2020年11月29日日曜日

1973年代の作品の写真が丹吾ちゃんから届きました・・

 私が幾何学構成絵画に興味を持ち直線で絵を描き始めて居た頃、1973年に、初めて作って頂いた小さなカタログを本棚の奥から14日前に偶然見つけ出し、古い作品と同時に私の顔写真が載って居たので懐かしく、当時を思い出しました。パリ18区の Lamarck 通りに在る(モンマルト墓地に近く、サクレクール寺院迄歩いて行ける距離)アパートに1970年の夏休みが終えた頃に引っ越して6年間住んで居た部屋は、6階に在るこじんまりとした空間で、仕事場、寝室、居間(2段ベットが備え付けられて居て良く友達が泊まる事も)、台所、トイレ、シャワー室が小さな廊下で仕切られて居て、寝室と仕事場に暖炉が在り、雰囲気もパリ風、見晴らしも良く、エレベーター無しのアパートでしたが幅広い階段で大きい作品も運べる、お気に入りの部屋、シルク版画作業の時は窓(北北東と南南西)を開けると風が通り抜け、シンナーの匂いが素早く通り抜けるので助かりました。車は中古車のシトロエン・アミ6、駐車場は路上駐車で問題なく楽しく愉快に無鉄砲に過ごして居た時代でした(今も継続中ですが)。カタログの写真、私の背後に見える小さな作品は1974年の新橋・第七画廊の個展の為に日本に持ち帰った作品(パリ留学後初めての東京での企画個展)、その後、その作品がどの様に誰に保管=コレクションされて居たか定かでは在りませんでしたが。偶然にも、7日前、 YouTube 製作者の 丹吾ちゃんから、オークションにサトルさんの作品が出ているので、昨年紛失した5点の内の1点の作品とは違いますかと、連絡を頂き、早速、丹吾ちゃんから転送された写真を見てみると、残念ながら紛失した作品では無く、なんと、カタログの写真に載って居る1973年制作の小さな作品では在りませんか。驚きと懐かしさと、昔の恋人に会えた様な。当時は、黙々と絵を描いて居た画学生時代、大作は学校の大きなアトリエで、小さい作品は自宅で制作して居た頃の20代後半、47年前の作品。来年の夏、その作品に再会出来る事に成り、楽しみにして居る所です。


2020年11月28日土曜日

理事長の比護さんから セールス・フォース・マネジメント研究会のお知らせ・・

 昨日、比護さんからメッセンジャーで連絡を頂き、久しぶりに電話でお喋り出来ました。用件は明日(今日)、Zoom による忘年会のお知らせ、2020年11月28日(土)15時〜17時、当日は、田中 由多加 名誉会長のご挨拶の後、岡村会長のご発声により宴会をスタートします。と、この会は早稲田大学教授の田中由多加先生が産学協同の異業種交流会の必要性を提唱され、1976年10月9日に誕生、マーケテイングを主軸に、多岐の分野について進取の精神で学び続けている研究会です。私はたまたま佐沼高校の大先輩・城市先生にお声をかけて頂き、日本滞在中、時間ある時には会に参加させて頂いて居ました。最近は参加する機会も無くご無沙汰して居ますが、田中先生の祝いの会などには参加させて頂いたり、現在もメンバーの方々と連絡を取り合ったり、比護さんには以前、ヨットに乗せて頂いたり、今日は朝の7時(日本は15時)にパソコンの前で、いざ、インターネットでZoomにコネクトしてからと楽しみにして居ましたが上手く繋がらず、比護さんにはご迷惑をかけてしまいました。同じ様なSkypeで登米市の小学校やSatoru Sato Art Museum とは連絡を取り合って居ましたが、Zoomは初めての事、残念ながら今回は諦めました。それで朝食後はゆっくり10時にいつもの様に散歩に、今日から自宅から半径20Km以内、3時間以内と散歩が暖和され、のんびりと Park Montsouris (モンスリー公園)を4周して帰宅、2時間、休みなしで歩けました。午後は買い物と称して近くを、今日はパリでは珍しい線路の道を歩き、比護さんは運動で10Kg 体を絞り込んだ様ですが、私の方はのんびりと散歩をと心がけて居ます。

