2011年8月11日木曜日

Emile Vallés からのメール報告 その2

    



この地域は昔、有名な帆柱(マスト)の生産地として栄えた時代が在りました、それは国内だけでなく、スペインやポルトガル、イギリス迄運ばれて船の帆柱とて利用されていたと言う歴史が在ります、その帆柱の樹を素材にして、高さ8メートルの8本の柱をピレネーの麓、スペインとフランスの国境近くに、既に、この公園には地元の石を素材にした造型作家の Erik Dietman の大作が在り、その作品と、その廻りの環境の共有、共存を意識して、最終的に自然環境に最小限に手を加えながら環境と人類の歴史を考慮しながら制作に入った記憶が在ります、樹の素材以外に御影石の柱と石畳、自然の中で心身を休め、自然界と、人と、会話出来る、座れる石、癒しの空間、異質な中にも共存の精神を共有する空間でもあります、川や橋、山の風景と作品の位置関係、高さ、長さ、幅、作品配置図に隠された幾何学構成の静的空間と言うべき厳格な比例の暗号数字(コード・ナンバー)も読み取れる事でしょう。

2011年8月8日月曜日

仙台の七夕まつり最終日、

六、七、八日は仙台の七夕まつり、八日、昼前11時過ぎ、県庁に自転車で向かう途中、勾当台広場では、ステージが設けられ、昼から屋台が出て、午後から夜中迄、人の波で賑わう夏祭り、昔、娘と一緒に散歩した夏祭り、信号近く、屋台と屋台の間から浴衣を着た可愛いお嬢さんが忙しそうに手荷物もって飛び出して来ました、アレ!振り返ると、あちらも、アレ!佐藤さん!そうです、志津ちゃんでした、午後から夜中迄、広場で行われる夏祭りのイヴェントの司会を担当するフリーアナウンサーの志津ちゃん、パリを中心にヨーロッパや東京を飛び回る国際派、フランス留学後、違う文化の中で元気に仕事をこなし、フランス語が堪能で絵も描く才女、そんな素顔を見せずに笑顔で元気一杯の頑張屋さん、浴衣もお似合いでした。

Emile Vallés からのメール報告

 
 フランスの建築家、ヴァレさん(Emile Vallés)から野外モニュメントの基礎工事の一部と作品と成る御影石の写真が送られて来ました、彼はこの地区に設置されているギュル記念碑(Gurs Monument) 保存会の会長、当時、記念碑作品依頼から作品設置まで担当、造型作家ダニ・カラヴァン(Dani Karavan)に接触、ダニを口説き落として作品依頼承諾にたどり着き、現場で設置迄立ち会った情熱を持った方、所が大きな作品ゆえ予算を遥かに超えて、ダニに支払う謝礼が少なく成り、慌てて彼に相談したそうです、ギュル収容所はダニにとっても大切な記念碑、二人の話し合いは素晴らしい結果を生みました(その話は次回に)、そんなダニと親しい彼、ヴァレさんが今回、基礎工事、作品設置の責任者として立ち会って下さいました、この作品は2年がかり、本来、夏休み前に作品設置終了予定が、延びて、7月14日(フランス革命日)以降に、基礎工事開始と成りました。私のブログで既に紹介させて頂いている作品です。

 
 6月11日、ピレネー山脈の麓からと言うニュースを書いていますが、その延長戦にこのブログが繋がっています、
10月に完成セレモニーが開催される計画で、空気の奇麗なピレネー山脈の麓で、おいしい食事が出来るのを楽しみにして、地震で揺れる仙台で制作に励んでいます、

