2012年9月30日日曜日

無事、パリに着きました。

 JL041便の機内では座席に座ると同時に睡魔に襲われて爆睡、眼が覚めた時には既には6時間が過ぎていました、搭乗時間11時間40分、到着時間より20分早くパリ、シャルルデウゴール国際空港に到着、外の気温は8度、東京とパリの温度差がかなり在るのでセーターを持って来て正解、早速、セーターと上着を着て、早々、我が家に帰れるかと思いきや、入国手続きの所で凄い人、丁度、アフリカから特別機で入った方々と到着時間が重なったとか、中国人の団体の方々も多く、なんと1時間半も待たされました、それでも、フランスに入国するとホットするもの、トランクを捜し見つけて外に出ると肌寒い空気が頬に触れ、20度近い気温差に体が驚いていました。友人の Pierre が電気自動車で迎えに来てくれていました。パリ市が自転車と同じ様に路上の駐車場で充電出来て、乗り捨て出来るシステムの小型電気自動車に乗るのは初めて、100キロまで簡単に出せる車で、パリ市内郊外は充分使えます、完全に電気で、ガソリンのエンジンの音がないのですから、プリュスよりも音がないのです。

2012年9月29日土曜日

パリに戻る日が近く成ると移動が激しく。


9月23日は、迫町の森田先輩のお店、開業100周年記念式典が登米祝祭劇場で行われ仙台から高速バスで駆けつけました、四代目社長・カズの挨拶も素晴らしかったです。24日は幹男ちゃんと東京に、エコ電力の代表取締役、神山秀幸さんはじめ、スタッフの方々とお会いして、日本橋から四谷三丁目に近い大京町に、取締役の十亀 允さんの運転で、UN Women(国連女性機関)さくら の会長、大槻明子様の所にお邪魔しました、NPO法人・一冊の会の理事長・小山 志賀子様、そして、尾崎行雄記念財団の事務局長・石田尊昭さんと、エコ電力の方々とご一緒
に、国連を通して外灯をアフリカに贈ると言う話や、東日本大震災の被災地に外灯を贈る話まで、今回の震災から、直ぐに行動を開始した、大槻会長と小山理事長、運転は大槻会長、東京から宮城まで毎日往復、45日間、日帰りで連日支援物資を届けたと伺って感激しました、特に女性の立場からみた支援物資を行ったと伺って、確か、大江の勝ちゃんは女性用トイレを80個、2ヶ所の被災地に届けたと聞いて驚きましたが、普段、男性中心の社会、支援物資も女性や子供達の事を考える支援が必要と思いました、そして、被災地では今でも、外灯が無く、子供や女性が真っ暗な道を歩く事は困難な状態ですが、エコ電力が開発した太陽熱の蓄電技術を活かせば、電線のない所にでも簡単に設置出来る外灯を世界の闇の中に灯したいと素晴らしいお話を伺い、その、太陽熱を利用した外灯のアート的デザインの依頼の話を伺いました、話に花が咲き、長居した様子、慌てて、彼岸の日、近くの笹寺に寄って頂き、伯母さんの墓参りを済まして、先ず、幹男ちゃんの乗る新幹線にと東京駅に向いましたが、車が渋滞で途中で四谷で電車
に乗り快速で東京駅に、私はそのまま銀座七丁目迄送って頂き、森さんのギャラリーで、最近の銀座のアート状況を教えて頂き、彼のコレクションを2点、御借りして、仙台の展覧会に出品させて頂いているので、作家の話からギャラリー、コレクターの話まで聞かせて頂きました。やる気充分の森さんです。25日は大江の勝ちゃんと小野田町へ、夕食は久しぶりに一生君と一緒に、26日は早朝、高速バスで登米市に、ミュージアムの打ち合わせ、来年度の基本計画、センターの熊谷所長、ミュージアム担当の岩井君、Satoru Sato Art Museum 友の会・会長の佐藤幸一さんを交えて、行政サイドと民間サイドの話し合いの中で、日本でも稀な、幾何学構成アートのミュージアムのコレクションを活かした企画を基本に、先ず、市民、子供達と
の交流を大切に輪を広げて行こうと確認を取り合い、いろんな方々と情報交換も必要と、その後、石森の街並を視察して仙台に戻り、夕方、ギャラリーで待ち合わせ、27日は、先ず、白松がモナカ本舗にご挨拶、その後、藤崎(デパート)で個展初日の渡辺雄彦先生の作品を観に、丁度、渡辺先生ご夫妻が会場にいらっしててお会い出来ました。午後、羽田国際空港へ送るトランク2個を引き取りに来て頂き、何となくホット一安心、ギャラリー・ターンアラウンドの展覧会に顔を出して、隣のカフェで、安部ちゃんの作るパスタを頂き、のんびりおしゃべり出来ました。28日は、在仙佐高会に出席、親しくさせて頂いている 丸森忠吾大先輩、佐藤裕也大先輩と同席、又、後輩とも、おしゃべり出来て、楽しかったです。2次会は副会長のタミオちゃんと中村ミステイへ、民雄ちゃんの感情豊かなカラオケを聴いて、仙台の夜は最高潮、なんと、偶然にもカラオケ仲間の須藤さんもクラス会の2次会でバッタリ、当然の様に午前様でした。29日、目覚ましにシャワーを浴びて、のんびり仙台から東京に、昼食は税理士の勝ちゃんと一緒におしゃべり、御馳走なりました、夕方、羽田空港に、いつものなら、日本滞在・出発前一週間は、東京に滞在、東京の友人、仲間の皆さんと、のんびりおしゃべりする時期ですが、今回は一週間、動き回った感じです、普段は、秋を感じさせる季節ですが、暑いまま、日本の夏の楽しいヴァカンスも終わり、明日から、パリでの生活が始まります、今度は、パリより楽しいニュースをお知らせ致します。

