2013年12月31日火曜日

年末に、来客在り。

 Paris の Del'arco 版画出版社の François Pattez 氏と、久しぶりの昼食は、我が家の近くにある東京と言うレストランで焼き鳥と刺身の頂き(食べ過ぎでした)、その後、アトリエで来年制作予定の版画の説明をして原画を手渡した所です。又、台湾の Robert Cheng-Hsiung Chen さんの版画の話も、彼とは40年来の付き合い、美術評論家のXuriguera 氏とも葉巻の仲間、親父さんのHenri  Patez は画家で、パリで有名なシルク版画出版社の社長さん、今はその息子が受け継いでいるのです。登米市の Satotu Sato Art Museum には40点の版画やアコーデオン式版画集を寄贈して頂いています。

2013年12月26日木曜日

春日の勝ちゃんより、メールが届きました。

                                                                  親愛なる 佐藤 達 様

                                                クリスマス&早目の年賀メッセージありがとう。
                                          光陰矢のごとし、歳のせいか一年経つのは早いですね。

今週で仕事納めです。明日27日は地元の皆さんとの今年最後の忘年会です。何回目か?
日本のこの一年は、超大型台風、竜巻、大雨、土砂崩れなどこれまでに経験したことのない災害が連発しました。同級生や同期同業者のお見送り、医者通いも多くなりました。

朗報は東京オリンピック招致決定、最初の東京オリンピックは高校卒業年の1964年、あれから50年経ちます。7年後に生涯2度目のオリンピックを元気で見たいものですね。とするとやはり健康に気をつけなければ・・・。思うだけでつい仲間と飲み過ぎてしまいますが、これも円滑な人間関係とストレス解消のためと自己説得しています。

日本の今冬はいつもより寒く大雪みたいです。宮城の田舎では12月中旬に2~30㎝もの雪だとか・・・。パリも寒さが厳しくなるばかりですね。

ご家族お元気で良い新年をお迎えください。今年も一年いろいろありがとうございました。

                   2013.12.26  春日 勝三 拝  

北の古狸より、メールが届きました。

北の古狸より
日本では24日の夜、カトリックやプロテスタントの信者の方々は教会にクリスマス・イブのミサを、25日は午前、午後とクリスマスのミサをヴァチカンより早く教会に行きお祈りを捧げる方々が多く成っていますが人口の1%に満たない信徒の皆さんより盛り上がっているのが信徒とは関係の無い一般市民、子供のプレゼント、若者のパーテイー、繁華街のお店も賑やかな不思議な国です。街にはサンタのおじさんが出て、そう言う私も友人に誘われて繁華街に出かけて楽しい夜を、これで良いのかと思いながらアルコールが入るとつい、サトル君が羨ましがるカラオケで唄の1つ2つ、いや、3曲で止めて帰宅しました。
我が日本の神道や仏教など宗教の信者の人口比較はなんでも神道系が約1億700万人、仏教系が約 8、900万人、キリスト教系が約300万人、その他約1000万人、合計2億900万人となり、これは日本の総人口の2倍弱にあたり神道系と仏教系だけで2億人になると記されているとか、1億3千万人の人口で2億の宗教信徒数に成る事は欧米では理解出来ないと思うが我が家でも仏壇が在り神棚が在る様に神仏を共有している文化があるので外国人に理解されない所は忍耐強く説明して行く事でしょうな、日本では宗教戦争が起きにくい社会それが日本の生活文化の様です(昔、キリシタン弾圧は仙台でも在りましたが)、さてサトル君が知っているかどうか解らんけど安部首相が靖国神社を参拝した事でそれが悪と誤解されている節が日本では在る様でサトル君も知っている様に俺は決して右翼ではない心情的には左翼系だが、安部首相が恒久平和への誓いと言う二度と戦争を起こして成らないと言う誓いでアジアの友人で世界の友人と共に平和の実現を考える日本でありたいと、68年間、経済戦争らしきモノが在ったらしいが世界の平和と安定を果たして来た訳だからな、それを日本の新聞、テレビ報道関係が寄ってたかって批判するなんてドンなモノなのだろう。我々国民は戦争を望んでいないし第一次世界大戦でも第二次世界大戦でも戦争犠牲者に対して世界の国々が同胞の哀悼を尊崇の念を持ち、み霊にご冥福を祈っているのになんで寄ってたかって再軍備につなげようとするのか解らん。日本の国際感覚が無いという事ではなく、これが日本の霊者に対する信仰と受け取れないのか、無知な先輩として、フランスでは今回の靖国参拝は、どのように報道されているか、知りたいと一筆啓上した訳です。確かに戦争はいけない事ですが、喧嘩両成敗と言うことわざもある、侵略戦争、宗教戦争、植民地政策、勝者と敗者が在り、戦争裁判で裁かれてと言った歴史が在るし、今でも紛争の絶えない地球上で私の様な老いぼれも今の若者も日本が戦争を起こすとは誰も望んでいない平和主義の世の中ですよ。それも危険な事では在るけれど(自分の国を守れないと成ると困るが)、自分でも訳の解らない事を書いてしまったが、パリでの新年は如何なモノかな!俺の方は野山を眺めながら、そろそろ世捨て人の仲間入りで、仙台と田舎を往復しながら静かにのんびり家族と共に新年を迎えさせて頂きます。
再会を楽しみにしているよ。

