2020年4月27日月曜日

岡島レポート・2019W杯・備忘録 23

   2019W杯・備忘録23
   ~ Fighting spirit ~
 Fighting spirit といえば、アイルランド・ラグビーの代名詞である。
今大会前、WRランキングで一位になり、優勝候補の一角に挙げられていた。
 エレロ『ラグビー辞典』アイルランドの項は、「切り裂かれた歴史」「スポーツを選ぶ、それは自らの立場を鮮明にする」「アイルランド流ファイティング・スピリット」の三章からなっている。
 「切り裂かれた歴史」では、アイルランドの苦難に満ちた歴史の後、プロテスタントの北、カトリックの南に分断されるも、ラグビーだけは南北に分断されず、統一したアイルランド・ラグビー協会の下でプレーされてきた。1922年から1954年までは、国際試合は、南のダブリンと北のベルファーストで交互に行われた。ベルファーストでは、Union Jackが掲げられ、God Save the Queenが奏でられた。アイルランド共和国の人々にとっては耐え難いことであった。
  「スポーツを選ぶ、それは自らの立場を鮮明にする」では、ラグビーはイングランド同様、学生スポーツとして根付き、庶民のスポーツではなかった。アイルランドの庶民は、ラグビーではなく、アイルランド伝統のスポーツをプレーした。
  「アイルランド流ファイティング・スピリット」では、苦難の歴史しかないアイルランドでは、生存のために戦い抜くことが血肉化し、戦いを止めることは「死」を意味していた。
と解説され、最後に、アイルランドのラグビー選手とビールを飲むのは楽しいが、グランドでは、彼らのrevolte(反乱・暴動・憤激)がいかに魂の根源となっているかを痛感する、と結ばれている。

   泥臭いFWの激闘しか記憶に残らなかったIREラグビー。やがてプロ化し、オドリスコルという天才センターが現れ、IREラグビーは変容した。そして、2013年、NZ人シュミットがHCに就任し、現代ラグビーの最先端を体現するチームとなり、勝利を積み重ねて、WRランキング1位に上り詰めた。
しかし、WRランキング1位とW杯で優勝することは異次元の戦いである。ランキングを上げていくのは、負けなければいい・負けても取り返しが可能である。W杯の決勝ラウンドは、負ければ終わり。3試合、絶対に負けられない。一発勝負ならぬ三発連続勝負を勝ち抜かなければならない。そのための準備をW杯前のテストマッチでどれだけ試したか?その点で、ランキングに拘った(?)IREWALは、RSAENGNZに劣後していた気がする。IREWAL、どちらもNZHCで、勝ち癖を付けることを優先していた感がある。これはこれで、立派な哲学である。ただし、それを選択せざるを得ないのは、選手層の薄さに由来する気もする。
 ラグビーは文化だ、とすれば、国民性、その国の歴史を抜きにしては語れない。
    負け試合のノーサイドの笛、サポーターは、泣き叫ぶのか、嘆き悲しむのか、うなだれるのか。そして、① 敗因探しをする ② 記憶から消去する ③ 選手と共に哀しみを分かち合う の3パターンのいずれかが顕在化する。「負けっぷり」が問われる。
    フランス人サポーターは、絶叫し、声高に 敗因探しをする。しかも、敗因は「我にはなく」他にある。その多くは、レフリーに向けられる。それと相手チームの「汚いプレー」。これらだけでは説明がつかなくなって、初めて、選手起用であったり、戦術面であったり、ベクトルが自らに向く。それとともに、記憶から消去される。
  M42 NZ/IRE戦。National Anthem時のIreland’s Callの大合唱。IRE・キャプテン・ベストは、いつも通り口を噤んでいた。ダブリンでのIREのテストマッチ・National Anthem時は、IRE共和国AnthemThe Soldier’s SongIRERugby AnthemIreland’s callの二曲が奏でられる。北アイルランド人のベストにとって、The Soldier’s Songを歌うことは考えられない。だから口を噤む。だからIreland’s callも歌わない。それが彼の試合開始直前のルーティンだ。
National Anthem終了後のNZのハカ。IRE・サポーターの大声がスタジアム内を制圧する。ところが、その高揚感は続かず、Fighting spiritの感じられない試合、沈黙を余儀なくされる。
 不甲斐ない試合の直後、この試合で引退するキャプテン・ベストのインタビュー。それまでの沈黙のうっ憤を晴らすかのような万雷の拍手と大歓声。
優しすぎる…
 選手と共に哀しみを分かち合う、帰りの電車の中でも伏し目がちに哀しみに耐えているIRE・サポーターを多く目にした。
 優しすぎるサポーターの下でチームは成長する、しかし、一発勝負、いや、決勝ラウンド3試合・三発勝負を勝ち抜くチームには、いつまでたってもならない気がする。そもそも、IREは今大会も8強の壁を越えられなかった。
   司馬遼太郎『街道をゆく』43巻のうち2巻は『愛蘭土紀行』。その中の「百敗と不滅」という章は、次のようにはじまる。
… アイルランド人は、客観的には百敗の民である。が、主観的には不敗だとおもっている。教科書がかれらにそう教えるのでなく、ごく自然に、しかも個々にそうおもっていて、たれが何といおうとも、自分あるいは自民族の敗北を認めることはない。 … 
   パリで勤務している時、温厚なアイルランドの農務官と仲良しになった。いつもニコニコしている彼に「次のヴァカンスにアイルランドに行こうと考えている」と言った途端、毅然と「では、下らないイングランド経由で行くのではなく、フランスの港からアイルランドへ直行するフェリーに乗れ」と強要された。アイルランドのホテルで渡された領収書に「O’kajima」と書かれていて、少しアイルランド人になった気分に浸った…
   アイルランドがウェブ・エリス杯を掲げる日はやってくるのだろうか?

