2011年8月26日金曜日

田手 宏道 さんより、メール

少し涼しくなりましたが、各地で起きている集中豪雨やゲリ豪雨の影響も大変です。被災地にもかなり降っているようです。関連はわかりませんが大震災の影響でしょうか。いつもとは違うような気がします。地球の自転速度が変わったとか、軸がずれたとか・・・。
海側からのアプローチもいいですが陸側もきれいですね。パイロットは市街地上空は、高いビルが気になると言っていましたが。
羽田で木更津からILSに乗り高度が少し下がると、突然目の前に東京の夜景が飛び込んできたことがあり感激しました。スモッグが問題になっていたころですが、現役時代に搭乗訓練でコクピットに乗っていました。キャビンにいると落ち着きません。どうして針路変更をしているのか、高度が変わったのは・・・。管制官魂が抜けていません。
1981年から1991年まで管制官の会議に行くときは、すべて違う航空会社を利用しました。私的な渡航なので自分で格安航空券を探すしかありませんでした。他の時もすべてコクピットに行くことができました。現在はうるさいでしょうね。それとも、このようなことを書くと遡って処分があるのでしょうか。古き良き時代でした。
  
気温が下がり安心していると風邪気味となりました。難しい気候ですね。集中的なゲリラ豪雨、高温・・・東京よりも被災地の仙台、気仙沼、岩手の各地のほうが気温が高いこともあります。また、余震も続いているそうです。
放射能汚染では仙台の名前も出始めました。あの水素爆発は報道されている以上に影響が多きかったようですね。政府の情報管理でしょうか。細野大臣が総理補佐官の時に、あるテレビ局で、「あの時は・・・」と発言していました。その直後に、彼が記者会見を一元化し情報が減り始めています。その人が原子力担当大臣とは。そして、その後ますます情報減となっています。
爆発直後に、アメリカ人9万人の国外脱出も考えられていたそうですね。日本人に与える影響を考え止めたという報道もありました。その頃に、海外の友人から、「いつ脱出するのか」、「早く逃げてこい」、「いつ来ても、いつまでいてもいいから・・・」、「みんなと相談するから安心して・・・」というメールが来ています。それが本当にならないとよいのですが。
田手宏道

☆☆ホント!ある中央の大新聞は、放射能汚染地区を最北は仙台迄掲載しています、仙台以北は無し、仙台以北は安心とそう思っている方々が多いと思いますが、これが、不思議です、
またまた、北の古狸先生に言わせると、仙台より更に北、奥羽山脈と北上山脈に囲まれている仙台平野の最北端、栗原市、登米市地区や岩手県にまたがる地域の方が汚染度が高いと、勿論、当時、3月は冬、北風が吹き雪も降る寒い季節、一般的に、北風によって死の灰は関東、東海の方に流れている訳で、政府の説明が無い、なんで、諸外国の大使館が自国民を飛行機で、時には軍用機を使って東京に住む方々や日本に住む方々に国外脱出の指令をだしたのか、大げさではなく、きちんと状況を受け止めないと、ま〜70歳近くにも成って、ここを捨てる訳にもいかんやろ! 時には諦めも肝心や! 最善をそう、最善を尽くしてな!
問題は事実を性格に見極め、最善の対応策を打ち出すのが、どおりやろ!俺たちの責任で選んだ国会議員なのだから、我々も参加意識をもたないといかんやろ!他人任せはいかんと言う、古狸さんと外国からの情報を持つ田手さん、専門的な外村孝史とで会談させたら面白いな〜と思いました。

再度、Machiko ちゃんからのメール、

サトルさんのブログ探して、拝見しました。さっそく掲載されておりました!

