2011年4月30日土曜日

佐藤 巳喜夫 さんより、

元気でしょうか?
 登米関連情報を参考までにお届けします。
1)味の素の子会社(といっても売上げ1100億円と大会社だが)の味の素冷凍食品の社長に6月就任する吉峰さん、  登米市の「伊藤雅俊」さんからコメを産直購入しているが、大地震の後、伊藤さんから突然コメ10kgが送られ  てきた。
2)コメ袋には「テレビで東京が大変だと報じていたので、送ります。元気で頑張ってください」と添え書き。    もちろん無料サービス。
3)「困ってるのは登米市の人でしょう? 登米市のやさしさを感じて大変感激した」と吉峰さん。コメ袋のメモ書  きを大切に画像に保管しており、私に見せてくれました。吉峰さん「登米市の皆さんに、お礼を申し上げる」と  語っております。もちろん今でも登米から産直で取り寄せています。
4)ちなみに、「伊藤雅俊」さんは、味の素本社の現在の社長と、まったく偶然にも同姓同名。しかも吉峰さんの終  生の上司。
5)登米市の伊藤雅俊さんがどこの伊藤さんか、情報があれば、ご教唆下さい。
6)両陛下が宮城の避難所を訪問、仙台で水仙の花を皇后陛下にプレゼントしたことが話題になりましたが、花を贈  った女性、実は登米市佐沼の出身ってこと、ご存知でしたか?
7)佐藤美貴子さんは旧姓進藤さん。佐沼の、私の感覚で表現するとかつての「朝日精麦」の隣が実家。
8)佐沼高校の先輩であり、その妹さん(節子さん)は家人の大親友。
9)やさしい人が郷里にいっぱいいることを、私は東京で自慢してます。
10)道路事情を見ながら、連休中に91歳の親父の顔を見に帰ろうと思ってます。地元の皆さん、よろしく。
11)事務局を務めています「東京中田会」の今期総会を5月28日土曜、神楽坂の「日本出版クラブ会館」で午後3時  から開きます。
12)その開催告知記事が、毎日新聞10日の朝刊「遊ナビ」に、讀賣新聞17日夕刊の「シティライフ」に掲載されま   す。関東周辺在住の方は、是非ご覧下さい。
13)総会会場で義援金活動を行ないます。
  以上  /佐藤巳喜夫(西東京市)。

復興に向けて!

東日本大震災と福島第一原発の事故で、避難者向け仮設住宅の建設の大半が都内の業者に発注され、福島県内から悲鳴が上がっている。県は急きょ、当初予定の1万4000戸のうち4000戸を県内業者に割り当てたが、4倍を超える応募が殺到。「震災で建設業界は休業状態。地元に仕事をさせてほしい」との声がわき上がっており、県は今後、地元割り当て分を増やすかどうか検討する。県は3月下旬、仮設住宅1万4000戸を7月末までに提供する目標を立てたが、震災以前に、大手住宅メーカーが名を連ねる東京都のプレハブ建築協会と災害時の協定を結んでいたため、同協会の会員が全て請け負う形になっていた。
県土木部は協定締結の理由を「緊急時用の建築資材を備蓄していて、速やかに仮設住宅を建てることができる」と説明するが、県建設業協会の三瓶英才会長は「仮設住宅は一定の技術を持つ業者なら作れる。福島県の復興のためには、仮設住宅の建設は相当程度、県内の業者に任せるべきではないか」と訴える。冷え込む県内経済に震災と原発事故が追い打ちをかけた格好で、「県内の建設業全体が開店休業状態」だからだ。
(2011年4月30日10時15分  読売新聞)

各地で四十九日の法要が営まれ、明日に向かって!

 鎮魂の行脚 栗原の僧侶10人 宮城・南三陸

「鎮魂」と書かれたのぼりを手に被災地を行脚した僧侶たち=28日、宮城県南三陸町
 宮城県南三陸町で28日、栗原市の曹洞宗の僧侶10人が犠牲者を追悼し、被災地を行脚した。戸倉地区にある海蔵寺から7キロの道のりを経を唱えて一心に歩き、亡くなった人々の魂を鎮めた。
犠牲者の四十九日に合わせた行脚は、栗原市の火葬場で読経奉仕をする通大寺の金田諦応住職(54)が、いとこの海蔵寺住職に呼び掛けて行った。
一行は海蔵寺で般若心経を唱えた後、「鎮魂」と書かれたのぼりと灯明、鈴(れい)を手に出発。津波で壊滅した戸倉小近くでは、行方不明者がいるとみられる志津川湾に向かい祈りをささげた。
途中、がれきに残る写真に涙を抑えきれない僧侶もいた。同行した海蔵寺総代長代行の阿部寿男さん(70)は「皆さんの心配りに感謝するばかり。み霊の慰めになったと思う」と頭を下げた。 行脚を終えた金田住職は「一歩一歩犠牲者の無念をかみしめた。彼らの思いを受け継いで生きたい」と話した。
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                              悲しき海に手を合わせ 名取・閖上

手を合わせ、犠牲者を悼んだ住民ら=28日午後2時46分、名取市閖上の日和山
宮城県名取市閖上地区の津波犠牲者を慰霊する地となっている日和山で28日、避難所などに身を寄せる閖上地区の住民ら約300人が参列し、四十九日の法要が営まれた。午後2時46分に黙とうをささげ、曹洞宗宮城県第4教区青年会に所属する名取、岩沼両地区にある寺院の僧侶ら18人が読経した。海を見下ろす高台には、「一人じゃない」「みんなで手を取って」などと書かれた標柱が幾つも立ち並んだ。強風の中、参列者は青々とした太平洋の白波をじっと見つめた後、静かに手を合わせ、犠牲者の死を悼んだ。  閖上地区では津波で約800人が死亡、約200人が行方不明となった。

気仙沼・道の駅大谷海岸 きょう再開 5ヵ所の“仲間”応援

直売センターの再開に向け、商品を確認する従業員ら=28日、気仙沼市本吉町の道の駅大谷海岸
 大津波の被害を受けた宮城県気仙沼市本吉町の道の駅大谷海岸は29日、農林水産物直売センターの営業を再開する。同日販売するのは、地域の農家や業者が持ち寄った野菜や塩蔵ワカメ、ヒジキの乾物など。来場者には豚汁を無料で振る舞う。
 30日は登米、石巻両市の5カ所の道の駅が応援に駆け付け、農産物や雑貨を販売。全ての売り上げを大谷海岸に贈る。
 道の駅津山(登米市)の西條孝一駅長(62)は「仲間が困っているのを見過ごせない」と話す。
 道の駅大谷海岸は震災当日、高さ15メートル近い津波に襲われた。従業員や客は逃げて無事だったが、建物は骨組みだけになった。直売センターは修復して利用できるようになったが、レストランが入る「はまなすステーション」は復旧していない。
 運営する本吉町産業振興公社の菅原和幸社長(59)は「仲間の応援はありがたい。直売センターの再開を地域の復興の足掛かりとしたい」と語った。営業時間は午前8時半~午後5時。    河北新報/2011年04月29日金曜日

