2011年7月31日日曜日

J.S.BACH ミサ曲ロ短調 演奏会

昔、芥川也寸志先生(作曲家で指揮者)が、東北の田舎町と言うより田んぼのど真ん中に出来たバッハホールと言うコンサトホールが在るが、非常に優れた音響装置が備わっていて、アジアではトップの施設である事は間違いないと賞賛して、一躍、全国的に知られる事に成ったバッハホール、30年前、当時、町長だった本間俊太郎さんが、まだまだ、地方からの発信などと言う言葉が無かった時代、日本で初めて地方からの文化の発信、全国に、アジアに、世界に音楽を通した文化発信を願って創られたモノ、ホールは今も健在です、オープンしたてのバッハホールは当時と同じ様に迎えてくれました、地震の影響は無かった様子、廻りの樹々が大きく成った印象だけ。7月31日、仙台11時発の高速バスで、バスを待っている時に福島から来た3人のご夫人に声をかけられて、バッハホールに行く事と解り一安心、当時は車で行ったので、バスは初めて、開演2時間にたどり着き、ゆっくり昼食を取り、開演を待ちました、前日、小野田町のゲンジロウ、クラッシク好きな遠藤みどりちゃんのお店に電話をしたら、今回は参加していないとか、ゲンジロウを訪ねるには車が必要なので今回は諦めました。
開演14時からの J.S.BACH のミサ曲ロ短調の演奏会、今回、バッハホール・アニバーサリ合唱団に属している、川嶋先生の紀恵子夫人と、塩沢さん(二人とも、東北学院大学に関係する方々)が出演すると言うので、ミコちゃんから招待状を頂いていたので、小雨の中、傘を差して並びましたが、時間前にホールに入れて、演奏会は時間通り Missa から始まり、Symbolum Nicenum  (Credo)、Sanctus と続き、ラストはOsanna, Benedictus, Agnus Dei Et Dona Nobis Pacem 、素晴らしい演奏会でした、Missa の後半、演奏しない時の演奏者はきちんと曲を聞いて居るのですが睡魔に襲われたら大変な事と思いつつ、丁度、空調が利いて私も睡魔に襲われそうに成りましたが、昔、どこかで、演奏中、交響団の一人、丁度、指揮者の隙間から私の正面に見える方が、楽器を隣において、もう、自分の演奏する役目が終わったのか、足を伸ばしてリラックス、しまいに頭をコクリ、コクリと何度か下げるので驚き、心配に成った事が在りました、そんな失態の無い演奏会、山形交響楽団、合唱団も素晴らしく、緊張する中で心地よい一時を過ごさせて頂き、特にアルトの高山圭子さんの歌声が印象に残りました。
小雨が降り出し、傘を持って50mぐらいは並び待たされました。

〜平和への願いを祈り 一日も早い平穏な日々を〜  ・ 中新田バッハホール開館30周年記念にふさわしい演奏会でした。
Johann Sebastian Bach は、1685年生まれ、ドイツの作曲家、鍵盤楽器(パイプ・オルガン、チェンバロ、ピアノ)の演奏家としても知られ、フランスの教会ではバッハの曲とパイプオルガンは欠かせないセットで、石作りの空間の中で聴くバッハの曲も、又、格別でもあります。

2011年7月30日土曜日

こども絵画教室



 