2012年9月23日日曜日

北京から西川さんのメール!


現在、北京におります。中止、延期となりました 日中国交回復40周年記念友好親善演奏会の収拾、

現地スタッフへの説明、精算、関係者との今後の協 議にきました。北京日本商会(商工会議所)、日本人会、大使館が一緒に、現 在、最良の対処を考え、共同で作業にあたっておりま す。せめて小さくとも親睦の夕べをとの地元関係者の声 から、商工会の交渉のおかげで用意できた会場に て、現在、日中の小演奏会も合わせて復活準備されています。日本大使館様の後援はそのまま継続で、館員の方も 参加されます。タイトルは周囲を刺激しないよう、形式上、変更さ れました。事故を避けるため、会場、内容は26日当日終了する まで一般に公開されません。
安全のため会場からの大切な要請です。私自身は、21世紀飯店(「中日青年交流 中心」と併設の日中資本合弁による施設)におりま す。以下が大使館周辺のここ数日の写真(ダウンロー ド)です。http://firestorage.jp/groups/5de69471f47c5ddc246400484c5c4f0fdc059dbepass:senkaku

■状況について
上海や広州等南部では暴力事件、襲撃、破壊などい ろいろ大変な状況がありますが、北京は柳条湖81周 年の18日をピークとして、翌日からは普通です。つまり大使館前のデモはあり ません。当局からの通達、中国版ツイッター(ウェ イポ)公安当局公式アカウントでのデモ禁止通告以後、全くデモは見られなくなりまし た。報道の車、夥しい公安車両、周りに延々と続く 鉄柵、警備陣は日本大使館前に集結し、大使館には一般人は一切入れない状態ではありま す。それでも18日までとは全く状況違い、デモが当 局によって統制、用意されたものであったことがよく分かります。日本のテレビなどでは時間差もあり、とても緊張し た雰囲気で伝えているようですが、北京の全ての他 の地域の街の中はきわめて普通です。しかし普通のところは報道されません。大使館の近 所の飲食街、特にいくつもある日本食店などは被害 避けるために大きな五星紅旗や「釣魚島は中国のもの」などの横断幕をかけている のは事実です。が、「この短期間で旗屋は相当儲 かったよな」と歩きながら笑って言っている人々がいるのも事実です。10月には中国も政権移譲があり、非常に複雑な背景があります。表面上のナショ ナリズムの噴出だけで判断することはできません。中国の数か月前までの情勢を新聞やネットなどで見 てきた方々は、「太子党」、失脚した重慶の実力者 などのことについてご存知と思います。こうした関係は、今も大変な力、資金力 を全国で発揮しているようです。島に目を取られて いるばかりでは本質は分からないというのが私の感想です。多くのデモ隊の前面が復 古の象徴である毛沢東の写真を掲げていたことの意 味は、中国の人にとっては自明です。重慶から中国全体に向けてで強力な復古政策の呼び かけが行わていたことは事実。このこと、10月の党大会での習近平氏への政権移譲 をめぐる様々な動きこそが事態を動かしている本質です。習氏は二週間も公の場に姿見せず、事故による重体 説や死亡説まで出ていました。