2011年4月29日金曜日

Chatillon文化センター La Maison des Arts での Vernissage 開催



パリ近郊、パリから地下鉄でも行ける、Chatillon市のMaison des Arts の展覧会会場で、Satoru / Kishida の2人展のオープニング前夜祭(Vernissage)が開催されました。2人展と言っても、作品を別々に展示する個展形式な展覧会、Kishida さんは、庭と2階の2室を使って近作彫刻展、私の方は一階の展示会場全室6室を使って、小さな回顧展形式の展示、絵画を中心にした1970年代の油絵の作品から
2010年迄の作品を年代順に、49点を展示しました、今日のオープニングセレモニーのシャテイヨン市長の挨拶の中で、東日本大震災の話も出ましたが、4月28日は、東日本大震災から丁度、49日目に当たる日、被災した各地で四十九日法要が行われ、犠牲者の冥福を祈った事と思われますが、外国に居ても願いは祈りは同じです。多くの来館者が在り、いつもの21時の予定が30分遅れての閉館、その後、La Maison des Arts の館長、スタッフ、関係者と今回、展覧会の企画提案者でカタログに文章を書いて下さった美術評論家の Gerard Xuriguera 氏を中心に夕食会、只、昨日迄、太陽が出て熱い春、初夏を思わせる天候
でしたが急に気温が下がり、Tシャツから長袖セーターが必要な肌寒い日に成りました、夕食会は夜中迄、シャンペンで始まり赤ワイン、最後に又、シャンペンで終了、今回も多くの友人達が駆けつけて下さり、作家の仲間達は、〖連帯・登米〗の話題に、100名の作家、120点を目指した最初の計画は、既に、超えそうで、更に、40年来の友人で葉巻仲間、Del'Arco 出版社の社長、François Pattezから50名、50点の版画作品提供の話も在り、5月15日の締め切り日、そして、6月30日、20時からのオークション、余震の災害が最小限にと願いつつ、元気に行動しています。



東日本大震災に伴う地盤沈下

 東日本大震災に伴う地盤沈下を巡り、国土交通省は28日、仙台平野(仙台市、宮城県名取市、亘理<わたり>町、山元町など)で、海抜0メートル以下の面積が震災前(3平方キロ)の5.3倍の16平方キロに広がったと発表した。仙台平野では海岸の堤防が全域で全半壊し、海岸沿いの砂丘も津波による浸食で部分的に消失。高潮や大雨による冠水のリスクが高まっており、復旧作業や住民の生活に影響が出そうだ。  国交省によると、震災後に0メートル以下に沈下したのは、仙台空港周辺や阿武隈川の河口付近など。大潮の満潮位(海抜0.7メートル)以下となる「海抜0メートル地帯」も、32平方キロから56平方キロと1.8倍に拡大。過去30年の最高潮位(海抜1.6メートル)以下となる地域も、83平方キロから111平方キロと1.3倍に広がった。国土地理院の観測地点での沈下は既に判明していた。今回、地盤沈下が広範囲に発生していることが裏付けられた。【石原聖】毎日新聞 2011年4月28日 21時39分(最終更新 4月28日 22時03分)

2011年4月28日木曜日

眞板 充江 さんからのメールです

皆様
3月11日の東北関東大震災により被災された方々に謹んでお見舞いを申し上げますと共に、亡くなられた皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
さて、このたび眞板雅文、没後2度目となります展覧会を名古屋でいたしますのでご案内を申し上げます。ご高覧いただければ幸いに存じます。
*眞板雅文展
2011年5月8日(日)ー 27日(金)
11:00-18:00  毎月曜日休廊、15日(日)休廊 
461-0003 愛知県名古屋市東区筒井3-22-2
電話 052-935-4808   ファクス 052-935-4808
地下鉄桜通線 1番出口徒歩2分

【 眞板ご夫妻とは、1971年からの付き合い、私のブログにも登場、2年前、「イギリスから招待状が来たので今年の夏は久しぶりにパリに寄れるよ」と言うメールを頂き、電話でおしゃべり出来ましたが、その後、私の方はマラケシュでの仕事でモロッコに滞在中、たまたま、インターネットで日本の新聞を見て、偶然にも眞ちゃんの事を知り驚きましたが、昨年の9月、岩手県立美術館で百瀬寿さんの個展オープニング会場でバッタリ充江さんとお会いしたり、時々、電話でおしゃべりして居ます、来月から名古屋での個展開催、拝見出来ませんが個展の様子をお聞きするのを楽しみにしています 

復興に向けて!

コイズミタイチ 個展 (木彫での展示)

"No Limited"
日時:2011年4月26日(火)〜5月1日(日)
時間:11:00〜19:00 最終日18:00
場所:仙台アーティストランスペース SARP
宮城県仙台市青葉区錦町1−12−7

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お変わりないでしょうか。余震が続きますが、元気な姿で、
会場でお会い出来ることを楽しみしています。

コイズミタイチ

【 仙台市青葉区錦町と言えば、長い間お世話になったギャラリー青城と高橋真さんを思い出しますが、その会場は今、作家達で運営されている仙台アーテイストランスペース(SARP)と成っています、大震災後、ライフラインがまだ戻らない状況の中、展覧会の発表は当分無理な状況かなと思っていましたが、復興に向けて! 一番目の関本欣哉さんの個展発表と聞き、早速、個展の初日、ギャラリーに電話をしてみました、運良く、高橋さんが出て〈こっちは大変だけど相変わらず、生きてますよ、それよりサトルの実家は大丈夫か〉と逆に心配されたり、関本さんともお話でき〈こういう状態ですが、なんとか展示出来ました〉、皆さん元気な様子で安心と同時にその行動に感銘を受けていました、今度は、コイズミタイチさんからの個展の案内状が届きました、アーテイストはアートを見せる事で、復興に向けて行動開始、まして余震の続く仙台で、皆さん頑張っているんだと勇気をもらいます、共に親しくしている作家仲間、今後に期待しています 】

2011年4月26日火曜日

Solidarité Tomé 〖 連帯・登米 〗No4

今回の連帯の話を持ちかけて来たのが大先輩の Garcia-Rossi 氏でした、早速、彼のアトリエを訪ね、今回の企画第一番にと、いち早く作品を頂いて来ました、Satoru Sato Art Museum の Paris News でも紹介しています Garcia-Rossi とは長いつきあい、私がモンパルナス(Montparnasse)に住んで居た頃は歩いて2、3分、良く遊びに行ったり来たりしました、彼の仕事は光の追求、以前、彼らが組織した視覚芸術探究グループ GRAV(Centre de Recherches d'Art Visuel)は歴史的な運動、今はキャンバスでその追求を継続しています、自然光が入る天井の高い彼のアトリエで82歳の Garcia-Rossi は元気に制作に追われています、彼のアトリエは Edgar Quinet の近く、昔、ホワン・ミロが住んで居たアトリエでした、写真は Garcia-Rossi のアトリエで彼に頂いた作品と彼とのワンショット、作品のタイトルは Couleur Lumiére , Transparence、2010年制作、キャンヴァスにアクリル絵具、サイズ50X50cm、素晴らしい作品を連帯・オークションに出品させて頂きます。感謝!

2011年4月25日月曜日

復興に向けて!

佐藤様

東京大学の江口です。

ご無沙汰しております。
先の震災で東北地方が甚大な被害を受けられたことに関して、心よりお見舞い申し上げます。
沿岸部については、報道や学会の報告会等で状況が明らかになってきておりますが、佐藤さんの故郷であられる登米市についての状況はいかがでしたでしょうか。
大学や専門家の方々も、復興にむけて考えを巡らし、行動を一刻も起こそうとしているようです。
建築学会では、4月12日から22日までの予定であったまちづくり展の内容が震災を受けて急遽変更され、まちづくりから復興への手がかりを探すための連日のワークショップと学生のシャレットワークショップ、そしてシンポジウムが行われておりました。
研究室の西村先生と窪田先生もモデレーター・パネリストして参加されておりました。
古くは明治や昭和の三陸地震、関東大震災を経験した後、阪神・淡路大震災や新潟県中越地震等から学んできた復興のための知恵と創意工夫が共有され、先生方や学生の提案からはとても学ぶところが大きく、今後の東日本のあり方についての考えを深めることができました。
特に興味深かったのは、内陸に向かう歴史的街道が、あばら骨構造として再び着目されたこと、また、自立しながら他の地域圏とネットワークを形作る東北の新しいあり方に関してのお話でした。
今後できる限り、何らかの形で復興に関わっていきたいと考えております。
登米市のことについても、何かわたしのお役に立てることがございましたら、ご連絡ください。

また、私事ですが、この3月に大学院を修了し、4月から客員研究員を務めております。
10月から1年間は再びパリに戻り、ポストドクターを研究所で行う予定です。

今後とも、よろしくお願い致します。

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江口 久美 (EGUCHI Kumi)
東京大学先端科学技術研究センター
都市保全システム 客員研究員
フランス国立社会科学高等研究院
日本研究所

復興に向けて!