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   WRはダブリンに所在する。世界ラグビーの首都は、IREにある。WRの前身、IRBが設立されたのが、1886年。IRB設立の契機になったのが、1884年のENG/SCO戦(レフリーはIRE人)。レフリーの笛を巡って両協会の対立があり、それを裁定する機関を設立しようとIRESCOWALが設立。1890ENGが加入して(ENG6票、IRESCOWAL2票)今日に至る骨格ができ上がる。そして、1861年に競技規則を制定したENGが加盟したことからIRBが競技規則改正の権能を有することになる。1931年当時の5か国対抗から除名されたFRAは、ドイツなどとFIRAを設立する。
   サッカー界では、1882年にENGSCOWALIREIFABが設立される。これに対抗する形で、1904年、FRAの呼びかけでFIFAが設立され、1913FIFAIFABに加盟する。
すなわち ラグビー界の IRB ≒ IFAB
            FIRA ≒ FIFA という構図であった。
   規則制定(改正)の権能は、ラグビー・サッカー共に、創生期から変わらず、IRBWR)、IFABが握り続けている。一方で、W杯などの世界規模の大会の主催者は、サッカー界ではFIFAになっている。W杯が巨大な収益を生む現代において、「オールドボーイ」主体の世界組織が胴元になることが適切なのか、議論すべきなのだろう。
   IRBは、第二次世界大戦後、1948NZRSAが、1949AUSが、FRA1978年に加盟している。
   現在のWRCouncil 40名の構成は次の通り。
・ ENGSCOWALIRENZRSAAUS × 2
・ ITAARGCAN               × 2
・ JPNUSAGEOROU                                 × 1
・ 6地域協会代表              × 2
・ 会長、副会長
   地域別には、欧州・16、オセアニア・6、北米・5、南米・4、アフリカ・4、アジア・3
   プロ化前、各国代表対抗のテストマッチは、ラグビー界でほぼ唯一の「金のなる木」であった。それは各協会が保有していた。贈与・互酬の世界。閉じた仲間(オールドボーイズ)内でのやり取り・往来で完結する世界。
 1987年・W杯が始まり、1995年・メディア資本・南半球主導のプロ化移行で、W杯が巨大な「金のなる木」に大化けし、IRBWR)中心におカネが回るようになった。IRBは実質的な権力を有するようになる。おカネの使い道も問題になる。身内で山分けするか、世界発展に投資するか?対立軸が変化した。
 こうした環境変化の中での今回の会長選挙。
 基本的な構図は、旧来型モデルの維持を望むIREWALSCO勢が一方の極に位置し、ピショット(ARG)が理想を掲げて改革を主張し、もう一方の極に位置する。その両者の間で、① ENGFRAの二協会は、国内プロリーグとの利害調整が複雑に絡み ②RSANZAUSは協会主導のビジネス志向を前面に出し ③JPNをはじめ他の協会は日和見(?)なのか?
 ビューモント(ENG)・ラポルト(FRA)が守旧派だけでなく日和見票を取り込んで大勝するのか、ピショット(ARG)が南半球同盟を通じて支持を広げるのか、見物である。
   ともかく、「民主的」はさまざまな意味を含むが、WR、あまり民主的でない気がする…
一方で、民主的な組織のはずのFIFAは、おカネを巡る大スキャンダルが発生した。グローバルでの競技スポーツ統括機関のあり方・ガバナンスって、いったい、どの機関で誰が議論していくのだろうか?
わたしたち一人ひとりは、それに関与していけるのだろうか?

令和2年4月25日

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