水泳中の事故や、軍 車両まで詳述して事故を解説、収容された市内の軍の病院名まで報道されました。逮捕され収監されている薄氏派の強烈な巻き返しと 政権への揺さぶりが、ちょうどよいタイミングで島 の問題にありついたという状態かと私には思われます。日本のテレビなどの紹介では、 まるで中国共産党政権中枢が一枚岩であるかのよう な印象を受けますが、実際はそうではありません。日本料理店のほとんどは中国人経営、あふれる新品 の日本車に乗るのもほとんど中国人。まったく迷惑 だといっている少なくない庶民もいます。理性的で知識、経験、知的嗜好、思慮のあ る中国の人々は静かに事態を見守っています。煽り に乗せられることなく、利権派閥にコントロールされず、両国民が歩み寄れ納得できる 双方の本当のの国益と安全を考える必要があると思 います。歴史は偶然で大きく動くものでしょうから、一瞬も 目の離せない状態であることは確かです。日本政府は、穏便に済ませるつもりで都の購入より 国有化を選びましたが、日本の常識は外国の非常識 という結果になりました。読めていない流れになってしまっています。煽る政 治家もきわめて無責任ですが。アメリカでもドイツでも、「日本の右傾化に危惧」 と報道されています。日本は今後どういう方向に向かうのか非常に心配 で、懸念しています。

西川浩樹

2012年9月21日金曜日

9月21日、ミュージアムにて、

20日、岩井君から、昨日の展示指示に従って今日、展示を終える計画で明日、先生に展示の最終チェックを頂きたいと言う電話を頂きました、私の展示作品リストと展示内容の説明を聞くと、ピーンと理解して頂き、問題の在る時はすぐ電話かメールで質問して来て、速やかに解決して来た彼らの展示作業は安心です。今回は、もう診る必要も無いと思っていましたが、そろそろパリに戻る時期、丁度、ご挨拶も兼ねてと、ミュージアムに行って来ました。おもっていたとおり、一部のあやまちもなく、展示は完成して居ました、まさに BRAVO! 、安心して展示会場写真を撮って来ました。
今回、版画の展示室を Garicia-Rossi の特別展と言う訳では在りませんが、彼を中心にした視覚芸術のパリの仲間達の版画展示を所長に説明して、特別 GARCIA-ROSSI の版画4点と彼のキャンバスに描いた作品を1点、合計5点を展示して頂く事に、ガルシア・ロッシ氏は9月5日、83歳、奥様や一人娘一家に見守られてパリで他界しました。12日の葬儀には家内が代理で出席、家族つき合いさせて頂いていた、後輩思いの大先輩で仲間の一人でも在ります、既に彼らのグループは歴史に残る実験的な制作をしています。                      丁度、センターの事務所に、ミュージアム友の会の千葉さんと中嶋さんが居て、久々にちょいとおしゃべり出来ました、NUWSLETTER アートミュージアム友の会Vo1. 3 (2012.8 )を手渡されて拝見、良く出来たパンフです、登米市のミュージアム友の会は子供達や大人の皆さんがアートをとうして、多くの方々と楽しい交流が出来る企画をパリから期待しています。一緒に写真を撮ろうと展示会場の撮影を終えて事務所に戻ったら、二人は既にお出かけ、中嶋
一家から好物のお餅をみやげに頂いて感謝で〜す。