ええと、私がロンドンで専門的に取り組んでいたのは、”記号論”と”神話作用”です。
それを自分がいる環境で感じる事を時間や空間を意識しつつ、音や、光、映像などで表現する、という事をやっていました。
主にインスタレーションを発表していました。学校はチェルシーというところで、ロジャーアックリングやルナイスラムなど著名なアーティストたちが私を教えました。
ロンドンではイギリス人の友人が多かったので、グループでの展示にはよく呼ばれましたが日本人はいつも自分だけでしたので、いつも心細く、今考えると、相当がんばってたと思います。

2009年、帰国後は意外にも、活動できる場があり、今年の6月には横浜の港に見える丘公園近くの西洋館で大きな展示会をやったりしました。
11月にも同じ、山手234番館というところで幻影と光という、グループ展覧会に呼ばれています。

いろいろ書きましたが、振り返れば、私はこういった感じです。



☆前回、MACHIKO ちゃんからのメールの中で、映像アートを学んだと書きましたが、詳しい情報が Machikoちゃんから入りましたので掲載させて頂きました。ロンドンから帰国、精力的に制作・発表をしている作家です、先が楽しみ、9月、パリに行って何を感じて来るのか楽しみです。

2011年8月24日水曜日

TBCラジオ1260・Colors みんなの時間 に出演しました。


スタジオの中で宮田敬子アナウンサーと
8月24日、10時半に、TBC東北放送ラジオを訪ね、生放送開始は10時45頃かな、仕掛人は志津ちゃん、パリで作った義援金を宮城県に贈った事が二階堂貴子さん(Vision TBCラジオ)の耳に入り、出演依頼が来て、宮田さん(フリーアナウンサー)の番組に出演、初めてお会いする皆さん、スタジオの中で仕事にかける素敵な女性群に見とれて、昔と変わらないな〜、清々しく生きてる空間に感激!30年前から時々、東北放送には顔を出していました、初めの頃は佐沼高校の渡辺哲男先輩から声をかけられて、それから、いろんな TBC の方々と出会い、テレビにもラジオにも出演させて頂きました、10年以上前かなパリのアトリエでの取材も楽しい思い出です、そうそう、昨年は登米市に在る私の野外造型作品と登米市 Satoru Sato Art Museum の取材に、中田諏訪公園の真ん前に実家が在る後輩の畠山君、今日は番組終了後、自宅迄送って頂き、近くのモーツアルトでコーヒーを頂きました、モーツアルトは畠山夫人(声楽)がピアノとソロでコンサートを開催した思い出の会場でもあります。

知的で笑顔で素敵な女性スタッフ、左から二階堂さんと菅井さん。

2011年8月23日火曜日

MACHIKO チャンからのメール

さとるさん

お元気ですか、私はまだ東京にいます。
この前、サトルさんから知らせていただいたおはなしのこと、来月の中旬わたしもフランスに直紀さんと一緒に行

く事にしました。
実は、突然引っ越しの準備が始まってしまって実家にあまり戻れなくなりました。まだ誰にも話していませんが、

今月の最初に結婚の話が出たので直紀さんと結婚する事にしました。

サトルさんはいつまで日本に滞在されるのですか?

