2011年12月13日火曜日

パリ日本文化会館にて、鎮魂の和太鼓演奏会。










12月13日、18時よりパリ日本文化会館(Maison de la culture du Japon à Paris)地下3階のホールで、東日本大震災に関した報告と和太鼓の演奏会が開演、初めに主催者のあしなが育英会の挨拶、東日本大震災の津波の映像と地域の紹介、そして津波で親を失った高校生2人(日下マリアさん、菅原彩加さん)の被害地の報告、日下さんは親を失ったが、事実を受け止めてこれから夢を持って介護の勉強をするため留学を決めて居る様子、菅原さんは瓦礫の挟まれた母を助けようとしながらも自分一人の力ではどうする事も出来ずに、津波に流されながら奇跡的に助かったと言う話は余りにも衝撃的でホールが一瞬にして氷ついた雰囲気に呑まれました。日下さんと菅原さんの言葉、前を向いて歩き、失われた以上に、ふるさとや両親を家族を愛し自分の夢を歩こうとする決意に救われた気持ちに成り、大人の目線と違う捉え方、我々大人に衝撃を与えてくれた様です。地震に津波に襲われた子供達、助かったと言っても、悲惨な心体の傷をどのように癒して行くのか、回復させて行くのか、乗り越えて行くのか、幼児から小学生、中学生の心体の奥に刻み込まれた恐怖の世界を解放させて行く事が急務と思われます。既にブログで紹介していますが毎年7月に登米市の出前アート講座で小学校に出向いて丸・三角・四角の単純な形に3原色を塗るだけの遊びや直線を描く遊びの表現に、昨年とは異なる震災後の子供達の深層心理に変化が出ています(構成心理と色彩心理の中で)、クリスマスや正月を迎えてホットする頃、又、来年の3月11日過ぎには、心のケアーの問題が今以上に深刻な問題として表出されると思われます、早めに、兄弟、家族、仲間や友人との人とのふれあい、話し会い、現状を認め合い、立ち向かう事を、又、スポーツや音楽や絵画、アート空間に触れる事で、夢や希望を持てる遊びの環境作りが必要と思われました。
ホールが沈黙しかけた頃に創作太鼓グループ・米山丸山太鼓・久保康宏会長率いる、宮城県太鼓連絡協議会のメンバー、中、高校生徒8名に大人2名、計10名の演奏は正に心体を揺るがす生命の響きを伝え、和太鼓の魅力を限りなく浄化させた素晴らしい感動を与える空間を作り出していました、最後のすずめ踊りは軽やかにアンコールに応えて2度も踊って、皆様からは大きな拍手が送られて居ました。隣席に在パリ日本大使館広報文化部の志水参事官と小幡一等書記官が居られ挨拶出来ました(志水参事官には、連帯・登米の巴里でのオークション会場に来て頂いたり、フランスの Gap 美術館から南方花菖蒲の郷公園の Garry Faif の作品修復の支援の橋渡しをお願いしたり、お世話になっています、その話は後日、このブログに掲載させて頂きます)。
実は15時過ぎに久保チャンを訪ねました、会場では既に皆様、リハーサルに入り細かい進行の打ち合わせ、司会の方、通訳の方、音響、照明も無事準備完了後、和太鼓の最終練習が始まる直前迄、会場内で久保ちゃんと一時間半近くご一緒しまして、練習開始と同時に私はホールを抜け出して近くのカフェでのんびりテーブルに座りノワゼットと水を飲み、1時間後の17時40分に再度会場に、既に会場には多くの方々が入場されていまして、18時に開演、復興への熱意、あしなが育英会の存在も初めて知りました、20時過ぎにホールを出て寒い外の空気を吸うと目の前のエッフェル塔のクリスマス用飾りの点滅する灯りが輝き、違う世界に飛び出され、再度、カフェに入ってノワゼットを立ち飲み、ホッとして帰宅しました。        
本当に、有り難う、日下さん、菅原さんだけでなく、地震や津波で家を破壊された学生さん達の熱い桴さばきは、和太鼓の響きと共に犠牲者の霊に捧げ、一歩一歩現実の中で歩いて行く勇気を勝ち取って行く様な気がしました、会場の皆様も、犠牲者に祈り、日本の復旧、復興を願った事と思います。演奏者の皆様に感謝、そして、すずめ踊りは元気な仙台を思い出させ、一瞬心が開けました! これからは寒い季節、久保ちゃんの家も大規模半壊で修繕耐震用強化工中、皆様それぞれ震災の傷を負いながら頑張って居る、みんな一緒に。
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