岡島レポート・2019 W杯・備忘録 54

   2019 W杯・備忘録 54

      ~  栄光の日 ~ 

  昨年の今頃は、よく、テレビのバラエティ番組で代表選手が「いじられている」のを見た記憶がある。大会期間中は、連日連夜、ワイドショーなどで、ラグビーシーンが流されていた。1211日には、東京・丸の内の「ラグビー日本代表ONE TEAMパレード~たくさんのBRAVEをありがとう~」に約5万人がつめかけた。

 隔世の感を覚えたものだ。

  2015919日・ブライトン、エディーHCが試合前に「歴史を変えるんだ。歴史を変えるチャンスは一度だけだ。」と檄を飛ばし、最後のペナルティで「歴史を変えるのは誰?」とトンプソンが叫んだあの試合。JPNは、第8W杯の初戦、RSAと初めて対戦し勝利した。世界が驚愕し、日本の一部が歓喜した。

あの時、たしかに歴史は変わった。

今大会前、国内のラグビーを語る少数の人々の間には、俯き加減の「ブライトン前」人と明るく語る「ブライトン後」人が存在し、JPNへの期待度に大きな温度差があった。

  今大会前、ベースボールマガジン社から出版された『ラグビーワールドカップ激闘の歴史vol.3 ジャパン!』の表紙には「日本代表、第1回大会から苦闘の歴史 2015の快挙と未来につながるステップを振り返る!」とある。

  ブライトン前からのラグビーファン(以下、「古代RF」とする。)には、W杯のたびに期待を裏切られ続けてきた苦渋の体験がある。いや、苦渋の体験しかなかった。第1回・1978年から2015年までの長くつらい道。その中には、NZ145-17で敗れた試合もある。苦闘が常態化し、当たり前だよな、と傷を舐めあう日々。

古代RFにとって、いつしか、W杯とは「大会前に泡沫の夢を見て、大会中に現実を思い知らされる」ものとなり、甘い言葉に踊らされなくなった。大会前の盛り上がりにも醒めてゆく。よくも悪しくも世知に長けた落ち着きがあった。

   それに比べて、歴史が変ったブライトンあたりからラグビーに触れたファン(以下、「近世RF」とする。)は、苦闘の歴史を体験していない。だから、捻じれた感情を持たずに、素直に日本代表を見ている。純粋に代表を応援している。応援すれば勝てると信じている。大会前の盛り上がりにも素直に乗っていける。古代RFから羨ましがられもし、世間知らずだと見做されていた。

 そんな違いを感じながら大会が始まった。

異次元の世界が待っていた! 日本中がラグビーに染まった。

  大会前、古代RFは、奇跡は一度しか起こらない、「甘い言葉」を信じない、夢をもう一度などと思わず現実を見ようというリアリスト(を自任する悲観論者)であり、近世RFは、応援すればなんとかなると夢見る楽観論者だった。そこに、圧倒的大多数の現代RF、「にわか」が出現した。おそらく、彼女ら・彼らには古代RFの心性は理解できず、近世RFの感覚とも異質で、四の五の言わずにラグビーを愉しんでいる。すごいことだ。

  そして、日本中が揺れたエコパの夜の歓喜。快挙が、奇跡がつながった。

「もはや奇跡ではない」。歴史は、再び変わったのだろうか? ブライトン後の歴史に1ページが加わったのだろうか?

  古代RFは化石化し、近世RFは圧倒的多数の現代RFに同化する、そんな昨年の秋だった。いたるところにラグビーが存在していた。

そして、今、ラグビーはどこに行ったのだろうか?

 それにしても、国内にラグビーが根付く・文化となる、というのは、どういうことを言うのだろうか?

    バラエティ番組やワイドショーではなく、ラグビーの試合を熱くなって見ていたいものだ。歴史が変ろうとも、それが原点であろう。

 ********************

  IREのベスト主将の自伝『RORY BEST The Autobiography with Gavin Mairs(Hodder & Stoughton 2020)の中に次の一節があった。(拙い訳で申し訳ありません…)

 … 2019928日 日本、静岡スタジアム・エコパ、袋井

JPN 19 - 12 IRE

 私たちは試合前半に失望していたわけではなかった、ジャック・カーティ―のクロスキックからガリー・リングローズがトライし、その後、再びジャックからのショートパントでロブ・カーニーがトライしていた。

 12-3とリードすれば、前年の2018年には私たちは一度も負けなかった。しかし、私たちはブレイクダウンであまりにも多くのペナルティを取られ、ハイテンポで強度の高い試合に格闘し、2度の重要なラインアウトでスチールされた。疲労の蓄積からの珍しいミスだった。私たちは新たなエネルギーの補給が必要でありながら、それなしで戦ったかのようだった。