2011年8月7日日曜日

夏川芸術橋の清掃 とサトル後援会解散。



 8月7日、6時、サトル後援会の有志の皆様が夏川芸術橋に集合、今年は震災で皆さん大変な時、それでも、いつもの様に、いつもの皆さんが集まって下さいました、6時5分前にたどり着くと、既に、テッチャン(及川哲雄)がタンクに水を入れて来て欄干を放水清掃、歩道側には春日事務局長が電動の草刈り機で雑草を切っていました、佐藤達後援会会長、コレクターの泉田さん、佐藤・前登米市教育長、石森小、中同級生代表の佐藤幸喜さん、そして寿彦さんが来て下さり、今年は思ったより泥と雑草が貯まっていました、8時45分に終了、いつもの様に春日さんの奥様が作るおにぎりを持参して下さいました、おにぎりは毎年違い、今年はお味噌をおにぎりに塗って軽く焼いた絶品、朝仕事の後、これが、朝仕事の後にはピッタリ、それに、わさびを効かしたカリカリと歯ごたえの在るキュウリ漬け、皆さんで食べて、いつもの様に残ったおにぎりとキュウリ漬けは頂いて帰りました、11時から中田町で作られた佐藤達ふるさと後援会(サトル後援会)の最後の総会、今回をもって解散と言う事で報告会も無事終了、布施市長や元・三浦中田町町長も出席して下さいました(サトル後援会は、サトル・サ
トー・アートミュージアム友の会に吸収される事に成りました)。その後、席を代えての昼食は割り勘でと言う事で、華蓮(コーヒーも軽食も頂けるシャレたレストラン)へ、皆さん、冷やし中華でメニューが決まり、デザートは私と会計の石川さんが特注の白玉・アイスクリームあんみつを大きな器に入れて頂き、他の皆さん、甘党と言うより辛党、5、6年前、春日事務局長が私につき合って、あんみつを、甘党が苦てとは知らずに、その時は、春日さん冷や汗をかいて体調を崩したと聞いて居たのでその後、あんみつは薦めませんでした、哲ちゃん夫妻は辛党、甘党どちらでも平気、監査役の秋山さん、ヤングミセスの貞子さん、私の作品をコレクションして下さっている泉田さん、前登米市教育長(佐藤)、佐藤幸一会長は、の皆様はクリームあんみつ、元・中田町長(三浦)さんはジュース、佐藤会長が、いつでも、佐藤さんが中田の地元に帰って来た時には集まって歓迎しましょうと、昔々、サトル後援会を立ち上げよ!と言い出したのが当時の三浦町長とか、いろんな裏話迄出て、楽しい一時を過ごさせて頂き解散でした、中田町時代の仲間、登米郡時代の仲間に、皆さんと一堂にお会い出来ませんが、このブログを借りでお礼の言葉を!皆様に応援して頂いた事に、感謝と誇りを持ち、これからも作品を発表して行きたいと思います。サトル君を応援して良かったと言われる様に、心意気を感じて、夏を元気に過ごしたいと思います、新しい旅たちに、夢を託して。まだまだ、目標は遥か遠くに在ります、皆さんの応援を背に頑張ります、私の歴史に残る皆様の応援を大切に、ふるさとは宝です。
今日の昼食は割り勘ではなく、佐藤会長が全員を招待して下さいました。
美味しい辛子漬けのキュウリと味噌焼きおにぎり
左から、後援会事務局長の春日さん、前・登米市教育長の佐藤さん、同級生代表の幸喜さん、佐藤会長、哲ちゃん、寿彦さん、

2011年8月5日金曜日

仙台・花火大会

8月5日は花火大会、仲間との夕食会を抜け出して、花火大会最終時間に珍しく写真を撮ろうと、マンションの屋上より広瀬通りか西公園が良く撮れるかと行ってみたら、煙で、又、樹が思った以上に茂り、以前よりは見えにくく成って居た感じ、杜の都ですから、しょうがないのかなと、結局、気に入った写真が撮れなかったで〜す、帰り際、たまたま、西公園前の Be I に立ち寄ったら、皆さんお帰りの後でしたが、何と、怜子ちゃんと芳枝ちゃんと一人の男性が未だ居ました、1年ぶりの芳枝ちゃん、珍しく浴衣姿、浴衣姿が増える日本の夏、涼しい感じ、でも、きちんと身に着けていない若者が多い中、キチンと着こなしている所はさすが、ア!、サトルおじさんに、紹介します、今度、結婚する彼です、8月8日に入籍しますと言われて、即座、おめでとう、近い内にお祝いをプレゼントしようと約束しました。

久しぶりの一刀斎からのメールです

現在に日本を象徴しているようなすっきりしない天候が続いています。原発の影響はどこまで拡がるのでしょうか。経済にも被害は食指を延ばしています。復興に移行するためにも経済が落ち着くことが先決です。
 それぞれの場所や立場で頑張っていただきたいものです。毎日が夏休みの身には見守るだけしかできません。
一刀斎
 

2011年8月2日火曜日

気仙沼にたどり着き、

8月2日、宮城インターから高速に、若柳金成で降りる予定でしたが、出口が渋滞、急遽、一関迄行ったのが正解でした、一関から気仙沼街道を更に東に、予定より30分前に気仙沼にたどり着きました、今回、県の方から連絡して頂き、ユネスコ・スクールの及川副参事にお会いする計画でしたが、出張でお会い出来ず、教育長はじめ関係者の皆様にお会いする事ができました。
その後、被害地を視察、親戚の谷村さんのアーヴァンに見舞い訪問、川岸に在る建物は壊れていませんでしたが、140cm の浸水で、壁に痕が残り、一階の事務所、会場は閉鎖されたまま、2階に事務所を移動している状態でした、谷村さんにはお会い出来なかったですが、以前お会いしていた素敵な店長とお話し、メモリアル・ホールの方は高台に在るので被害は無かったと言う事と家族も無事とお聞きして半分、安心できました。
 







その後、気仙沼被害地へ(被害地の写真は今日で最後の掲載です)既に瓦礫は少なくなっと聞いていましたが、広大な悲惨な光景が眼中に入り込みカメラのシャッターと違う、心体に刻み込まれて行く衝動を感じとりました、その後、気仙沼を出て、海岸線を南下、南三陸町を廻り、昼食は遅めの1時30分過ぎにホテル観洋で、フカヒレ・ラーメンを注文しましたが、残念、今、無いと言う事で、ラーメンは諦めて、ネギトロ丼を御馳走になり、南三陸町の被害地をみて、石巻に、只、途中海岸線を通る道が遮断されていて、迂回しながら2週間前に石巻に一度行っています石巻に被害地を視察、確かに、以前よりは復旧作業が進んでいる様子、只、地番沈下は深刻です。