2013年12月25日水曜日

12月25日、メリー・クリスマス

キリスト教・カトリック教会のフランシスコ・ローマ法王は、25日、ヴァチカン、サンピエトロ大聖堂前の広場に集まる信者に、又、世界の信徒約12億人にクリスマスのメーッセージを捧げました。










 <写真をクリックすると大きく見えます>

2013年12月24日火曜日

Joyeux Noël


仙台の光のページェントの写真が届きました。

   ターンアラウンドの安部ちゃんより、仙台定禅寺通りの<光のページェント>の写真が届きました、     昔々、サンタクロースの服装を着て、皆さんで定禅寺通りを歩いた時を思い出します。


2013年12月21日土曜日

山崎揚史 さんファミリーからのクリスマス・カードが届きました。

Yoshi Yamazaki2013年12月21日 15:00
A Merry Christmas from Sofia!

いかがお過ごしですか。
バルカン山中の我が家も次なるスッテプに踏み込みました。
刻々と今までにない変化をする世界、どう生きるべきか、
そんなことへの私なりのアクションです。
「賽は投げられた」といったところです。

今後ともよろしくお願いします。
お近くをお通りの際は、お立ち寄り下さい。

良いお年を。

ナーディア=イワノヴァ 山崎揚史 揚兄 雄巨
nadia ivanova yoshi yamazaki yoani yukio

2013年12月19日木曜日

中田生涯学習センターの木村さんより、楽しい写真が届いています。

 佐藤達先生おはようございます。
昨日は、中田生涯学習センター企画の「佐藤達先生と話そう」朝早い時間より、ありがとうございました。私は石森小学校を同席したのですが、子どもたちが緊張しつつも嬉しそうにお話しているのが印象的でした。石森小学校と、東郷小学校の写真をそれぞれ3枚づつ送信します。





2013年12月18日水曜日

今日は国際電話で、子供達と5ヶ月ぶりの会話が出来ました。

日本時間の15時丁度、8時間の時差が在るパリは未だ、薄暗い夜明け前の7時、我が母校の石森小学校に電話して校長室に待機していた2年生のKちゃんと、3年生のYちゃんと緊張の中にも楽しいパリと石森の話が出来ました、奥山校長はじめ担任の佐藤先生、兵頭先生、有り難う御座いました、30分間の会話が出来て、次は東郷小学校に15時30分過ぎに電話が出来ました、同じく夏にお世話に成りました佐藤裕子校長が出られてご挨拶、そして、6年生の J ちゃんとの会話、パリのアトリエ(仕事場)の話をしたり、一昨日ドイツに行った事をしゃべると、エーとドイツと驚いてくれたり、来春進学する南方中学生の話迄、その後、3年生の E ちゃんとも楽しい会話が出来ました、担任の小野寺先生、千葉先生、有り難う御座いました。自分の小学校時代に帰れた様で懐かしく、又、子供達と10年後のパリで再会の可能性を語れるって楽しい事です。パリの8時過ぎ、やっと、明るく成ったパリの空の下で、元気を頂き、私の一日が始まります。(登米市中田生涯学習センター企画の夏のアート出前講座で学校訪問して出会った時に、子供達に国際電話をすると約束で、今日はパリ時間の6時過ぎに起床出来ました)。

