2025年5月24日土曜日

5月10日、宮城県美ネット共同代表のお話を聞きに伺いました。

<宮城県美術館、都市景観の未来、そして前川國男の遺産>と言うタイトルで時間は 14時から17時30分迄、会場は後期高齢者には不便な狭くて急な階段、学生には問題無さそうですがハンデキャップの在る学生には適さない会場。トイレも判りにくい不思議な東北大学川内キャンバス・マルチメデイア教育講義棟2階でした。開会挨拶は野家啓一先生(東北大学名誉教授、哲学、宮城県美ナット共同代表)、第一部、<人々の記憶をつなぐ宮城県美術館>のタイトルで西大立目祥子さん(宮城県美ナット共同代表)。<前川國男先生のプロセス・・・裏ばなし>のタイトルで大宇根弘司先生のお話しを楽しく聞く事が出来ました。休憩が入り、その時、西大立目さん、大宇根先生、高橋直子さん、虫明先生夫妻、三上さん(元・宮城県美術館副館長)、大沼先生にご挨拶出来ました。後半の松隅洋先生の講演は、ル・コルビュジエ( Le Corbusier )と前川國男の関わり、その歴史から始まりましたが。その中で、コルビュジェがクセナキスト( Xenakis )と一緒にベルギー・ブリュッセル万国博覧会(Expo ’58)に参加して居ると聞いて、さすがと嬉しくなりました。私は建築史は良く知りませんが、建築は好きなので。古い話ですが、ブルノ・タウト( Bruno Taut )やヴァルター・グロピウス( Walter Gropius )、ル・コルビュジェ( Le Corbusier )が京都に足を運び、タウトは日本で初めて、仙台に国立工芸指導所を作った人物でも在り、桂離宮を世界に紹介した建築家でも在ります。さてコルビュジェの作品は私のパリでの散歩道、モンスリー公園の近く、パリ国際大学都市のスイス学生館やブラジル学生館が在り、また、我が家から国際大学都市の中間、徒歩12,3分の所にやはり、コルビュジエ設計の個人のアトリエが在ります。ロンシャンの礼拝堂を、車で訪ねた事も、さて、話はそれましたが、コルビュジェは「フィリップス館」のパビリオン総合プロデユーサーを務めましたが、その建物の設計者がコルビュジエの助手を13年近く務め、数多くのプロジェクトの設計を手伝っていた、クセナキス ( Iannis Xenakis )でした。後の世界的な現代音楽家のヤニス・クセナキスです。彼はギリシャのアテネ工科大学で建築と数学を学んでいて、双曲放物面を組み合わせた、非常に美しいパビリオンを設計した訳です。私は丁度、1969年の秋、パリ国際現代音楽祭でクセナキスの曲を聴き、彼の先生でも在るパリ音楽院のオリヴィエ・メシアンなど、当時は現代音楽祭の彼らのコンサートを連日連夜、追っかけ、聴きに行った事が在りました。武満徹の曲、ノヴェンバー・ステップスは、上野のコンサートホールで聴いた後、パリ現代音楽祭でも聴く事が出来ました。その10年後、1979年頃かな、クリューニュー美術館の壁面を利用したレザー光線を使った魅せる光とレザーによる音は正に、現代音楽😵‍💫、今でも忘れる事が出来ない、衝撃なコンサートを、当時、日本美術評論家連盟会長の岡本謙次郎先生と聴きに行った事がありました。又、クセナキスの弟さんが画家仲間でも在りました。そうそう20年前、仙台メデイアテークでコルビュジェと仕事を一緒にして居た Jean Prouvé の大きな展覧会が在り、オープニングに出席した事が在り、仙台には建築・家具・アートのヨーロッパの流れを汲む歴史もあるのです✌️と独り言💦言い過ぎかな😱松隅洋先生とは昔、東日本大震災の報告と言うか、特に建築に関した、日本の大学の先生方の発表会がパリ国立美術学校・建築科で開催され、その時、お会いした事が在りました。当時、京都工芸繊維大学の教授。私はたまたま、里見宗次先生の紹介で、1990年から2000年頃まで、京都工芸繊維大学の竹内次男先生と交流して、上洛する度に、桂離宮や京都工芸繊維大学の建築科の先生方やゼミの学生さん達と、毎年、お会いして居た頃を、今は昔、思い出す事が出来ました。😊

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