2011年8月2日火曜日

気仙沼にたどり着き、

8月2日、宮城インターから高速に、若柳金成で降りる予定でしたが、出口が渋滞、急遽、一関迄行ったのが正解でした、一関から気仙沼街道を更に東に、予定より30分前に気仙沼にたどり着きました、今回、県の方から連絡して頂き、ユネスコ・スクールの及川副参事にお会いする計画でしたが、出張でお会い出来ず、教育長はじめ関係者の皆様にお会いする事ができました。
その後、被害地を視察、親戚の谷村さんのアーヴァンに見舞い訪問、川岸に在る建物は壊れていませんでしたが、140cm の浸水で、壁に痕が残り、一階の事務所、会場は閉鎖されたまま、2階に事務所を移動している状態でした、谷村さんにはお会い出来なかったですが、以前お会いしていた素敵な店長とお話し、メモリアル・ホールの方は高台に在るので被害は無かったと言う事と家族も無事とお聞きして半分、安心できました。
 







その後、気仙沼被害地へ(被害地の写真は今日で最後の掲載です)既に瓦礫は少なくなっと聞いていましたが、広大な悲惨な光景が眼中に入り込みカメラのシャッターと違う、心体に刻み込まれて行く衝動を感じとりました、その後、気仙沼を出て、海岸線を南下、南三陸町を廻り、昼食は遅めの1時30分過ぎにホテル観洋で、フカヒレ・ラーメンを注文しましたが、残念、今、無いと言う事で、ラーメンは諦めて、ネギトロ丼を御馳走になり、南三陸町の被害地をみて、石巻に、只、途中海岸線を通る道が遮断されていて、迂回しながら2週間前に石巻に一度行っています石巻に被害地を視察、確かに、以前よりは復旧作業が進んでいる様子、只、地番沈下は深刻です。

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