2013年12月11日水曜日
テレビ中継で世界中の総ての視聴者に不信感を与えた男。
5日死去した南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領の追悼式のテレビ中継が12月10日、世界中に流れました、各国要人を含む約5万人の中で、アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃へと導き、人種融和を進めたマンデラ氏の功績をたたえた各国首脳のスピーチが延々と流れた4時間に渡る追悼式の実況中継、本国の南アフリカ大統領や米国オバマ大統領の追悼の意を述べている隣りで堂々と手話通訳を勤めた方が・なんと、偽の手話通訳者ではないかと、世界中が唖然と・笑いモノに成らない、成れない事が 起きた、凄い事・只、驚いている所です。
2013年12月10日火曜日
3年ぶりの再会・・・
今日はメトロALESIA の出口に在る喫茶店で、造型作家の Colmenarez 氏、韓国在住の彫刻家 Park Chan-Kab 氏とパリ在住の彫刻家 Park Woo-Mi 女史、パリ滞在中の画家・清水まち子さんと5人で再会、3年前、仙台空港でのお迎へや登米市 Satoru Sato Art Museum でもお会いしている方々が3年ぶり一緒にパリでの再会が出来るとは珍しい事です、Park さんは12日からのカルーゼル・ルーブルでの招待サロンに毎年参加の為、昨日パリに着いたばかり、清水さんは今年初めて参加したグランパレでの招待サロンが終了して、明日、パリを発つ予定、コルメナレーズの配慮で楽しい会話が出来ました。その後、5人一緒に日本レストランで焼き鳥を、食事後の支払いはカウンターに Park さん、私、 Colmerarez 3人が同時に出て支払いを主張しましたが、結果、Park さんに御馳走に成りました。
日本からの新聞記事が送られて来ました。
【ヨハネスブルク=黒岩竹志】5日死去した南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領の追悼式が10日、ヨハネスブルク郊外のサッカー競技場で行われ、各国要人を含む約5万人が、アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃へと導き、人種融和を進めたマンデラ氏の功績をたたえた。
米国からオバマ大統領、ブッシュ前大統領、クリントン元大統領、カーター元大統領の歴代4人が出席したほか、英国のキャメロン首相、フランスのオランド大統領ら100人を超える要人が集まり、アフリカ史上最大規模の式典となった。日本からは皇太子さまが、福田康夫元首相らと出席された。式典では、オバマ大統領が「20世紀最後の偉大な解放者だ。我々はマンデラ氏から何を学ぶべきかを問いかけなければならない」と語った。
旧黒人居住区ソウェトに近い競技場では、2010年のサッカー・ワールドカップ(W杯)の閉幕式が行われた。これが、マンデラ氏が公の場に姿を見せた最後となった。
(2013年12月10日23時15分 読売新聞)
■平野克己氏(日本貿易振興機構・アジア経済研究所上席研究員)
マンデラ氏は民主化を進めたことで、世界経済の拠点の一つとなった南アフリカ経済の基礎をつくった。 南ア企業は民主化を機に、一気にアフリカ大陸に進出した。それを可能にしたのが、アパルトヘイトから完全に脱却できると世界に信じ込ませた、マンデラ氏の存在だった。民主化は課題も生んだ。その一つが、世界一とも言われる貧富の格差だ。民主化で白人と黒人の間だけでなく、黒人同士の間にも大きな格差が生まれた。多くの犯罪組織が入り込み、治安悪化は海外からの企業進出のネックになっている。昨年8月には、北部ルステンブルクのプラチナ鉱山で賃上げを求めた労働者の一部が暴徒化し、警官隊の発砲で34人が死亡した。世界の投資家は、現政権の統治能力を疑い始めた。マンデラ氏は生前、対立を和らげることが政治の役割だ、と主張してきた。南アが課題を克服できるかどうかは、現政権がマンデラ氏の精神を継承できるリーダーを生み出せるかどうかにかかっている。(聞き手・三浦英之)
南アフリカ:マンデラ氏追悼、100カ国首脳ら参列へ
毎日新聞 2013年12月09日 20時23分(最終更新 12月10日 01時00分)
5日に死去した南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領(95)の公式追悼式が10日、国葬行事として最大都市ヨハネスブルクのサッカー競技場で開かれる。競技場は9万人以上を収容でき、南ア通信によるとオバマ米大統領ら100カ国近くの首脳級らが参列する見通しだ。
