2011年7月31日日曜日

J.S.BACH ミサ曲ロ短調 演奏会

昔、芥川也寸志先生(作曲家で指揮者)が、東北の田舎町と言うより田んぼのど真ん中に出来たバッハホールと言うコンサトホールが在るが、非常に優れた音響装置が備わっていて、アジアではトップの施設である事は間違いないと賞賛して、一躍、全国的に知られる事に成ったバッハホール、30年前、当時、町長だった本間俊太郎さんが、まだまだ、地方からの発信などと言う言葉が無かった時代、日本で初めて地方からの文化の発信、全国に、アジアに、世界に音楽を通した文化発信を願って創られたモノ、ホールは今も健在です、オープンしたてのバッハホールは当時と同じ様に迎えてくれました、地震の影響は無かった様子、廻りの樹々が大きく成った印象だけ。7月31日、仙台11時発の高速バスで、バスを待っている時に福島から来た3人のご夫人に声をかけられて、バッハホールに行く事と解り一安心、当時は車で行ったので、バスは初めて、開演2時間にたどり着き、ゆっくり昼食を取り、開演を待ちました、前日、小野田町のゲンジロウ、クラッシク好きな遠藤みどりちゃんのお店に電話をしたら、今回は参加していないとか、ゲンジロウを訪ねるには車が必要なので今回は諦めました。
開演14時からの J.S.BACH のミサ曲ロ短調の演奏会、今回、バッハホール・アニバーサリ合唱団に属している、川嶋先生の紀恵子夫人と、塩沢さん(二人とも、東北学院大学に関係する方々)が出演すると言うので、ミコちゃんから招待状を頂いていたので、小雨の中、傘を差して並びましたが、時間前にホールに入れて、演奏会は時間通り Missa から始まり、Symbolum Nicenum  (Credo)、Sanctus と続き、ラストはOsanna, Benedictus, Agnus Dei Et Dona Nobis Pacem 、素晴らしい演奏会でした、Missa の後半、演奏しない時の演奏者はきちんと曲を聞いて居るのですが睡魔に襲われたら大変な事と思いつつ、丁度、空調が利いて私も睡魔に襲われそうに成りましたが、昔、どこかで、演奏中、交響団の一人、丁度、指揮者の隙間から私の正面に見える方が、楽器を隣において、もう、自分の演奏する役目が終わったのか、足を伸ばしてリラックス、しまいに頭をコクリ、コクリと何度か下げるので驚き、心配に成った事が在りました、そんな失態の無い演奏会、山形交響楽団、合唱団も素晴らしく、緊張する中で心地よい一時を過ごさせて頂き、特にアルトの高山圭子さんの歌声が印象に残りました。
小雨が降り出し、傘を持って50mぐらいは並び待たされました。

〜平和への願いを祈り 一日も早い平穏な日々を〜  ・ 中新田バッハホール開館30周年記念にふさわしい演奏会でした。
Johann Sebastian Bach は、1685年生まれ、ドイツの作曲家、鍵盤楽器(パイプ・オルガン、チェンバロ、ピアノ)の演奏家としても知られ、フランスの教会ではバッハの曲とパイプオルガンは欠かせないセットで、石作りの空間の中で聴くバッハの曲も、又、格別でもあります。

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