左の写真はガルシア・ロッシ氏の作品です、下の人物写真は中田教育事務所のフタッフの皆様、皆さんで撮る事は珍しい事で、彼らはほとんど、仕事で分散していますから、展示の合間でも用事が入ると飛んで行く事、在りデスから皆さん頑張っています。迫庁舎の前で、左から、中ちゃん、さとる君、サトル、野家副所長、担当の岩井君の5人です。そうです、石川君がさとる君、熊谷所長曰く、さとると呼びつけに言うと、サトル先生と一緒に成り、呼べないんですよと聞いた事が在りました、勿論、皆さん爆笑でしたが、下右の写真は、今回、最後のお別れ、皆さんに快く送って頂きました。バスの中から撮った写真は窓が曇っていて、今一でしたが、副所長のVサイン、最高でした。皆さんに感謝です。


2012年9月20日木曜日

陸前高田の戸羽さんを訪ねて!






 大江の勝ちゃんのご案内で、陸前高田市に行って来ました。朝7時に、勝ちゃんから電話で7時30分、出発の計画で迎えに行きますと連絡が在り、その後、玄関先に着きましたと電話が成り、慌てて玄関先に降りて車に飛び込み、助手席に乗ってベルトを締めて車が動き出したら、勝ちゃんニコリと曰く、パリ時間、ジュストですね、丁度7時30分発でした。<仙台、出る前に、関グッつあんを乗せないと>、早速、電話で、7時45分に迎えに行きますと連絡、7時45分に着くと関グッつあんがマンションの下で待っていました、早速、後の席に乗って頂いて、3人の珍道中の始まりでした。高速に乗る迄に、近道、北山のトンネルを通過して、仙台郊外の山々を観ながら、やっと国道四号線に出てから高速に、そこから岩手県一関インターをめがけてぶっ飛ばし、岩手県に入り一関から、陸前高田の街に、大船渡に何度か訪ねているのに陸前高田は初めて、高台の方には家が見えますが、港に近い中心街は平原の様で、ビルの残骸がところどころに見えるだけ、港の中心街のシンボルだった Capital Hotel の前で待ち合わせ、我々を待って居て下さったのは、勝ちゃんの友人、戸羽伸一さん、今日のご案内役の方です、戸羽さんの車に乗って、先ず、港に、奇跡的に残って有名に成った一本松が2日前に切り取られました、海岸線に何万本と在った松林は根ごそに引き裂かれ残ったのは一本と聞いていましたが、他に一本、寂しそうに立っていました、勿論、枯れているのですが、山の方も津波が押し寄せた後が見えます、市役所、学校、文化会館(資料館)、病院、大きなビル以外は見事に消えていました。途中、アラ!大江社長、なんで、ここに、と言う一行の方が居られました、ロータリークラブの方で、大江社長さんには本当にお世話になっていますと丁重なご挨拶、勝ちゃんと言う私達の会話を聞いて、勝ちゃん! 大江社長をそんなふうに言うなんてと、言われて、反省!確かに、石巻の被災地に行った時も、大江様には、大変お世話になっています、と、こちら迄、お礼を言われた事が在りました、我らが勝ちゃんは素晴らしい、あの行動力には敵わないです、そう言えば、戸羽さんが、この辺では地震で家がつぶれた古い家は在りませんね、きちんとした材木を使っている所は、と言われて昼食は気仙大工左官伝承館に行ってみて、彼の言わんとする所が良く解りました。船作りの技術で活かした建築物と神社仏閣を作った気仙大工左官の方々が居た地域、驚きました。その後、戸羽宅に、そこで見た映像は今迄と違った感覚でした、同じ地区の方が撮ったVDVを拝見、津波の恐ろしさは特に私がテレビで見ていた凄い津波の流れは、表面からの津波の荒さではなく、逆流の凄さがそこに写っていました。16時前に戸羽宅を失礼して、高速で一路仙台に、最初に、関グッつあんを降ろして、我々は待ち合わせ時間18時30分前にはフォーラスの前に到着、今日は、内輪でサトルを送る会を企画して頂き、一郎ちゃん、斉藤ちゃん、陽子ちゃん、そして、カッちゃんは他に用事が在り車を降りる時、<サトルちゃん、シャブシャブの最後のお餅とうどんを入れて食べる頃には行くから心配すんな!と言って居ましたが、時間に正確と言うより、丁度、お餅とうどんが鍋に入れられる頃に、来て、お餅とうどんを頂きましたので、安心しました。大江さん、有り難う。

