今日もたくさんの方々とお会い出来ました。巴里大VIIIの卒業生でいろんな展覧会やイヴェントを企画している南仏在住の Geraldine が家族と訪ねて来てくれました。Aki の会社の同僚やAki が通ったサン・イザベル小・中学校の同級生も。アーテイストの松谷武判・ケイトご夫妻とも久しぶりに、Galarie Akié ArichiのAkiéさん、Galerie Olivier Nouvellet のOlivierも、今日は午後 2時から19時30分迄、展示会場で楽しみました。友達の Claude も再度来てくれて19時30分からの作品梱包を手伝ってくれましたと言っても、作品梱包はACMのスタッフと一緒に、無事終えて。火曜日、11時30分に我が家に作品を届けて下さいます。感謝です。40年前に住んで居た 8 rue Commendant rené mouchotte 75014 Paris A棟9階のアトリエ付きアパート、思い出は尽きないです。
Art satoru 佐藤 達 の 独り言
2025年2月10日月曜日
2025年2月9日日曜日
昨日は13時に、会場に行きました。
12時過ぎに、志津ちゃん、渡部さんから連絡が入り、展覧会を見て来ましたと連絡が在り、失礼致しました🙏🙇🏼♂️13 時にFlorence Wagner (Galerie Wagner)と会場で待ち合わせでお喋り出来、いろんな方々とお会い出来ました。Aki & Tony famille や我が家の隣人、Atelier-5のアーテイスト、 Jean Michel ・Laurence夫妻も来て、楽しい会話。私は18時過ぎには 会場を後にして、19時30分迄の時間はACM会長の Didier 夫妻にお任せ致しました。こちらの建物(住宅)には約 2000名が住んで居る総合住宅(HLM)、Didier 夫妻を知っている方々ばかりです✌️
2025年2月8日土曜日
昨日の Vernissage は、楽しかったです。
岡島レポート・ 2019 W杯・備忘録 262
SATORUさま お天気にしろ トランプさんのいる世界にしろ よくなってほしいものだ と 願っちゃいますね
2019 W杯・備忘録 262
〜 ベーグル 〜
ベーグル:「リング状にした生地をゆでてから焼いた固めのパン」(広辞苑)のことではなく ボルドー(というコミューンに隣接するコミューン)ベーグルという地域にあったラグビークラブの思い出話。コミューン(commune):手元の仏和大辞典では「㈰市町村(フランスなどの地方行政単位);(法人格としての地方自治体)」とある。フランスでは 市町村の区分はなく 県を構成する地方行政単位はすべてコミューンで同等。
1980年夏 ボルドーに隣接するコミューンに住み着き 2年間 何度も ベーグルの試合を見に行った。当時 ボルドー周辺で唯一の一部リーグ所属チーム(毎年のように構成クラブ数が変わったが 最大時は 80チームで一部リーグを構成)。1969年 フランス選手権で初優勝。しかし その後は低迷を続けていた。そんな時期のせいもあるのか 記憶に残っているのは 閑散としたスタンド。ほんと お客さんが少なかった。
当時の一部リーグのどの試合でも 後半のどこかで 必ずスクラムを組んだ瞬間に「乱闘」が…スタンドは大興奮! みんな絶叫してる! もちろん レフリーは「そっぽを向いて」事態が治まるまで 介入しない。(以前 パリで歩道を歩いていたら 自動車間の接触事故があった。歩道を歩いていた警察官は 音を聞いた瞬間 見もせず・そそくさと立ち去って行った。そんなお国柄)。やがて 何事もなかったかのように 試合が再開される…
ノベス(元フランス代表・トゥールーズHC・フランス代表HC)の自伝には『当時のラグビーにおいて 過激なプレーはその構成要素だった;多数のプレーヤーや観客にとって 「乱闘」のない試合は ほんとの試合ではなかった。』(p36)とある。
同時代のことを エレロは 『目を閉じて試合の音を聞いているだけで どのチーム同士が戦っているか わかったものだった。』と回想している。
当時(と言っても ある程度の幅があるが 大きな分岐点は W杯が開始された1987年であり それ以前) フランス「圏」のラグビーは 「多様性」の極致まで達していたと感ずる。個人的には その要因として 次のようなものがあげられる。 ㈰風土の違った幅広い地域に数多くのクラブが成立し・ある程度地域(これが ラグビー濃厚地帯のバスクなどに行くと 強豪チームが隣接している)内での序列が出来上がり(その地域内の有望選手は 当該チーム所属になる。当時 シニアの選手の移籍は 原則禁止) チーム間の戦力の均衡があったこと ㈪イングランド的“偽善”を毛嫌いし・勝利至上主義に走ったこと(フェアプレー精神ということを 聞いた覚えがない。「正々堂々と戦います」をフランス人に理解してもらうことは無理だと感じている。だからといって 無原則なのかと言えば そうではなく 彼らなりの「掟」は ちゃんと存在している。興味深いのは モールにおける「目つぶし」 ラックにおける「耳への噛みつき」は 彼ら的には なぜか 許容範囲だった) ㈫だから 相手の「裏をかく」「意表を突く」ことを ほぼ何の制約もなく あらゆるチームが考え続けているので 極度の多様性が生まれていた。