 それと、ジャック(カーティ―)にジョナサン・セクストンと同じようにプレーすることを求めすぎた。彼には大試合の経験がなかった。私たちは選手層の厚みを増すことに取り組んできたが、スタンドオフのポジションは、第一リザーブ候補が去り、第二候補のジョー・カーベリーがケガをしてしまった。2019年冬の6か国対抗からIREの戦績が上がらず、セクストンの出番を必要以上に多くしてしまっていた。もっとジャックに経験を積ませなければいけなかったのに。

 後智慧だけど、私はジャックにこう言うべきだったのだろう。「お前は、ワールドクラスのベストキッカーだ。キックして(Just put the ball on a sixpence)、JPNに圧力をかけ続けろ。セクストンのようにプレーするな、お前らしくあれ」。

 前半の田村の3本のPGJPNは息を吹き返し、後半途中の福岡堅樹のトライで逆転された。その時点でも、落ち着いて精度を高めれば勝てると思っていた。しかし、田村の4本目のPGJPNが勝利をものにした。(p328329

 … (サモア戦に勝利し)私たちの準々決勝の相手・場所は、JPN/SCO戦の結果次第となった。台風が過ぎ去り試合が行われるとなったとき、私はSCOが勝利し、自分たちはRSAと戦うだろうと思っていた。

 SCOは、しかしながら、8点差でJPNに勝てばいいということを忘れたかのようだった;彼らは80点を必要としなかったのだ。彼らは、JPN相手にディフェンスしなかった。見ていて頭に来た(It was maddening to watch.)。(p330

 *********************

  それにしても、次なる「栄光の日」は、いつ来るのだろうか?

そのときには、W杯で、ベスト4に進出する?  その先の決勝進出、優勝 あるいは NZに勝利する?

  ベスト主将は、IREが「W杯で優勝する」ことと「NZにテストマッチで勝つこと」を等価に見做していた。

    二度あることは三度ある、二大会続いたことは三大会続く。そして、歴史は、また変わるのだろうか? 輝かしい新たな1ページが加わるのだろうか?

次回大会、古代RFは、どういう心構えで大会に臨めばいいのだろうか、それも気になる。

                                                                   令和21128 

2020年11月25日水曜日

たまには テークアウトで・・・

今日は向かいの Café Signes から午前中にメッセージが届き、ランチのご案内でした。Entrée : salade d'avocat ou terrine de campagne, Plats : travers de porc <rôti> miel soja, frites ou brandade de poisson<lieu, églefin>, salade verte. Dessert : tarte au pommes。電話で注文したのは、Salade d'avocat と<rôti> とdessert 、6分後に受け取り行って、自宅で器を替えて美味しく頂きました。前回は Bœuf Bourguignon mijoter を注文して居ました。レストランやカフェにも行けない日々が続いて居ますがテークアウトで営業して居るお店が在り、時には助かって居ます。✌✌ 

2020年11月24日火曜日

EMS 国際スピード郵便が届きました・・・

野家 数夫さんより珍しいカレンダーが贈られて来ました。お手紙には、<2021・ほっこり登米カレンダー>、登米市をPRしようと、地元の絵師の協力を得て、ほっこりするカレンダーを作成しました(登米市オリジナルカレンダー製作実行委員会)ご利用を。最後に、手を省けば楽になる。手を加えれば楽しくなる。楽しい事をする、する事を楽しみ。と記されて居て、早速、アトリエの壁に飾りました。野家さんはヨーロッパ研修旅行でいろんな事を学び、30年前にパリで再会して居ます。以前からフランスケーキを研究していて今はご自分で工房・<シフォンの楽楽>を3年前から進行中(営業中)ケーキ作りに専念している方で、私も登米市に滞在中は、2、3度は必ず頂く美味しいケーキです。野家さんは Satoru Sato Art Museum 友の会事務局長として活動し、利他の精神を持ち続けて、彼のケーキ作りの研究とカラオケ(NHKのど自慢大会出場)とマラソン大会出場など皆さんに笑顔と元気を与えて居ます 😊 来年の再会を楽しみに、郵便物の箱には綺麗な切手が一杯貼られて居るので大切に保管して居ます。🙌