またご連絡します

まちこ



☆ MACHIKO チャンからのメール、NAOKI君と結婚する事にしましたと、嬉しいニュース、MACHIKOちゃんは東京の大学で専門的にクイン・イングリッシュを学んだ後に、イギリス留学 Londres  で映像アートを学んだ才女、現在東京に住んでいる、繊細、且つ、自分の環境を作品に具現出来る才能を持ち、期待される映像作家の一人、宮城県佐沼高校の後輩でも在ります、かたや、NAOKI君は東京の大学を卒業後、Barselona  へ留学、友人の CAMI 教授の元で長らく学び、CAMI の紹介で彼と東京で会い、親しく成った作家、イタリアやドイツにも旅している国際派、英語が得意で更に4年間留学していたスペイン語、そしてイタリア語、ドイツ語と喋れるイカす奴、パリの展覧会にも出品している頼もしい作家です、東京の個展の時にお手伝いして頂いたり、3年前から私の田舎に、2年前の親子野外作品公開制作の時にもお手伝いして頂いて、運悪くと言うか、運良くと言うか、MACHIKOちゃんはロンドンから帰国したばかりで、カルチャーショックに掛かっていた頃かな、登米市中田生涯学習センターの3階に在る、Satoru Sato Art Museum に顔を出していまして、良く、ロンドンの現代美術の近況と日本の文化の違いをおしゃべりして居ましたが、たまたま、NAOKI 君を紹介、それが縁と言うか、自然に徐々に、二人はアートを通して和を膨らまさせて、今日のメールに繋がりました。二人とも、素敵な作家、優しく、時には応援も兼ねて見守って行きたいと思います。
その二人が、来月パリに来ると言う訳です、友人の造型作家、Colnemarez 氏の好意で彼のアトリエに1ヶ月間ちかく住んで、制作出来て、そのアトリエで発表も出来る計画、それに我が家から徒歩で5、6分、9月30日はパリで、再会出来そうです。サトル

2011年8月21日日曜日

北の古狸より、

原発周辺、長期間住めないと判断…首相陳謝へ

読売新聞 8月21日(日)3時1分配信
政府は20日、東京電力福島第一原子力発電所事故で高濃度の放射性物質に汚染された周辺の一部地域について、長期間にわたって居住が困難になると判断し、警戒区域を解除せず、立ち入り禁止措置を継続する方針を固めた。
数十年続くとの見方も出ている。菅首相が地元自治体に直接説明し、避難の長期化を陳謝する方向で検討している。具体的な地域は、福島県双葉、大熊両町の原発3キロ・メートル圏内などを念頭に精査する。
政府は4月、原発20キロ圏内を原則として立ち入りを禁じる警戒区域に設定。来年1月中旬までに原子炉が安定的に停止する「冷温停止状態」を達成し、警戒区域を解除する方針を示してきた。
しかし、文部科学省が原発20キロ圏内の警戒区域内で事故発生後の1年間で浴びる放射線の積算量を推計したところ、大熊、双葉両町を中心とする35地点で、計画的避難区域などの指定の目安となる年間20ミリ・シーベルトを大きく超えた。原発から西南西に3キロ離れた大熊町小入野では508・1ミリ・シーベルト、同町夫沢でも393・7ミリ・シーベルトと、高い推計値を示した。
最終更新:8月21日(日)3時1分

