2025年5月31日土曜日
5月31日、1ヶ月ぶりの東京は、仙台同様、雨が降って居ました。
岡島レポート・2019 W杯・備忘録 278
5月最終日、 今年は「五月晴れ」を味わったのだろうか それとも これから味わうのだろうか…
2019 W杯・備忘録 278
〜 2025六か国対抗 11 〜
エレロ『ラグビー愛好辞典』「スクラム」の項は こう始まる。
『大昔の闘争の遺跡、スクラムはスポーツ界における唯一無二の存在・ラグビーをラグビーたらしめる象徴的行為だ。19世紀イングランドの学校における揺籃期から、些細なミスを途轍もない集団的格闘で罰し、対面同士の激突がこのスポーツの存在意義となった。スクラムは1860年代に出現し、それから大変革が行われ、リスタートのセットプレーとして位置づけられ、野生がぶつかり・パワーとエゴを競い・友愛の大聖堂となった。』(p286)
2025六か国対抗のScrums Wonを見てみる。
(表-1 Scrums Won:2025)
| FRA | ENG | IRE | SCO | ITA | WAL | 1試合当 |
FRA | * | 5 | 3 | 2 | 5 | 5 | 4 |
ENG | 9 | * | 3 | 5 | 6 | 6 | 5.8 |
IRE | 4 | 5 | * | 8 | 3 | 4 | 4.8 |
SCO | 5 | 2 | 5 | * | 5 | 2 | 3.8 |
ITA | 4 | 4 | 8 | 5 | * | 7 | 5.6 |
WAL | 9 | 4 | 3 | 5 | 1 | * | 4.4 |
1試合当 | 6.2 | 4 | 4.4 | 5 | 4 | 4.8 | 4.7 |
Scrums Won数が多いチームが勝利したのが 9試合。このうち ITA(7)/WAL(1)という試合もあるが 他の試合は差が「3」以下である。同数が1試合。少ないチームが勝利したのが5試合。このうち FRA(5)/WAL(9)、IRE(3)/ITA(8)という試合がある。
単純に考えると ディフェンスで圧をかけ・相手のミス(ノックオン・スローフォワードなど)を誘い・マイボールスクラムが多いチームが 勝利に近づく…
ちなみに Scrums Lostについては
両チーム「0」の試合が 8試合(SCO/ITA、IRE/ENG、ITA/FRA、IRE/FRA、SCO/WAL、ENG/ITA、ITA/IRE、FRA/SCO)
「2」を記録したのは、ITA(2)/WAL(0)、WAL(1)/IRE(2)の2試合
それにしても スクラム…
手元の競技規則を眺めていたら、あれっ こんな変更があったのか と
(表-2 競技規則「スクラム」条項の冒頭)
平成14年度版 | 現行 |
定義 スクラムの目的は、軽度の反則あるいは競技の停止があった後、 早く、安全に、公平に試合を再開することである。 | 原則 スクラムの目的は、軽度の反則や競技の中断があった後、 ボール獲得のための争奪でプレーを再開することである。 |
2003年(平成15年)に出版されたエレロ『ラグビー愛好辞典』 「スクラム」の項の中ほどには 『スクラムに血道を上げる代表チームとして ウェールズ・南ア・フランスをあげ スクラムを単なるリスタートだと見なしているのが オーストラリア イングランドもその傾向がある』(p287)としている。今や どの代表チームもスクラムに力を入れている。
スクラムは いろいろな場で熱く語られているし それに値する奥の深いものがある。それはそれとして スクラムの原因については そこまで熱く語られていない気がする。
スクラム数という点で これまでも何回か触れてきたが 2023W杯:準々決勝:NZ/IRE戦 IREのスクラム機会「0」・NZのスクラム機会「5」が どうしても頭をよぎってしまう。そして スクラムのない試合が 理想の試合にも思えてくる が なんとなく 「クリープのないコーヒーなんて…」というフレーズも浮かんでくる。
スクラムが熱く語られるようになってきた原因の一つに スクラムでPが生じた後の フロント(普段は 顔が見えない)の絶叫が 「絵になる」ことが影響している気がしてならない。
現役時代フッカーだったエレロ スクラムについて(も) 熱く書き込んでいる。末尾に こんなことを書いている。
