2025年2月24日月曜日

岡島レポート・2019 W杯・備忘録 264

        SATORUさま.                         ♪ もうすぐ 春ですねぇ~ ♪
                                       2019 W杯・備忘録 264
                                           ~ ブランコ ~
 
時代の波に乗る…
ブランコの軌跡 興味深いものがある。
 
1980年代のスーパースター:ラグビー界のペレ:ブランコ
1958年カラカス生まれ。父:ベネゼエラ人(警察官) 母:バスク人 父の死直後 2歳で 母の祖国に戻る。「大西洋岸随一のエレガントなビーチリゾート」の街・ビアリッツに根をおろす。
1980年 フランス代表初キャップ。 当時 ボルドー大学でビアリッツ出身の学部生から「ブランコ 滅茶苦茶すごいアスリートだよ。どんなスポーツでも 高校内では ダントツのNo.1だった。今は ダッソーの工場で工員として働いてるよ。」と聞いたことが記憶に残ってる。
1987年第1回W杯準決勝 優勝候補筆頭のAUS戦での輝き。世界的スーパースターに。W杯がなければ フランス「圏」・五か国対抗「圏」のスーパースターどまりだったであろう。
1991年第2W杯 ブランコのフランスも優勝候補の一角に。しかし フランスチーム内は四分五裂(まぁ よくあることだ…) 準々決勝ENG戦を前に 選手は「日当(報酬)150フランの引き上げを要求」し 準々決勝欠場も辞さずの構え(これまた フランスでは よくあることだ…)。選手は アマチュア 職場から有給休暇を取って・W杯に参加。「150フラン(為替レートにもよるが 5千円以下)」は 彼らの職場の日当よりも低い。そんな時代だった。今も語り継がれるアマチュア時代の珍奇なエピソード。一口に「おカネ」と言っても 「桁」が違い過ぎる… 試合は ブランコにターゲットを絞ったENGの快勝。
 
1992年 引退。選手としては アマチュア時代のみ(≒ラグビー長者にはなれなかった)。 199598年:BO会長 19982008年:フランスラグビーリーグ会長 200815年:BO会長 201216年:仏ラグビー協会副会長
 
ブランコと言えば BO(ベー・オー ビアリッツ・オリンピック)(BOは 1913年ビアリッツに前世紀末に創設され・存在していた複数クラブが合体して発足。)(ちなみに フランスラグビー界で「BO」はビアリッツ(オリンピック)「CO(セー・オー)」はカストル(オリンピック)。ジュニア時代から 一貫して BOのみでプレー 「移籍」という概念が存在しない時代 他のクラブでプレーしたことはない。 ブランコのBO フランス「圏」内では中堅どころのチームで 優勝には 届きそうもなかったシーズンがほとんどだった。
 
ところが…
 
『ビアリッツは最新(2006年当時)のフランスチャンピオンで、トゥールーズとスタッド・フランセに並ぶ“ビッグ3”の一つだ。』(p183)『ビアリッツはラグビーのプロ転換に見事なまでに成功してしまったが、それは、セルジュ・カンプという巨大スポンサーの力によるところが大きくて、彼は自分が所有するIT及びコンサルティングの巨大企業、カプ・ジェミニを通じてフランスラグビー界で最も金を投じた人物かもしれない。そして1980年代に光り輝いたフルバックであるセルジュ・ブランコも、このチームに貢献してきた。ブランコは、リーグ・ナショナル・ド・リュグビー(LNR)という、フランスのプロラグビークラブを管理する団体の長でありながら、ビアリッツ・オリンピックに対しては応援団長的な存在であるため、しばしば利害関係の衝突を招いて非難を浴びることになる。』(p184) これは『傭兵の告白』(原題:INSIDE FRENCH RUGBY ジョン・ダニエル著 冨田ひろみ訳 論創社 2012年)の一節。2007年に出版されたNZプレーヤーの体験記。プロ移行後のフランスリーグの実態を面白おかしく描いている。
 
巷間言われてきているのは ①1987年第1W杯頃から富豪・カンプが仏ラグビー代表チームの「タニマチ」になり ②なかでも ブランコと相性がよく ③ブランコのBOに肩入れするようになり ④プロ化後 有力選手を買ってきて ⑤三強の一角に。
ちなみに BOがフランス選手権で優勝したのは 19351939200220052006
 
プロ化直後 「おカネ」で選手を集め・チーム強化し・成功(優勝)したという意味では スタッド・フランセも同様。こちらは ダリダ(歌手)のマネージャーからラジオ局経営などで財を成した・ガジニがラポルト、ガルティエその他有力選手を搔き集め フランス選手権の覇者となった。古豪スタッド・フランセは 仏ラグビー創成期・18931908年までに 8回優勝し その後 下部リーグに低迷し続け プロ化後 おカネの力で 1998年 90年ぶりに 優勝し 200003040715年にも優勝している。
この2チーム いずれも 「パトロンの金の切れ目」によって成績が降下した。 特にビアリッツは 次のパトロンが現れず・チーム存続が危ぶまれるまでに至っている。
 
「世が世なら…」ブランコは 工員のままだったかもしれない
アパレルブランド「セルジュ・ブランコ」 フランス主要都市のみならず 世界展開し 日本にも上陸している。W杯の出現・ラグビープロ化の余波でもある。選手としては「一生」だったブランコ BO一筋でビアリッツ・バスクに根を張り巡らし 引退後 スポーツクラブ経営者・実業家として 羽ばたいてきた。時代の寵児の一人だろう。
 
令和7222

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