2026年2月22日日曜日

岡島レポート・2019 W杯・備忘録 315

                         球 春  ・  春ですね

                 2019 W杯・備忘録 315

                                                          〜 観戦・観賞・鑑賞 〜

 

「観る将」 2023年の流行語大賞ベストテン入り。『職業としての将棋棋士』(青野照市著 小学館新書 2025年)を読んでいたら 第12章:ファン層の変貌の中で 「女性のファンでもう一つ、驚いたことがある。一番新しいタイトル戦の叡王戦では、『見届け人』という制度で1局に1人、ファンを募集している。… この見届け人になる権利の定価が250万円というのだが、ほとんどの対局で埋まってしまう。」(p218)というくだりがあった。ビックリ仰天 というか 資本主義そのものだなぁ というか まさにビジネスとしてのグッドプラクティス!

 

先日のMidol紙上 敏腕記者:DUZANが「ラグビーは 「トライ後のパフォーマンス」を必要としているのか?」という見出しで 「自分(DUZAN)は 古い奴なのか 単なるおバカなのかもしれない。 昔は トライ後のパフォーマンスを見たことがなかった それが 今や TikTokのダンスのようなパフォーマンスをトライゲッターが 機械的に 演じている。」と嘆いていた。

おっしゃるとおり! 我が意を得たり!?

 

でもなぁ 「絵になるシーン」というか 試合後 切り取られて再生されるシーンって トライシーンか スクラム・P+一列目の咆哮が 圧倒的に多い…

昔は トライした選手は うつむいて自陣に戻っていた それを「かっこいい」と感じたものだ… ペナルティを取って 叫ぶなんて ありえなかった まして バックスが FWに駆け寄ってきて 肩をたたくなんて…

こんな嘆きを呟くなんて DUZAN同様 現実を直視できない おバカなんだろう まさに 年寄りの繰り言

 

リーグワンなどをテレビ観戦していても スタンドが大いに沸くのは トライゲッターがスタンドのサポーターに向けて わかりやすい・決まったアクションを 演じている時。サポーターからしても 一体感が醸成されて至福の時と感じているのだろう。そういう雰囲気・感情を味わうために スタジアムに足を運ぶ人が大勢いるのだろう。そういう人びとがいるからこそ 興行としてのラグビーが成立している…

 

あらためて 「ラグビーをみる」とは? と自問自答してみる。ラグビー創設前の「競戯」の時代 観客なんて 存在しなかった!? 競戯は「する」ものであって 「見る」ものではなかった!? それが 「競技」として制度化され 対抗戦が生まれ・応援する者が出てきた(どうなんだろうか… 競戯の時代も 応援者はいたのかもしれない… ただ スタジアム≒観客席が出来ることで 「見る」人が増えたのだろう)

やがて ラジオが普及し スポーツを聞く人びとが 飛躍的に増える。お次が テレビの時代。 同時刻に「見る」人びとは 爆発的に増えた。録画技術が進化し 同時刻でなく 事後に「見る」ことが可能になる。電波は世界を駆け巡る。現在は 映像が溢れかえっている。プロ化≒ビジネス化し プレーヤーファーストという呪文を唱えながら 「見る」人びとを増やしていくことが 第一になってくるのも 時の流れ・必然なんだろう。

 

広辞苑では

みる【見る・視る・観る】とあり 説明文中に「診る」「看る」も出てくる。

そして

観戦:戦闘などの模様を視察すること。また、試合などを見物すること。「野球を−する」観賞:見て楽しむこと。見て賞翫すること。「−植物」

鑑賞:芸術作品を理解し、味わうこと。「名画をーする」

 

『スポーツ観戦を科学する』(日本体育・スポーツ経営学会編 大修館書店 2024年)の中で 「スポーツ鑑賞」が提案されている。

「スポーツ観戦が勝敗に向かうパフォーマンスを重視した見方であると考えると、「スポーツ鑑賞」は勝ち負けへの重要度を下げ、目の前にスポーツがある試合時間と空間だけでなく、その前後にある日常に組み込まれたスポーツの見方です。」(p71) 「観客が負ける試合に出会うことは、「苦痛でないにしても不安な経験」と表現されるように、勝敗にこだわる見方でいる時には、極めてネガティブな経験となってしまいます。その一方で観客は、スポーツのチームの勝利を「私たち」という観点からとらえ、敗北を「彼ら」という観点から受け止め、注目していた選手やチームが負けるという結果を冷静に受け止めることができる性質も有しているのです。このような感情を乗り越えるには「負ける」価値を下げるか、「負ける」以上の価値を創造するか、または勝敗という結果ではないところにスポーツをみる価値を見出すことが必要とされ、そうした価値を受け取ることで勝っても負けても、スポーツをみるという行為が豊かな生活や観客のウェルビーイングにつながっていきます。」(p72

 

なるほど・なるほど…

 

サポーターとして チームと一体化して 熱狂を味わうのも スポーツを「見る」醍醐味の一つ。だけれども もう少し 「高みの見物」的に プレーヤー・チーム・試合・サポーターの全体を俯瞰して 観賞・鑑賞する というのも ありなのだろうな と 思っている。スポーツを「見る」のに 行儀作法を論じるのは まったく 無意味。 一方で なぜ 己が「見る」のか それは 深く考えてみる価値がありそうだ と 感じている。

令和8221

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