SATORUさま 歳のせいなのですかねぇ 寒さが 身に沁みます
2019 W杯・備忘録 263
〜 ガルティエ 〜
1987年第1回ラグビーW杯開催。4年に一度の開催で 世界は一つに!? グローバル・ラグビー「圏」が出現する。
1995年第3回W杯直後 プロ化へ。新時代に突入する。
「前」と「後」で ラグビーの「質」が異なる。「異質化」という意味では W杯開催よりも プロ化の影響が大きいのだろう。
では ラグビー界だけで 独自の進化を遂げたのだろうか? むしろ「取り巻く環境の変化」・大波を浴びて 異質化した気がしてならない。同時代 世界は 資本主義が進化し 都市化・情報化が深化し続けていた。ある意味 そういう資本主義が「ラグビー」というコンテンツの「価値」を発見し その価値を「現金化」する「錬金術」を生み出した ということか…
不可逆の時が流れ ラグビー界は 別次元に移行した。
福沢諭吉「一身二生」をもじれば 当時のトップ選手は 選手として アマチュア時代とプロ時代の「二生」を生きたことになる。
現フランスHC・ガルティエ 「二生」の典型的な選手である。2014年に出版された自伝では 生い立ち(1969年3月生)から 興味深い逸話が次々に出てくる。
冒頭の一文は「私はデラシネだ。」 今に至るまで 事あるごとに 「故郷」:ロ県モンゲスティ(Montgesty)村への思い入れを語っている。ウィキによれば 同村の人口:320人(2022年)(フランスは コミューン(市町村)合併を進めていない)。2008年以降 同村の村長はガルティエ・父。 8歳のとき 欧州共通農業政策のために祖父が営んでいた畜産が成り立たなくなり・父が離村を決意し・130km離れたトゥールーズ近郊に引っ越すことになる。新しい生活に馴染めなかったが 父がはじめたラグビースクールで仲間ができた。10歳で ジュニアチームのあるコロミエへ。以後 30年間 同チームに所属する。(当時の多くのフランスラガーが 同様に 同じチームに所属し続けた。高校・大学・社会人と年代ごとに所属チームが変わる日本との大きな違い。フランスの若者には 「部活」がない。是非・正否の問題ではなく まさに歴史的・社会的な相違が生み出した形態の違い。それは ラグビーというスポーツに起因するというより 日々の生活・社会の在り方など ラグビーを包み込んでいる大きな社会環境・基盤に起因している。各「圏」ごとの 差異も そこから生じていた。)
母方の祖父は スペインからの亡命者(第2次世界大戦中・後 南フランスには スペイン・ポルトガルから移住した人びとが多くいる。ラグビー関係者にも 結構多くいる。エレロの父も ノベスの祖父も スペインからの亡命者。そういう人びとが ジモティの仲間入りするために ラグビーをする というのも よく聞かれること。名選手も 数多く出ている。)
17歳 トップチームの試合に出場することに。試合会場に行くバスの中で ベテランから「おい 若造 いくらで手を打ったんだ」と聞かれて はじめて 「試合給」の存在に触れることに。学生だったガルティエは 「給与」ではなく 自動車・パソコンなどの現物支給。アマチュアでありながら ラグビーで ある程度の「給付」を受けることは 当時のフランスでは 常識。1999年 30歳で プロ契約している。
大学時代 木曜日は大学の試合・日曜日は所属チーム:コロミエの試合に出場。年間72試合戦った。しかし 日本のような「大学ラグビー」は存在していない。
1980年8月から1982年6月まで ボルドー大学大学院に籍を置いていた。木曜日の午後 学部対抗のラグビーの試合がある。グランドに行くと 試合に出してくれる。みんな それぞれの地元のクラブチームに所属し・木曜日のクラブチームの練習(当時は どのチームも週1回練習・日曜日試合の繰り返し)の代わりに学部対抗の試合に出・金曜日の夜地元に帰り・日曜日の試合に出て 戻ってくる。フランスは 国立大学のみ 地域制で ボルドーから200km圏内から 集まり かなりは 寄宿生活をし・週末地元に戻っていた。当時 セラが 体育学部に在籍し 何人かの代表候補がキャンパスにいた。チームメイトの学部一年生と話すと 最大の問題は どのタイミングで 「兵役」を果たすかだったことを思い出す。
大学進学は一部の若者に限られていた(当時の大学進学率は 20%程度)が 「兵役」はすべての若者が果たさなければならない一年。エリサルドが ある時 「ジョワンビルでノベスと一緒だった。と言っても 奴は 陸上で来ていたけどね」と言っていたことを思い出す。
当時のフランスの若者男性にとって 兵役をどの部隊で過ごすかは 大問題。スポーツに長けた若者は 選抜されてパリ近郊のジョワンビル兵団に集められていた。ノベスの自伝の中では 月曜日の午後 訓練があり その後は 自由時間だったらしく 金曜日の夜に 地元に帰り 週末 所属クラブの試合(彼の場合は 陸上の競技会)に出て 日曜日の夜 兵舎に戻る繰り返しだったようだ。その往復の汽車の旅 ノベスは 2等車に乗っていたが トゥールーズのラグビー選手は 1等車での往復。そのうち 仲良くなって 仲間入りし 1等車に乗るようになった と 回想している。
兵役を果たす青春時代、兵役なんてなかった青春時代
部活のある青春時代、部活のない青春時代、か…
令和7年2月15日
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