◉◉これって、福島原発事故発生後、直ちに解っていた事なのに、25年前、当時、ソビエト連邦に在ったチェルノブイリ原子力発電所(現在、ウクライナ共和国)の事故、チェルノブイリから約8,000キロ離れた日本でも、野菜、水、母乳から放射能が検出されたと言うニュースを新聞で知った方々が多いはず、覚えてますか、旧ソビエト連邦は原発周辺30Km圏内に住む住民9万民を避難させたと、しかし、事故から3年後、初めて詳細な汚染地図が公表され、原発から300Kmも離れた地域迄、高汚染地域が広がっていると公表、日本の新聞にも出ていたのです、福島原発事件後、なんで、5ヶ月間も過ぎた後に、立ち入り検視措置を継続する見解が新聞に出るのかな、原発事故が発生した場合の対応システムが事前に出来ているにも関わらず、なんで、政府は被害地の住民と国民にきちんとした情報を提供し最善の対応をしようとせずに、隠す事が一番と考えるのか、国民をゴミ扱い!アホやねん!地震や津波の影響では無く、原発事故発生と同時に、外国人の日本脱出が始まり空港はごった返しして居た事、もう、忘れている、何故、各国大使館が東北や関東に住む自国民に対し避難命令を出したか、解っていない、原発事故が起きて直ちに太平洋の反対側、アメリカ西海岸では、ヨウドや海藻等の自然薬品が品切れでパニックにも成っていたのに、なんや!日本では人ごとみたい、アホか! 俺もアホやけど!我が日本国政府はそのような手配の気配すら見せなかった、経済大国と言われる日本の政府がまさか薬代を支払えないとは思えないが、なんでやね、事故はしょうがない、ならば、国民の健康を第一とする対応が一番や、事故を只、ひた隠しにするって、日本って本当にどうしたの!言い換えれば原発事故の怖さ以上に、政治屋の怖さを知らない国民は大変だ(言い過ぎかな)! 民主、自民と言っている時ではないでしょうが、日本は平和だと安全だと思っている方々が多すぎる、ヤバいよ!これから更に日本の国益は低下、他国が豊かに成り、日本は世界から脱落して行くのか見えて来るが、只、対応が遅いと言う事は慎重と言う言葉にもなるので、実りの在る復興を祈るしか無いのかな! 政治屋でなくプロの政治家って日本に少ない、すべての職業のプロヘッショナル精神が消えては困ります。銭と名声だけを残そうと考えてる奴ら、被害地で何が出来るのか、迷惑を考えずに被害地に乗り込む応援団の数の多い事、被害地を逃げ出す事の出来ない被害者の身に成ってみてくれよ、そして、我々と同じ様にあなた方も本当は被害者だと言う事を忘れないで欲しいわね。
日本は変わりつつ在りますね、もはや、アジアの中でもリーダーシップをとれない日本、日本のこれ迄のお客様(輸入国)は、他の先進国や隣国に奪われ、バブル崩壊から徐々に骨抜きされた過去の経済大国、今回の災害で、崩壊にまっしぐら(真っ死蔵)突き進み、隣国にどやされ、恫喝まがいの事をやらさっれっぱなし、国際政治を司る人間が、政治家がいないのです、解決策は無いのか、在るのか、それにしても、日本は弱く成って行きますね、でも、頑張っている若者が居るってことだけは忘れないでほしいねん、勿論、老体に鞭打って、復活を願う方々も少なくないのですから。北の古狸より。参考迄に、
http://www.jca.apc.org/mihama/fukushima/cherno_tondel_rep110406.pdf#search

2011年8月19日金曜日

公ちゃんこと、木村公治を祝う会

左の写真は、圭子ちゃん、瑞枝ちゃん、征子ちゃん、吉城が帰った後、写真を撮るのを忘れて居て慌ててて撮りました、10名一緒の写真が撮れずに残念、左から、大畑の民夫ちゃん、怜子ちゃん、中ちゃん、公ちゃん、征子ちゃんの5名です。公ちゃんは66歳で社長に就任ですから、まだまだ、我々も元気にしなければと、集合した10名、私も含めて全員現役、頼もしい同級生です。しゃぶしゃぶ一杯食べました。

大人の絵画教室、初日は大忙し!


8月19、20日は大人の絵画教室が 登米市中田生涯学習センター2階の創作室&実習室で開催されました、初日の19日は、先ず、皆さんで 3階の Satoru Sato Art Museum に行って作品を見学(初めての方も居ましたので)、1日目は画用紙に午前、鉛筆で直線のみのデッサンと頭の体操、午後、コラージ(丸、三角、四角を切った色付きの紙を使用した)の作品制作、途中、子供絵画教室の表彰式が3階の展示室で、今年の子供達の描いた絵の雰囲気は色彩的にも構成的にも昨年と違った印象を受け、震災の思い出が傷として残るのではなく、明日への出発となる勇気と挑戦の夢を語れる事に成ればと祈りました。表彰式終了後、皆さんで8名の方々が制作中の2階の創作室を見学、興味を持った父兄も居た様です。私は創作室にそのまま残って指導続けました。ボランテアの智恵ちゃん、ミカちゃんは大忙しです、その日は、16時迄(教室は15時迄)居て、16時30分の高速バスで仙台に、同級生、公ちゃんこと、木村公治の社長就任祝いを同級生で、18時15分に待ち合わせ場所に時間丁度に、たどり着けました。