佐藤さんから依頼されておりました、翻訳のですが、竹内先生から訳文をお預かりしまして、ワードに打ちかえました。 
東北はまだまだ動きがとれてません。特に宮城は強い余震に悩まされております。まだ救助もいきとどいてないのに、管総理は安藤忠雄に建築整備計画を委ねました。最悪。復興金に速くもむらがる取り巻きの動きの駆け引きがはじまってます。なかなか私達の善意の基金が旨く回らないみたいで残念です。 
松井

2011年4月24日日曜日

みんなが頑張っている!

宮城のニュース

宮城・南三陸町 ホテル2次避難先に

2次避難先としての活用が検討されている南三陸ホテル観洋(奥)=宮城県南三陸町志津川
 宮城県南三陸町が避難者を対象とした集団2次避難の行き先に、同町志津川の「南三陸ホテル観洋」など、大きな被害を免れた町内のホテル、民宿の計6施設の活用を検討していることが分かった。受け入れ総数は800人を超す見通し。町は学校の体育館などに身を寄せる避難者の生活環境を改善するとともに、当面集客が期待できない地元宿泊施設の経営を下支えする。
 町はこれまで2度、町外への2次避難を実施したが、肉親に行方不明者がいたり、通学や通勤で地元を離れにくかったりし、6000人以上が町内の1次避難所にとどまっている。
2次避難先に町内の宿泊施設が加わるのは初めて。募集は今月末に行い、移転は5月4日前後になる。避難期間はこれまでと同様、最長で9月ごろまでの予定。
ホテル観洋は最多で600人を受け入れる。15日に電気が復旧したが、断水中で、用便は屋外の仮設トイレで足し、風呂は数日間隔となる見込み。食事は1日3食を提供。1室5~7人での利用を想定する。
おかみの阿部憲子さん(48)は「断水が続き不自由は多いが、客室なら避難所より安心して休めるはず。町復興の担い手である町民が町外に流出するのを防ぎたい」と話す。
他の5施設は同町歌津のニュー泊崎荘(定員約150人)など。いずれも水道が復旧していないが、町は1次避難所より快適な環境が提供できると判断した。
 施設には災害救助法に基づき、受け入れ1人当たり1日5000円が県から支払われ、町は従業員の雇用維持にも効果があると期待している。河北新報/2011年04月24日日曜日

2011年4月23日土曜日

 頑張れ!OIKAWA ! & 頑張れ!KUMAGAI !


サトルさん  
もうゴールデンウイークも間近というのに、毎日ストーブを焚いている程、肌寒い登米市の春です。あの大地震からひと月以上経ちますが、余震のない日はありません。気仙沼のピザの店は跡形もありませんが、従業員の全員無事が確認され、不幸中の幸いでした。
私のチーム(名称「コンテナおおあみ」)は携帯電話の充電サービスや洗濯機の設置、様々な支援物資の配給を行っております。各地からの援助物資も豊富になり、水や食糧の配給、炊き出しといった生命の安全確保から→衣類、情報の提供→入浴やトイレといった衛生面の支援に移行していますが、避難所生活が長期化する中、今、深刻さを増しているのが「プライバシーの確保」です。避難所には、行政職員や政治家、ボランティア、報道関係者といった方々が次々来る中で、個々の生活をさらけ出すことは大変な苦痛です。特に赤ちゃんのいる女性をはじめ、若い女性の受けるストレスは相当なものだと思います。家族を失い一人きりでいる方も本当に気の毒です。これから被災者向けの仮設住宅ではない住宅「コンテナハウス」の提案中です。一刻も早い復興が望まれますが、かなりの時間を要することになりそうです。夏は、サトルさんの力をお借りして「こんな時だからこそ、アートが必要」っていうことを実感したいです。及川幾雄
 【及川さんとは、何でも直に言える間柄、Satoru Sato Art Museum 設立時から登米市において民間サイド応援団の中心的人物、心のゆとり、癒し、生活意識の活力をアートで、登米市に在った歴史を大切にしながら街とアート、環境とアート、人とアートの意識改革を始めようと現在  Satoru Sato Art Museum 友の会事務局長、ミュージアムを皆さんと共に盛り上げて下さっている方、復興に向けて頑張って下さい】

東京駅屋根の復元 復興の気概でおおわせて

2011年04月18日
石巻市の文化財修理業者が保管していた東京駅・赤れんが駅舎の屋根材「天然スレート」6万5千枚が、津波で流された。戦後から使われてきた良質の県産石材で、業者は4万5千枚を回収したが、JR側は再使用に二の足を踏んでいる。スレートは硯(すずり)に使われる粘板岩を薄い板に加工したもの。明治以降の西洋建築に多く使われ、東京駅の他は北海道庁旧本庁舎や京都府庁旧本館の屋根材などに使われている。登米市や石巻市雄勝町が産地だ。東京駅の屋根には戦前に雄勝産、戦後の修復で登米産の石材が採用された。石材卸売・製造業「雄勝天然スレート」の役員、四倉年思也(と・し・なり)さん(63)によると、スレートは「1平方メートルで材料だけで1万5千円。瓦の4〜5倍程度の値段」という。東京駅は2003年に国重要文化財に指定された。現在、戦前のドーム形の建物に復元する工事が2012年の完成を目指して進んでいる。ここでスレートの補修を任されたのが、石巻市の「熊谷産業」だった。同社は09年5月以降、縦30センチ、横18センチのスレート計約20万枚を駅舎から外して持ち帰った。1枚ずつ割れ目などを調べ、使用可能な約13万枚の汚れをたわしで落とした。作業が終わったものから納品し、今年7月に残りの約6万5千枚を納める予定だった。しかし、津波で保管倉庫が流され、壊滅的な被害を受けた。熊谷秋雄社長(46)は従業員と家族約10人で、2週間かけて4万5千枚を集めた。「日本を代表する建物。自分たちの片づけを後回しにしてやった」熊谷さんは元請けの共同企業体に「4万5千枚を回収した」と報告したが、「塩害もあるので、スペイン産の発注を決めた」と告げられたという。熊谷さんは「洗い落とせば問題なく使えるはずだ」と見る。JR東日本は「被災状況を確認している」という。東京駅にスレートが使われているのは、地元の誇りだった。事情を知った「赤れんがの東京駅を愛する市民の会」(東京)は15日、JRに要望書を持参。「文化財修復では、建築の遺伝子を持つ当初の材料を尊重するのが原則」と訴えた。熊谷さんは「津波に耐えたスレートを再び使ってもらえれば、復興のシンボルになるのですが……」と話している。
(一色涼) asahi.comマイタウン宮城> 記事 

【ミュージアムを見学に登米市に来て頂いたり、二度、パリでお会いしている熊谷さん、あなたの笑顔と行動力で頑張って下さい】

2011年4月22日金曜日

日本領事館の抗議

時事通信 4月22日(金)11時44分配信
【ニューヨーク時事】国際英字紙インターナショナル・ヘラルド・トリビューンは21日付の論説欄に、日本産食品について放射能汚染の懸念が高まっていることを、白雪姫の毒リンゴにたとえてやゆした1こま漫画を掲載した。これに対し、在ニューヨーク日本総領事館は同日、発行元のニューヨーク・タイムズ社に抗議した。
漫画は「日本、核放射線」と書かれた新聞を手に持つ白雪姫が、リンゴ売りの老女に向かって「待って。日本から来たの? 」と尋ね、リンゴを虫眼鏡で検査する場面を描いている。総領事館は「日本からの食品に対して根拠のない不安感をあおりかねない内容であり、誠に遺憾だ」と抗議。総領事館によると、ニューヨーク・タイムズ社の国際版編集長は「申し入れを重く受け止めている。今後の対応を慎重に考えたい」と応じたという。

2011年4月21日木曜日

復興に向けて!