7月30日は、9時30分から12時迄、こども絵画教室、懐かしのサトル後援会が主催して来たサトル絵画教室、昨年の13回目は変則で、今年から、ミュージアム友の会が主催、13年間続いたサトル絵画教室から、こども絵画教室と名前が変更しました、サトル後援会時代はサトルの応援の方々の集まり、ミュージアム友の会は、ミュージアムの応援の為のもので、そこの所をきちんと了解して頂きたいと思いますと新しい所長からアドバイス、私にとってタイトル名より、今年は東日本大震災が在り、ふるさとの子供達が負った震災の傷跡を少しでも癒やす事が出来ればと小さな交流が出来ればと、お母さんやお父さんも一緒に参加、多くの方々が来て下さいました、2階の会議室でボランテアの智恵ちゃんが司会、友の会会長の挨拶、担当の岩井君も大忙しです、会長の挨拶後は、そのまま、3階の展示会場に、先ず、展示作品を紹介、この3点の版画と向こうの絵はプロジー(PROSI)、フランス人です(昨年の夏に死亡)、あっちの壁面に展示されている作品はピパー(PIPER)女史、95歳の神戸生まれのドイツ人、今も健在で〜す、女性です、隣の壁にかかげられているのは、ジャンキエール(JONQUIERES)、アルゼンチンの人でパリに住んで居ました、こっちの絵はルピアン(LEPPIEN)、カンデインスキーの生徒でした、リズムカルに小さな白い四角が5個並び、四本の斜めに平行に並んだ線、逆に一つの線がこちらから斜めに5個並び、合計25個描かれてあるのはスエーデンの画家リデル(RIDEL)です、版画の部屋ではこの版画はアガム(AGAM)の作品イスラエル人です、こっちの小さな版画はソニア・ドローネー(Sonia DELAUNAY)、ロシア人でフランスに帰化した画家、女性ですよ、隣の壁面に在る版画はソト(SOTO)、ヴェネズエラの作家でパリで亡く成った方、私が直接、ソト先生から頂いたモノ、ほらここに、我が友、サトルにあげるって鉛筆でフランス語で書いて在るでしょう、そんな説明をしながら、同じ目線での小さな小さな交流が開始され、皆さん現場で描き始めました。鉛筆やクレパスで描く人はこの会場で描いても問題在りませんが、水彩画は水を使うので2階の創作室でお願いします、そちらはテーブルと水が用意されていますのでと担当の智恵ちゃんの元気な声、岩井さんも一緒に子供達親子の皆さんを2階の3部屋の用意された部屋に誘導、子供達とのふれあいは昔と変わらず楽しく、皆さん真剣に元気に描いていました。只、全体的に子供達の昨年の絵と比較してみると、淡い優しい中間色が昨年と異なり少ない様子、色彩的にも構成的にも変化が起きて居ました、当然と言えば当然ですが、怒りや衝撃、不安、恐怖等、心配事を、絵をとおした遊びの中で吐き出せる様に、気がつかない心の傷を少しでも軽く出来ればと、そして良い思い出に成ればと、現場で痛感しました。そっと、一緒に頑張ろう!スクラム組んで、励まし合い、支え合い、子供達には大きな未来が在から。

2011年7月17日日曜日

南三陸町を訪ねて



トンネルの外の路線が消えていた気仙沼線
気仙沼線の基礎部分が浮いていた



津波警報と避難を叫び続けた職員の方は津波に攫われ鉄骨だけが残った防災センター
奇麗だった歌津大橋

17日、南方の均ちゃん(小野寺)の車で、昼、仙台から三陸道、河北インターで高速を降り、その後、北上川を下り、北上にその後、金比羅崎、神割崎を廻ると、震災と津波の被害風景は眼に入って来ます、ホテル観洋で一休み、コヒーを頂いて志津川の街に着くと、覚悟して居たにも関わらず、意識の中で、そこに存在すべき風景がスクリーンのラストシーンの様になにもかも廃墟と化し、親戚の旅館も友人の家も蔵も消え、言葉に成らない風景が夏風にされされていました、更に北上、小野寺重機が被害地現場で仕事をしている歌津に、被害地に立ち、悪夢ではない、現実に破壊された街並、消えた街並、亡くなった方々が居るのだから、海は何事も無かった様に静かなさざ波を立て静かに横たわっている、まるで自然界の荒れ出している恐怖を覆う隠す様に、砂漠いや荒野の様な荒れ果てた空気は無く、湿きった魂が精神がそこに在る、もうろうと睡魔に襲われながら登米市に送り届けて頂き、最終高速バスで仙台に戻りました。