2011年8月16日火曜日

外村 孝史 さんからのメールです。

時代の潮流、我々は何をなすべきか?今、時代は大きな変動を迎えています。その意味するのものは全面的、全般的、全体的であり古今未曾有の大転換期であり、そのドラマティックな大変動の渦中に有りながら、その全貌を根源的に把握することは容易ではありません。
しかし、その意味するものは、重大であり、確実に我々に大変革を迫るもの。既存のままでは如何なる企業、国家、団体と言えども、今、変革をしなければ、時代から取り残されるだけです。
 連日、暑い日が続いておりますが、みなさま如何お過ごしですか。研究会仲間の高 静苑さんから中国の山西省の自然と人口の建築物が一体となった素晴らしい写真を戴きました。幽玄な中国の天然の景観をお楽しみください。

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外村 孝史(Tomura Koshik_tomura@mtf.biglobe.ne.jp
早稲田大学理工学術院総合研究所(理工研 55s-04-02b
プロジェクト研究「中小企業連携・支援研究」
連絡先 〒108-0072東京都港区白金二丁目5-12-1102
Tel/Fax 03-3280-5186 携帯090-5207-6098
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素晴らしい人間(建築物)の自然と共有、共存する限界に挑戦した風景(写真)は限りなく雄大で力強さを感じさせます、残念ながら、ブログに転移する事が出来ませんでした。
それにしても、今、大事な時ですね、方向を間違うと本当に日本沈没に成りかねない、外国諸国の眼はじっと成り行きを見守っています、まるで獲物を得る猛獣の様に、そして、天使の様に。

2011年8月14日日曜日

田手さんからのお知らせです、No2


日本でも忙しいですね。ブログは現状を確かめるのに役に立ちました。やはり足が無いと動けませんね。あの柱は帆柱ですか。航海時代を支えたのでしょうね。勉強になりました。
子供たちとの交流ではいつもと違うサトル先生の顔になっていました。紙の直線をつなぐ・・・・・結果が面白いですね。子供たちも喜ぶことでしょう。
被災地の現状には驚かれたことと思います。二人とも3.11にテレビ画面の中で地元が崩れてゆく状態をただ見ているしかない心境に苛立たしい思いでした。どうしてここまでひどいのか。東京でも地震の揺れがいつもとは違い連続した長さでした。そして続いて津波の大きさと甚大な被害・・・。飛行機や大きな家が土台ごと流される。堤防を乗り越え、漁船を陸地に持ち上げる。その速さにも驚かされました。
志津川の久一郎さん宅は、インターネットの写真や動画、それにすぐに公表されたGoogleの被災地地図やストリートビューで土台しか残っていないので信じられませんでした。一度伺ったことがるだけに、蔵造りの
豪壮な母屋、庭、蔵などがきれいに流されていることが驚きでした。あったものが無くなっている・・・不思議な感覚でしょうね。
気仙沼や松島の親せきはGoogleの安否情報やメールで、命からがら津波から逃げたというコメントつきですが、ひと通り人的被害が無かったことを確認できました。家の倒壊は数件ありましたが。
そうですね。震災に関係のない楽しいもの・・・今日お送りしました。
毎日、東京と仙台の気温をチェックしていますが、時には仙台のほうが高い場合もあります。そして揺れている。 なかなか仙台に足が向きません。
学校は1週間後から二学期が始まります。
田手宏道

田手さんからの知らせです ・ No1




釣り好きの方は見ないほうが・・・。苦労無しでここまで・・・。
羨ましいですね。

クロアチアからの転送です。下の<魚>をクリックしてください。
酷暑お見舞い申し上げます。

田手宏道



  
KLIKNITE NA RIBICO  ! 