【 東日本大震災で被災した宮城県の名取市閖上小と閖上中の始業式が21日、同市不二が丘小で開かれた。児童生徒は避難所などからスクールバスで登校。悲しみが癒えない中で、新学期に臨んだ。閖上中の始業式には新2、3年生88人が出席。高橋澄夫校長が「桜の花が満開になった。犠牲になった友人や先輩の分まで、助かった命を大切にしてください」と式辞を述べた。自宅を津波で流され避難生活を送る生徒が大半で、ほとんどが私服で出席。生徒代表としてあいさつした3年生相沢佳奈さん(14)は「同級生や先輩、後輩、祖父と祖母を亡くした。もっと話すことがあったのにと後悔している。これからは一日一日を悔いのないよう、大切に生きていきたい」と涙ながらに話した。閖上小の始業式も児童約200人が出席して開かれた。両校の授業は当分の間、不二が丘小の空き教室を使って実施される。児童生徒が複数の避難所などに分散しているため、市教委は市内や仙台市南部などを結ぶ送迎バスを走らせる。仙台市内などの多くの公立高校でも同日、始業式が行われた。2011年04月21日木曜日/河北新報より。】


〖東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県東松島市野蒜のびるのJR仙石線野蒜駅で21日、在日米陸軍と自衛隊によるがれきの撤去作業が始まった。あおば通駅(仙台市)と石巻駅を結ぶ仙石線は、JR東日本ががれきの撤去や線路の復旧に取り組んでいるが、沿岸部の被害が甚大で、宮城県などの要請を受け、米軍などが撤去作業に協力することになった。米兵約40人と自衛隊員16人がこの日、津波で駅舎に流れ込んだ冷蔵庫や自動販売機を運び出し、重機でホームのがれきを取り除いた。米軍はこの作戦を「ソウル トレイン」と命名。指揮を執る在日米軍のアラン・ネイランド大佐は「作戦に日米の魂を注ぎたい」と話した。(2011年4月21日14時41分  読売新聞)〗


【東北大ボート部が、震災を乗り越えて夏のインカレ(全日本大学選手権)を目指している。部員は無事だったが、本拠地の名取市の合宿所が被災。艇庫のボート33艇も壊れた。それでもオールをこぎ続けるのは、激しい議論の結果だった。東北大ボート部の前身は、1895年設立の旧制二高水上運動部。ローマ五輪に出たこともある。インカレの9人乗りエイトでは5回優勝した強豪校だ。部員は約50人。普段は、仙台空港に隣接する合宿所・艇庫を足場に、脇を流れる堀で練習している。春休みも例年なら名取市で合宿するが、今年は改修のため、2月14日〜4月3日の予定で埼玉県戸田市の合宿所で練習していた。3月11日、4年の主務・松本安弘さんは東京の実家にいた。テレビが仙台空港と津波を映し出した。隅には艇庫。名取川を津波とがれきがさかのぼっていた。「見慣れた場所なのに、日本とは思えなかった」。主将の佐藤洋平さんの実家は東松島市で、家族の無事の確認に数日かかった。13日午後、部員は戸田市の合宿所に集まった。「何をすべきなのか」を話し合うためだった。「こいでいる場合ではない」「ボランティアに加わりたい」。合宿中止の意見に対し「自分たちは現役の漕艇(そうてい)部員。レースに出るのは自分たちにしかできない。この場所でこぎ続けるべきだ」との声もあった。議論はどうあれ、練習しないと競技にはマイナスだ。少しずつ練習する部員が現れ、15日から全員が練習を再開した。同時にグループ別の議論を繰り返すうちに、方向性が固まった。「部のスタンスとしては個人の意思を尊重する。個人としてボランティアに行くのは仕方がないが、部としてはインカレでの優勝を目指して練習する」約2カ月間の合宿を今月3日に終えた部員らは、名取市の合宿所に駆けつけた。艇庫のボートは壊れ、練習で使っていた堀には、がれきがたまっていた。黙々と片付けた。ボート部長の黒川良望さん(東北大教授)は「全員無事だったのは奇跡」と話した。部員は再び戸田市の合宿所に戻り、今月下旬まで練習する。新入生を勧誘し、他大学のボートや練習場を借りてこぐ。主将の佐藤さんは言う。「自分たちができるのは、こぎ続けることしかないんです」(山上浩二郎)2011年4月21日/朝日新聞より。】

2011年4月20日水曜日

日本滞在の外国留学生に変化!

東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で、帰国を早めたり、訪日を取りやめるなどした留学生が、留学生の多い71大学だけで計約4330人に上ることが、読売新聞のまとめでわかった。影響は被災地や首都圏だけでなく、西日本にも及んでおり、留学生の多い私立大では経営への影響を懸念する声も上がっている。文部科学省は、災害救助法が適用された宮城、岩手、福島の各県などに居住する国費留学生について、本国からの航空券を無償給付することを決めた。留学生の多い主な71大学について、留学生や留学予定者の動向を聞いた。東北大(仙台市)では、地震が発生した3月11日時点で1499人の留学生がいたが、このうち3分の2に当たる1000人以上が帰国した。約270人が入居していた留学生用の宿舎には20日現在で16人しか残っていない。福島大でも、留学生177人のうち約120人が帰国した。大学の講義開始は5月9日だが、同大では「どの程度の留学生が戻ってくれるか分からない」としている。東京大でも、昨年10月から1年間の予定で来日していた教養学部の交換留学生28人のうち11人が、4月からの講義に出席していないという。西日本の大学でも同様の動きが出ている。関西学院大(兵庫県西宮市)では、4月から1年間留学する予定だった米国人ら12人が辞退し、昨年9月から通う留学生も17人が3月末に予定を早めて帰国した。アジアを中心に留学生が全学生の2割程度を占める尚美学園大(埼玉県川越市)では、留学生の2割弱に当たる約80人が20日現在も学校に戻っていない。同大は、「経営にも影響を与えかねない」と懸念する。各大学によると、留学生は原発事故や余震の不安を訴えているほか、「親が行くなと言っている」「国が止めている」などと伝えてきているという。(2011年4月20日14時38分  読売新聞)

仙台市宮城野区の岩切地区は、

東日本大震災と7日深夜の大きな余震により、仙台市宮城野区の岩切地区で、甚大な建物被害が出ている。町内会関係者によると、地区内の住宅の約4割が被害に遭っているという。地区内の避難所は既に閉鎖されており、防犯上の不安もあって、損壊した建物や車内で寝泊まりしている人もいる。住民は「被害が大きいのに、行政の支援から取り残されている」と不安を訴える。岩切地区の今市東に住む会社役員相沢明さん(56)、久子さん(56)夫妻は震災以降、ブルーシートを張った自宅車庫で暮らす。夜は車の中で寝ている。築17年の木造2階の住宅は壁が崩れ落ち、玄関も壊れ、電気やガスも使えない。保険会社には「全壊」と言われたという。久子さんは「住める状態じゃなくても、戸締まりできないので、家を空けるわけにはいかない」と訴える。宮城野区で最大震度6強を観測した7日の余震で状況は悪化。地区内は瓦が崩れるなどして、ブルーシートで覆われている住宅が目立つ。陥没や段差で、通行止めになっている道路も多い。市の被害把握は進んでいない。宮城野区区民生活課は「沿岸部の被害が大きく、そちらを先行せざるを得ない。罹災(りさい)証明の調査で被害が把握できるが、内陸部は進んでいない」と説明する。地区内にある岩切小の避難所は9日閉鎖。区は「さらに被害が増えれば、地区内に避難所を開設することもあり得るが、現状では空きのある避難所に避難してほしい」(総務課)と地区外の田子、福室両市民センターなどへの避難を勧める。25年前に増築した部分を残して、築約50年の自宅がほぼ全壊した女性(51)は増築部分にブルーシートを張って母親(78)と生活する。「先祖からの土地なので離れられずにいるが、この辺はもう『ブルーシート・タウン』。被害は深刻なのに、公的な支援から見捨てられた感じがする」と話している。(浦響子) 河北新報/2011年04月20日水曜日

登米市も頑張っています!