2012年9月19日水曜日

吉田 先生 からのメール!





9月18、19日と葬儀があり、また、大船渡に行ってきました。 この前は葬儀の段取りの役で忙しく、つい建物の裏まで続いている作品に気づきませんでした。    今度はゆっくり見てきました。建物の広場正面から 建物の中を通り 建物の裏の広場まで続く物作りの発想は ちょっと私には出てきませんね  、事務の女の方は ああ佐藤 達 さんの作った物ですねと即座に応じてくれました。

◈ あの大船渡の海、山々の風景に直線を引いてみたかったのです、あの風景を取り組んだ建築物を通り抜けて永久に直線を、それは縦、横の直線、そして、昔、鉛直主義を唱えた時から、当時は平面の中での直線と立体の中での直線、鉛直と言う言葉は、重力の芯を超えた大気の精神的な芯、曼荼羅の芯、そこに幾何学の芯が、ピラミッドとの出会いの中で感じられた世界でもありました、微分積分学を得意とし、美術部の副担任で在った吉田先生からのメールは嬉しいです 

Garry Faif の作品色 No 確認、

9月 19日、今日は7時15分、仙台のフォーラス前の高速バスに乗って登米市に、8時45分にバスを降りると中塩さんが迎えに来ていました、チョット、寄り道をさせて頂き、先輩の森田宅に(2年前、ホームステイーでお世話になったフランス人の友人、造型作家の Mavropoulos から、森田ファミリーにお酒を届けてくれと依頼されて居たので、それを届けに)、お宅に誰も居ない様子なので、先ず、峯男先輩、そして、カズ(一史君の事、フランスの仲間は Kazuと呼んでいるので)、さらに峯男夫人の携帯に電話をしてもどなたも出ない、近くの森田先輩の店舗に届け様としたら、Kazu から電話は鳴り、先生どちらですか(先月、仙台ヨドバシの出入り口で、バッタリ会っていたので)、ほら、ピエールからお酒を届ける様に預かっているのでと言ったら、すみません!本社に居ますので、是非、と言う事で、立ち寄ったら、カズが迎えに出てくれ
て、2階の社長室に通されて、珈琲を頂きながら先輩峯男ご夫妻も一緒に楽しい会話の一時を、今野先輩の話も出たり、又、100周年記念式典のお話やご案内状を頂き、15分オーバーで失礼致しました。

9時30分には、商工観光課の菅原さんと打ち合わせなので、中ちゃんはそわそわ、少し遅れる様子を連絡して下さったので、助かりました。
今日の用事は、震災で転倒した、ガリー・ファイフの作品修理修復の為の色確認の為、担当の菅原さんとミュージアムで待ち合わせ、模型を診ながら色決め、双方、確認が出来て安心致しました。
それから10時半過ぎ、3人のスタッフの皆さんと入れ替え作業に立ち会いました、先ず、作品を外す作業と梱包作業、同時にリストをみながら、新しい作品を収納庫から出して梱包を解き、床に並べる作業、昼食後は、再度、作業を続け、包装紙やエアーパックは次の包装に使える様にキチンとまとめて、作品位置決め、これは時間がかかります、職員の皆様の協力無しでは出来ない作業、皆さん初めてではないのでスムーズに、元気印の石森の岩井君中心に、石川君(佐竹ヒサ子先生の教え子)、中塩君(中ちゃんの親戚)の皆様は、昨年夏の展示替え、今年の3月と8月の作品展示替え、出前アート講座作品展示など、既に一緒に作業している息の合った仲間達、私の展示の仕方など既に把握しているので安心、私の方は作品1点 (Charles Bezi の作品)展示に立ち会って、17時半の高速バスに乗って仙台に戻ったわけです。作業は言う事無し、皆様、白手袋で床にはビニールを引き、作品を大切に取り扱って展示作業をして居ますので。