『スクラムに関するミステリーは ちょっと不健全な好奇心を掻き立てる。メディアが進出し・映像化が進化してくると ラグビー界も 俗っぽい視点で カメラを 舞台裏に 入り込ませるようになってきた。テレビは 目に見えないところで起こっていることを 映像化してきている。やがて フッカーのヘッドキャップか フロントの首筋に 小型カメラを設置して 陰で起きていることを映像化する日が来るかもしれない。』(p290)
スクラム これから どのように進化してゆくのだろうか。次回のW杯では どんなスクラムシーンが見られるのだろうか。
令和7年5月31日
2025年5月30日金曜日
5月28日、Satoru Sato Art Museum で 熊谷康信 登米市・市長とお会いできました。
仙台・広瀬通一番町発・登米市役所行き7時15分の高速バスに乗って、8時47分に登米市役所前に到着。粕谷さんが迎えに来てくださり。中田生涯学習センターには9時15分に到着、高橋所長、佐藤さん、阿部さんにご挨拶、阿部さんの出す美味しいコヒーを頂いて、9時半から 2階の実習室(創作室)で、作品の修復作業開始。11時頃、新任の Satoru Sato Art Museum 友の会の菅原良男会長が、前・登米市、熊谷盛広市長の代理で友の会に入会手続きをしに来ましたと、顔を出して下さり、久しぶりにお喋り出来ました。(熊谷盛広前市長には特に3年計画で 南方花菖蒲の郷公園の現代彫刻劣化、特に鉄等金属の腐食が目立ち、特別予算を組んで頂き、一部、修復させて頂き、感謝しています)。12時に、佐々木さんと粕谷さんと3人でランチした後は買い物を済ませ、センターに戻り、先ず、白湯を頂き、ヨイショと、2階の実習室で修復作業再会、Asdrubal Colmenarez の作品3点とMax-Hermann Mahlmann の作品1点、慎重に作業を進めて居ると、15時30分頃、熊谷康信 新市長がSatoru Sato Art Museum友の会入会の手続きに来て頂き、丁度、私が修復作業して居ると言う事で顔を出して頂きました。昨年、6月18日、私の公開制作の時に顔を出して下さった時、アートに興味を持って、アートの持つ力、感性、想像力、生命力は体に(健康に)生きる力を、又、教育に極めて重要な影響を与える話をされた登米市市会議員さんでしたが。今回、4月の選挙で新市長に成られて居ました。偶然にも、同じ日に、新旧・市長が Satoru Sato Art Museum 友の会に入会して頂き感謝です。16時過ぎに、皆川・石森ふるさと記念館・副館長に登米市庁舎まで送って頂き、無事、高速バスで仙台に戻れた楽しい一日でした。今も、右膝、右足魚の目、ギックリ腰に注意しながらゆっくり移動して居ます。
2025年5月29日木曜日
2025年5月26日月曜日
5月13日は、Satoru Sato Art Museumに行ってきました。
2025年5月25日日曜日
2025年5月24日土曜日
5月10日、宮城県美ネット共同代表のお話を聞きに伺いました。
<宮城県美術館、都市景観の未来、そして前川國男の遺産>と言うタイトルで時間は 14時から17時30分迄、会場は後期高齢者には不便な狭くて急な階段、学生には問題無さそうですがハンデキャップの在る学生には適さない会場。トイレも判りにくい不思議な東北大学川内キャンバス・マルチメデイア教育講義棟2階でした。開会挨拶は野家啓一先生(東北大学名誉教授、哲学、宮城県美ナット共同代表)、第一部、<人々の記憶をつなぐ宮城県美術館>のタイトルで西大立目祥子さん(宮城県美ナット共同代表)。<前川國男先生のプロセス・・・裏ばなし>のタイトルで大宇根弘司先生のお話しを楽しく聞く事が出来ました。休憩が入り、その時、西大立目さん、大宇根先生、高橋直子さん、虫明先生夫妻、三上さん(元・宮城県美術館副館長)、大沼先生にご挨拶出来ました。後半の松隅洋先生の講演は、ル・コルビュジエ( Le Corbusier )と前川國男の関わり、その歴史から始まりましたが。その中で、コルビュジェがクセナキスト( Xenakis )と一緒にベルギー・ブリュッセル万国博覧会(Expo ’58)に参加して居ると聞いて、さすがと嬉しくなりました。私は建築史は良く知りませんが、建築は好きなので。古い話ですが、ブルノ・タウト( Bruno Taut )やヴァルター・グロピウス( Walter Gropius )、ル・コルビュジェ( Le Corbusier )が京都に足を運び、タウトは日本で初めて、仙台に国立工芸指導所を作った人物でも在り、桂離宮を世界に紹介した建築家でも在ります。