2011年3月21日月曜日

やっと、昨日から、故郷に電話が出来ました。

私の故郷は登米市中田町石森、3月11日の東日本巨大地震のニュースをテレビで観て、震度7栗原市、震度6が登米市と出ていたので、慌てて、田舎に電話をしましたが地震災害で出る訳が無いと、テレビは地震の災害の後、今度は陸前高田から始まる津波の放映、その日は、東京、仙台、田舎も電話が混乱、12日にやっと東京に電話が通じましたが仙台は通じず、14日には仙台に、田舎と電話が通じたのは19日でした、先ず、登米市中田生涯学習センターに土曜日の午後に、職員の及川さんが出て、「センターは無事でした、先生や外国の展示作品は地震で落下して多少の破損が在った様です、担当の佐藤はいらっしゃらず、今日は土曜日なので、これ迄連日、地震災害の対応に追われて居まして、やっと、今日から当番制に戻り、私と野家副所長が出ています、今は、丁度、副所長が見回りに出て居るので、こちらの職員は皆無事ですのでご安心下さい」、それからメールの情報で田舎の兄達が無事だと聞いていましたが、直接声を聞いてホットしました、今日(20日)は日曜日、比較的被害が少なかったと言われる故郷の友人仲間達に電話をして無事を確認、いつもお世話になっているI-Kさんが、「家内も怪我をせず、家族元気です」と言われてホット、家の方は壁等、多少、傷みましたかと気楽に聞いたら、「全壊でした、今、避難所に居ます」と聞いて絶句!比較的被害が無いって聞いて居た者ですから残念です、 同級生のT-Kさんに電話したら、「こちらは家族全員、無事、家も傷まず大丈夫と、只、バタバタしていて忙しかった、実は、石巻の兄が津波で、石巻も大分やられて、遺体を置く所も大変なので、遺体を引き取り古川に持って行って火葬にしました」と、米川のT-Kさんに電話したら、「家も家族も被害無く安心して下さい、只、志津川がひどかったよ、支援物資を届けに行って来たけど、街が無いんだよ!みたく無い悲惨な光景をみてしまってさー、電気が切れて2日前にテレビで初めてみて吃驚したよ、11日からラジオで、大きい津波が来て被害がひどいと聞いていけど、街が無く成る所みた事無いもんな!街全体が崩壊した感じでさ、多くの遺体が登米市の安置所に運ばれて来ているし、、登米市の避難所にも大勢来ているよ、被害が大きすぎるし、大変な事に成っているよ!余震も結構あるしな!まー、後は、原発の心配だな!」石森中学校の同級生まとめ役のK-Sさんは、「我が家の家族も家も被害無く大丈夫だったよ、画伯の家も大丈夫だし、彫刻も橋も被害が無かったし、兄貴達の家も大丈夫だから、心配する事ないと思うけど、震度6と大きかったわりには比較的被害は小さかったし、只、浜の方がやられで大変な被害、志津川がやられで、テレビで知ったのは電気が通ってから、それ迄はラジオを聞いてるだけで、こんなにひどい被害とは思ってもいながったし、夏には田舎に戻るでしょうから、その時、又、会いましょう、同級生の皆さんには伝えておくがら」、M-Sちゃんの所も全員無事を確認、話し中で電話が通じない仲間の所が多かったので、震度7度の栗原市若柳のY-Sさんに電話したら、「こちら皆さん被害無く元気にしていますから大丈夫ですよ」と、画家で◯△▢の絵本を出版している一関のN-Sに電話したら、「一関は岩盤の上に在る様な所で棚の置物等は落ちて来た程度で、大丈夫でしたよ、三陸海岸の津波が酷く、驚いています、大きい余震もけっこう在るので、その内、収まるでしょうね、100年に1回来ると言われて居る地震、収まれば、復興に向けて、橋や道路が復旧すれば早いと思いますが、ガソリンが買えないので家にいます、福島原発事故も収まると良いですが、時間が掛かりそうですね」、明日、又、仲間に電話してみようと思って居ますが、心配です。多忙のミュージアム友の会事務局長の及川さんとはなかなか電話が通じず、逆に、佐藤会長とお話が出来ました。

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