◎▲☐魚が川の中から飛び上がる光景は素晴らしいモノですね、ボートで通るとボートの床に飛び込んで来て、釣りせずに魚を得る事が出来るって、縄文時代、日本にも魚を得る方法は、釣りと言うより捕まえるそんな場所が在った様な気がしますね、魚の映像を見た友人から、素晴らしいとメールが入っていますが、只、他の映像はアート的では在るが、サトルのブログには好ましくないと言う意見と、ピッタリの映像が入っている、感心、と連絡が入っています、鑑賞する方々の良心に任せたいと思います。 

2011年8月11日木曜日

Emile Vallés からのメール報告 その2

    



この地域は昔、有名な帆柱(マスト)の生産地として栄えた時代が在りました、それは国内だけでなく、スペインやポルトガル、イギリス迄運ばれて船の帆柱とて利用されていたと言う歴史が在ります、その帆柱の樹を素材にして、高さ8メートルの8本の柱をピレネーの麓、スペインとフランスの国境近くに、既に、この公園には地元の石を素材にした造型作家の Erik Dietman の大作が在り、その作品と、その廻りの環境の共有、共存を意識して、最終的に自然環境に最小限に手を加えながら環境と人類の歴史を考慮しながら制作に入った記憶が在ります、樹の素材以外に御影石の柱と石畳、自然の中で心身を休め、自然界と、人と、会話出来る、座れる石、癒しの空間、異質な中にも共存の精神を共有する空間でもあります、川や橋、山の風景と作品の位置関係、高さ、長さ、幅、作品配置図に隠された幾何学構成の静的空間と言うべき厳格な比例の暗号数字(コード・ナンバー)も読み取れる事でしょう。

2011年8月8日月曜日

仙台の七夕まつり最終日、

六、七、八日は仙台の七夕まつり、八日、昼前11時過ぎ、県庁に自転車で向かう途中、勾当台広場では、ステージが設けられ、昼から屋台が出て、午後から夜中迄、人の波で賑わう夏祭り、昔、娘と一緒に散歩した夏祭り、信号近く、屋台と屋台の間から浴衣を着た可愛いお嬢さんが忙しそうに手荷物もって飛び出して来ました、アレ!振り返ると、あちらも、アレ!佐藤さん!そうです、志津ちゃんでした、午後から夜中迄、広場で行われる夏祭りのイヴェントの司会を担当するフリーアナウンサーの志津ちゃん、パリを中心にヨーロッパや東京を飛び回る国際派、フランス留学後、違う文化の中で元気に仕事をこなし、フランス語が堪能で絵も描く才女、そんな素顔を見せずに笑顔で元気一杯の頑張屋さん、浴衣もお似合いでした。

Emile Vallés からのメール報告

 
 フランスの建築家、ヴァレさん(Emile Vallés)から野外モニュメントの基礎工事の一部と作品と成る御影石の写真が送られて来ました、彼はこの地区に設置されているギュル記念碑(Gurs Monument) 保存会の会長、当時、記念碑作品依頼から作品設置まで担当、造型作家ダニ・カラヴァン(Dani Karavan)に接触、ダニを口説き落として作品依頼承諾にたどり着き、現場で設置迄立ち会った情熱を持った方、所が大きな作品ゆえ予算を遥かに超えて、ダニに支払う謝礼が少なく成り、慌てて彼に相談したそうです、ギュル収容所はダニにとっても大切な記念碑、二人の話し合いは素晴らしい結果を生みました(その話は次回に)、そんなダニと親しい彼、ヴァレさんが今回、基礎工事、作品設置の責任者として立ち会って下さいました、この作品は2年がかり、本来、夏休み前に作品設置終了予定が、延びて、7月14日(フランス革命日)以降に、基礎工事開始と成りました。私のブログで既に紹介させて頂いている作品です。

 
 6月11日、ピレネー山脈の麓からと言うニュースを書いていますが、その延長戦にこのブログが繋がっています、
10月に完成セレモニーが開催される計画で、空気の奇麗なピレネー山脈の麓で、おいしい食事が出来るのを楽しみにして、地震で揺れる仙台で制作に励んでいます、

