って 30分後には高速道路から降りて、雪景色の雄大な蔵王連峰が見える蔵王町に。道中、彼の話を聞きながら辿り着いたのは、広い敷地の遊べるキャンプ場でした。地主の植木屋さん事、平間さんを紹介して頂き、話が盛り上がり。平間さんの方も、既に、いろんな事を企画している様子で、喫茶店が在り、店内では蜂蜜が売られ、コーヒーと作りたてのカステラをご馳走に成り、隣の棟には息子さんのお店、お蕎麦を食べさせてくれるお店も在り、凄い人気が在るらしく、その日も満席でした。ピザを焼く、大きな窯も設置されて居ました(ピザもご馳走なりました)。石垣を組んだり、面白い発想が湧き出ている平間さんと鈴木さんで、楽しいひと時を過ごさせてせて頂きました。人気の在る美味しい蕎麦を頂き、土産に蜂蜜入りカステラを2個も頂いて来ました。鈴木さんの企画する 😊 夏のキャンプ・イヴェント企画、頑張って下さい。楽しみにしています。


2025年3月8日土曜日

岡島レポート・2019W 杯・備忘録 266

SATORUさま

このところ 「軍縮」 まったく 語られていません 人類って ほんと 愚か!?

              2019W 杯・備忘録 266

                                                           〜 バスク 2 〜

 

現フランス代表のバスク人 オリボンとルキュー。同い年の二人は バスク地方の人口7000人の同じ町クラブで ラグビーを始める。その後 オリボンは バイヨンヌからトゥーロンへ ルキューは ビアリッツからボルドーへ移籍し 代表選手まで登り詰める。 代表戦・国歌斉唱時 常に隣り合わせで肩を組んで歌っている。

 

「エリサルド」 バスク語で「教会の前」 元日本代表HC:エリサルドは バスク人の父・ブルターニュ人の母から フランス中西部・ラロッシェルで生まれた。自己規定は バスク人。日本から戻って バスクに住み始めた。

 

2012年・2014年 スペイン国境 ピレネー山脈のフランス・バスクの村:バイゴリーのエリサルドの家に しばらく 居候した。当時 彼は テレビ解説者で 試合のある時はパリに出かけるが 平日は ご近所をぶらぶらして あちこちで「油を売っていた」。朝 起きると 村のカフェに行く。顔なじみの先客に「カフェ?」と尋ね 「ウィ」と答えてくると 珈琲を振舞う。席についていると 後から来た顔なじみが やはり 「カフェ?」と尋ねてくる。「ウィ」と答えると 珈琲を振舞ってもらう。なんだ 贈与互酬の連鎖だ。

 

西洋中世史研究者・阿部謹也(元一橋大学総長)が主張していた ㈰『私たち(注:日本人)は皆「世間」の中で生きている。この「世間」は欧米にはないもので、日本独自の生活の形である。』(阿部謹也『日本人の歴史意識』岩波新書874 2004年 p4) ㈪『「世間」の中に生きる人々の行動の原理は三つの原則によっている。贈与・互酬の原則と長幼の序、共通の時間意識である。』(同 p7)という「三つの原則」 バスクの村の日々の生活にも貫徹していた。バスクの村にも 「社会」はなくて 「世間」がある!?

 

エリサルドにくっ付いて歩いていると 村の中の至る所で 老人が日向ぼっこしている。エリサルドは 丁寧に 挨拶してゆく。「年寄りを大切にしなければ…」

 

村の中心には 教会。塔があり・鐘が鳴る。♪ や〜ま〜のお寺の鐘が鳴る ♪ と 同じような 時間が 村に流れている。

 

エリサルドが ふと こんなことを言った。「パリとここ パリは 格差が25倍 ここは 2倍。パリは 競争社会 ここは 分かち合うコミュニティだ。どちらが 幸せなんだろう。自分にとっては ここの方が住みやすい。」 で 「分かち合うって どういうこと?」と尋ねると 「現在 ここのジュニアのラグビーチームのコーチをしている。もう一人 コーチをしたいのがいるので 彼とコーチを分け合って それぞれ 別の曜日に コーチしてるんだ」 エリサルドが単独でコーチした方が 強くなるであろうに… 椅子取りゲームに狂奔しているパリ vs 必要な数の椅子を揃えるバスク か。