支える人々(7)登米市長・布施孝尚さん

◎地元団体と沿岸部を支援/継続と効率考え連携

―登米市は市内17団体と連携し、南三陸町内で物資を輸送する支援に取り組んでいる。

<被災地情報共有>「市と参加団体が人員を出し合い、ローテーションを組んで避難所に物資を運んでいる。3月24日に始めた。連携の利点は支援活動が長く続けられること。一つの団体が1カ月間支援を続けることは難しいが、まとまった数で協力し合えば可能だ」「当初、各団体は別々に被災地の支援をしていた。一つ一つの取り組みは素晴らしいが、情報を共有していないと、同じ場所に支援が重複するなどのマイナス面が出てくる。効率的に被災地を支援するためにも、各団体に協力を呼び掛けた」

―津波で甚大な被害を受けた気仙沼、石巻両市、南三陸町と隣接する登米市には、沿岸部からの避難者が多い。
<私有地の活用も>「避難者に適切な支援が行き渡るようにするため、4月1日に震災被災者支援対策室を設けた。健康管理や物資、教育など各分野を担当する職員7人を配置した。避難住民としっかり意思疎通を図り、生活の再建へ前向きになれるよう後押ししたい」
―仮設住宅の建設地を提供する役割も期待される。
「隣接する沿岸市町の被害を考えれば、相当な数の需要が出てくる。公用地だけでは足りず、民有地の活用も検討しなければならない。市内では公用地、民有地合わせ、仮設住宅1000戸以上の建設が可能な約10万平方メートルを候補地としてリストアップしている。市民から土地を提供したいとの申し出もあり、調査を進めたい」「仮設住宅の建設地をまとまった面積の土地だけに限定すれば、どうしても町外れになってしまう。高齢者にとっては不便な場所だ。中心市街地に点在する空き地を活用してもいいのではないか。中心部なら買い物や病院に歩いて行ける。仮設住宅同士が隣り合っていなくても、同じ地域にあれば避難住民同士のコミュニティー機能は壊れない」
―被災地の復興を考える上で今後重要になることは何か。
<市町の枠超えて>「広域的な地域間連携だ。医療や介護、福祉などさまざまな分野で震災の被害があり、それぞれの自治体の中だけで解決するのは難しい。かつてと比べ交通の利便性が格段に高まっている中、市町の枠を取り払った復興計画をみんなで描く必要がある」  河北新報、2011年04月19日火曜日から、

2011年4月19日火曜日

『風評被害』、在っては成らない事です!


玄葉光一郎国家戦略担当相(衆院福島3区)は19日午前の閣僚懇談会で、福島第1原発事故後、旅館やホテルが福島県民の宿泊予約を拒否するなどの不適切な事例が起きているとして「各閣僚は業界への指導など、できることを精いっぱい行ってほしい」と述べ、差別的な取り扱いの是正に協力を求めた。この後の記者会見で玄葉氏は、他県に転出した子供が「放射能がついている」といじめられたケースを紹介し「人への『風評被害』が起きている」と指摘。「福島県民は冷静さを保って行動しているが、一部の心ない方の対応は本当に残念だ」と強調した。枝野幸男官房長官は会見で、福島県民に対する差別的な対応について「明らかに過剰反応だ」と批判。「県民は避難や風評被害で苦労している。温かく受け止めてほしい」と呼び掛けた。(共同)[2011年4月19日12時48分]
〖 風評被害、一部の心ない方々の対応、逆の立場に立って自分が被害者に成ったら考えてみると良く解ります、痛みを皆さんで受け止めて、皆さんで励まし 合い、災害から立ち直って欲しいと皆さんが望んでいます、日本は頑張っています、現場で困難に立ち向かって行動している方々がいます、耐えて、明日を信じて!〗

奇跡の生還! 

奇跡の生還
ご無沙汰!我が家の余震被害DOCUMENTです。
3月24日早朝、我が家に激震! 妻の様子が変なので朝一で病院へ、そこから救急車で千葉医療センターへ。
右後頭部強打による左前頭部脳挫傷。4日間昏睡状態。原因は転倒等によるものだそうですが、本人記憶なし。
5日目から声、言葉が出るも幻覚症状、言語、記憶障害でした。意地っ張り、見栄張り、負けず嫌い・・・の性格が奏功。
7日目、ようやく幻覚も収まりつつ、自分や家族の名前もはっきり認識。会話、食事、可能。10日目、歩行、トイレ可能!!!
4月14日、入院22日目で退院。まさに奇跡の生還でした。「アポロ13号」か「はやぶさ」の地球への生還までの戦いのようでした。 地震、津波被災地の方々を思えば!!!これからは、しばらく在宅勤務で「焦らず、慌てず、諦めず」の3Aで、
魔の22日から奇跡の生還、これからの人生を夫婦第三ステージのライフワークを組み、畑仕事など楽しみたいと思います。大切にしましょう健康と家族!!!  健康優先、お元気でご活躍を!!!!!

〖 余震による転倒、左前頭部脳挫傷で4日間昏睡状態だった方が見事に退院されたと伺って吃驚致しました、最近、メール連絡が無く成ったので、余震が続く中、忙しくしているのかなと思って居ましたが、奥様がそう言う災害に遭われていたとは知らずに失礼していました、無事に生還されて良かったですね、健康優先です、余震が未だ未だ続く様で、皆様、くれぐれも災害に遭わない様にお願い致します、メールの送り主は同級生の春日の勝ちゃんです。〗

2011年4月18日月曜日

〖柳の湯〗河北新報の記事から。

手作り風呂 笑顔沸く/漁師・柳橋浩哉さん(29)=石巻市

柳橋さん(左)が造った「柳の湯」。入浴に来た子どもたちも楽しそう=7日、石巻市狐崎鹿立屋敷
◎浜は家族 もう一度海へ

 「ぬるぐねぇがぁ~」 湯加減を尋ねると、子どもたちの元気な声が「ちょうどいいよ~」。
 牡鹿半島にある石巻市狐崎の鹿立(すだち)浜。脱サラ漁師、柳橋浩哉さん(29)は、にわかに風呂屋の主人になった。
 「みんなに喜んでもらえるのが何よりだよ」
 鹿立浜と隣の福貴浦の集落は、3月11日の津波で壊滅的被害を受けた。住民約140人が集会所や民家、水産会社の倉庫に身を寄せる。食料は心配ないが、水道や電気の復旧が遅れ、3週間以上も入浴ができずにいた。
 柳橋さんも被災者の一人。風呂造りを思い立ったのは3月下旬だ。浜に流れる小さな沢を設置場所に選んだ。漁師仲間の平塚友洋さん(25)の手も借り、壊れた家の風呂おけを運び、側溝のふたやドラム缶で釜をこしらえ、完成まで約1週間。
 「途中、実際に入ってみながら工夫を重ねた」という。沸かした湯をホースでおけに流せるようにし、女性が気兼ねなく入れるためのカーテンを付け、風呂釜のドラム缶も2本に増やした。
 待望の「風呂開湯」のニュースは集落中に知れ渡った。「久々の風呂。生き返ったよ」「ありがとう。お世話さま」。住民たちは開設者に敬意を表し「柳の湯」と呼ぶ。

去年暮れに三陸海岸を旅したパリ在住の写真家より。

〖  放射能に関しての捉え方は、本当に人それぞれのように感じます。東京でもひどく警戒して、家は締め切り、外へ着ていったものはすぐ洗う、お米もミネラルウォーターで研ぐ、、という人もいれば、千葉の親類などは”そんなもん、絶対ここにはこないよ”と言い切っていたり、、、。学者さんからの情報も、大丈夫派と、絶対危険派に別れるような気がします。
目に見えないものだけに、分かりやすく、はっきりとした情報が欲しいものですね、、、。“直ちに人体に影響はない、、”という台詞はなんだかうんざりです。東京で恐れている人もいるのでしたら、もっと近くの、東北の皆さんはどんなに不安か、、、と思います。
先ほどの昼食会で、隣にいた女性が、”トウキョウ行ったの?被ばくしてるんじゃない?私に近づかないで!”(半分冗談だと思いますが、、)と何度も言ってきたのには、正直むっとしました。冗談にしては悪趣味だし、本当に思っているとしたら、彼女の人格を疑いますね、、、。現地の人たちは本当に大変なことになっているのに、これからは “日本=放射能=危険” というイメージまで出来てしまうのか、、、と悲しくなります。