2011年7月16日土曜日

石巻の洞源院を訪ねて




福井県大野商工会議所青年部の料理の後片付けをする皆さん
左から綾子さん、早坂さん、一人置いて、新井さん
 7月16日、午後一番、新井さん、早坂さんと待ち合わせ、早坂さんの車で、途中、新井さんの友達、綾子さんが合流、4人が乗った車は仙台を発ち、行き先は、石巻の洞源院でした、既に新井さんが奇麗な花束を持ち込み(4人で折半)、仙台から三陸道を石巻河南で高速を降りて、港に近く成るに連れて津波の被害が、残骸が眼の中に飛び込んできます、ゆっくり車を降りてカメラに収める時間が無く、車の中から撮る事でも悲惨な響きと腐敗した魚の匂いも伝わってきました、早坂さん、新井さん、綾子さん3名はお仕事、新井さんは他の同行車と携帯で連絡を取りながら、お寺へと誘導していました、私はたまたま、車に便乗させて頂き、カメラを持って現場に、お寺に着くと、夕方から始まると言う演奏会の準備が始まっていました。お寺の住職様を紹介して頂きご挨拶、震災、津波に遭われた被害者の皆様に早坂さんが代表で花束を捧げ、各自が皆様のご冥福を祈りました。帰り際、住職様や奥様から優しく食事にと薦められ、ご一緒の15名の方々と食事を頂きましたが、勿論、そこに避難している方々とも一緒に、ここは、居心地が良いので他に移りたくないと、にこやかに話しをする地獄を見たご老人夫妻の言葉が印象的でした、食事はおいしかったです、私も御相伴に、福井県から応援に駆けつけて作って下さった皆様の冷やし中華は格別、ハエがぶんぶん飛ぶ中で美味しく頂きました、有り難う!彼らは、車で食料と器材を持参して1日福井県大野から駆けつけて冷やし中華を何百人分と作り、その日の内に、奇麗に後片づけして、被害地での宿の迷惑を考えて夜中をかけて福井に戻ると言う、そう、熱い心の絆を残して、そういう方々が居る限り、日本は、復旧に息を吹き返すと、祈りと共に確信しました。

2011年7月15日金曜日

浅水小学校を訪ねて、共同制作!




7月15日、午後は浅水小学校へ出前アート講座、岩井さん(市職員の登米市中田生涯学習センター勤務、サトル・サトウ・アート・ミュージアム担当)が前日20枚近く張り合わせて作った大きな紙とクレパスを用意して持参、 30名の子供達との共同制作、子供達は皆で一枚の絵を作るのは初めての様子、各自が好きな様に端の方から描き始め、最後は中心迄描き尽くせました、皆で、丸、三角、四角そして直線の絵が、私も参加、賑やかに楽しく31名で一枚の絵を完成させました。

石越小学校を訪ねて




7月15日6時起床、7時10分仙台発・登米市庁舎前行きの高速バスに乗り8時45分に到着、担当の岩井さんのお出向いを頂き、石越小学校へ、3年1組と2組の学生さんとPTAの皆さんも一緒にと大勢の親子講座に、担当の鈴木先生、及川先生も大忙し、今回の計画は昨年から進めていた、PTAの土生さん、濱田さんの強い希望で現実したと佐藤校長先生から伺いました。
幾何学構成アートと言うと難しいと思う方が居ますが、丸、三角、四角を描いてみようと、写生と違い、皆さんが思っている丸を好きな大きさに描いてみよう、四角も円も三角もバラバラでも重ねってもいいよ、そして色を塗ってみようと、色は赤、青、黄色(三原色)、それに、白と黒(無彩色)、青色と黄色を混ぜるとどんな色が出来るかなと言うと元気な声で、緑だよ! 間違いなく、小さな交流が始まりました。

最後に、紙に真直ぐな線を好きな色を使って、斜めの線でも、紙の真ん中でも縦横、端でも、下の方でも直線であれば大丈夫、皆で大きな長方形を作ろうと言ったら、サトル先生、線一本で出来っこないよ、そんなの無理!と元気な子供達、鈴木先生、及川先生、父兄の方々も驚いた様子、皆で一つの目標に向かって長方形を作るのだから大丈夫、好きな色を選んで描いて下さい〜と、見事な細い線太い線が出来、線をつなぎ合わせ、紙の向きが異なりその形も微妙に変化して全体的に見ると面白い紙の長方形が出来、ワ〜出来た、大きい四角だ!と、完成後は大きな長方形の中に一緒に入り、記念撮影も出来ました。子供達と真剣に向き合い一人一人に声をかけて温かいモノが伝わって来た楽しい一時、小さな小さな子供達の心にちいさな夢を、ちいさな癒しを、そしてパリの話を伝えられたかなと、帰り際、土生さん濱田さんから、PTA からと、可愛い厚めの紙袋に、おにぎりとお茶が用意され、更に封筒が、開けてみると、二つ折りの色紙代に〈 ありがとう、きもちをこめて、石越小、3年 ⟩ と書かれ、絵も描かれていて、表紙には切り絵がコラージュされていました、昼におにぎりを頂きました、美味しいアートが伝わる様な、美味しいおにぎりでした。

