2013年9月1日日曜日

遊びと、環境幾何学構成アート


今日は、遊びと、環境幾何学構成アート、ターンアラウンド・TTT地域探検隊の皆様との打ち合わせ、昨夜、関本君から、明日は、皆さん、それぞれ自宅や事務所で制作している様子なので、明日は午後2時過ぎに、お茶しながら復興・東北・登米市サトル・サトウ・アート・ミュージアム特別企画展の打ち合わせに来て下さいと連絡が在り、のんびりしていましたが、11時半頃に、携帯にメールが入り、13時前に早めに来て下さいと連絡が在り、軽く昼食を取って自転車でターンアラウンドに、着いたら既に 田川君と大平君 二人が資料やエスキースを描いたノートを持参して来ていました。二人の野外作品構想のエスキースやメモをみながら、仙台市民が忘れている水力発電所跡、広瀬川の古い橋の基礎の柱の跡を生かした構想や青葉城外壁の石垣と広瀬川湖畔を生かした作品デッサン等等、話は片倉小十郎屋敷跡地や、広瀬川湖畔から仙台メデイアテークをつなぐ発想、いろんな案が出ていました、庄子 君もやって来て、やぐらの発想のラフ・スケッチの説明を聞いたり、なかなか楽しい作品を考えている様子でした、彼は3年前の登米アートトリエンナーレの時に応援に来た事も在り、湯船に入ったまま寝込んでしまい、たまたま友人の小泉君がお風呂場でそれを発見してくれて一命を取り留めたと言う御仁、命の恩人、小泉君には一生、頭が上がらないとか盛り上がりました。又、Satoru Sato Art Museum 前庭で9月14日の親子ワークショップに皆で参加しようと、建物作りの応援に来てくれると言う事で、楽しくおしゃべり、時計をみたら16時過ぎ、隣のギャラリー・ターンアラウンドの展示会・舞踏ノ箪笥アーカイヴfile 1.のポスターや記録資料を見て、昔、広瀬川の河原(橋のたもと)で観た舞踏を思い出したり、1980年、1982年頃、舞踏・山海塾をパリで観た事も、過激な暗黒舞踊など懐かしく思い出しました(山海塾は今でもパリで知られています)。

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