2011年8月7日日曜日

夏川芸術橋の清掃 とサトル後援会解散。



 8月7日、6時、サトル後援会の有志の皆様が夏川芸術橋に集合、今年は震災で皆さん大変な時、それでも、いつもの様に、いつもの皆さんが集まって下さいました、6時5分前にたどり着くと、既に、テッチャン(及川哲雄)がタンクに水を入れて来て欄干を放水清掃、歩道側には春日事務局長が電動の草刈り機で雑草を切っていました、佐藤達後援会会長、コレクターの泉田さん、佐藤・前登米市教育長、石森小、中同級生代表の佐藤幸喜さん、そして寿彦さんが来て下さり、今年は思ったより泥と雑草が貯まっていました、8時45分に終了、いつもの様に春日さんの奥様が作るおにぎりを持参して下さいました、おにぎりは毎年違い、今年はお味噌をおにぎりに塗って軽く焼いた絶品、朝仕事の後、これが、朝仕事の後にはピッタリ、それに、わさびを効かしたカリカリと歯ごたえの在るキュウリ漬け、皆さんで食べて、いつもの様に残ったおにぎりとキュウリ漬けは頂いて帰りました、11時から中田町で作られた佐藤達ふるさと後援会(サトル後援会)の最後の総会、今回をもって解散と言う事で報告会も無事終了、布施市長や元・三浦中田町町長も出席して下さいました(サトル後援会は、サトル・サ
トー・アートミュージアム友の会に吸収される事に成りました)。その後、席を代えての昼食は割り勘でと言う事で、華蓮(コーヒーも軽食も頂けるシャレたレストラン)へ、皆さん、冷やし中華でメニューが決まり、デザートは私と会計の石川さんが特注の白玉・アイスクリームあんみつを大きな器に入れて頂き、他の皆さん、甘党と言うより辛党、5、6年前、春日事務局長が私につき合って、あんみつを、甘党が苦てとは知らずに、その時は、春日さん冷や汗をかいて体調を崩したと聞いて居たのでその後、あんみつは薦めませんでした、哲ちゃん夫妻は辛党、甘党どちらでも平気、監査役の秋山さん、ヤングミセスの貞子さん、私の作品をコレクションして下さっている泉田さん、前登米市教育長(佐藤)、佐藤幸一会長は、の皆様はクリームあんみつ、元・中田町長(三浦)さんはジュース、佐藤会長が、いつでも、佐藤さんが中田の地元に帰って来た時には集まって歓迎しましょうと、昔々、サトル後援会を立ち上げよ!と言い出したのが当時の三浦町長とか、いろんな裏話迄出て、楽しい一時を過ごさせて頂き解散でした、中田町時代の仲間、登米郡時代の仲間に、皆さんと一堂にお会い出来ませんが、このブログを借りでお礼の言葉を!皆様に応援して頂いた事に、感謝と誇りを持ち、これからも作品を発表して行きたいと思います。サトル君を応援して良かったと言われる様に、心意気を感じて、夏を元気に過ごしたいと思います、新しい旅たちに、夢を託して。まだまだ、目標は遥か遠くに在ります、皆さんの応援を背に頑張ります、私の歴史に残る皆様の応援を大切に、ふるさとは宝です。
今日の昼食は割り勘ではなく、佐藤会長が全員を招待して下さいました。
美味しい辛子漬けのキュウリと味噌焼きおにぎり
左から、後援会事務局長の春日さん、前・登米市教育長の佐藤さん、同級生代表の幸喜さん、佐藤会長、哲ちゃん、寿彦さん、

