2013年10月23日水曜日

飯島耕一先生が、亡くなられたと、新聞に掲載されていました。

戦後を代表する詩人の一人で、明治大や国学院大の教授を務めた飯島耕一さんが今月14日、吸収不良症候群のため東京都内の病院で死去した。83歳だった。岡山市生まれ。東大文学部仏文科卒。1953年に第1詩集「他人の空」を刊行。56年、詩人の大岡信さんらとシュルレアリスム研究会を立ち上げた。大岡さんのほか、清岡卓行、吉岡実らの詩人とともに59年に詩誌「鰐(わに)」を創刊した。詩集「ゴヤのファースト・ネームは」で高見順賞、「北原白秋ノート」などの業績で歴程賞。萩原朔太郎や西脇順三郎などの詩人論も著した。小説にも力をいれ、超現実主義長編の「暗殺百美人」でドゥマゴ文学賞を受けた。2004年刊行の詩集「アメリカ」は、世界同時多発テロと、終戦時の自らの記憶を重ねてつづり、読売文学賞と詩歌文学館賞を受賞した。08年に日本芸術院会員。
と新聞に記されていて、私は1977年、明治大学教授で美術評論家連盟初代会長の岡本謙次郎先生宅で飯島先生を紹介させて頂いた事が在り、その後、1981、2年頃だったでしょうか、飯島先生がパリに旅した時に、確か、画家の菅井 汲先生のアトリエで囲碁を打ってから、当時、モンパルナス駅ビルの一角にある我が家に立ち寄って囲碁を打たせて頂いた事が在りました、(私がパリで、囲碁やトランプやホワイブダイスを覚えたのは岡本先生のおかげ )、飯島先生は菅井先生の所で気分良く打って来た様子で、詩や文学の話はなさらず、岡本先生は坂田名人と打った事が在って、と言いながら、ひたすら囲碁を楽しんでいました。そんな思い出のある 飯島先生のご冥福をお祈り申し上げます。

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