2011年3月25日金曜日

久しぶり、洋ちゃんからのメールです。


佐藤 達 様
奥様
 
おひさしぶりです。洋平です。
 
このアドレスのメールは普段なかなか開かないのでご連絡いただいたのに気づきませんでした。
すみません。。。サトルさんのご実家も皆様ご無事だったでしょうか?
 
11日におこった地震についてはご存知のとおりかと思います。会社にいてあ、地震だ・・・っと思っているうちにどんどん揺れが大きくなっていって電気がブチッと切れ、玄関にかけてあった写真などがガシャーーン!ガシャーーーン!ガシャーーーン!!と次々落ちていったのがとても怖かったのを覚えています。
 仕事柄、すぐに各役所からの緊急要請があり、復旧活動が行いましたが、急のことでしたので連絡の行き違いや、情報の少なさにかなり手間取ったままその日は遅くに帰宅しました。 どうも津波がきているようだ・・・そうラジオでは聞いていましたが、あまりピンと来ず、翌朝、号外の写真を見てわたしも愕然としましたし信じられない光景を見ているようでした。  幸いにしてわたしの住む柴田町あたりは建物の被害は少なかったものの、やはり電気、水道、電波の通じない生活が続きました。 食料品を買いに行けば3〜4時間、給水車の前に並んでも3〜4時間、緊急用の公衆電話の前には長蛇の列でどこにいっても並ぶような数日でした。
地震から2週間がたち、このあたりもライフラインが復旧したので、いくぶん落ち着きを取り戻したような気がします。しかし依然 沿岸部の様子はさんさんたるもので当社でも作業しにいっておりますが、とてもすぐにどうこうなる状態ではない、というのが感想です。
また今は福島の原発が壊れたことによる放射能漏れがかなり問題視されておりますし、汚水処理場が津波でこわれたことからくる河川・海への環境問題など、今後に深い傷を負ったような気がします。。。
どうなるんだろう、東北・・・ ですがとにかく今はわたし達で出来る精一杯の復興作業をこなすことが大切だと思うので、ここが踏ん張りどころときめ、仕事に励んでいますp(`・ω・´)q!
話は前後しますが、、、このあたりで透析治療が困難になった父は病院の手配で地震の翌々日から山形へ入院・治療を行っており、今夜帰ってくる予定になっています。
母も賢ちゃんも妻も無事でしたし、親戚一同被害がなく安心しています。
ただ妻・由佳の祖母が志津川に入院していたのですが、そこも被害を受けたと聞いていますし、また行方が分かっていないのが気がかりです。
 またサトルさん一家もいらっしゃった亘理の鳥の海の家は(見に行けていませんが、聞いたところによると)どうも流されてしまったようです。残念。
 以上取り急ぎ近況をお伝えいたしました。もう少し落ち着いたら改めてご連絡いたします。
 サトルさん、おばさんもお元気で!!
 
洋平

〖 やっと、元・パリの内弟子(パリでは度々、私の息子と勘違いされて本人は迷惑の様でした)、松浦組みの洋ちゃんから連絡を頂きました、既に、仙台の賢ちゃんやお母さんと電話がお話出来ていましたが、肝心の洋ちゃんとは連絡が出来なかったので安心しました、5年前、夏のヴァカンスに家族でお世話になった海辺の別荘が津波で消えている事は解っていました、地震と津波被害からの復旧を、そして、福島原発の事故が最小限に収まる様に祈っています〗

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