 

昼前になると 車で 別のカフェに行く。そこは ビアリッツ・サポーターの女将さんがやっていて ひとしきり ラグビー談議(主として ビアリッツとバイヨンヌの褒め・貶しあい)。「○○が文化として根付いている」って 床屋談議・井戸端会議の話題に上るということ でもある…

 

プロ化以前 長年にわたり 隣町:バイヨンヌ(人口5万人余)とビアリッツ(人口3万人弱)は ライバルでありながら フランス・ラグビー「圏」では バスクを代表する2チームであった。それが プロ化直後 ブランコの魅力で おカネを獲得したビアリッツが トップチームに上り詰めた。その当時 バイヨンヌは 1・2部の昇降格を繰り返すエレベーター・チーム 降格危機のときに エリサルドがHCになったこともあった。 2015年 「カネの切れ目」から ビアリッツは財政難に陥り ブランコが 「バイヨンヌとの合併・バスクに一つのビッグクラブを!」と提案するも 否決され 独自路線を模索し 2部に低迷している。一方 バイヨンヌは 地道な強化が実を結び始め(もちろん スポンサーも着実に増やしてきた) バスク出身の元代表選手:ロペス、イチュリアなどを移籍で獲得し 現在は 1部の中堅に位置するようになっている。

バイヨンヌは 現在114チーム中4位(直近のホームゲーム:観客13,291人)。ビアリッツは 216チーム中11位(同:5,000人)。

オリボンとルキュー バスクに戻って プレーする日がやってきてほしい。

 

今週のMidolの社説で 「かつての「村の鐘のラグビー」から クラブ主義へ移行しつつある」と フランスラグビー界の現状を解説している。プロ化の大先達:サッカー界では ビッグクラブのユニホームは全世界で販売され・サポーターも全世界に広がっている。もちろん 地域に根を張ったままでのことでもあるが マーケティングの対象は 広域化し続けている。ラグビー界も 同様に 「我が村・町のチーム」から プロ化・選手の移籍の加速があり 各チームの「地に根差した」固有のものが消えつつある。一方で ビッグクラブは 自らのアイデンティティーを確立すべく努力し続け・地域を超えたサポーター獲得を目指している と。地域人口を超えた関係人口の獲得が急務になってきている。

 

不可逆の世の流れに乗って ラグビーは どう変わってゆくのだろうか。

 

令和738 

2025年3月1日土曜日

建築を<ミル・知る・学ぶ > スタデイツアー<宮城県知事公館>

 3月1日(土)14:00〜16:00 、大沼正寛氏(東北工業大学教授)と高橋直子氏(伝統建築研究所代表取締役)の講義を受講して来ました。いろんな事が😵‍💫問題提起されそうな😊貴重な楽しい話し2時間でした。建築様式とは、日本における洋館とは、石の文化と木の文化の中で、歴史の違いの中での住まい。用途などなど。また、興味ある切妻造の四脚門の解説も勉強になりました。天候も良く、行きは時間ギリギリ、タクシーで滑り込みセーフでしたが。帰りはのんびり徒歩しながら 2度、広瀬川を渡り、デ・ステイールでコーヒーを頂き、その後、えかきやの結城さんと久しぶりに再会、立ち話して帰宅しました。 皆様に感謝✌️

岡島レポート・ 2019 W杯・備忘録 265

 SATORUさま

トランプ 千両役者なのか 大根役者なのか.     ポスト・トランプ劇場 いつ・どんな内容になるのやら…
                                                        2019 W杯・備忘録 265
               ~ バスク ~
ブランコのラグビー・バスクのラグビー…