2011年7月14日木曜日

登米市中田中学校・美術部部員と


 7月14日午後三時、登米市中田中学校の美術部2年生中心のメンバーが美術部担任の千葉先生と一緒にミュージアムにやって来ました、ミュージアムに展示されているコレクション作品を観て頂き、展示会場4ヶ所の作品や作家の紹介をしながら彼らとおしゃべり、鑑賞後は、2階の会議室をお借りして、学生さん達と話し合い、私の講演や講座を聴いた学生も居て、何となく嬉しく成ります、パリ・フランスの日本の生活文化の違いや共通点など述べたり、中学生に成ると小学校時代の夢から現実に向けた夢を持ち歩き出す時期、どんな夢を密かに持って居るのか、聞き出すのも楽しみでもあります。後輩の中田中学校美術部を訪問する約束をし、彼らの作品を拝見出来る事を楽しみにしている所です。絵を描く事を通して学ぶ事は、観察力、思考力、想像力、宇宙感覚、創造力を増す事でも在り、人間形成にとって大切な事でも在ると思います。


母校を訪ねて 

 

7月14日、石森小学校を訪ねました、後輩達は元気そのもの、◯▲▢をクレパスで描こうと、同じ円でも小さな小さな点の様な ◦ 、大きな◯ 、こんな◒も、正方形、四角も■▢▣□■いろいろ、クレパスは、3原色の赤、青、黄色、それに白、黒の無彩色、赤と青を重ねると紫に、黄色と青で緑が出来るんだと知っている学生も、描くモノの対象が在り、モノを観察して描写する事は普段、学校の授業で行われているので、数学の時間に学んで居る誰でも知っている◉△■の形を借りて、構成=形を組み合わせて行く作業と平行して色を塗って行く作業に夢中に成ってくれました、画用紙の空間の中にどのように形を置いて行くのか、描いて行くのか、見せて行くのか、構成と色彩、構成心理学と色彩心理学からみても昨年の学生達とは違う反応に納得しながら、パリのニュース、サッカーの話や、夏休みの話、同じ学年の日本とフランスの学校システムの違いなど、夏休みがフランスの方は長いと聞いてフランスに行きたいな〜と、驚いていました、クラス全員でフランス語の挨拶を、後輩達に質問すると元気な声で、時には遠慮がちに小さな声で眼を輝かせて答えてくれる、真剣に絵を描く後輩達に勇気を頂きました。

2011年7月13日水曜日

宮城県名取市の仙台空港と閖上浜を 訪ねて

7月13日は9時丁度に東北大学の近く放送大学の裏口で、白松一郎さん、佐藤さんと待ち合わせ、白松さんの優しい運転で私達3人を乗せた車はいつの間にか高速で先ず仙台空港へ、仙台空港周辺と閖上浜地区を視察して来ました。津波に襲われた仙台空港は完全復旧に時間がまだまだ掛かりそう、国外線は未だ利用出来ず、それでも空港内の一部が復旧し国内線が復活、利用客は在り、丁度、大阪行きの便に職員は臨時態勢で接待して居ました。仙台空港の周りに在った建物はほとんど消えて、荒野に孤立する砦の様な仙台空港でした。
仙台空港の周りの風景は変わりました、
破壊された閖上魚市場
その後、閖上浜の閖上地区を訪ねて唖然、街が消えていた、日和山富士主姫神社の小高い丘に立つと津波被害地は既に残骸も消え失せた悪夢の高原の様に夏の暑い太陽を浴びながら無言の空間をさらけ出していた、唯一、海岸線に在る鉄筋コンクリートで作られた閖上魚市場の建物が無惨な姿を残し、その中で復旧作業が続けられて居た、多くの方々が犠牲に成った閖上地区、更に、南下すれば岩沼、更に亘理と、被害地は広がっています、過激な自然環境の影響で子供達の精神も過激に成った居ますが、我々大人も同様に気がつかない内に大きな影響を受けていると思います、フランステレビで連日放映されて居た映像の大自然の破壊力、当時の恐怖の場所に立ち在った者で無くても戦慄するものです、   合 掌。
閖上魚市場の建物