さてコルビュジェの作品は私のパリでの散歩道、モンスリー公園の近く、パリ国際大学都市のスイス学生館やブラジル学生館が在り、また、我が家から国際大学都市の中間、徒歩12,3分の所にやはり、コルビュジエ設計の個人のアトリエが在ります。ロンシャンの礼拝堂を、車で訪ねた事も、さて、話はそれましたが、コルビュジェは「フィリップス館」のパビリオン総合プロデユーサーを務めましたが、その建物の設計者がコルビュジエの助手を13年近く務め、数多くのプロジェクトの設計を手伝っていた、クセナキス ( Iannis Xenakis )でした。後の世界的な現代音楽家のヤニス・クセナキスです。彼はギリシャのアテネ工科大学で建築と数学を学んでいて、双曲放物面を組み合わせた、非常に美しいパビリオンを設計した訳です。私は丁度、1969年の秋、パリ国際現代音楽祭でクセナキスの曲を聴き、彼の先生でも在るパリ音楽院のオリヴィエ・メシアンなど、当時は現代音楽祭の彼らのコンサートを連日連夜、追っかけ、聴きに行った事が在りました。武満徹の曲、ノヴェンバー・ステップスは、上野のコンサートホールで聴いた後、パリ現代音楽祭でも聴く事が出来ました。その10年後、1979年頃かな、クリューニュー美術館の壁面を利用したレザー光線を使った魅せる光とレザーによる音は正に、現代音楽😵💫、今でも忘れる事が出来ない、衝撃なコンサートを、当時、日本美術評論家連盟会長の岡本謙次郎先生と聴きに行った事がありました。又、クセナキスの弟さんが画家仲間でも在りました。そうそう20年前、仙台メデイアテークでコルビュジェと仕事を一緒にして居た Jean Prouvé の大きな展覧会が在り、オープニングに出席した事が在り、仙台には建築・家具・アートのヨーロッパの流れを汲む歴史もあるのです✌️と独り言💦言い過ぎかな😱。松隅洋先生とは昔、東日本大震災の報告と言うか、特に建築に関した、日本の大学の先生方の発表会がパリ国立美術学校・建築科で開催され、その時、お会いした事が在りました。当時、京都工芸繊維大学の教授。私はたまたま、里見宗次先生の紹介で、1990年から2000年頃まで、京都工芸繊維大学の竹内次男先生と交流して、上洛する度に、桂離宮や京都工芸繊維大学の建築科の先生方やゼミの学生さん達と、毎年、お会いして居た頃を、今は昔、思い出す事が出来ました。😊
岡島レポート・ 2019 W杯・備忘録 277
広辞苑によれば 運動会は 秋の季語 最近 この時期に運動会をすることが増えてきているような 季語の季節間移動 なんていうのも あるのですかね・・・・・
2019 W杯・備忘録 277
~ 2025 六か国対抗 10 ~
先週末のリーグワン・プレーオフの試合 ヤマハが相手陣22m内での展開中・ゴールポスト正面付近で モールを組もうとした。かつてRSAが試みたのを見た記憶があるが いずれも「未遂」に終わっている。モールを意図的に組む! 難しい課題だ。
エレロ著『ラグビー愛好辞典』「モール」の項は 次のような書き出しで始まる。
『スクラムが ラグビーの母ならば モールは 父だ! ラグビー校で生まれた新たなスポーツ エナジーに溢れ・協調精神に満ちた生徒200人が組んだスクラムこそ まさにモールだった。なんという加入儀礼。モールは 我々のアブラハム、始原だ。』(p280)
六か国対抗・チームスタッツ Break Down中の Mauls Wonについて取り上げてみる。
(表-1 Mauls Won:2025)
| FRA | ENG | IRE | SCO | ITA | WAL | 1試合当 |
FRA | * | 4 | 8 | 9 | 7 | 9 | 7.4 |
ENG | 3 | * | 3 | 4 | 7 | 4 | 4.2 |
IRE | 4 | 3 | * | 1 | 4 | 2 | 2.8 |
SCO | 5 | 4 | 3 | * | 5 | 6 | 4.6 |
ITA | 3 | 1 | 2 | 3 | * | 6 | 3 |
WAL | 2 | 4 | 5 | 3 | 6 | * | 4 |
1試合当 | 3.4 | 3.2 | 4.2 | 4 | 5.8 | 5.4 | 4.3 |
全15試合中 モールの回数が多いチームが勝利した試合が 9試合。同数の試合が 3試合。少ないチームが勝利したのが 3試合。
FRAが 全5試合 相手チームよりも 多い。一方で IREは 意外と(?) 少ない。
では IREがグランドスラムを達成した 2023は どうだったのか?