広辞苑(第7版)では 「バスク【Basque(フランス)】ピレネー山脈西部、フランス・スペイン国境にまたがる地方。1960年頃から独立運動が活発化。スペイン語名バスコ(Vasco)」「バスク語:バスク地方で使われている言語。系統は不明で孤立した言語。能格構文をもつ。」「バスク人:バスク地方に住む民族。現在のヨーロッパ諸民族のうち最も古い民族の一つ。海外へも移住。」とある。

日本での「バスク」認知度は バスチーにレアル・ソシエダ 「昨今、グルメやサッカーでバスク地方がより広く知られるようになるにつれ、バスク語の存在も認知されるようになってきましたが、皆さんはバスク語に対してどんなイメージを抱いていらっしゃるでしょうか。」(『バスク語のしくみ』(吉田浩美 白水社 2021年の「はじめに」)というようなものだろうか。

じゃあ バスクのラグビーは
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パリからマドリッド行きの汽車に乗る。オルレアン・トゥール・ポワチエ・アングレームと100kmおきに中都市が存在する。このあたりまでは 車窓から見えるのは サッカーグランドのみ。アングレームを過ぎたあたりから ラグビーポールが ちらほら見え始める。ボルドーを過ぎると サッカーゴールとラグビーポールが ほぼ同数に。ランド地方・ダックスを過ぎ バスク地方に入ると 圧倒的に ラグビーポールが優勢になる。
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(フランス)バスク地方の中心地 バイヨンヌとビアリッツの間の町で生まれ育ったデシャン(1998年サッカーW杯優勝チームの主将。2018年サッカーW杯優勝監督。主将・監督として優勝したのは ベッケンバウアーについで3人目)の伝記(Bernard PASCUITODIDIER DESCHAMPS2022)の中で「(彼の育った地域は)ラグビークラブがサッカークラブの10倍ある」(p24)と書かれている。デシャンの父・親戚もラガー。

ラグビー・フランス「圏」でのバスクについて エレロは こんなことを書いている。
フランスラガーにとって バスク地方は 理想郷だ。大聖堂。
千年の昔から バスク人は 重い石を持ち上げ・綱引きをし・丸太切りを競ってきた(()現在も バスクのスポーツ大会の主要競技種目)。そして 他のどのスポーツとも似ていない「ぺロタ」。
こうしたスポーツ史を持っていた人びとだから 楕円球の来襲を拒絶してもよさそうなものだった。が 熱狂的に受け入れた。
(エレロが子供の頃)バスクのことなんて 遠いところで 何も知らなかった。ラグビークラブの大人たちが よく バスク人について 「ちびで 蟹股で 首は両肩の中に埋没してる だがな 滅茶苦茶 勇猛なんだ」と 語っていた。子ども心に バスク人は みんな プロップなのか! と 思ったものだ」(Daniel HERRERO Lesprit du jeu lame des peoples” p113

デシャンの伝記では「バスクが すべてに沁み込んでいる、風景に・人びとの魂に。彼らは 怒りっぽく・無口で・無愛想で・慎み深い。バスク地方は 謙虚であり 測り知れない自尊心を持つ、ある時は 平静で ある時は 破壊的な暴力をふるう。木々であれ 野であれ 林であれ 森であれ 希望の緑をなし 絶望が潜んでいる。この地方には 半濃淡はない。太陽は照り付け 雨は激しく 空気はざらついている バスク語の発音のように。ここには 年代の溝はない。老いも若きも とにかく バスク人だ。日々の生活は厳しい が 感興をそそる。已むに已まれず 他出することがあっても 心がバスクを離れることはない。彼らは いずれ 故郷・バスクに戻ってくる。」(p17)と書かれてい

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ところで 汽車がフランス国境の駅:アンダイユ(フランス・バスク)から スペイン国境の駅:イルン(スペイン・バスク)に入ると車窓は一変し ラグビーポールが見当たらなくなる…