2013年12月16日月曜日

ドイツへの楽しい旅 No5/5 、ザールイからパリへ

一泊2日のドイツへの旅は行きはTGV、帰りは ICEでパリに戻りました、帰りはザールブルッケンからパリ迄、ノン・ストップ、途中止まらず直通、のんびり眠れました。各国で製造している快速の電車の事を、日本では新幹線(当時1964年夏、世界で一番早い電車としてSHINKANSENの名前は世界中に知れ渡ったのです)と言いますが、フランスではTGV、ドイツでは ICEと言われています。今年最後の旅、ドイツから無事、クリスマスの贈り物を一杯頂いて帰宅出来ました。1980年にミッシェル・スフォール氏の紹介でモンパルナスのアトリエに訪ねて下さったベルナール&ウスラご夫妻一家との交流は33年の歳月が過ぎました。それにしても今回も食べ歩きに伺った感じで健康一番、20日迄に、シルクスクリーンの原画完成を目指して明日から頑張ります。

ドイツへの楽しい旅 No4/5 、ザールイ教会を訪ねて

ホテルで朝食を取り、早速、朝の散歩は、ザールイの中心にある教会へ行きました。ドイツの街は第二次世界大戦で壊滅的に破壊されて居てます、サールイの街も同様で教会も爆撃を受け破壊されましたが、奇跡的に教会の玄関先の表面の壁が残り、そこを昔の様に復元され他の部分は現代的建築、コンクリート打ちっぱなしで建てられています。











2013年12月15日日曜日

ドイツへの楽しい旅 No3/5、イルミネーション

ザールイの街で、ヨーロッパはクリスマス近くで賑わっています。街の広場にはスケートリンクの特別会場が設置されたり、出店も多く、子供達ばかりでなく大人達も楽しんでいる様子でした。祭りは良いモノですね。











ドイツへの楽しい旅 No2/5 、コレクター宅を訪ねて

昼食後、コレクターのお家を訪問、私は3度目、家内は初めての訪問、1階のお店の事務所から2階、3階の部屋(応接間、事務室、寝室、居間、台所)、廊下には作品が目一杯に展示され、勿論、他に展示されてない作品も奇麗にミュージアムの様にキチンと保管されていました。私がザールイで最初に個展を開いたのは1981年、当時、購入して頂いた作品も展示されていて(1979年の作品)懐かしい感じ、それから32年が過ぎてしまいましたが、その間、1971年の油絵の作品や1973、4年の作品から最近作迄、コレクションして頂いている作品だけでも相当な点数に成る様です。












その後、ベルナー氏が、トモコが未だ観てないのでと車で3年前に設置したフリッツ宅の御影石の作品を観に立ち寄って下さいました、フランスのブルターニューの石切り場で石を切り落として制作し大型トラックでドイツ迄輸送して設置した作品、枯れ葉が一杯落ちて庭の緑の小山が見えない程でしたが作品はキチンと管理されていました。

ドイツへの楽しい旅 No1/5、美味しい食事


12月15日、9時6分、今日はパリ東駅からドイツのザーブルッケン駅迄の移動は鉄道の TGV(日本で言う新幹線)に乗ってのんびり風景を眺めながら出かけて来ました。車内の速度計の最速は320キロ快適な旅で10時55分に到着、零下ですが天候は晴れ(自称・晴れ男)そこから在来線のローカル線に乗って、20分後にザールイに駅に着くと、友人のベルナーが迎えに、5ヶ月ぶりの再会、予約して頂いているホテルに直行、一休みしてから昼食はレストランに既にベルナーの妹夫妻(テオ&マルリイズ)が待機していて彼らとは7ヶ月ぶりの再会、家内とご夫妻はヒラメ、ベルナーは牛肉、私は今の時期しか出ないと言う鹿の肉料理に挑戦しました(昔、鹿の肉はしゃぶしゃぶ風にして御馳走に成った事が在りましたが、肉は柔らかく美味しく頂きました)、勿論、アペリテイーフ、前菜、メーン、デザート、珈琲と最後はコニャックで仕上げと、バッチリ、食事中は私とベルナーは赤ワイン、他の方々は魚料理で白ワインを頂きながら、私はいつもの様にアルコールは少量、ボリュウムの在る食事は食べ過ぎかなと思いながら楽しい会話と美味しい料理に誘われて奇麗に頂きました。




