2019W杯・備忘録12
~ 勝利至上主義 ~
勝つことは素晴らしい、「善戦」なんかじゃ満足できない。
「大会は参加することに意義がある」なんて美辞麗句は聞きたくもない…
恋と戦争に反則はない。プロ化したラグビー界も勝つために手段を選ばない。
『ALL BLACKS 勝者の系譜』(ピーター・ビルズ著 西川知佐訳 東洋館出版社 2019年10月)の一節である。ビルズは、イングランドのスポーツライター。この本は「たった人口480万人の国が、いかにしてラグビー界の王者に君臨できたのか?」という自問に対する回答という内容で、NZの国の成り立ちから説き起こしていて、興味深い内容が満載されている。また、今大会前に出版されているので、(当然)NZの三連覇を前提にして書かれており、特に南アの評価が低いことは考えさせられる。
ところで、先の一節の続きは、こう書かれている。「フランスの代表チームはポリネシア系のウィングを何人も抱えている。全員がフランス国歌を流暢に歌えるはずだ。イングランドも、フィジー出身のネイサン・ヒューズをチームに迎えている。イングランドでの3年の居住期間という代表要件を満たすために、ヒューズは2015年のW杯時の母国代表の誘いを蹴ったほどだ。」
今大会の各チームの外国生まれの選手の数は次の通りである。
①トンガ 19人 ②サモア 18人 ③日本 16人 ④スコットランド 15人
⑤USA 13人 ⑥豪州 12人 ⑦ウェールズ・イタリア 8人
⑨アイルランド 7人 ⑩イングランド 6人 ⑪仏・カナダ 5人
⑬NZ・フィジー 4人 ⑮ロシア 2人 ⑯南ア・ジョージア 1人
⑱アルゼンティン・ナミビア・ウルグアイ 0人
この数字をどう解釈するか、すべきか、考えてみる価値はある。その際の拠り所として、いくつかの視点がありうる。代表強化の視点、ラグビーの価値からの視点、世界普及の視点、そして、その国におけるラグビーの位置づけ。
おそらく、今後、多くの協会で、この数値が上がることはあっても下がることはないのではないだろうか。一方で、上限値は「31」。割合で見れば、50%が一つの目安で、15人を超えているトンガ、サモア、日本は、このあたりが安定的な数値になるのか?
そんなことを思いながら、今週出版された『トンプソンルーク』(ベースボールマガジン社)を読んでいたら、『(第7回大会から)日本に帰国後、ショックなことがあった。日本ラグビー協会がメディアに「日本が2011年W杯で、1分け3敗という結果になったのは外国人選手が多すぎるから」という見解を述べていたのだ。』という一節に出会う。そんな時代もあったなぁ、「善戦」という言葉が飛び交っていた時代だった。つい2大会前の出来事、まだ10年も経っていない…
大会が巨大になればなるほど勝利至上主義は形を変えて蔓延してゆく。これはこれで世の習いなのかもしれない。アマ時代のフランスラグビーも勝利至上主義に満ち溢れていた。エレロの辞典、230項目の一つに「Fourchette」がある。手元の仏和辞典で見ると「①フォーク」以下16の訳が出ているがラグビー用語の訳語はない。要するにプロレスの反則技サミング(Thumbing)・目潰し。1980年代、フランスで試合を見ていると、モールの傍で目を押えている選手がしばしばいた。レフリーに見つけられなければOK。日本で見たことなかったもう一つが「噛みつき」。まさにラックの中で相手の耳を「噛む」。どんな手段を使ってでも相手を痛める・威嚇する。こういう手段はプロ化することによって消えてきた。もちろん、罰則の厳格化とTMOの進歩によるところも大きい。
かつては「順位」なんて誰も気にしなかった6か国対抗が始まった。今や、4年後のW杯の前哨戦・練習試合になってきている。
この4年間一度も勝てず22連敗中のイタリアはウェールズに42-0で敗れた。ミディ・オリンピックでは、イタリアが6か国対抗に参戦する意味が薄れていて、ヨーロッパ2部リーグの勝者との入替戦をすべきではないか、その場合はジョージアが昇格する可能性がある、とする一方で、経済的な面からは、日本を入れることも考えられる、と報道している。
同じ日にU20と女子の試合も行われており、イタリアはウェールズにU20は17-7で、女子は19-15で勝っている。イタリア、捨てたものじゃない…
フランスは、イングランドに代表は快勝したけれどU20・女子は敗れている。記事を見て驚いたのは、U20は土曜日・21時・グルノーブルに13,182人、女子は日曜日・13時半・ポーに14,230人の観客を集めていることである。
各協会は、勝利を求めて、選手だけでなく外国人指導者を買いあさるようになってきた。フランスの勝因の一つがウェールズ・ガットランド体制を支えたディフェンス・コーチ・エドワーズの加入が大きい、とされている。敗れたイングランド、エディー・ジョーンズHCは変わらないもののスクラム・コーチに南ア代表のコーチがやってきている。各代表の戦術は限りなく近づいてきている。そうでありながら、各国の違いは未だ残っている。
人口460万人の国で「国技」となっているラグビー。それには建国以来の歴史の積み重ねがある。
エレロ「勝利」の項に次の一節がある。
… 勝者が最高の人なのだろうか。優勝が一番素晴らしいのではない。最も素晴らしいこと、それは限界まで出し切ることである。ラグビーの試合での激突・礼儀・友情は、人を成長させ、他者へのリスペクトやチームワークを学ぶ貴重な場である。だから、単純に敵を叩き潰さなければならない!このスポーツの創始者たちは、友情と大切な平等の名の下に、長い間「順位付け」を拒んできた。大切なことは、ぶつかり合い、きちんとプレーすることであって、勝つことではない。 …
北島・明治ラグビーの清々しさに通ずると感ずるのは、単なるノスタルジーなのだろうか。
多様性が尊ばれる時代、ラグビーの価値も多様化してきたのかもしれない。そうであるならば、勝利至上主義ではないラグビーもどこかに生息していてほしい。
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