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1000年余の歴史を持つバスク人・バスク地方 同じ言語を話し・同じ文化を共有し・同じスポーツを楽しんできた民族が なぜか フットボールに関しては 国境線を挟んで まったく違う根付き方をしている。
長年 実に 不可思議な現象だと感じ続け いかなる原因でそうなったのか いろいろな文献に当たっても来たが 未だに これだ!という腑に落ちる説に出会わない。
エレロも「不思議だ。スペイン・バスク人も フランス・バスク人と同じく 格闘大好き・自尊心の塊だ。たぶん GODのミスなのだろうか? スペインに数多くいて影響力のある神父たちが 肉体のぶつかり合いを忌み嫌ったせいなのだろうか…」としか 書いていない。

令和731

2025年2月27日木曜日

今日は珍道中で楽しかったです。

2月27日、上原さんから誘われて、登米市中田町浅水に在る民家でレストランを昨年開業したと言うお店に行って来ました。黒田さんの車に、遠藤さん、上原さんと私の4人で(私はナビ役)、現場で佐立さんの車で、Liz Malyさんとワンちゃん。佐立さんの友達の方も車で、3台共、 お店の駐車場で合流、計画通り、11時30分にお店に入れました。地元のハットを利用したパスタ。いろんな野菜を蒸した前菜は3回お代わり出来ました。3種類のパスタから選び、更に、私は牡蠣を選びましたが、海老を選んだ方も、デザートは遠藤、黒田、上原チームは頂いた様ですが、女性群と私のテーブルは料理が遅かったせいでやむなく断念して、諏訪公園に移動しました。その後、Satoru Sato Att Museumにご案内。それから安永寺に移動して襖絵と鐘が付いている野外の立体作品と昨年完成した小さなモニュメントを見て頂きました。そこで解散。我々は近くのお店でコーヒーをと思いきや、メニューにお汁粉が在ったので、上原さんだけはソフトクリーム✌️帰りは、愛妻館で野菜を購入して黒田さんの車で仙台に戻れました。黒田さんお疲れ様でした。

2025年2月26日水曜日

久しぶりに Satoru Sato Art Museum を訪問出来ました。

2月26日、朝 9時に旭ヶ丘駅タクシー乗り場で丹吾ちゃんの車に乗り、三陸道の途中、石巻近郊で彼の撮影計画が運悪く小雨模様で、急遽、午後に変更して、そのまま登米インター迄直進。無事、中田生涯学習センターに到着しました。丹吾ちゃんはすぐさま常設展示室の撮影。私は佐々木さん、粕谷さんと、令和7年度、サトル・サトウ・アート・ミュージアム事業計画(案)の事前打ち合わせ。6月1日(日)〜6日(金)、 前期作品入替。アート出前講座。子どもの幾何学アート教室。おとなの幾何絵画教室の件に関しての意見交換が終えて。3階の常設展示室に行くと、撮影も終盤、レリーフ作品の横斜めからアップの撮影も終えた所でした。丹吾ちゃん曰く、サトルさんの作品、直線ばかりかと思って居ましたが、曲線も作品の中で表現されているのですねと。スノコの様に、鍵盤の様に、そこに影と音が在る様に✌️さすが阿部丹吾氏!その後、いつもの場所でいつものランチを頂き。そこで丹吾ちゃんと別れて、丹吾ちゃんはその後、祝祭劇場を訪ねた後、ジャズ喫茶店に立ち寄り、ジャズを聴きながらコーヒーを飲んで、途中、石巻近郊での撮影も無事、済ませて仙台に戻られた様です。私はランチ後、材木を購入してミュージアムに3人で戻れました。丁度、高橋 所長が戻られ、スタッフ一同皆様の写真が撮れました。途中、墓参りして、兄貴達にパリから持参の貴重な、Propolis Verte と Gelée Royale のカプセル錠剤を届けて、16時30分の高速バスで登米市役所前を発ち、18時過ぎには電力前で下車出来ました。バスの中ではいつもの様に爆睡でした。寝る子は育つ。😵‍💫