外村孝史さんからのメールが届いています。



3.11東日本大震災と原子力災害からすでに3年を経ようとするものの、また
復興ビジョンや復興計画は立てられたものの、被災住民の帰還や被災地域の復旧・
復興への足取りは重い。日本学術会議は東日本大震災復興支援委員会を立ち上げ、
2011年には7次にわたる緊急提言や「復興の目標と7つの原則」(第1次・第
2次)や「未来のエネルギー選択」に関する提言を行い、2012~2013年に
は東日本復興支援委員会を設置し、地震・津波・原子力災害に関する問題対策や取
組み態勢に関わる提言を行ってきた。今、学術の側に求められるのは、これまでの
復旧・復興への取り組みを総点検するとともに、今後の被災地域の復旧・復興への
取り組みが未来の国のかたちのあり方とどのように結びつくのかという新しいグラ
ンド・デザインを提示することであろう。このシンポジウムでは、文理融合・連携
という視点から地域という場を通じて自然と人間社会のあり方に関わる調査研究を
進めてきている地理学から、新しい「地域の再生と国のかたち」をいかに描いてい
くべきかについて提示し、新しいグランド・デザインの議論を専門家と非専門家の
壁を超えて深めていきたい。

「地域の再生と国のかたち~東日本大震災の教訓を活かす~」

1.日時 2014年01月12日(日)13:00~17:00
2.会場 日本学術会議講堂
(電車)東京メトロ千代田線 乃木坂駅 5出口下車すぐ
3.参加費 無料(定員300名)
 < パネルディスカッション >
  テーマ 「地域の再生と国のかたち~東日本大震災の教訓を活かす~」
  司会
碓井 照子(日本学術会議第1部会員・奈良大学文学部名誉教授)
パネリスト
山川 充夫(日本学術会議第1部会員・帝京大学経済学部教授)
高阪 宏行(日本学術会議連携会員・日本大学文理学部教授)
大江 守之(日本学術会議連携会員・慶応大学総合政策学部教授)
戸所 隆(日本学術会議連携会員・高崎経済大学地域政策学部教授)
松原 宏(日本学術会議連携会員・東京大学総合文化研究科教授)
コメンテータ
春山 成子(日本学術会議連携会員・三重大学生物資源学研究科教授)
大滝 精一(日本学術会議特任連携会員・東北大学経済学部教授)
長坂 俊成(立教大学社会学部教授)
コーディネータ
矢ケ﨑 典隆(日本学術会議連携会員・日本大学文理学部教授)
5.参加申し込み方法 何方でも参加できます。直接、会場へお越しください。
6.問合せ先 科学研究費基盤研究(S)プロジェクト 事務局 瀬戸真之(福島大学)
    E-mail: r689@ipc.fukushima-u.ac.jp TEL024-504-2865
日本学術会議事務局 第一部担当 嶋津  TEL03-3403-5706 

主催 日本学術会議地域研究委員会人文・経済地理と地域教育分科会
    後援団体 地理学連携機構、公益社団法人日本地理学会、人文地理学会他

2013年12月14日土曜日

★ にじいろクレヨン の柴田君からのメールです★

★★特定非営利活動法人 にじいろクレヨン メールマガジン2013年12月 第19号★★
【1 】ご挨拶

気がつけば今年も残すところ2週間。
楽天の優勝フィーバーの余韻が残る宮城県では、紅葉が見ごろ。
楽天のクリムゾンレッド色に染まった木々を見ていると、「芸術の秋」で創作意欲が湧いてきます。
そんな気候の中、にじいろクレヨンで活動する子どもたちの創造力も、日々豊かに育まれているようです。
ふくらました風船の中にビーズを入れて、楽器やおもちゃとして遊んでいる子や、
お店屋さんごっこで使う商品やお金をお家で作って持参してくる子。
粘土を使ってミニチュアのお寿司を本物そっくりに作りあげる子。
子どものやわらかい脳みそって、なんでも遊びに変換してしまうんですね。
最近では、子どもたちの親御さんより歳上のシニアボランティアさんたちが活動にご参加いただくことが増えています。
異年齢ならではの異文化交流の風景もなかなか素敵だと感じる今日このごろ。

これからもにじいろクレヨンがより多くの方にご支援いただけるよう、頑張っていきたいと思います。
それでは今月のメールマガジンもたっぷりお楽しみください。

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【2】ブログピックアップ!