2012年9月18日火曜日

後期・Art Géo Construit 展 オープン













9月18日、後期・Art Geo Construit 展がオープンしました。11時過ぎに図録を届けにギャラリーに立ち寄ったら、なんと、毎日広告社の中田社長さんが、ご来廊下さっていまして、ご挨拶(実は13時間前に御会いしていました)、12時には、倉松先生ご推薦の自然食品店の<おひさまや>に、毎年、倉松先生は夏や冬のヴァカンスでは、ご家族の居るイギリスや先生が昔、留学した仲間の居るドイツに旅していますが、今回は更に、スエーデンとコペンハーゲンを廻った様子のお話を伺いました、食後、ギャラリーにご一緒して頂き、展覧会を観て頂きました。芳名帳を見ると今泉瑞枝と名前が記されて、アレ!瑞枝ちゃんだと(<君を守って>や<Impressions of Theophrastus Such = テオフラストス・サッチの印象>の翻訳の本の話はパリに戻ってからゆっくり書かせて頂きます)、倉松先生にお話しすると、そうですか、いわき明星大学の開校の時、伺った事が在りますね、江口先生の作品を紹介、80歳ですと言ったら、私より若いんですね、そんな楽しい会話をしながら先生を見送り、私は郵便局に、その後、銀行を廻ったのがまずかった、15時に小田山さんがギャラリーに来る事に成っていました、ギャラリーに着いた時は既に30分過ぎていたのです、彼はすぐ、蔵王の方に戻られた様子、残念でした。後期の展覧会参加者は、青木正夫、市野泰通、片岡渡、江口週、越野成朗、牛膓達夫、佐藤達、白川昌生、杣木浩一、髙木修、10名の作家の作品の展示、前期とは違う画廊空間に成っています。

2012年9月16日日曜日

そして、9月16日の夜は、

17時過ぎに、ターンアラウンドの関本君から作品を取りに伺いますと電話が在り、10分後には彼の車に作品5点(他に、名酒・澤の泉、一升瓶等等)を乗せてギャラリーへ移動、18時過ぎに、Art  Jéo (Jéométrique)  Construi (幾何学構成アート)展の前期の展示が無事終了、早速、作品を取り外し、返送する為の包装(それが以外と時間がかかるのです)、途中、東京の小鶴幸一さんから、手伝いに行けずにすみません、頑張って下さいと励ましの電話が在り、その後、高山聖子さん&圭子さんが応援に駆けつけて下さいました、差し入れのアイスキャンデイーデイーを頂き一息、三上さんが立ち寄り、高山親子が帰った後、関本&安部ちゃん中心に後期展示の作品をギャラリー内に運び、包装された作品を奇麗に取り出し、後の梱包の時にきちんと輸送出来る様に間違い無い様に、紙やエアーパック、段ボール箱等、奇麗に整理しながら、時には間違えの無い様に携帯カメラに収めながら、徐々に作品が壁に置かれ、全作品がそろってから、やっと位置決めが始まりました、前期と異なり、小さめの作品が多いので思ったより展示に手こずりましたが、3人のアイデアで決まり展示が終了しました(私の作品は前期の展示では大きく無い作品でしたが、後期の展示では大き過ぎる感じなので、小さい方を展示する事に決めて、見事、関本&安部ちゃんの展示作業が終了)。何と、時計をみると23時を廻り、今日の昼食、バッチリ頂いた大黒寿司のお陰で展示の仕事を終える事が出来ました。私は関本君に送られて仕事場に戻り、バタンキュ〜、関本&安部ちゃんの仕事は、その後、段ボールの片付け(整理)、キャプション制作等等、今日はまだまだ、遅く成りそうです。明日は休日、9月18日からの後期の展示、是非、観て頂きたいと思います。