2011年7月9日土曜日

久しぶりの羽田国際空港に降りて No2

7月9日、朝は羽田から新宿、仙川と移動して昼は新宿伊勢丹で同級生のスミちゃん(木下夫妻)と和夫ちゃんと4人で昼食、3週間前、スペインの旅先からパリに電話を下さった木下夫妻は元気一杯、和夫ちゃんは震災見舞いに石森、佐沼、仙台を廻って来た話も、東日本大震災の被害と福島原発事故の話題で美味しい昼食を終えました、16時には恵比寿で北川さんと会う約束、パリでのソリダリテ・トメ Soridalité Tomé に参加して頂きましたのでその報告(出品参加の250点の作品の内、30点近く残ったのでその作品は10月に再度、オークションにかけると言う説明、既に、今回の売り上げの70%を送金している等等)とオークションのカタログを届け、又、昨年ドイツでのグループ展に北川さんを招待しましたが、参加した時の売上金の支払い、又、コレクターからの注文依頼など、又、北川さんからドイツの売上金の一部を登米市に寄贈と言う事等等、話し合い、その後、夕方、銀座に出る予定でしたがそのまま小岩に到着、その後はシャワーを浴びて爆睡、春日の勝ちゃんや沼田の沼ちゃんからはその後、携帯にメールが入っていましたが、次回と言う事で、日本上陸初日は無事終えました。

久しぶりの羽田空港に降りて、No1





恒例の夏休みは6月後半日本着の予定でしたが、3月の東日本大震災の影響で計画は延期、宮城県に送るべき義援金確保の為の Solidarité Tomé オークションを終えて、7月9日、やっと懐かしの羽田空港(羽田空港国際線ビル駅)に到着、健ちゃんに迎えに来て頂いて、パリから預かった大切な書類を手渡し、空港内の出発ロビーに在るレストランで軽い朝食をご一緒して別れました。1969年8月、羽田からパンナム航空でパリに向った頃をダブらせながら、暑い羽田に、周りの風景は変わりながら、今も昔も羽田から浜松町駅迄はモノレール、手荷物無しで、そこから山手線で新宿へ、新宿西口交番前で菊地さんと待ち合わせ、早速、城市富夫大先輩の見舞いに、我が佐沼高等学校の大先輩でも在り、AFM研究会二代目会長を務め、昨年の77歳の誕生日祝いのパーテイーのお返品をパリまで買い付けに来た城市先輩、個人的にもお世話になっている先輩、新宿駅から早速、京王線で仙川駅に、何度も見舞いに行っている菊地アさんの後を私はついて行くだけ、駅からタクシーで至誠第二病院へ、病室で寝ている城市先輩、ベットを囲んで菊地さんとおしゃべり45分後、親戚の高木さんのお嬢様が病室に、15分後、3人のおしゃべりに気がついて目を覚まして下さった城市先生、多少、会話が出来ました。返事が無くとも話しかける事が大切と聞いていたので眼をつむって居ても、声をかけると時には、うなずいたり手でシグナルを送って下さいます、1時間と30分後、私と菊地さんは、高木さんのお嬢さんと城市先輩に、又、来ますと挨拶して、12時丁度に病室を出ました、外は梅雨明け、猛暑の東京、二人の会話は、城市先生の今後と、やはり、共通の友、同級生の高崎さんのお嬢さんの事でした、眼に入れても痛くない21歳のお嬢様が外国で亡くなられ、大きなショックを受けている高崎さんに何と連絡をしたら良いのかと話している内に京王線新宿駅に着きました、他で打ち合わせが在る菊地さんとは新宿で、次回に再会を約束して別れました、私の方は、JR新宿駅南口で、同級生の佐藤和夫ちゃんと待ち合わせ、スミちゃんに連絡したら車で来るので少し時間が掛かるので先ず伊勢丹の駐車場に入れると言う事で、我々は勝手に伊勢丹迄地下道を歩いて伊勢丹近くの喫茶店に、飲み終わらないうちに和夫ちゃんの方に連絡が在り、待ち合わせ場所は西口に在る美味しいレストランと言う事で、駅の反対側に移動する事に、数分後に予約を入れたが席が取れなくって、先ず、そちらに行くと言う事で、カプチーノを飲みながらおしゃべりしている内に、御久しぶりと木下夫妻、では昼食は伊勢丹の7階の食堂街に、ここは人が多いだけで我慢して、ご免なさい、と言う事で、いやいや、美味しそうなお店が一杯在りましたが、昼食時、どこのレストランも一杯でした。城市先輩の報告、高崎さんの報告、春日さんの報告など、パリに居る私の方がどうも情報が早い様です。