2020年11月21日土曜日

岡島レポート・2019 W杯・備忘録 53

               2019 W杯・備忘録 53

                   ~  勝利の涙 ~

  久しぶりに、いい涙を見た。

 2019109日熊谷でのM30 予選Pool C 対USA戦以来、402日ぶりの公式戦、2020The Rugby ChampionshipRound3NZ戦で、ARGが予想を覆す歴史的勝利をものにした。ノーサイド直前、レデスマHCが感極まって涙するシーンが映し出された。

  試合経過は次の通り。ARGの得点は「○」失点は「●」、狙ったが外したのは「×」。

 

得点

種類

起点となった(リ)スタート

×

 

 

 

 

×

 

2

3 

10

17

 

 

 

 

21

 

25

31

0 - 0

3 - 0

3 - 3

10 - 3

 

 

 

 

 

 

13 - 3

16 - 3

DG

PG

PG

TG

 

 

 

 

PG

 

PG

PG

ARGLOから6フェーズ目

NZ・ラックに横から入ってP

ARG・ラインオフサイドのP

NZARGゴール前でノットリリースのPARGPKをタッチに蹴り出しLO→そのLONZPARGPKをタッチに蹴り出しLOARG15フェーズを重ね、Pのアドバンテージが出て、スタンドオフがディフェンス背後にショートパント、自ら押さえる。

ラックでのARGの入り方にP、直後にNZ2番が相手選手を軽く叩いて、Pの差し替え

NZ、レイトチャージのP

ARGNZインゴールでグラウンディング出来ずに5mスクラムに。そのスクラムでNZ1番コラプシングのP

 

 

 

 

 

 

 

46

 

 

52

 

 

 

57

75

 

 

81

19 - 3

 

 

19-10

 

 

 

22-10

25-10

 

 

25-15

PG

 

 

TG

 

 

 

PG

PG

 

 

T

N15番のノックオンでARGのスクラム→スクラムでNZのコラプシングのPARGPKをタッチに蹴り出しLOARGLO後モールを押し、NZ・モールコラプシングのP

ARG・ラックに横から入ってPNZPKをタッチに蹴り出しLONZLOからモール、ARG・モールに横から入りPNZPKをタッチに蹴り出しLONZLOモールから押し込む

ARGLOから展開、NZ・ラインオフサイド

ARG・自陣22m内でラインオフサイドのPNZ・クイックで展開・ラックでノットリリースのPARGPKをタッチに蹴り出しLONZLOP

ARGPNZ・クイックで展開→ARGPNZ・クイックで展開→ARG・ノット10mNZPKをタッチに蹴り出しLOARGPNZ・クイックで展開

  トライ数だけ見れば、NZ・2に対してARG・1。

  備忘録・49でも取り上げたマイボールリスタートであるSLPで見てみると、

 

     S

     L

     P

S+L+P回数

ARG

    5/5

    8/9

     13

    27

NZ

    3/3

   17/19

     16

    38

  S:L:P比で見ると、ARG 1 : 1.8 : 2.6NZ 1 : 6.3 : 5.3 となる。

(ちなみに、W杯決勝ラウンドの勝者 1 : 1.4 : 1.2、 敗者は 1 : 2.3 : 1.7

 SL+Pの回数は、勝者 25、敗者 25 と 同数であった。 )

  NZは、かなりのマイボールリスタートの機会がありながら、それを得点に結びつけることができなかった。よく言われるように、「NZはアンストラクチャーから得点する」ということは、裏返せば「NZはストラクチャー(=マイボールリスタート)から得点できない」ということの表れなのかもしれない。

  この試合を象徴しているのが、NZボールスクラムが3回。ARGは「つまらない・些細なミス」をほとんどしなかった。長く実践から遠ざかっていたチームとは思えない精度・集中力の賜物であろう。

 もう一つの象徴が、NZが得たPK16回。それでいてPG1回・3点のみ。結果論に過ぎないのだろうが、勝ちに拘るのであれば、PGで得点を積み重ねていくべきであっただろう。国内の試合でもしばしば見受けられるが、狙えるところで狙わずにPKを蹴り出し、ラインアウトからのトライを狙うという戦術、うまくいけばチームに勢いをもたらす。しかし、相手に阻止されれば、相手に勢いをつけるとともに悪循環に陥る。そういう典型的な展開でもあった。

  スタッツ(The Rugby Championshipを主宰するSanzarのホームページに直後に掲載されている)で目を見張るのは、ARG6番・7番の働き。

 

