2019W杯・備忘録 10
~ 選手権・対抗戦 ~
今大会、南アは勝者として、日本を去った。イングランドは、敗者として。NZもウェールズも敗者として。
「一」の勝者と「他・多」の敗者。これが大会を盛り上げる。優勝チームによる「栄誉」の総取りが起こる。それが人々を魅了する。「他」が多ければ多いほど熱狂を生む。
選手権の魔力がそこに潜む。
かつて、Rugby Football Union は、選手権を蛇蝎のごとく嫌っていた。
RFU あるいは RU と言えば ラグビーの家元 イングランド・ラグビー協会を指す。
「神宮」が伊勢神宮を指すが如く。(神社本庁のホームページには『現在、単に「神宮」と言えば、伊勢の神宮を示す正式名称として用いられています。』とある。)
そのRFUは、彼らの信じた「ラグビーの本質」を貫徹するため、対抗戦形式での試合とアマチュアリズムを金科玉条の如く墨守してきた。当時の五か国対抗は、二チーム間の対抗戦の集合体に過ぎず、順位は公式には付けられず、優勝トロフィーなど存在しなかった。
対抗戦においては、勝者と敗者の数は同数。片方が勝ち、片方が負ける。それだけ。等量の「歓喜」と「失望」。
RFUと考えを異にするフランスは、戦間期、当時の五か国対抗から破門される憂き目にあった。①選手権を行なっていること ②似非アマチュアが蔓延っていることを理由に。
その根源には、人々の「過熱化」が存在した。
今日、「過熱化」をみんなが当たり前のように求めている。誰が? 人々なのか、マネーなのか?
ともかく、今大会、大成功だったと素朴に実感している。では、失われたものはなかったのだろうか。
いまや時代錯誤の感があるかつてのRFUの思想であるが、そこにある「ある種の純粋性」に惹かれることもある。
「公正性」を追求するのであれば、レフリーの数を多くするか、TMOをより充実させる必要があるだろう。
「プレーヤーズ・ファースト」を単なる呪文ではなく、真に意味あるものにする必要はないのか?
これらの「公平性」「公正性」「プレイヤーズ・ファースト」を実現するためには、おカネが必要だ。
たかがおカネ、されどおカネ。
おカネは、人々を巻き込むことを目指す。出来るだけ多くの人々を巻き込むことを目指す。観客数であり、視聴者数であり、物品購買者数であったり。その数が多ければ多いほど、「成功」とされる。一方で、ピッチに立つ人数は、常に15+15人にレフリーの3(4)人。勿論、チーム関係者を含めれば、かなりの人数になる。しかし、圧倒的大多数は、それ以外の人々である。
おカネを優先すると、どこかで「公平性」も「公正性」も「プレーヤー」も置きざれにされる。金は天下の回り物だけど…
今大会、台風で3試合が中止・引き分け試合となった。
① ニュージーランド・イタリア(12日13:45 豊田)
② フランス・イングランド (12日17:15 横浜)
③ ナミビア・カナダ (13日12:15 釜石)
中止決定後の11日のイタリア・チーム・キャプテンのパリセの発言は耳に痛い。(ミディオリンピックから)
・ もし、NZに5ポイント必要な状況であれば、組織委はどんな手段を講じてでも試合をしただろう。
・ 組織委は、ラグビーやスポーツが、リスペクトとパッションで成り立っていることを忘れている。
・ 私たちには、この試合を戦う権利がある。
・ このような決定をすることはできない。これは公正ではない。
・ (大会期間中に)台風が来ることはわかっていた。なぜ、プランBを立てていなかったのか。
(さらに かつて イタリアでは 地中海の嵐が来たとき 対アルゼンティン戦を 前倒しで 行ったことがある。)
(注)パリセ:W杯大会5大会連続出場(今大会では、ただ一人)
そして、WRのあまりの「官僚的」な対応に呆れ返った。
組織委からの公式声明は、パリセの発言の前と後とでまったく異なった理屈づけになった。
(1) 12日の場合(10日に事前声明)
■ ワールドラグビーCOO兼ラグビーワールドカップ総括責任者 アラン・ギルピン コメント
「私たちは、今週末に行われる全ての試合を開催できるように、可能な限りの対策を検討してまいりましたが、チーム、観客、ボランティア、その他の関係者の安全を脅かす可能性のある判断をすることはできません。そのためにいくつかの試合を中止する決定を下しました。この判断は、チームを含むすべてのステークホルダーの皆様に御支持いただけることを確信しています。
また、イングランド、フランス、ニュージーランド、イタリアのファンの皆様が残念な思いをされることと思いますが、皆様の安全を第一に考えての判断であることに理解をいただけるものと信じています。」
(2) 13日(ナミビア・カナダ戦の場合、同日6時間前の声明)
■ワールドラグビーCEO ブレッド・ゴスパー コメント
「我々は、この24時間にわたり、開催自治体と緊密に連絡を取り合ってまいりました。試合時間の変更や無観客での開催の可能性についても検討しましたが、開催自治体からの強い勧告も頂き、安全性を優先する観点から、試合中止の判断を行いました。難しい決断ですが正しい判断であると信じています。…」
では、ほかにやりようがあったのだろうか?
過熱化を求めて袋小路に入った感がある。
私たちは ウェーバーの暗い予言どおり「鉄の檻」に棲んでいるのであろうか?
そもそも「ラグビーの本質」なるものが存在するのだろうか?
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