2011年7月6日水曜日

一刀斎からのメールです。

まず、オークションは盛会だったようですね。おめでとうございます。ブログで拝見しました。遠くから応援するだけで申し訳ありませんでした。
 
平泉が世界遺産に認定されたそうですが、当分は震災復興のために良いと思いますが、熊野古道、白神山地や屋久島のように人があふれて自然破壊が起きるようでは意味がありません。<右へ倣い>の日本人です。
松島も大変なようです。お土産店も閉めているところが多いようですね。宿泊施設が避難所や復興作業者で埋まっているために、観光客用の余地が少ないそうです。少しずつ解消はされていますが、現地からの発信が望まれます。
松本・前震災復興大臣の行状はご存知のことと思います。TBC東北放送が、大臣の脅しのような恫喝を無視してニュースに流し、それがYouTube経由で広まりました。本当にひどい内容です。いろいろと言い分はあるようですが、立場を考えていない・・・。命令口調と取られても仕方がない・・・。3代続いた議員の家系だそうですがお坊ちゃまそのものです。
村井知事はよく頑張りました。というよりも無視をしていたのかもしれませんが。(少し遅れて部屋に入った知事に対して)自衛隊ではきちんとやるぞ・・・知事は自衛隊のヘリ・パイロットだったそうです・・・。驚くよりも悲しくなりました。これは議員の皆さんが心に留めておいてほしいことです。問題を抱えながらも被災地では一生懸命に頑張っている。そのバックアップが見えないそうです。被災者の怒りが出るのは当然のことです。がれきを1個でも動かした欲しかったというインタビューを見ました。宮城県議会も抗議を行うそうです。岩手県知事もサッカーボールを投げられる・・・。というところに大臣交代。一件落着ではないようですね。このようなときこそ議員も大同合併をして国難に向かう意欲を示してほしい・・・海外からの義援金に対するお礼のためにも。
 義援金も地方自治体(も手が足りないと及び腰のようですが)や関係団体に直接届けたほうが良いようですね。救援物資でも輸送手段や保管問題による廃棄処分まで起きていました。こうなると国や地方自治体に届けてよいものか考えてしまいます。新品を購入して送ると、それは必要が無いからと返送されてきたという話も聞いています。このようなときのために恒常的な集配所や保管所を各地に作り、ことが起きたら民間のノウハウを活用して対応できないものでしょうか。今回はそのことを理解できたと思いますが。石巻赤十字病院の地元に密着した対応のドキュメンタリーがNHKで流れましたが、自治体がやらなければいけないことを病院関係者が短期間でまとめ、その早い対応でうまく流れができたそうです。
 
原発も」落ち着きません。ニュースが少なくなっているだけに、なおさら気になります。
あれは間違いでした・・・というような見解は必要ありません。海外からも、「最近ニュースになっていないけれどもどうなっているのか」というメールが届いています。
 
今年は暑いですよ。また、雨も集中豪雨なものが増えています。湿度のないヨーロッパが
羨ましいです。ツール・ド・フランスはインターネット中継で楽しんでいます。ついでに景色も。   一刀斎
 