       6

       7

    T

   MT

   PC

    T

   MT

   PC

ARG

   10

    2

    2

   28

    3

    4

NZ

    4

    1

    1

   10

    3

    -

(注)T:タックル数 MT:ミスタックル数 PC:ペナルティを犯した回数

  「刺さりまくる」とともに、6番・7番二人で6回のペナルティ。これをどう評価するか、人それぞれなのだろう。ともかく、勝利の立役者である。

  2019W杯で一敗地に塗れたARG。それを率いたHC・レデスマの横には大会後「くびになった」AUSHCチェイカが。リベンジ組の勝利であった。この試合の全得点をあげたスタンドオフ・サンチェスも、あの対FRA戦の戦犯として名指しされスタメン落ちした。いろんな思いが駆け巡った400日余であったことだろう。そして「涙」。

  もう一人、書かずにいられないのが、ガードナー(AUS)。ARGからすれば、あの2点差で負けたFRA/ARG戦を吹いた「憎っくき」レフリーである。

2020The Rugby Championshipは、オーストラリア一国開催。レフリー陣はW杯で笛を吹いたガードナー、ベリーの二人のAUS人とオキーフ、ウィリアムスの二人のNZ人で構成され、この四人が各試合、それぞれ主審・副審2・TMOの役割を分担している。

選りによって、この試合は主審:ガードナー、副審1:ベリー、副審2:ウィリアムス、TMO:オキーフで行わることになった。

試合は、開始早々荒れ模様。3分両チームの「小競り合い」が。ガードナーは、両チームキャプテンと当事者・NZ6番を呼んで(ARGの当事者はキャプテン・6番・マテーラ)、まず、NZ側に注意を促し、次にARG・キャプテンに「落ち着くように。あなたがキャプテンなのだから模範を示すように…」と注意したところ、ニコリともせず「俺は母国をリスペクトしているんだ。国の為にプレーしているんだ」(半分想像です…)と言い返してプレーが再開される。そういえば、「愛想のいい」アルゼンチン人って見たことない。

ともかく、W杯・M3 FRA/ARG戦では口数の多くなかったガードナーが、この試合、NZの試合ということもあり、英語でしゃべり続けていた。そして、ぶれずに笛を吹いた。Pの数の多さが、それを物語っている。この試合のPは、両チーム合わせて29W杯でのM3 FRA/ARG戦・18ARG5)、M14 JPN/IRE15M39 WAL/URG21に比べると多い。ガードナーにとっても忘れられない試合となったことであろう。

  世界のラグビーシーンは動いている、一本道を歩むが如く。W杯の各大会は、世界のラグビーシーンの貴重な「一里塚」のように思えてきた。

 WRランキングを決める各国の持ち点、勝てば増え・負ければ減る。この試合では、NZが持ち点を2減らし91.17から88.17になり、2位から3位に落ち、ARGは持ち点が78.31から80.31になり、10位からWALJPNを抜いて8位になっている。

W杯後、その持ち点が動かない(=試合を行っていない)のは、RSA94.20)とJPN79.29)の二カ国である。いつになったら、持ち点が動くのか、気になるところである。

  ARGはオールブラックスから勝利した7番目の国となった。JPN8番目の国となる日は、いつ来るのだろうか?

                                                                                           令和21121

2020年11月20日金曜日

松島の紅葉の写真が届きました・・・

以前、臨済宗妙心寺派の円通寺を訪ねた事が在りました。田手さんの紹介を頂いて居ましたが、その後、庭設計の上原さんのご案内で一緒に伺い、ご住職さんとお茶を頂きながらお話出来た事が在りましたが、今日は珍しく Cocoroちゃんより松島の円通寺よりと綺麗な紅葉の写真が届きました。そして、丁度、咲いて居ましたと、支倉常長使節団が持ち帰った、日本に渡って来た最初の薔薇と言う写真も・・・松島はなんども訪ねて居ますが、特にエクアドル大使とは仙台のパーテイの翌日早朝から仙台の仲間の皆様と瑞巌寺は普段観れない所も特別にご案内して頂いた事も、フランス大使来仙の時は Cocoroちゃんのお父様と、又、パリ第八大学の仲間の先生は松島の魚市場の建築を観たいと仙台のメデイアテークと登米の諏訪公園を観て行きましたが、・・・そうそう、R&Cさんに誘われて松島へ美味しいお寿司を食べに行った事も、Covid-19の影響で日本に行けないと成ると余計に思いをはせます。