9月16日の昼は、


仙石線の青葉通り駅から塩竈に、神戸の皆さんと御会いしたのは塩竈駅でした、塩竈駅前から怜子ちゃん先頭に説明を受けながら塩竈神社の近くの、お茶とおみやげの店、丹六園まで散歩、怜子ちゃんと親しい素敵な丹野ご夫妻を紹介して頂き、塩竈神社桜地図をみながら桜の話に花が咲きました(桜を観ながら茶会が開かれたりして居ますと丹野さんに言われると、ここにも桜は贈れるねと)、<あけくれに さそな愛で見ぬ 塩竈の 桜の本に 海女のかくれや>堀川天皇御製、と唄われて居る塩竈の桜、震災と津波の傷跡を負いながら頑張っている人々が街がここにも在りました(左上の写真、塩竈神社桜地図のタイトルを墨で書いた方は、佐具 道夫さんと聞いて懐かしく、昔、私の個展を塩竈で企画して下さった梅花堂の店主、個人美術館&ギャラリーを持って、塩竈で現代美術の普及に力を注いだ方です、そして、昨年、震災前に亡くなったと聞いて驚きました、宮城県美の創作室でも時々お会いして立ち話していた気さくなアート好きな佐具さんでした、合掌)、右上の写真は津波に襲われた丹六園、今は奇麗に成っています、丹野さんは20年前、佐具さんが企画した、私の個展を観て下さり名前を覚えて下さっていました、それもそのはず、丹野さんと佐具さんは、親友だったのですから。
お目当ての昼食は大黒寿司、塩竈に来ればここに必ず寄ると言うより、寿司を食べたく成ったら、仙台からここに食べに来ると言う怜子ちゃん、昨年から誘われていたのですが、やっと、念願が叶いました。神戸から来た女性群二人も、美味しい美味しいと連発、私は黙々と、勿論、美味しい昼食は、ゆっくり時間をかけて、味を味わいながら、元々、塩竈はお寿司のおいしい所として名を馳せていますが、その中でも、更に美味しいお店が、大黒寿司、お客さんも入っていました。

大好きなウニも美味しい、光り物も、お腹が一杯に成ってしまいましたが、追加で、ネギとろを注文、私が、美味しい寿司屋だと思うと、本気で、たまごとネギトロで食べる癖が在るのです、それは、昔、新宿の喜楽寿司や築地の寿司岩に行って覚えた私の偏見な味評価方法。吟味された香りの在るネギのシャキシャキとトロの組み合わせは、分量といい、それを口の中に入れて、膨らむ味、相当な技が必要とされますから、たまごの隠し味も、焼き具合も、そんな事をふと、思い出しながら、美味しく頂いて来ました。ゆっくり、頂いて、満足!帰りは、大黒寿司のおかみさんが、今日はタクシーが少ないのでと、車で駅迄、送って下さり、神戸のお二人の新幹線の時間に間に合う様に、素晴らしい怜子ちゃんの企画は凄いにつきる、仙石線で仙台駅迄ご一緒して、3人と別れた私はその一つ先の終点駅、あおば通り駅で下車、美味しい楽しい、昼食の時間を過ごさせて頂きました、怜子ちゃんに感謝!