11月28日(木) : 向陽コミュニティーセンター 活動
「向陽コミュニティーセンター報告」 〜なおちゃんブログより〜
すっかり向陽コミュニティーセンターでの活動に慣れてきた子どもたち。
毎回色々な遊びが繰り広げられていきます。
この日は、大分県のあわてんぼうのサンタクロースから届いた素敵なプレゼントを使って遊びました。
さて、そのプレゼントとはなんでしょう、、、、?

http://nijiiro-kureyon.jp/blog/?p=4721

・・・続きはブログで・・☆

日本からのニュースです。


汚染土:大幅な減量技術を開発 京大など

毎日新聞 2013年12月13日 22時45分(最終更新 12月14日 01時11分)
 京都大や土壌改良ベンチャー「アース」(仙台市)などのグループは13日、東京電力福島第1原発事故の除染作業で出る田畑の表土や汚泥、焼却灰などから、放射性物質が吸着している細かい粒子だけを分離・回収し、大幅に減量させる技術を開発したと発表した。京都大大学院農学研究科の豊原治彦准教授(海洋生物機能学)は「この技術を使えば保管が必要な廃棄物の量を大幅に減らせる可能性がある」としている。
 グループによると、放射性物質はより細かい粒子に集まって付着する性質があり、土などから微粒子をふるい分ければ、放射性物質の大半を微粒子と一緒に回収できる。そこで、微細な気泡を含む「ナノバブル水」に土を浸すなどして、放射性セシウムが最も吸着しやすい2〜5マイクロメートル(マイクロは100万分の1)の微細な粒子だけを分離するシステムを構築。放射性セシウムが付着した微粒子を薬剤でまとめることで、汚染土の量を大幅に減少させることに成功した。
 福島県南相馬市の農地で今年8月、セシウム濃度が1キロ当たり最大約1万3000ベクレルの土で実験したところ、汚染廃棄物として保管が必要な土の量を2割まで減少させ、残りの土は約92%減の1キロ当たり約1000ベクレルまで除染できた。装置の設置費は1基当たり3億5000万〜4億円で、1時間当たり約10トンの汚染廃棄物を処理できるという。【堀智行】

2013年12月11日水曜日

テレビ中継で世界中の総ての視聴者に不信感を与えた男。

5日死去した南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領の追悼式のテレビ中継が12月10日、世界中に流れました、各国要人を含む約5万人の中で、アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃へと導き、人種融和を進めたマンデラ氏の功績をたたえた各国首脳のスピーチが延々と流れた4時間に渡る追悼式の実況中継、本国の南アフリカ大統領や米国オバマ大統領の追悼の意を述べている隣りで堂々と手話通訳を勤めた方が・なんと、偽の手話通訳者ではないかと、世界中が唖然と・笑いモノに成らない、成れない事が                           起きた、凄い事・只、驚いている所です。

2013年12月10日火曜日

3年ぶりの再会・・・


今日はメトロALESIA の出口に在る喫茶店で、造型作家の Colmenarez 氏、韓国在住の彫刻家  Park Chan-Kab 氏とパリ在住の彫刻家 Park Woo-Mi 女史、パリ滞在中の画家・清水まち子さんと5人で再会、3年前、仙台空港でのお迎へや登米市 Satoru Sato Art Museum でもお会いしている方々が3年ぶり一緒にパリでの再会が出来るとは珍しい事です、Park さんは12日からのカルーゼル・ルーブルでの招待サロンに毎年参加の為、昨日パリに着いたばかり、清水さんは今年初めて参加したグランパレでの招待サロンが終了して、明日、パリを発つ予定、コルメナレーズの配慮で楽しい会話が出来ました。その後、5人一緒に日本レストランで焼き鳥を、食事後の支払いはカウンターに Park さん、私、 Colmerarez 3人が同時に出て支払いを主張しましたが、結果、Park さんに御馳走に成りました。

日本からの新聞記事が送られて来ました。


 【ヨハネスブルク=黒岩竹志】5日死去した南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領の追悼式が10日、ヨハネスブルク郊外のサッカー競技場で行われ、各国要人を含む約5万人が、アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃へと導き、人種融和を進めたマンデラ氏の功績をたたえた。
 米国からオバマ大統領、ブッシュ前大統領、クリントン元大統領、カーター元大統領の歴代4人が出席したほか、英国のキャメロン首相、フランスのオランド大統領ら100人を超える要人が集まり、アフリカ史上最大規模の式典となった。日本からは皇太子さまが、福田康夫元首相らと出席された。式典では、オバマ大統領が「20世紀最後の偉大な解放者だ。我々はマンデラ氏から何を学ぶべきかを問いかけなければならない」と語った。
 旧黒人居住区ソウェトに近い競技場では、2010年のサッカー・ワールドカップ(W杯)の閉幕式が行われた。これが、マンデラ氏が公の場に姿を見せた最後となった。
(2013年12月10日23時15分  読売新聞)