フランスのクラブチームは「地縁」を基軸に選手と結びついていた。そういう意味では 日本では「組織・縁」か… 今日 プロクラブチームが どんどん「おカネ・縁」にすがるようになってきている。
現在から振り返ると ヒト・カネの流れもさることながら 情報の伝播が 極めて遅く かつ 映像媒体(視覚)によるものは皆無に近く 多くは紙媒体(言語)だった。何事も 交流が加速化すると 均一化・均質化する傾向がある。「多様化」が 何事にも優る価値だとは必ずしも思わないが 多様性がある世界は 面白いものがある。
さて ベーグルは 1991年 再び フランス選手権で優勝する。立役者は キャプテン・ラポルト。後のフランス代表HC、フランス協会会長である。ラポルトの自著では『ガイヤック(トゥールーズ近郊のコミューン)のジュニアチームでフランス選手権に優勝し・フランステレコムに職を得・グルノーブルで月〜金勤務し週末ガイヤックに戻ってプレーすることに疲れていた時(1983年)に・ベーグルのモガ会長から声がかかり・フランステレコムに掛け合ってくれてボルドーでのポストを用意してくれ・転勤しベーグルでプレーするようになった」と記している。そして「兵役をメリニャック(ボルドー地域のコミューン)で行えるようにアレンジしてくれた」と。しかし 居眠り運転で大事故を起こし・生死の境を彷徨い・医師からはラグビーは無理と宣告される。2年後 会長から電話があり 「手当とフランス電力の職」を保証され チームに戻ることになる。
「コネ・縁故」が大手を振っていたフランス・ラグビー界。地域のラグビー界を差配していたのは 地域の有力者。モガ会長 食品産業で財を成し シャバンデルマス・ボルドー市長の右腕として 政治力もあり フランス・ラグビー協会の副会長も務めた。1983年 ベーグルが財政難に陥った時以降 ボルドーから資金援助を継続的に受けていた。ちなみに シャバンデルマスは レジスタンの勇士。1945年に対イギリス軍チームとの試合にウィングとして出場した1キャップがあり ベーグルに所属していた時期もあった。戦後 政界に転じ 1947〜95:ボルドー市長 1969〜72:ポンピドー政権下での首相(当時は 兼任は問題なし)などの要職を歴任。
フランスのスタジアムは ほとんどが「公営」(日本では明治以降 地域で小学校の校庭が整備された。同じ時期 フランスでは グランドが整備されていった) そして アマチュア選手にとって「職」は 不可欠(有力選手のかなりは 縁故採用の役場勤務だと思っている)。地域政界とクラブの「癒着」が常態化するのは ある種必然(だから イングランドの「お高く留まった」アマチュアリズムには嫌悪感を催す)。結果論だが プロ化する以前は そこまで おカネは必要ではなく あまたいる各地域の有力者の庇護で クラブ経営が成立していた。だから 群雄割拠の状態が 「圏」内では 続いていた。日本は 地域に根差すのではなく・「組織」に根差したラグビーが続いていた時代のことである。
令和7年2月8日
2025年2月6日木曜日
今日は作品の搬入日、無事、終えました。
約束の11時丁度に、Didier Sutter 夫妻が我が家に来て下さいました。 彼の車で予定通り3往復の作品運搬で、壁に展示する作品 20点、模型作品 9点を搬入出来ました🙇🏼♂️🙏。又、又、私の勘違いで、搬入直前、No-14 の作品、手元に無かったので急遽作品入れ替えが出来 😵💫😊 ご迷惑をお掛けしましたが。なんと😱✌️夕方には Didier から、すぐさま、新たな展示会場のシュミレーションの写真と作品リストを送信して頂きました。私が付けた Ditierさんのあだ名はMonseur Parfet 😊 感謝です 🙏。ACM企画のカクテル・パーテイー(Vernissage) オープニングパーテイは 2月7日、金曜日の17時より開催されます。
2025年2月1日土曜日
最終の Simulation exposition de Satoru à Salle Modigliani が届きました🙇🏼♂️✌️
何度かの作品変更でご迷惑をお掛けしましたが。ACM の Salle Modiglianiでの展示作品の最終プランとリストが Monsieur Didier Sutter 会長 (シュミレーション作成者)から届きました。感謝です😊
岡島レポート・ 2019 W杯・備忘録 261
SATORUさま
歳のせいなのか それとも 世間が日進月歩しているからなのか 日に日に 世間知らずになっている
2019 W杯・備忘録 261
〜 ベジエ 〜