空前の規模の式典に向け、周辺は厳戒態勢に入った。日本の皇太子さまも出席される。
競技場は、2010年のサッカー・ワールドカップ(W杯)南ア大会で開幕戦や決勝戦が行われた会場。10年のW杯閉幕式にはマンデラ氏も出席した。(共同)
2013年12月7日土曜日
朋あり 遠方より来る、また 楽しからずや、


今日は11時に Colmenarez 氏と地下鉄アレジア駅の近く Café bouquet で待ち合わせ、清水さんとコルメナレーズは3年ぶりの再会、3年前、登米トリエンナーレの時、仙台空港に来日した時に、清水さん親子にお願いしてお迎えに出て頂いたのが最初の縁でした。イクエちゃんの写真を見てコルメは思い出した様です、又、今年の夏、仙台の仙建ギャラリーでの仙台アート・ジェオ・コンステウルイ研究会展にも参加した仲間、いろんな話に花が咲きました、来週の火曜、又、再会と言う事でコルメナレーズと別れて、その後、我が家に、仙台からの訪問客は先月の関本君一行以来、今年は仙台 Art Géo Construit 研究会のメンバーが続けて来客、私の方は丁度、今年の11、12月は運良く巴里に居る時間が多く、コンパレゾン会期中に一緒に画廊廻りなど出来る状態で楽しい時を過ごさせ て頂いています。2013年12月6日金曜日
ネルソン・マンデラ氏死去・北の古狸氏よりメールが届きました。
ネルソン・マンデラ、自由への闘争
ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト 12月6日(金)22時7分配信
12月5日夜、南アフリカ共和国初の黒人大統領、人権運動指導者ネルソン・マンデラ氏が死去した。享年95歳。同国で3世紀にわたった白人による黒人支配は、1994年の大統領就任により終焉を迎えた。
ネルソン・ホリシャシャ・マンデラ(Nelson Rolihlahla Mandela)は1918年7月18日、南アフリカの主要民族集団のひとつ、コーサ人の首長の家系に生まれた。
フォートヘア大学とウィットウォータースランド大学で法学を学び、在学中の1944年にアフリカ民族会議(ANC)に入党、反アパルトヘイト運動に身を投じる。1952年、ANC副議長に就任。キューバ革命(1958~59年)に触発されたマンデラは1961年、軍事組織ウムコント・ウェ・シズウェ(Umkhonto we Sizwe:民族の槍)を創設、毛沢東やチェ・ゲバラのゲリラ戦術をヒントに、白人政権への直接的な攻撃を開始した。
1962年に逮捕、1964年に反逆罪と破壊行為で終身刑を言い渡される。ケープタウン沖ロベン島に収監され刑期の大半を重労働に従事、27年間を獄中で過ごす。1980年代に幾度も早期釈放を政府から提案されたが、条件付きだったため拒み続けた。
1990年2月2日、白人政権のフレデリック・デクラーク大統領は、ANCを含む反アパルトヘイト組織の非合法化を解除し、マンデラの釈放を発表。黒人が厳しい差別を受けていたアパルトヘイト時代に幕が降りた瞬間だった。
釈放後にケープタウンの市庁舎に到着したマンデラを迎えた支持者は5万人にのぼり、4半世紀ぶりに公の場で語られる言葉を待ちかまえていた。世界中に放送されたこの集会でマンデラは、「われわれの闘いは決定的瞬間を迎えた。自由への歩みは後戻りできない」と述べた。
1993年12月、民主主義への平和的移行を指導した功績で、デクラークとともにノーベル平和賞を受賞。
1994年、黒人が参政権を得た初の国政選挙でANCは勝利し、マンデラは大統領に就任する。1999年に政界を引退した。
Jane J. Lee, National Geographic News
⦿ フランス・テレビの20時のニュースは、フランス大統領官邸で、巴里駐在のアフリカ大使関係者を呼んで、オランド大統領がネルソン・マンデラ氏の追悼を語る報道が流れ、フランスとアフリカとの強い関係(昔・植民地政策でイギリスやフランスなど欧州がアフリカを支配していた歴史的関係も在り)と、時代の流れを延々と報道されていました、27年間の獄中生活から23年前に釈放、1994年、黒人の参政権を得た最初の国政選挙で大統領へと駆け上ったマデラン氏、アフリカの、いや、世界の巨大な星が消えた日です、シャンゼリゼ通りには、悲しみに満ちた多くの人々が歩道に出ている映像も流れています。⦿
ネルソン・ホリシャシャ・マンデラ(Nelson Rolihlahla Mandela)は1918年7月18日、南アフリカの主要民族集団のひとつ、コーサ人の首長の家系に生まれた。