2011年7月4日月曜日

7月2日のテレビは、賑やかです、

7月2日は恒例の自転車ロードレースのツール・ド・フランスが開幕、途中転倒に巻き込まれ後続が遅れる選手も続出という初日でした、そして、微笑ましいモナコ元首アルベール2世公の豪華な結婚式の様子、夜の夕食会、ソワレのダンス、夜空に祝いの花火の様子迄、一日中放映されていました、それとフランスの原発センターの事故です、爆発した直後の黒い煙がもうもうと立ち上がり、破壊された建物の部分が放映されましたが、その後、今日に成っても詳しい情報は流れていません、報道するに満たない爆発事故だったのか、そんな事は無いと思いますが、福島原発事故の情報公開が遅いと批判していたフランスの一部の政治家は静かです、それと、政治テロと言われ出したのが、大統領候補、国際通貨基金(IMF)前専務理事のドミニク・ストロスカーンの事件、ニューヨーク州の裁判所が被害者側の供述に疑義が生じたことを受け、前専務理事に科していた軟禁状態の処分を解除した事でフランス大統領選を控えた謀略説がここに来て急浮上しています。パリは夏晴れ、雲一つ無い青空に太陽が輝き、日陰は涼しく、太陽が当たる所は真夏、涼しい風が吹き、湿気の無いパリは快適です。 

2011年7月2日土曜日

Solidarité Tomé 〖 連帯・登米 〗オークション開催、報告No1


6月30日19時30分、Maitre Cheval 氏の司会で、先ず今回の連帯・登米 Solidarite Tome の紹介、次に私が今回の企画を仕掛けた事の理由と仲間の皆様とは言え、無償で作品を提出して下さった作家の皆様方に、今回の企画のすべてをボランテアで開催して下さった、Chayette & Cheval の皆様に、又、Drouot 関係者や、又、Galerie Drouart の皆様に、そして、オークション会場に来て下さった方々に簡単にお礼のご挨拶をさせて頂きました、パリ・ユネスコ本部日本全権大使・木曽功さんも忙しい中、友人として、ご夫妻で駆けつけて下さり、急なお願いにも関わらず素敵な挨拶を頂き、オークションが始まりました。
2ヶ月前の計画は20時から開始という計画でしたが、Cheval さん達が予想していた以上の作品が集まり3時間以内での終了は厳しいと、普段のオークションと異なり、チャリテイー・オークションなので、楽しく、コレクターやアマターの方々と交流する感じで、会場の手前のフロワーにはシャンペーンと軽いツマミが用意され、それを頂きながらのオークション、時間は掛かるので、それも11時には終えなくてはと、19時半から開始と変更、と言っても、19時入館して頂き、19時半前に挨拶を始めようと言う計画に変更、今日は見事に時間どおり入館者はシャンペンを飲みながら、アレ、時間通りと言うより早い感じと歓迎の様子でした、普段は開始に2、30分遅れるのが通常ですから。
木曽ユネスコ日本全権大使の挨拶
今回、作家の連帯意識が高く、多くの仲間の皆さんが、幾何学構成絵画の作家達だけでなく、他の傾向、具象作品やアブストラクション・リリック等、写真作品も含めて、多く分野の作家の皆さんにも声をかけて、友人達が中心に、又、美術評論家の Xuriguera 氏の紹介も在り、作品の質の高さを保ちながら、傾向の違う広がりの在る交流を持つ方々の参加で心強く思っていました、今回は、サトルの友人が中心なので、緊急、Experts の席に座らせられて、日本人作家の紹介、又、Experts のArthur Cavanna や Daniel Schidlower の知らない作家の紹介をすると言う、勿論、事前に作品説明はしてありましたが、250点以上の作品の内、彼らが知らない作家も居たので、又、作家の方々に迷惑をかけない様にとの事で、初めてオークションの説明する側に座り仕事を協力させて頂きました。
会場には知り合いのコレクターやギャラリーのオーナーも2ヶ月前にオークションで作品を購入して下さったレーンヌ在住の幾何学構成アートの作品をコレクションしているミッシェル氏は息子さんを連れて社会勉強に、彼は今回10数点、落札して下さいました。
今回のSoridaliteé Tomé の紹介はラジオや美術専門誌で紹介され 運良く Satoru Sato Art Museum を知らせる事にも成りました、今回、会場にお出で下さった多くのコレクターや画商さん達は、幾何学構成絵画を専門的にコレクションしている方々が多く、他の傾向をコレクションしている方々が少なく、落札額に差が出てしまいましたが、オークションはその時の雰囲気で値段が上がったり下がったり、それも、又、魅力在るモノです。
Maitre Cheval 氏は愉快に楽しく、会場の雰囲気を作りながら、