 ■平野克己氏(日本貿易振興機構・アジア経済研究所上席研究員)
マンデラ氏は民主化を進めたことで、世界経済の拠点の一つとなった南アフリカ経済の基礎をつくった。 南ア企業は民主化を機に、一気にアフリカ大陸に進出した。それを可能にしたのが、アパルトヘイトから完全に脱却できると世界に信じ込ませた、マンデラ氏の存在だった。民主化は課題も生んだ。その一つが、世界一とも言われる貧富の格差だ。民主化で白人と黒人の間だけでなく、黒人同士の間にも大きな格差が生まれた。多くの犯罪組織が入り込み、治安悪化は海外からの企業進出のネックになっている。昨年8月には、北部ルステンブルクのプラチナ鉱山で賃上げを求めた労働者の一部が暴徒化し、警官隊の発砲で34人が死亡した。世界の投資家は、現政権の統治能力を疑い始めた。マンデラ氏は生前、対立を和らげることが政治の役割だ、と主張してきた。南アが課題を克服できるかどうかは、現政権がマンデラ氏の精神を継承できるリーダーを生み出せるかどうかにかかっている。(聞き手・三浦英之)

南アフリカ:マンデラ氏追悼、100カ国首脳ら参列へ

毎日新聞 2013年12月09日 20時23分(最終更新 12月10日 01時00分)
 5日に死去した南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領(95)の公式追悼式が10日、国葬行事として最大都市ヨハネスブルクのサッカー競技場で開かれる。競技場は9万人以上を収容でき、南ア通信によるとオバマ米大統領ら100カ国近くの首脳級らが参列する見通しだ。
 空前の規模の式典に向け、周辺は厳戒態勢に入った。日本の皇太子さまも出席される。
 競技場は、2010年のサッカー・ワールドカップ(W杯)南ア大会で開幕戦や決勝戦が行われた会場。10年のW杯閉幕式にはマンデラ氏も出席した。(共同)

2013年12月7日土曜日

朋あり 遠方より来る、また 楽しからずや、


今日は11時に Colmenarez 氏と地下鉄アレジア駅の近く Café bouquet で待ち合わせ、清水さんとコルメナレーズは3年ぶりの再会、3年前、登米トリエンナーレの時、仙台空港に来日した時に、清水さん親子にお願いしてお迎えに出て頂いたのが最初の縁でした。イクエちゃんの写真を見てコルメは思い出した様です、又、今年の夏、仙台の仙建ギャラリーでの仙台アート・ジェオ・コンステウルイ研究会展にも参加した仲間、いろんな話に花が咲きました、来週の火曜、又、再会と言う事でコルメナレーズと別れて、その後、我が家に、仙台からの訪問客は先月の関本君一行以来、今年は仙台 Art Géo Construit 研究会のメンバーが続けて来客、私の方は丁度、今年の11、12月は運良く巴里に居る時間が多く、コンパレゾン会期中に一緒に画廊廻りなど出来る状態で楽しい時を過ごさせ                 て頂いています。