『堅くて凶暴・力と自己犠牲の塊が 相手を徹底的に叩きのめす。勝ち続ける だから 謙虚でもある。』『まるで ロードローラーのように 行く手を阻むなにものをもなぎ倒してゆく。ブレイクダウンの戦略の宝庫であり FW8人の連動性・モールの質・素早い球出しは 他チームの追随を許さない。』『常に進化を探求し 新戦術を生み出す、特に ブレイクダウン・ラック・モール周辺で』
RSAのことではない。これまでも しばしば引用してきたエレロ『ラグビー愛好辞典』「ベジエ」の項の一節である。
定期的に開催される「大会」において 連覇するチームは いつの時代においても ある種 共通点がある。現在のRSAと他の代表チームの関係性が 半世紀前のフランス「圏」での覇者:ベジエと他のクラブチームの関係性と酷似している気がしている。
W杯以前・プロ化以前、ラグビー界は アマチュアリズムを墨守し 対抗戦を重んじ 選手権を忌避していた。そういうイングランド流のラグビー界にあって フランスは 毎年選手権を開催し続けていた(そのこともあって 五か国対抗から「破門」されている時期もあった)。そのフランス選手権での覇権は 60年代のルルドの時代から ベジエの時代に移っていた。1971年から1984年は「ベジエの時代」。フランス選手権で 3年のうち2年は 優勝していた(二連覇し 一年おいて 二連覇の繰り返し)。
中島みゆき「時代」が 発売されたのが 1975年 半世紀経ってるんだ…
♪ そんな時代もあったねと ♪
以前 「圏」ということに少し触れたが 「圏」と「大会」は ある意味 表裏一体である。フランス「圏」が存在するから・フランス選手権がある。フランス選手権が存在するから・フランス「圏」がある。
同時期 フランス代表チームは 五か国対抗に 毎年参戦していた。五か国対抗が存在するから・五か国対抗「圏」がある。
当時 国内の「圏」で覇権を握っているチーム(=ベジエ)のプレースタイルと五か国対抗でのFRAのプレースタイルは まったく異なるものだった。
ある意味 当たり前のことである。フランス「圏」内での比較優位のポイントが フランス「圏」外=五か国対抗「圏」での対戦では 比較劣位になる。フランスの場合 アングロサクソン(≒対戦相手の4か国)のような「がたいのでかい」ノッポは いない。だから モール・ラインアウトは 弱い。では どうするか? 強力FWを基軸にしたベジエの戦い方ではなく フレンチフレアで。だから 代表選手にベジエの選手が召集されることは 極めて「稀」だった。『後年 フランス代表チームがベジエのプレースタイルをそっくり真似ようとしたことがあった。が 出来なかった。なぜなら そこに至る歴史が異なり・選手のモチベーションが違っていたから』とエレロは書いている。
同時期の日本に目を転ずると
日本選手権の覇者は 1971:早大 1972・73:リコー 1974:近鉄 1975:明大 1976:新日鉄釜石 1977:トヨタ 1978~84:新日鉄釜石である。
そして 日本代表は 協会ホームページ「代表キャップ対象試合」として 1971:2試合(イングランド) 1972:3試合(豪州コルツ+アジア大会) 1973:3試合(ウェールズ・イングランド(U23)・フランス) 1974:4試合(NZU+アジア大会) 1975:5試合(ケ大・豪州・ウェールズ) 1976:(NZUほか+アジア大会) 1977:2試合(オ大・スコットランド) 1978:3試合(クインズランド・フランス+アジア大会) 1979:2試合(イングランド・ケ大) 1980:4試合(NZU・オランダ・フランス+アジア大会) 1981:1試合(豪州学生代表) 1982:7試合(カナダ・NZU・イングランド学生代表+アジア大会) 1983:2試合(オ・ケ連合・ウェールズ) 1984:3試合(フランス+アジア大会)
当時 日本代表が定期的に参戦していた「大会」は アジア大会だった。
キャップ対象のアジア大会の戦績は
1969(第1回):香港 ○ 24-22 秩父宮
1970(第2回):タイ ○ 42-11 バンコク
1972(第3回):香港 ○ 16-0 香港
1974(第4回):スリランカ ○ 44-6 コロンボ
1976(第5回):韓国 ○ 11-3 ソウル
1978(第6回):韓国 ○ 16-4 クアラルンプール
1980(第7回):韓国 ○ 21-12 台北
1982(第8回):韓国 ● 9-12 シンガポール
1984(第9回):韓国 ○ 20-13 福岡
1986(第10回):韓国 ● 22-24 バンコク
好敵手は韓国 ラグビー日本は アジア「圏」に属するチームだった…
今昔の感…
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今年の六か国対抗がはじまる。Optaの予想では 優勝確率 IRE:63% FRA:29% SCO:5% ENG:2% ITA:0.5% WAL:0.2%。さて どういう展開になるのやら
令和7年2月1日