フォートヘア大学とウィットウォータースランド大学で法学を学び、在学中の1944年にアフリカ民族会議(ANC)に入党、反アパルトヘイト運動に身を投じる。1952年、ANC副議長に就任。キューバ革命(1958~59年)に触発されたマンデラは1961年、軍事組織ウムコント・ウェ・シズウェ(Umkhonto we Sizwe:民族の槍)を創設、毛沢東やチェ・ゲバラのゲリラ戦術をヒントに、白人政権への直接的な攻撃を開始した。
1962年に逮捕、1964年に反逆罪と破壊行為で終身刑を言い渡される。ケープタウン沖ロベン島に収監され刑期の大半を重労働に従事、27年間を獄中で過ごす。1980年代に幾度も早期釈放を政府から提案されたが、条件付きだったため拒み続けた。
1990年2月2日、白人政権のフレデリック・デクラーク大統領は、ANCを含む反アパルトヘイト組織の非合法化を解除し、マンデラの釈放を発表。黒人が厳しい差別を受けていたアパルトヘイト時代に幕が降りた瞬間だった。
釈放後にケープタウンの市庁舎に到着したマンデラを迎えた支持者は5万人にのぼり、4半世紀ぶりに公の場で語られる言葉を待ちかまえていた。世界中に放送されたこの集会でマンデラは、「われわれの闘いは決定的瞬間を迎えた。自由への歩みは後戻りできない」と述べた。
1993年12月、民主主義への平和的移行を指導した功績で、デクラークとともにノーベル平和賞を受賞。
1994年、黒人が参政権を得た初の国政選挙でANCは勝利し、マンデラは大統領に就任する。1999年に政界を引退した。
Jane J. Lee, National Geographic News
⦿ フランス・テレビの20時のニュースは、フランス大統領官邸で、巴里駐在のアフリカ大使関係者を呼んで、オランド大統領がネルソン・マンデラ氏の追悼を語る報道が流れ、フランスとアフリカとの強い関係(昔・植民地政策でイギリスやフランスなど欧州がアフリカを支配していた歴史的関係も在り)と、時代の流れを延々と報道されていました、27年間の獄中生活から23年前に釈放、1994年、黒人の参政権を得た最初の国政選挙で大統領へと駆け上ったマデラン氏、アフリカの、いや、世界の巨大な星が消えた日です、シャンゼリゼ通りには、悲しみに満ちた多くの人々が歩道に出ている映像も流れています。⦿
2013年12月4日水曜日
Salons Comparaisons オープニング。

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| グランパレの外景がライトアップされ天井の建築の内部も奇麗です。 |
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| Dietrich-Mohr , Tomoko |
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| Satoru. Castillo, Contreras. Herrera, Shimizu |
12月4日、招待サロン・コンパレゾンのオープニング、
![]() |
| Satoru, Xuriguera, Shimizu, Aki-sato |
2013年12月3日火曜日
Paris の Garand Palais での招待サロン・コンパレゾンの搬入日。
明日から、かの有名な Grand Palais の会場で、招待サロン・Comparaisons 展が開催されます。今日、12月3日12時からは搬入日、仙台アート・ジェオ・コンステウルイ研究会(仙台・幾何学構成アート研究会)の中心的メンバーの一人、清水まち子さんが招待されて作品搬入に家内と一緒に同行しました。このサロンはセクション別に成っており、Ivan Contreras - Brunet 氏が担当(審査委員)のコーナーは幾何学構成アートのみ、作品展示作業は17時に終了しました。昔、コンパレゾンは大きな組織で、グランパレのほとんどの会場を占めていましたが、現在、文化庁の援助金の縮小縮減も在り、歴史在る4個のサロンが同時、開催となっています。
仙台アート・ジェオ・コンストウルイ(Art Géo Construit ) のメンバの先陣を切って、今年は、サロン・レアリテイー・ヌーヴェル(幾何学構成アートのサロンとして歴史的にも知られている巴里の招待サロン)とコンパレゾンにダブル招待された清水さんは連続出品を、他のメンバーの方々も巴里で発表出来る日が近いのではと心待ちしている所です。明日は17時から22時30分迄のオープニング、と言っても、途中、夕食に抜け出して、幾何学構成系の作家と一緒に近くのレストランに行く計画です。明日の様子は、又、このブログで報告致します。
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