2013年12月6日金曜日

ネルソン・マンデラ氏死去・北の古狸氏よりメールが届きました。


ネルソン・マンデラ、自由への闘争

ネルソン・マンデラ、自由への闘争
12月5日夜、南アフリカ共和国初の黒人大統領、人権運動指導者ネルソン・マンデラ氏が死去。95歳だった。写真は2006年撮影。 (Photograph by Kim Ludbrook European Pressphoto Agency)
 12月5日夜、南アフリカ共和国初の黒人大統領、人権運動指導者ネルソン・マンデラ氏が死去した。享年95歳。同国で3世紀にわたった白人による黒人支配は、1994年の大統領就任により終焉を迎えた。
ネルソン・ホリシャシャ・マンデラ(Nelson Rolihlahla Mandela)は1918年7月18日、南アフリカの主要民族集団のひとつ、コーサ人の首長の家系に生まれた。
フォートヘア大学とウィットウォータースランド大学で法学を学び、在学中の1944年にアフリカ民族会議(ANC)に入党、反アパルトヘイト運動に身を投じる。1952年、ANC副議長に就任。キューバ革命(1958~59年)に触発されたマンデラは1961年、軍事組織ウムコント・ウェ・シズウェ(Umkhonto we Sizwe:民族の槍)を創設、毛沢東やチェ・ゲバラのゲリラ戦術をヒントに、白人政権への直接的な攻撃を開始した。
1962年に逮捕、1964年に反逆罪と破壊行為で終身刑を言い渡される。ケープタウン沖ロベン島に収監され刑期の大半を重労働に従事、27年間を獄中で過ごす。1980年代に幾度も早期釈放を政府から提案されたが、条件付きだったため拒み続けた。
1990年2月2日、白人政権のフレデリック・デクラーク大統領は、ANCを含む反アパルトヘイト組織の非合法化を解除し、マンデラの釈放を発表。黒人が厳しい差別を受けていたアパルトヘイト時代に幕が降りた瞬間だった。
釈放後にケープタウンの市庁舎に到着したマンデラを迎えた支持者は5万人にのぼり、4半世紀ぶりに公の場で語られる言葉を待ちかまえていた。世界中に放送されたこの集会でマンデラは、「われわれの闘いは決定的瞬間を迎えた。自由への歩みは後戻りできない」と述べた。
1993年12月、民主主義への平和的移行を指導した功績で、デクラークとともにノーベル平和賞を受賞。
1994年、黒人が参政権を得た初の国政選挙でANCは勝利し、マンデラは大統領に就任する。1999年に政界を引退した。
Jane J. Lee, National Geographic News
⦿ フランス・テレビの20時のニュースは、フランス大統領官邸で、巴里駐在のアフリカ大使関係者を呼んで、オランド大統領がネルソン・マンデラ氏の追悼を語る報道が流れ、フランスとアフリカとの強い関係(昔・植民地政策でイギリスやフランスなど欧州がアフリカを支配していた歴史的関係も在り)と、時代の流れを延々と報道されていました、27年間の獄中生活から23年前に釈放、1994年、黒人の参政権を得た最初の国政選挙で大統領へと駆け上ったマデラン氏、アフリカの、いや、世界の巨大な星が消えた日です、シャンゼリゼ通りには、悲しみに満ちた多くの人々が歩道に出ている映像も流れています。⦿

2013年12月4日水曜日

Salons Comparaisons オープニング。


グランパレの外景がライトアップされ天井の建築の内部も奇麗です。
Dietrich-Mohr , Tomoko

Satoru. Castillo, Contreras. Herrera, Shimizu












12月4日、招待サロン・コンパレゾンのオープニング、

Satoru, Xuriguera, Shimizu, Aki-sato
我々は清水さん、家内と娘、4人で18時30分に会場に入れました、グランパレの同じ会場で4個のサロン( Comparaisons,  Artistes Français,  Artistes Indépendants,  Dessin & Peinture à l'eau )が同時開催、改札口入り口では大勢の方々が100m近く並んでいましたが、我々は関係者なので別入り口からすんなりと、会場はいつのも様に凄い人でした、早速、幾何学構成アートのコーナー Ivan Contreras- Brunet のグループ展示へ、出品作家( Ainaut, Amiuny, Arvelaiz-Gordon, Bidart, Borzobohaty, Contreras-Brunet, Debully, India-Serena, Herrera, Jara, Montaut, Moryusef, Patez, Piekarec, Pigeonnier, Satoru, Shimizu, Silva, Suzuki )や友人たちが既に集まって、あっちこっちと、久しぶりに会う画家も居て、傾向の違う、コンパレゾンのポール会長や古くからの友人ピンカスや、マルチンマルチン等と立ち話、国際的な美術評論家のXuriguera 氏も会場に、又、日本人コーナーの会場では川辺夫妻と、20時過ぎには娘が帰りオープニングは22時30分迄、昔はオープニングの後、Ivan のグループで食事会を行うのが恒例に成っていましたが、今年は各自が好きな様にと言う事で、21時過ぎに我々3人は会場を出て、シャンゼリゼ通りの Léon のお店に入って、ムール貝を頂きました、昔、コンパレゾンの展示会場は広く使え、幾何学構成アートのコーナーが Guy とIvan の 2カ所の展示会場が在りましたが、現在は1ヶ所になり、更に展示空間が狭く成っています、私は今回ひさしぶりの参加、若い世代の作家たちの参加も増えての賑わいは楽しいモノです、勿論、精神的に一番元気で若いのは責任者の 友人 Ivan さん、86歳です。