2020年11月19日木曜日

やっくんから、干し柿の時期になりましたと、連絡を頂きました・・

やっくんの8階のベランダには 干し柿がたくさん並んで居ます。懐かしい干し柿の写真です。
食べ頃は、正月でしょうか・・・😊

2020年11月18日水曜日

富岡市立美術博物館・福沢一郎美術館での開館25周年記念コレクション展の知らせ・・

今日は富岡市立美術館博物館・福沢一郎記念美術館の稲田智子様より写真を送信して頂きました。昔、富岡の福沢一郎先生の作品を観に伺いましたが、現在、<開館25周年記念コレクション展・光の居場所〜そこ・かしこ>展が開催されて居ます。目録を見ると、1- 大地を照らす太陽の光、のコーナーには中村 節夫、野口 弥太郎、北川 英子など6名の画家、 2- 水辺と空を演出する光、のコーナーには4名の画家、3-三人の感情のと光、には、林 武、森 芳雄など8名の画家、4- 空想の光、には4名の作家の作品が、合計、29点の作品が展示されて居ます。その空想の光のコーナーに、友人で幾何学構成絵画を追求して居る Kitagawa Jun-ichirou(北川 順一郎)さんの作品2点(130 X 130cm)と(100 X 100cm)が展示されて居ます。開館25周年記念コレクション展は9月19日〜11月29日迄開催、富岡にお出かけの方は、是非、美術館を訪ねて観て下さい。大地を照らす太陽の光のコーナに出品して居る風景画(写真掲載)は Kitagawa Fusako(北川英子)さんの作品で北川さんの奥様=画家です。

やっくんからの便りは、仙台の紅葉風景です。

マンションの前の東北大の木が紅葉して綺麗ですよ! 

😊 木村のやっくんから綺麗な懐かしい風景が届きました。華の在る風景は永遠に輝いて居ます 👀

2020年11月16日月曜日

吉報は寝て待てと・・・届きました、

😊  今日はベットの中で吉報を頂きました。送り主は順番に木村やっくん、早坂さん、矢吹さん、横山さん、ヒロエちゃんから、河北新報に宮城県美術館移転計画中止と発表されましたと、横山さんからは早過ぎてご迷惑でしたと、いやいや、嬉しいニュースは早い方が良いのです👍 、その後、男澤さん、ゾウカバちゃん、安部ちゃんからも連絡を頂きました。多くの市民、県民の願いが県知事に届いた様で、きちんと話せば判る知事ですと言う方も居ました 🎉 伊達騒動ではなかった県美騒動も落ち着いて良かったと 🙌、こちらは2度目の外出禁止令が出て、ボジョレーヌウボー解禁の祝いも静かに成りそうです。レストランやバー、カフェも閉店ですから。さて、今日は元気を頂き 🙏 これから朝の散歩、1時間以内、自宅から半径1Km以内、約5Kmの距離を歩き、それからのんびり制作に入ります。💪

宮城のニュース

宮城県美術館の移転断念 村井知事が表明、建築的価値に配慮

 

宮城県美術館(仙台市青葉区)を仙台医療センター跡地(宮城野区)に移転する構想を巡り、村井嘉浩知事は16日、移転を断念し、現地存続させる方針を明らかにした。現施設を増築せず、長寿命化に向けた改築を行う。

近代建築の巨匠ル・コルビュジエに学んだ「モダニズム建築の旗手」、故前川国男氏が設計した建築的な価値に配慮。近隣に仙台市博物館や東北大、仙台城跡などが点在する文教地区に残すことで、調和が取れた文化的価値の高い街並みを維持できると判断した。増築しない場合、財政負担が軽減するメリットも勘案した。

 村井知事は16日の定例記者会見で「美術館は現地改修する。ただ増築はしない」と表明。東京エレクトロンホール宮城(県民会館)、みやぎNPOプラザは当初の計画通り、仙台医療センター跡地に移転集約する考えを示した。
 県教委は2018年3月、現地での増改築方針を策定。県有施設の再編構想を議論する県の有識者懇話会は19年11月、県民会館とともに移転、集約する案を公表した。
 芸術関係者や市民団体から、県美術館の移転に反対する声が続出。県は比較検討の選択肢として(1)現地での増改築(2)宮城野区への移転新築(3)現施設を増築せずに改修のみ実施-の3案を検討していた。
 宮城県美術館は1981年11月にオープン。90年には、同県大和町出身の彫刻家を冠した佐藤忠良記念館が棟続きとして開館した。