(表-2 Mauls Won:2023)
| FRA | ENG | IRE | SCO | ITA | WAL | 1試合当 |
FRA | * | 2 | 4 | 3 | 6 | 2 | 3.4 |
ENG | 2 | * | 5 | 5 | 9 | 0 | 4.2 |
IRE | 7 | 7 | * | 8 | 9 | 11 | 8.4 |
SCO | 10 | 1 | 4 | * | 3 | 11 | 5.8 |
ITA | 5 | 1 | 3 | 6 | * | 7 | 4.4 |
WAL | 4 | 1 | 3 | 7 | 6 | * | 4.2 |
1試合当 | 5.6 | 2.4 | 3.8 | 5.8 | 6.6 | 6.2 | 5.1 |
モールの回数が多いチームが勝利した試合が 8試合。同数の試合が 1試合。少ないチームが勝利したのが 6試合。
IREは 全5試合 相手よりもモール数が多く・全勝した。
興味深い数値だ。
IREが 「ボールを保持し・前進し・ラックを連取しながら・相手チームのPを誘い・PKを相手トライライン手前に蹴りだし・そのマイボールラインアウトからモールを組み トライを取る」シーンを何度も見てきた気がする。そして WRランキングNo.1に登り詰めた が W杯では ベスト8で 敗退した。何かが欠けている その何かを コーチ陣がどこに求めているのか 2025年は W杯の中間年 各チーム 「普請中」のこの時期 モール数の変化は 一つの指標になりそうだ。
「今は昔」五か国対抗時 チビ揃いのFRA ラインアウトは からっきし ダメだった。大男のアングロサクソンに いつも痛い目にあってきた。それが リフティングが導入されて 少し 風向きが変わった。そして ガイジンの移入。FRAの2列目も RSA出身者が のさばるようになってきた。2019W杯のルルー 2023W杯のウィレムセなど。2025年には サモア系の巨漢:メアフー(彼は 出生・血縁関係から サモア・NZ・オーストラリア代表には 瞬時になれたのだが 5年在住条件を満たして FRA代表を選んでいる)が 5番を背負うようになっている。ラインアウト・モールに関していえば こうしたことが 大きく作用して FRAは ラインアウト・モールを 苦手から得意手に変えている。
このところ モールを目にするのは ラインアウト直後だけの感がある。が かつては そうでもなかった(というか リフティング導入以前 ラインアウト直後のモールって あまりなかった)ような気もする。
エレロ「モール」の項は こう続く。
『競技規則によれば ボールキャリアーが相手に捕まえられ・味方選手が助勢のために密着した時点で モールがはじまる。モールを構成するためには 3人の選手が必要である が 上限の人数はない。15人対15人のモールも想像しうる。
モールの目的は明確だ:相手を凌駕するため 密着し 前進する。固まって、前へ!
((中略)モールに対する 否定的な評価もある)
だが ラグビー界は モールに 限りない敬意を払う。モールは ラグビーの原点であり 疑いが生じた時に立ち返るべき本源だ。… スピード感に欠け・垢抜けしないが 愛すべき未完のセットプレー それが モールだ』(p282)
戦術・戦略が 均一化しつつある 現代ラグビー。違いを何に求めるのか 各チームが 模索しているのだろう。次回のW杯 どんなモールが見られるのか 楽しみにしていたい。
令和7年5月24日