佐藤さんのブログを見て、地元の方からのメールも読ませていただき、あらためてこの震災の大きさを感じて言葉を失います、、、。
無くなってしまったものが、あまりにも大きぎます、、、。一ヶ月経った今でも、どうなっちゃうんだろう、、、という大きな不安と悲しさでいっぱいになります。
去年暮れに旅をして、大好きになった美しい三陸海岸、出会った人たちも本当にあたたかく、そんな人たちの生活、宝物、すべてが瓦礫になってしまった事を消化するのが難しいです、、、。漁港で地元の人に連れて行ってもらった、海辺の小さな神社には、早朝から海の神様にご挨拶する漁師さんがいたのを思い出します。

がんばれ!というにはあまりにも大悲劇で、海外に住んで募金に参加するくらいしか出来ない自分がなんだか情けない、、、。
もうこれ以上揺れないで!、、また皆さんの傷が少しでも癒されますように、、と祈るばかりです。 
PS、ニュースを見ると、震災後一ヶ月間お風呂に入れていない方が多数いるとありました、、いろいろ事情はあるのだと思いますが、こんなに豊かな今の日本で、なぜ一ヶ月も不自由な生活を強いられてしまう人が出てくるのか、、、やろうと思えばいくらでももっと出来ることがあるだろう、、、と苛立ちをおぼえます。勝手な事を言ってすみません、、、。〗A・T

2011年4月16日土曜日

ARIGATO 。 有り難う!

 【ワシントン=山田哲朗】東日本大震災で水没した仙台空港の復旧を支援した米空軍第353特殊部隊のロバート・トス司令が15日、沖縄県嘉手納基地とワシントンを結んだ電話記者会見で、被災者が海岸に「ARIGATO」の文字を作って米軍に感謝を表してくれたと明らかにした。
 トス司令が上空から見た文字は、長さ6~9メートルのマツの木を並べて作ったものだったという。同部隊は自衛隊と共に滑走路のがれき撤去や臨時の航空管制などにあたり、輸送機で水や食料も運搬した。
 トス司令は支援を振り返って、「驚いたのは自分たちも被災しながら日夜、復旧に努める日本人の姿だった。ありがとうは日本の人々に送りたい」と話した。
(2011年4月16日17時45分  読売新聞)

2011年4月15日金曜日

2泊3日、東京に滞在した友人から、

                                                                                 シャティヨンの準備進んでますか?

昨日東京につきました。到着直後にも結構大きな地震があったり、(私はバス移動中でわかりませんでしたが)その後も、しょっちゅうゆらゆら揺れたりしていますが、東京の人はかなり落ち着いています。コーヒーショップで天井のランプが
ブラブラ揺れて、私はビクッとしましたが、みな ” あら、地震ですね、、、” とまるで何もなかったような反応です。
ひさしぶりに行った私には、節電の様子もはっきりと分かり、照明の消えたショウウィンドウや、止まっているエスカレーターを見る度、この震災の影響をあれこれ考え、なんだか悲しい気分にもなるのですが、生活している人たちはもう慣れてしまったのでしょう、、、。
原発はもはや、末期状態で、かなりマズい状態をどうやって最小限におさえるか、といった感じで、いずれにしても、歴史的な惨事が遠くないところで今起こっているのに、テレビでは野球のオープン戦でお祭り騒ぎ、、、。不思議、不気味、、、、騒いでもしようがない、というのは分かっているものの、なんとも言えない気分になります。

               明日パリに戻ります。お会いするのを楽しみにしています。
                           A・T

現場からの報告・名取

普段の生活とはまだ程遠く、ましてまだ行方不明な方の捜索で名取は自衛隊の車が沢山往来し検視の当番がありデンチャーが頼りの遺族が控えておりますから私達はこれからまだまだ続きます。仙台市内はガスの不便さはございましたが沿岸とは被害の大きさは違いますから、仙台市内は一度通りすぎただけです。皆さんがストレスを抱え、のんびりは本当に遠い明日でしょう。


〖昨日、東日本大震災発生から1ヶ月をむかえる 河北新報4月10日(特別態勢紙面)と11日の震災記事を読んで、これ迄、テレビで見ていたものと違い、現場からの報告が身にしみてきました、”  3・11大震災 亡くなった方々(8日までの判明分)" 6ページに及ぶ、岩手、宮城、福島県の名簿を見て、特に宮城県が多く、又、まだ行方不明の方々も多く、1ヶ月も過ぎてしまい、海に流された方々も多くいらっしゃると思います、〖 ご冥福を、お祈り申し上げます 〗、只、新聞の1面に大きな見出しで ” 復興期し智恵結集 ” と言う言葉に、現場で既に復旧作業に携わっている方々に感謝を、傷みを分かち合い、悲しみは一人ではない、みんなのものです、そこに日本人の連帯が在る様に、世界からの心の支援も在ります、復興への道へと、願っています、福島原発事故がどのように処理されて行くのかも、世界が注目している所でも在ります、被害に在った方々に対しての連帯、日本だけの問題でなく世界の問題でもある訳ですから、頑張って下さいと祈る以外に言葉がみつかりません、『 皆さんがストレスを抱え、のんびりは本当に遠い明日でしょう。 』その言葉が心に突き刺さります、パリでは多くの芸術家の心の連帯に支えられながら、6月30日の連帯・オークション開催を目指して行動しています。

2011年4月14日木曜日

白松 一郎 さんより連絡頂きました、

仙台の親しい仲間は〖白松がモナカ本舗〗の社長さんを一郎ちゃんと呼んでいる、理由は心優しいお兄さんの様な方と言う事です(仲間の方々には、大江の勝ちゃん、斉藤ちゃん、ノリコちゃん、二人のヨウコちゃん、レイコちゃんもいらっしゃいます)、その白松の一郎ちゃん、いや、白松さんから電話を頂き、仙台の状況やマンションの様子を教えて頂きました、電話中に丁度、日本から国際スピード郵便が届き、送り主が白松さん、電話でおしゃべりしながら郵便を開封すると、河北新報4月10日と11日発行の新聞が同封されていました。東日本太平洋沖地震災害の1ヶ月後の新聞に記載されている津波災害の写真と死亡確認欄をみて絶句、1ヶ月が過ぎ、地震と津波の復旧に向けて立ち上がっている様子は嬉しいニュースです、問題は福島原発事故に関して、政府が現場に住む皆様を、国民をどのように考えているのか、現場の皆様の苦悩を一日も早く取り払う様な声明を行動をとって欲しいと願う白松さんの電話は被害に在って居る現場の皆様を代弁する言葉でした、いろんな噂が被害に在った方々を不安します、一日も早い正確な情報の公開を願っています。

パリに Jessica ちゃんが!

親戚のJessica ちゃんが、ニューヨークからヴァカンスで久しぶりにパリに立ち寄りました、ご両親とは30年前でしょうか、 Jessica ちゃんが誕生する前、パリで会っていました、彼女とはパリで、仙台(東北大学に研修留学中 )でと会っていますが、娘のアキと同世代、中学と高校の時かな夏休みにハワイのお宅にお邪魔している大の仲良し、Jessica ちゃんのお父さんはハワイ大学で教鞭を取っていた彫刻家の Sato Mamoru 大兄(ハワイ大学内にも彼の作品が設置されています)。私のお爺ちゃん達が兄弟で、Mamoru さんと私は孫同士、ロス生まれの日系米国人です、Mamoru さんとは同じ芸術家、お互い個展の案内状を頂いたり送ったり、近い内に、ハワイかニューヨークでお会いしたいと思って居る所です。私には姪が4名、甥が2名いますが、姪の美香ちゃん一家や百合ちゃんは外国生活、日本の地震災害とこれからの復興を心配しています、特に福島原発事故に関した外国のニュースは何故か日本政府情報公開より正確で早い事が在りますので。

いろんな記事が、

起きて欲しく無いけど、避難の準備を!願います!