関連ページ:宮城政治・行政

2020年11月16日月曜日


2020年11月14日土曜日

今日は誕生日、いろんな方々から、祝いの言葉を頂きました。

今日は私の誕生日、同じ、苗字が佐藤で竹馬の友、小、中、高校と一緒の佐藤和夫ちゃんが同じ誕生日、パリ近郊に住んで居る画家の篠原さんも同じ生年月日で昔、彼が独身の頃(1970年代)、我が家(パリ18区)で餃子を作って 誕生祝いをした事も、三人目の同じ誕生日の Jean Branche にも電話(私より9歳上)、Jean との付き合いは40年以上、当時の彼はコレクターで奥様とナントにギャラリーを持って居て、その後、パリとマルモ(スエーデン)にもギャラリーを開いて居ましたが、いつの間にか、幾何学構成アートの画家として活躍する様に今は高齢と言う事も在りギャラリーは閉めて居ますが、画家として健在です。三人と久しぶりに長電話した所でした。今日、AKIちゃんから贈り物は、私の大好物・ANGELINAのMont-Blanc aux marrons とALAN DUCASSEのチョコレート3種類、LA MAISON DU CHOCORATのMarron Glacés が届き、モンブランは従来の品と限定版新製品のモンブランと2個頂き、モンブランを早速ご馳走に成り、マロングラッセとチョコレートはゆっくり時間をかけて今月中に頂きます。Kaori , Kénji , Aki , Tony ファミリーとはオンラインで祝って頂きました。人並みに高貴宏麗者と言うのか高貴高齢者と言うのか、Covid-19感染に負けずにこれから更に謙虚に努力致します・・

岡島レポート・ 2019 W杯・備忘録 52

    2019 W杯・備忘録 52

      ~  大学ラグビー ~

  エディー・ジョーンズの日本ラグビーに対する指摘は鋭い。傾聴に値する。彼は、常々、日本の大学ラグビーのあり方に苦言、というよりも、真っ当な批判をしてきた。

 たとえば、『ラグビー日本代表ヘッドコーチ エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは「信じること」』(生島淳著 文藝春秋 20158月刊)では、「大学ラグビーの問題点」という小見出しの中で、次のようなエディーの発言が収録されている。

 「大学ラグビーが日本のラグビーが発展するうえで、大きな役割を担ってきたのは理解しているつもりです。ただ、現状を見てみると残念ながら帝京大学以外のエリートチームは、エリートにふさわしい練習が出来ているとは言いがたい。伝統校は進歩が止まっています。学生である福岡、藤田をワールドカップの戦力にするためには、普段から適切なコーチングが必要なのに、大学での日々の練習には期待できない。帝京大学が連覇しているのは、マネージメント、コーチングが優れているからです」(p129

 「日本の大学は満足な練習環境を整備しないのに、学生に対して時間を費やすことを求めます。帝京大学が連覇している理由は、大学がしっかりと環境を整備していることにつきます」(p130

  前大会前に出版され、読んで、「おっしゃるとおり」と納得した記憶がある。特に、日本代表が強くなるためには、大学ラグビーが変わらなければ、と感じていた。

  盛者必衰、栄枯盛衰、諸行無常なのか、その後、帝京大学の連覇は途絶え、日本代表は、今大会、悲願のベスト8を達成し、決勝ラウンドに進出した。

  あらためて、W杯・各大会の日本代表選手の出身(所属)大学をカウントしてみると次のようになる。

 各大会、出身(所属)大学別の選手数

 

