2012年10月28日日曜日

塩釜の桜回廊支援に、


佐藤達様へ

メールで今日も少し書きましたが、もう少し塩釜の桜回廊の事を、私の身近な人に知っていただきたいと思いました。そして10月29日に京都で30名ほどの食事会があるので、そこで話をさせていただくつもりです。
少しでもリアリティーが欲しいので、強引かと思いましたが、大江さんに、ロータリークラブの塩釜さくら回廊の計画図もしくは構想地図(佐藤さんが送って下さった資料に入っていたもの)を30枚、30日の午前中着で送って欲しいと、お願いいたしました。

何故桜の咲く頃に石山寺かと申しますと、岩井絹子さんは、自分の骨は桜の木の根元に埋めて欲しいと希望されておられるほど、桜が大好きな方ですが、あの日航ジャンボ機墜落事故で22歳の若さで亡くなられた、能仁千延子さんの母親が千延子さんの姉の嫁ぎ先である大津の石山寺に、事故の翌何から、三年がかりで、犠牲者と同じ数520本の桜の苗木を植えられました。

数年前から美しい花を咲かせるようになり、その桜に心を癒されるようになられたそうです。やり場の無い深い悲しみから立ち直れずにおられたお母様は、散っては咲く桜に「永遠」を感じ桜の植樹を思い立たれたそうです。
桜の会の会長坂井盾二さんも、「桜の生命力には驚かされ、励まされる。」と、言っておられ、そのお言葉に共感されておられます。
そこで、岩井絹子さんは、昨年の東日本大震災・大津波のニュースが放映されるたびに、被災地の方々の一生懸命に前を向いて頑張っておられる姿に涙され、現地に行く事も出来ず、何かお役に立たせていただきたいと思っておられました。

一本残った松ノ木、必死に生きようとして力尽き、桜も流されてしまい、せめて一本でも、二本でも、桜の木が根付いて花をさかせ、被災地の方を勇気付けてくれたら、見る人の心に何か華やかな気持ちを与えてくれたらと、願っておられます。

又、岩井絹子さんのご主人は、14年間で6回の手術のたびに「絵を描ける様になりたい。」と頑張って耐えてこられれました。 それで、奥様の絹子さんが、今年の春に、大津プリンスホテルで、ご主人の岩井晟(あきら)さんの絵画の展覧会『喜寿展}を企画されました。多くの方のが展覧会に来られ岩井晟さんの作品を買われました。岩井さん御夫婦は皆さんにとても感謝され、買ってくださった方のお気持ちも一緒に今回の桜の支援金に託されました。

岩井絹子さんから、ご丁寧なお手紙をいただき、桜の会の坂井さんには、この手紙のコピーを送らせていただきました。

佐藤さんには、手紙の内容をかいつまんだ程度のメールになりましたので岩井絹子さんのお気持ちを、じゅうぶんには伝えられませんが、私は、感動いたしました。

また寒い冬が来ます。心は温かく、お互い励んで行きましょう。

     松井千佳子

▶京都の松井さんからメールです。3ヶ月前に成りますか7月末に東日本大震災の復興を願い、友人の岩井様から桜の苗木の贈り物を届けたいと、松井さんからお話を伺い、それは素晴らしい話と早速、仙台の方々に受け取り先を探して頂く事に、白松社長、大江社長、閖上に是非と言う佐藤陽子さん、Be Iの関口先生、仙台青い鳥プロジェクトの新井さん&早坂さん、NHKラジオ番組のゴジダッチャの志津ちゃんに声をかけましたが、いざ、受け取り先となると、苗木を植える場所と作業等等に時間がかかる様で、皆さん、それぞれ動いて頂きました。運良く私が羽田国際空港を出発する前に大江さんの方から、是非、塩釜の桜回廊計画の桜の会の方に贈って欲しいと連絡が在り(受け取り先を探して下さっている皆様には申し訳ございません)、一件落着と言う事に、岩井さん、松井さん、大江の勝ちゃん、そして、桜の会の坂井会長と、輪が出来た様です、来年、塩竈に行く楽しみが一つ増えました。◀

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