余震は正断層型、今後も活発=引き波、スマトラ沖より巨大—東北大

時事通信 4月13日(水)22時54分配信
東北大は13日、東日本大震災を分析した緊急報告会を仙台市内で開き、3月11日の本震と4月11日に福島県南部で発生した余震は地盤の動きが正反対だったと説明した。沈み込んでいた海側のプレートが滑り落ちたことで、陸側プレートへの圧力がかからなくなっているといい、今後もプレート間地震のほか、陸や海のプレート内で発生する恐れがあるという。
また、複雑に入り組んだリアス式海岸の影響で、引き波はマグニチュード(M)9.1を記録した2004年のスマトラ島沖地震の津波よりも大きかったとした。
東北大大学院理学研究科の海野徳仁教授は、3月11日の本震は逆断層型、4月11日の余震は地盤のずれる方向が逆の正断層型だったと説明した。今後の余震でも、エネルギーのバランスを取るために異なる地震が誘発されることがあるといい、M7クラスの余震が続くと考えられるという。
スマトラ沖地震では同じプレートの境界で3カ月後にM8.6の大地震が発生しており、千葉県沖や青森県沖でも連鎖的な地震が発生する可能性があると警告した。 


震源域東側でM8級、早ければ1か月内…専門家

読売新聞 4月14日(木)3時15分配信
東日本大震災の震源域の東側で、マグニチュード(M)8級の巨大地震が発生する可能性が高いとして、複数の研究機関が分析を進めている。日本海溝の東側で海のプレート(岩板)が引っ張られる力が強くなっているためで、早ければ1か月以内に津波を伴う地震が再来する危険がある。
M9・0の東日本大震災は、押し合っていた海のプレートと陸のプレートの境界面が破壊されて起きた。そのため周辺の地殻にかかる力が変化し、東日本全体で地震が誘発されている。
京都大防災研究所の遠田晋次准教授(地震地質学)は全地球測位システム(GPS)の測定データから、海のプレート内部で引っ張られる力が強くなっていることを突き止めた。明治三陸地震(1896年)の37年後、昭和三陸地震を起こしたメカニズムと共通しているという。「今、昭和三陸規模の地震が起きると、仙台市で10メートルの津波が押し寄せる計算になる」と言う。

北川 順一郎 さんからのメール No2

了解!今朝も地震で起きてしまいました。ドイツのお金は「売上金」として下さい。まだ知らせていなかったかな? 先月瀬木慎一氏が亡くなりました。皆元気なうちにと今年の暮れに個展を予定しています。

〖 1ヶ月過ぎても、これ迄の余震と言う私の常識を破る長期にわたる強い余震で驚いています、災害現地では復旧作業が行われていますが、余震で中断される事の無い様に、地層が早く落ち着く様に祈っています、ドイツのお金とは、昨年、9月から10月にかけてドイツ(ザールイ市)のグループ展に北川さんの作品を招待させて頂きましたが、その時、彼の作品が2点売れ、今年に入ってドイツに行った時にお金を預かって来ていました、そのお金を、6月30日にパリで開催される、連帯・登米の連帯オークションの売上金にとの温かいメール頂き、感謝です、それから、先月、亡くなった瀬木慎一郎氏とは、国内外で美術評論家として活躍した瀬木先生、北川さんとは特に親しい間柄、さぞかし、驚かれ、悲しんで居られる事でしょう、合掌! 今、悲惨な震災から悲しみ、苦しみを乗り越えて立ち上がる時、JAPON は、JAPANは、ジャパンは 前進する! 謙虚に世界に羽ばたく、そう、飛躍することを、みんなが待っているのだから!。〗

2011年4月12日火曜日

Solidarité Tomé 〖 連帯・登米 〗No3

                                                                            Solidarité  Tomé   
                                                                           appel à solidarité
3週間前、Galerie Drouart のDaniel と Arthur に〖東北太平洋沖地震災害に対して、Satoru Sato Art Museum に寄贈して下さった作家の皆様中心に声をかけて作品を無償提供して頂きその作品を競売(オークション)して頂き、売上金を宮城県と登米市に贈りたいと、既に、画家の Garcia-Rossi や多くの作家から、作家達による連帯を呼びかけてと嬉しい要求が在り、美術評論家 Gerard Xuriguera からは、幾何学構成アートの作家達だけでなく傾向の輪を広げて多くの作家達が参加する様にと彼の推薦する作家達のリストを頂いたり、金額はともかく、災害現場で自分達の被害を顧みず、他の皆さんの為にと復旧作業に取り組んでいる仲間達に、パリからみんな一緒に心配している事を、一日も早い復旧を願い、芸術家の連帯メッセージを贈る企画をしたいので、力になって欲しいと〗相談、次の週明けに、Chayette et Cheval 氏を紹介して頂き、彼の事務所での第一回目の打ち合わせが出来ました、今回掲載した写真は、左からSéverine Berti , Anne d'Artigue , Satoru , Arthur Cavanna , Daniel Shildower , Pierre Mavropoulos,  Chayette et Cheval の皆様です。Pierre は昨年の登米アート・トリエンナーレに参加した作家、彼に事務方をお願いして 、カタログ制作、競売はオークションが専門の Chayette に一任(資料担当は Charlotte Van Gaver )、コレクター関係は Galerie  Drouart にお願い、各自が担当して動き出しました。既に、Drouot の広報部からSéverine とAnne が取材に、参加者は現在、Crez-Diez , Garcia-Rossi, はじめ88名の了解を頂き、目標は更に多くの作家の方々に参加して頂く様にパリで頑張っています。

北川 順一郎 さんからのメール No1

毎日揺れています。おそらくそちらで想像しているより深刻な状況です。震源が段々と下がって来ていて、茨城、千葉の方になっています。福島原発の方も(レベル7)になりました。私は新築の建物に入っているので、おまけにもう年だし、子供も居ないしと開き直っています。

この間云うのを忘れたのですが、チャリティーの方は東北にと思いますが、別にドイツのお金、去年お世話になった登米市に義援金として登米市長にお渡しする事にしますので、どういう方法が良いのか?逹兄が帰って来てからの方が良いのかお手数ですが考えて下さい。
                                           サトル様へ 兎に角、地震、津波は日本の有史初の巨大災害+原発

2011年4月10日日曜日

東京、横浜、茅ヶ崎から、応援にメール届いています。

◐連日、原発のニュースばかり、登米市の事だけが気がかり。幸い東北方面に知り合いが少ないのです。かの有名なパリのDrouot Montaigne での芸術家・連帯、オークション、私の作品が少しでもお役にたつならば是非お使い下さい。毎日の様に余震が有りますが、少しぐらいの揺れは不感症気味、年のせいか、地震のせいか?くらくらしています。おまかせばかりで恐縮です。サトル様へー順拝


◉佐藤 達 様
日に日に被害の状況が明らかになるにつれ、これからの日本が本当に立ち直れるのか心配になる状況です。しかし、何かをしなければ前へ進めないことも事実です。自分の作品が何かのお役に立つのであれば、もちろん協力させていただきます。
よろしくお取りはからいください。とりあえず、ご連絡まで。 市野泰通