 Ⅰ

 Ⅱ

 Ⅲ

 Ⅳ

 Ⅴ

 Ⅵ

 Ⅶ

 Ⅷ

 Ⅸ

同志社

 ⑧  

 ⑥  

 3  

 ③  

 -  

 2  

 2  

 -  

 -  

明治

 3  

 5  

 ④  

 1  

 2  

 1  

 1  

 1  

 1  

大東

 2  

 2  

 ④  

 1  

 1  

 -  

 -  

 -  

 1  

法政

 -  

 -  

 -  

 ③  

 ⑤  

 3  

 2  

 1  

 -  

京産

 -  

 2  

 3  

 ③  

 2  

 -  

 1  

 ③  

 1  

関東学

 -  

 1  

 1  

 1  

 4  

 ④  

 2  

 1  

 1  

早稲田

 2  

 2  

 3  

 1  

 1  

 ④  

 ③  

 ③  

 1  

東海

 1  

 -  

 -  

 -  

 -  

 1  

 2  

 ③  

 3  

帝京

 -  

 -  

 -  

 -  

 1  

 1  

 1  

 2  

 ⑦  

(注) ○で囲った数字は、当該大会での同一大学から日本代表を出した選手数の最大値

    当然のことながら(?)、時の強い大学チーム出身の選手が多く選ばれる。同志社⇒明治・大東大⇒法政・京産⇒関東学院大・早稲田⇒東海大⇒帝京大と、大学ラグビーの勢力の移行が如実に反映されている気がする。

そして、今日、エディーの苦言に耳を傾けた伝統校がやるべきことをやり始めたのかもしれない…

  北半球8カ国のオータム・カップ、南半球3カ国のチャンピオン・シップが始まっている。観ていると、各チームに大学生年代の選手が次々と出場している。

    W杯日本代表で、現役大学生で選ばれたのは、第1回:広瀬(同大4年)・宮本(同大4年)・ラトゥ(大東2年)、第2回:大内(龍谷1年)・元木(明治2年)・増保(早大2年)・松田(関学3年)、第3回:赤塚(明治4年)・ラトゥ(大東4年)・廣瀬(京産4年)・オト(大東4年)、第4回:木曽(立命3年)・三木(龍谷4年)、第5回:山村(関学4年)、第6回:-、第7回:-、第8回:福岡(筑波4年)、藤田(早大4年)、第9回:-

  各国の代表選手に比べて「遅咲き」なのかもしれないが、若くして代表になる選手がいないわけでもない。

  ラグビー関係者は、ラグビーがこの国で盛んになることを熱望し続けてきた。そのための手段として、しばしば、① 日本代表の強化 ② ラグビーの普及 のための様々な改革案が語られてきた。今大会前には、「プロ化」「地域密着」を打ち出したトップリーグ改革案が出されたりもした。

 ところが(?)、日本ラグビーの構造がさほど変わらなかったにも拘らず、悲願のベスト8が達成された。その後、予期せぬCovid-19に翻弄されてもいる。

 今こそ、日本ラグビーの将来像をクールに語るべきではないだろうか。

  ベスト8「前」と「後」では、代表強化のウェートが違ってくる。おそらく「代表強化のための○○○」という主張は後景化する。そして、「出来るだけ多くの人にラグビーを」、そのためにどうすべきか、という論点がより重くなってきた気がしている。

  日本のラグビーは、他のラグビー主要国とは全く違って、各年代が学校・企業という「組織」に属するチームでプレーしている。たしかに、多くの国の選手がプレーする「地域」に属するチームとは性格を異にしている。しかし、いずこにおいても、この大流動化の時代、特定の地域から動かず「住民・ジモティ」として定住している人々は少なくなってきている。一方で、組織は組織で地域に密着もしている。

 そういう現状を踏まえれば、「地域密着」vs「組織密着」という二項対立で捉えることは意味がなくなってきている。

むしろ、この百年余の積み重ねの歴史をポジティブに捉えるべきだと感じている。

 特に、他の国のラグビーの構造と比較した場合、異彩を放っているのが大学ラグビーの「重み」である。大学ラグビーによって「すそ野」が大きく広がっているということをポジティブに捉えて発展させる手立てを構想すべきではないか、と感じている。

 また、選手たちにとっては、その次のステップでもある「社会人ラグビー」も単に少数精鋭ではなく広がりを求めることも考えるべきなのかもしれない。

一方で、見る側からすれば、接戦が望まれる。大差の試合を少なくすることも考えなければならない。

  先日、秩父宮での大学ラグビーのチケットを購入しようとしたが、受付開始2分で完売してしまい購入できなかった。もちろん、密にならないように間隔を開けた着席ということで販売数がより限定されたことも影響しているのだろうが、根強い人気・支持があることも事実である。気になるのは、観客層が高年齢層に偏っていることではあるが…

  ともかく、多くの選手が大学ラグビーで鍛えられ日本代表になっている。これは日本ラグビーの「よき伝統」として継承されるべきであろう。未来の日本代表の出身大学がどこなのか、愉しみである。

                                                                          令和21114