9月1日~10月12日 フランスに行ってきます。
フランス滞在中は いつもと違うメールアドレスを使用する予定です。
2019 W杯・備忘録 193
~ C’est écrit ~
ラグビーにケガは「付き物」である。場合によっては「憑き物」に感じられる。よりによって、W杯直前のこの時期に大ケガをするなんて…
それにしても、こんなことで大ケガするんだとも感じてしまう。
ケガに至るまでの長きにわたる「酷使」が、一瞬のアクシデントで大ケガに変質する。
取るに足らない・つまらない・ありふれた・些細な・よく見受けられるちょっとしたプレーが大ケガ⇒長期出場不可になるなんて。
レッドによる出場停止は「自業自得」、なんとなく腑に落ちる。でも、ケガによる欠場は気の毒だ。
8月5日:ARG 13-24 RSA (RSA・13・アム:負傷退場)
27分:RSAが攻め込むも稚拙にインゴールに雪崩れ込んでヘルド ⇒ ARGのゴールラインドロップアウトで再開 → RSAキャッチして3フェーズ目・9→13突進してドミネートタックルにあい・無理して体を捩り・足を痛める。
このワンプレーで2022WR最優秀選手候補になったアム(一時期、神戸製鋼でもプレー)、代表メンバーに入れず。最近の報道では、アムとポラードは大会中に合流できる、とか。RSA代表33人のうち4人がスクラムハーフの訳が分かった気がする。
8月12日:ENG 19-17 WAL (ENG・9・ポートフリート:負傷退場)
30分:WAL22m少し外のWALスクラム ⇒ ENGアーリーでWAL・FK・ロングキック → ENG・ロングキック → WAL・2フェーズ後ハイパント → ENG・14タップしてENG・13の胸に・ラン → 13をサポートしていた9は、背後から戻ってくるWAL・14に少し押され・13の足と交錯 → 9・足の負傷で退場 ⇒ W杯欠場
8月12日:FRA 30-27 SCO (FRA・1・バイユ 10・ヌタマック:負傷退場)
45分:SCOキックオフ ⇒ FRA・9・ボックスキック → SCO・15・キャッチするもボールが萎んでいる!!! ⇒ SCOスクラムで再開 → SCO展開して14・ノックオン ⇒ FRAスクラム 終了後バイユ蹲ったまま → SCOノックオン ⇒ FRAスクラム → FRA展開後キックしたボールを14がインゴールで抑える = オンフィールドデシジョン・トライ ⇒ TMO:直前のFRA・10のノックオンが発覚 ⇒ SCO5mスクラム FRAアーリー = SCO・FK・タッチキック ⇒ FRAクイックスロー → ロングキックを蹴ったら・デッドボールライン越え ⇒ SCOスクラム → SCO展開して・ゴロキックをFRAゴール前タッチへ ⇒ FRAラインアウト → タッチキック ⇒ SCOラインアウト FRAギャップを取らず・SCO・FK ⇒ SCOラインアウトを選択・2フェーズ目SCO・9→10が突進し・FRA10が胸で受け止め転がり立ち上がれず
嗚呼、それにしても、キックしたボールが萎むなんて… テレビ解説者も「見たことない」怪奇事象が、よりによって、こんな時に起こるなんて。この一事がなければ、事後の展開は違ったものになっていた≒二人のケガもなかった!? どうなのだろう。疲労が蓄積していて、この試合でなくても近未来にはケガしていたのだろうか。二人とも6月17日フランスTOP14の決勝戦で勝利したトゥルーズの所属。当然、あの試合にも出場していた。ヌタマックは「万事休」したはずの79分に大逆転のロングラン・トライを決めている。一年、プレーし続けた「付けが回って来た」のだろうか。
試合後、ガルティエは「ヌタマックは膝を伸ばし過ぎた(だけ。おそらく大丈夫だろう)」と楽観視していたものの、後日の検査で前十字靱帯断絶。バイユは4~6週間の欠場。
ヌタマックの大ケガが発覚したあと、ガルティエHCは記者団に次のように話している。
「これが、ジャリベール(ヌタマックのライバル、このところ後塵を拝してきた)とハストイ(期待の新星)の運命だ。C’est écrit。彼らが弾ける時がやってきた。…」
ガルティエの言葉には重みがある。なんと言っても、選手としてW杯4大会連続で出場している。その経緯は「事実は小説よりも奇なり」、波乱万丈である。① 1991年大会(当時の代表メンバーは26人):若手の成長株ではあったが、選ばれないと思われていた。が、協会内の政治的駆け引きの結果、当時No.1スクラムハーフ・ベルビジエが外され・メンバー入り ② 1995年大会(代表26人):当落線上から落ち・W杯開催地RSAのクラブでプレーしている時にFRA代表チームのスクラムハーフにケガ人が出て・大会途中で急遽召集される・準決勝RSA先発出場・三位決定戦でENGを破る ③ 1999大会(代表30人):コーチ団と折り合いが悪く・選外・開幕戦は「自宅のソファでテレビ観戦」・FRAの調子が上がらず、大会途中で、急遽召集される・以後、実権を握り・準決勝でNZを破り・決勝にコマを進める ④ 2003大会:キャプテンとして参加・準決勝でENGに敗退・翌日、帰国・三位決定戦には出場せず。
こういう「輝かしい」実績・実体験があるだけに説得力を持つ。
“ C’est écrit ”、オックスフォード仏英辞典では “ It’s written “ とある。仏和大辞典では「これが定めだ、こうなると決まっていたのだ。」とある。「GODが書く文明」ではこう感じ取るのだろう。「縁起」を信ずる人びとなら、どう感じ取るのだろうか。
令和5年8月26日
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