2011年8月5日金曜日

仙台・花火大会

8月5日は花火大会、仲間との夕食会を抜け出して、花火大会最終時間に珍しく写真を撮ろうと、マンションの屋上より広瀬通りか西公園が良く撮れるかと行ってみたら、煙で、又、樹が思った以上に茂り、以前よりは見えにくく成って居た感じ、杜の都ですから、しょうがないのかなと、結局、気に入った写真が撮れなかったで〜す、帰り際、たまたま、西公園前の Be I に立ち寄ったら、皆さんお帰りの後でしたが、何と、怜子ちゃんと芳枝ちゃんと一人の男性が未だ居ました、1年ぶりの芳枝ちゃん、珍しく浴衣姿、浴衣姿が増える日本の夏、涼しい感じ、でも、きちんと身に着けていない若者が多い中、キチンと着こなしている所はさすが、ア!、サトルおじさんに、紹介します、今度、結婚する彼です、8月8日に入籍しますと言われて、即座、おめでとう、近い内にお祝いをプレゼントしようと約束しました。

久しぶりの一刀斎からのメールです

現在に日本を象徴しているようなすっきりしない天候が続いています。原発の影響はどこまで拡がるのでしょうか。経済にも被害は食指を延ばしています。復興に移行するためにも経済が落ち着くことが先決です。
 それぞれの場所や立場で頑張っていただきたいものです。毎日が夏休みの身には見守るだけしかできません。
一刀斎
 

2011年8月2日火曜日

気仙沼にたどり着き、

8月2日、7時、マンションの前で白松社長と従業員の方と待ち合わせ、今日は気仙沼に、長距離なのでナビ付きの自動車、運転の上手い方がご一緒で、先ずは宮城インターから高速に、若柳金成で降りる予定でしたが、出口が渋滞、急遽、一関迄行ったのが正解でした、一関から気仙沼街道を更に東に、予定より30分前に気仙沼にたどり着きました、今回、県の方から連絡して頂き、ユネスコ・スクールの及川副参事にお会いする計画でしたが、出張でお会い出来ず、教育長はじめ関係者の皆様にお会いする事ができました。
その後、被害地を視察、親戚の谷村さんのアーヴァンに見舞い訪問、川岸に在る建物は壊れていませんでしたが、140cm の浸水で、壁に痕が残り、一階の事務所、会場は閉鎖されたまま、2階に事務所を移動している状態でした、谷村さんにはお会い出来なかったですが、以前お会いしていた素敵な店長とお話し、メモリアル・ホールの方は高台に在るので被害は無かったと言う事と家族も無事とお聞きして半分、安心できました。
 







震災と津波後、いち早く開店した白松がモナカ石巻支店
その後、白松社長が見舞いにと、同じ菓子仲間の(うつみ)さんのお店に立ち寄りました。うつみさんは、店舗も工房も今回の津波で流され、新しく店舗と工房を1週間前に開店したばかり、オープンには大勢の方々が駆けつけた様子と、アーヴァンさんから聞いていました、おめでとう! その後、我々3人は、気仙沼被害地へ(被害地の写真は今日で最後の掲載です)既に瓦礫は少なくなっと聞いていましたが、広大な悲惨な光景が眼中に入り込みカメラのシャッターと違う、心体に刻み込まれて行く衝動を感じとりました、それは恐怖から立ち上がる願いを込める様に、その後、気仙沼を出て、海岸線を南下、南三陸町を廻り、昼食は遅めの1時30分過ぎにホテル観洋で、白松さんが計画したフカヒレ・ラーメンを注文しましたが、残念、今、無いと言う事で、ラーメンは諦めて、ネギトロ丼を3人で御馳走になり、南三陸町の被害地をみて、石巻に、只、途中海岸線を通る道が遮断されていて、迂回しながら2週間前に石巻に一度行っています石巻に、目指すは石巻商店街、まだまだシャッターが閉じたままのお店が多い中、いち早く、店舗を移転して奇麗にオープンしているお店、白松がモナカ本舗・石巻支店に立ち寄り白松さんの石巻の友人が道案内と言う事で4人で被害地を視察、確かに、以前よりは復旧作業が進んでいる様子、只、地番沈下は深刻です。