◑佐藤逹様
東京は計画停電も春の気温の上昇とともに、実施されない日も増えて、少し落ち着きも取り戻して来た気がします。駅構内や商店など人の集まる所の照明が半減し、エスカレーターもあまり動いていなくて、節電のためすっかり暗い状態が続いています。この度、佐藤さんからご案内のありました  Chayette & Cheval が企画する、連帯・オークション(東北太平洋沖震災、登米市に義援金を贈る芸術家の連帯行動)に喜んで協力させて頂きます。茅ケ崎のアトリエで今年一月に作品を制作し、写真撮影の時に自分の今回の作品が、何だか日本国旗に似てしまったなあと思ったのも、昨日のようで、何かの暗示だったのかな?なんて考えてしまいます。普段はそのようなことはあまり考えたことがない人間ですので。「ガンバレ!ニッポン!!」ですね。よろしくお願い致します。 中川猛

青森からのメール、

メールをありがとうございます
地震からのその後が とても気になっておりましたが、3.11の時 登米市の震度が一番大きいと報道を見てすぐに佐藤さんの顔が浮かびました、こんな時にはメールもなんだか、な、、と 控えておりました、
青森市は3.11の時に24時間だけ停電でもう普通に生活してます、すこしスーパーやコンビニの棚に空きがあるかな物流ではしょうがありませんね、先日の大きな余震でもやはり24時間ほど停電になりました
偶然にみかけた誰かのブログで あの石ノ森記念館のストリートにある仮面ライダーの「無事でした 罹災者に勇気」みたい文を読んで「えっ あの抽象展開催していた街並まで被災したの!? 」と声も出ませんでした 昨年秋に 車で見て歩いたばかりなのに、、
来週は SARPで関本君の個展ですね、おいそれとは行けないので 声援だけ
私も6月に秋田市で個展の予定です、でもまだ 何も出来ていません焦ります。
ご自愛ください。 橋本尚恣

頑張れ!Japon ! ガンバレ!MIYAGI !


宮城県の村井嘉浩知事は9日、東日本大震災の津波で壊滅的被害を受けた沿岸部の復興について「津波を前提に考える必要がある。行政が住民の命を守らなければならない」と述べ、高台への移住を促進させる考えを強調した。漁業の早期復興に向け、漁業者が株式会社をつくる構想も提唱した。村井知事は「いつまでも喪に服すばかりでなく、一歩大きく踏み出す時期に来ている」と指摘。「先頭に立って県民を鼓舞しながらやっていきたい」と復興への決意を示した。沿岸部のまちづくりについて「無秩序に進むと混乱してしまう」として建築や土地取引を制限しながら復興を進める意向を表明。災害時に自治体や企業、県民の役割を明確に定める「防災条例」制定も検討するとした。
〖新聞の記事から切り抜き掲載させて頂きました、今回の東日本大震災を教訓に生活空間設計を計画的に50年先を、100年先の構想しながら、自然と人間が共有する生物共存の世界、伝統と革新的空間が変化し、刻々と変わりゆく自然界、人間社会の中で、癒しと活力の生み出す空間創りと意識革命は常に必要と思われます!〗

2011年4月9日土曜日

〖 ギャラリー K 〗の緊急企画!

4月9日(土) 
13:00 〜 15:00
内海信彦緊急レクチャー 
★ Ustream中継をお知らせします。

長谷川健司展「五万年の孤独を孕ませろ」特別企画
内海信彦 緊急レクチャー
「福島核災害と私たち・今の状況をどうとらえるか」
4月9日(土) 
13:00 〜 15:00  ギャラリイK
にて 
*入場無料*

田手さんからの速報!

最近は、東北の立ち直りの速さに驚くとともに、粘り強さを発揮しようとしている地元を誇りに思うようになりました。新幹線、JR在来線、仙台空港・・・今月内の再出発だそうです。海外でも驚いている・・・日本人は当たり前のことをしている状態なのでしょうね。
死者と行方不明者の多さには驚くばかりです。土葬処置の様子も流れています。何にも言えません。辛さはみんなの辛さです。
時間がたつにつれていろいろの問題が表面化しているようですが、復興に向けて前に進むしかありません。そのためにも、原発問題が早く落ち着いてほしいですね。地震や津波の影響があったことはわかりますが、とにかく政府(+保安院+原子力委員会)、東電、国内外の専門家、設置企業等を一つにまとめて喧々諤々とした中でも構いませんが、遅れた対策を少しずつでも取り戻してほしいものです。ただし、今からでも間に合うのでしょうか。素人なのでわかりません。日本の責任は大きいですね。

米軍のOperation Tomachiが終了し、三陸沖にいた原子力空母・ロナルド・レーガンが通常任務に戻ったそうです。特に、宮城県での米軍の活躍はすごいものがあったようで、それも、最初は躊躇気味だったのが自衛官の行動を見て一念発起したそうです。
TADE 

数分後、 23時32分にまた揺れました。宮城沖で7.4です。東京は震度3でしたが、結構長く揺れていました。宮城県は震度6があります。津波も50㎝~1m。東北新幹線が止まっています。仙台の中心部も停電していました。津波で避難勧告が出ているそうです。青森は広い地域で停電。岩手県全域も。
原発は記者会見でも、<確認してきます・・・>で終わり。保安院でしたが。一応大丈夫とは言っていますが・・・。ただ、女川原発で外部電源が3本のうちの2本が停電中。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110408-00000001-jij-soci 
今、登米市からの報道をやっています。停電中。信号機も。山形県や福島県も広い区域で停電。
速報です。

2011年4月7日木曜日

避難所救援・現場から、

頑張って生活しておりますが、明るく笑える日がいつ来るのでしようか?被災の大きさに心が痛みます。今は、出来る事をするだけです。世界中から支援を戴き 感謝です。仙台市内はまだガスが使用出来ないようです。沢山の方が不便な生活を強いられております。穏やかな日が待ち遠しい毎日です。M..M

2011年4月6日水曜日

Solidarité Tomé 〖 連帯・登米 〗No2

Le 11 mars à 14h46 un puissant séisme, de magnitude 9  a frappé le nord-est du Japon. Ce tremblement de terre a provoqué un tsunami d’une rare ampleur qui a dévasté les villes côtières de cette région, la préfecture de Miyagi dans laquelle se situe Tomé, ma ville natale, a été durement éprouvée. De nombreuses et puissantes répliques continuent d’affecter notre pays.
On dénombre à ce jour 27 000  morts et disparus (dont 13 000 pour la seule préfecture de Miyagi) et des destructions matérielles d’une étendue inégalée.  De nombreuses villes, en particulier portuaires ,ont été totalement rasées. Les préfectures d’Iwate,  de Miyagi et de Fukushima ont subi de considérables dommages.
Suite à cette catastrophe naturelle s’est produit un terrible accident nucléaire dans la centrale de Fukushima. Bien que la situation soit en partie stabilisée, les experts prédisent une lutte de longue durée pour circonscrire ce désastre écologique et industriel.
Il y a quatre ans le « Satoru Sato Art Museum » de la ville de Tomé était inauguré.  Riche d’une collection constituée grâce aux dons d’artistes, de collectionneurs, de galeries ainsi que de ma propre collection, ce musée d’ " art construit " unique au Japon compte à ce jour 605 œuvres dont 255 d’artistes et amis et 350 œuvres de ma production.
De nombreux artistes, dont certains sont présents sur les cimaises du musée, m’ont sollicité pour entreprendre une action de solidarité afin de venir en aide aux sinistrés du Japon et en particulier de Tomé que d’aucuns ont visitée.

J’ai donc décidé d’entreprendre une action aux profit de ces victimes.  Grâce à l’aide précieuse et désintéressée de mes amis Arthur Cavanna et Daniel Shildlower,  animateurs de la galerie Drouart, 
de l’étude Chayette et Cheval,  il a été décidé d’organiser une vente de Solidarité au profit des sinistrés de la ville de Tomé. 
Cette vente aux enchères d’œuvres généreusement données par les artistes, leur ayant droits et les éditions Del Arco aura lieu le 30 juin à 20h à la salle Drouot Montaigne. Les oeuvres seront exposées au public, en ce lieu, la veille de la vente.  
Je remercie Drouot Holding pour la mise à disposition de son site de l’avenue Montaigne ainsi que pour l’aide précieuse et experte de son service de presse. 

                                                                 Satoru  Sato