9月16日の午前中は

今日は6時起床、簡単な朝食(焼いたフランスパンに蜂蜜、牛乳、野菜ジュース、ヨーグルト、バナナ)を取った後、今年の夏のヴァカンスの仕事納め(今年は仙台で3点、キャンバスの作品を完成)、作品を梱包して、小さな瓶に溶かした絵の具や筆をきちんと整理して、机の上が奇麗に成りました。珈琲を飲みながら頂いたエクレアを食べて居ると、もしもし、サトルちゃん、大江ですと電話、先日、お話を伺った例の20万円分の桜の苗木を被災地に贈って下さる京都の方の話、受け取り先の件で、書類をお渡しし、説明したいので、これから会えますか、返事は一つ、” はい、そちらで、20分後に会いましょう。普段は自転車で、歩いても行ける距離でしたが、今日はなるべく体力を消耗しない様にタクシーでと、いざ、外に出ると、タクシーがすぐ見つからない、5分程歩いて、やっとタクシーに乗れました、運転手さんが、今日は既に、30度に成っていますが、それでも大部楽に成りましたねと、優しそうな運転手さん、今日はタクシーが少ないですねと聞いたら、お客さん今日は連休ですから、有給休暇を取った方が徳なので、大半の運転手さんは休んでいますよ、私の場合、この会社に来たばかりで、有給休暇取れないのでね、成る程、三連休のど真ん中でした。打ち合わせ場所に行くとヤーヤーと大江の勝ちゃんが甚平さん姿で到着、早速、話し合い、塩竈の街に、未来の塩竈・さくら回廊と言うプランが在り、完成した後に、津波で大半が被害に遭い、それを復興する計画を、ロータリーで応援していますので、京都の世話係の松井さんに送るべき書類を頂きました、又、新井さん&早坂さんの 仙台青い鳥プロジェクト の話も、既に11時35分が過ぎていたので、勝ちゃんの車で、仙石線の青葉通り駅まで、車の中で、サトルちゃん今日はどちらに、<今日は!怜子ちゃん達と塩竈に、寿司を食べに行くのです>と言ったら、私の車でおくりますよ、丁度、桜の話が塩竈ですからと、それはグッド・タイミング、怜子ちゃんに電話、3人なら、大江さんの車で行けるので、何人ですかと問い合わせると、こちらは3人、サトル君入れると全員で4人ですと言う事で、勝っちゃんの車は4人乗り、5人は無理で諦めて、あおば通り駅で降ろして頂き、待ち合わせ場所には、11時50分に到着出来ました。

2012年9月13日木曜日

恩師・吉田先生からのメール、

 ◈  大船渡のアーバンは二つあり小さいほうのアーバンで通夜と葬儀を行いました 、次の会食は大きい方のアーバンで行いそこで貴君の作品をみました、玄関前にありました。  それから教会内のステンドグラスもみました、 これは、そこら辺の人が作ったありふれたものでなくパリの有名な工房でつくったものだと言っておきました、 驚いてました。◈


<高校の恩師・3年の時の副担任で、美術部の副担任の吉田先生とは、以前からメール交換をさせて頂き、先週は、大手町に在る、ギャラリー・ターンアラウンドでの<アート・ジェオ・コンストウルイ展>にも、圭子ちゃん&征子ちゃんと一緒に来て下さり、作品を観て頂きました。吉田先生の携帯に、お礼のメールを送信した所、親戚の葬儀で大船渡に来ていると言う事だったので、時間がありましたら、大船渡のアーバンに私の作品が設置してあるので観て下さいとメールを送りましたが、偶然にも、その会場で会食が行われたとの連絡が在り、2枚の写真が届きましたので掲載させて頂きました。アーバンの谷村社長とは親戚、先代の谷村社長の時に、パリで制作した2点を設置(収め)させて頂きました(ブロギの右上に<アート作品集>の欄をクリックして頂くと、世界の野外作品が観れる様に成っていますので、そちらでも大船渡の雪景色の作品が観れます、同じ、作品でも写真の撮る位置でも雰囲気が異なります)、その後、一点は気仙沼のゲストハウス・アーバンに作品を移され、今回の震災、津波には運良く被害に遭っていませんが、気仙沼湾に近い南小学校近い、大川に面したアーバンは浸水被害に遭っていました。
左の写真は作品の一部で、建物の中の床に直線が在り、建物の反対側に、直線で結ばれた線上に小さな御影石の作品がある訳です。又、吉田先生が写されて右のステンドガラスはフランスのシャルトル大聖堂の近く、古いステンドガラス工房で手に入れた素晴らしい作品なのです。吉田先生のメールアドレスが変わったので、連絡が途絶えていましたが、先日、新しいアドレスが解り、又、以前の様に、恩師もメル仲間、同級生の数学好きな・カラクリ師・青島と、幾何学構成好きなサトル君は、これからも、吉田先生からのメールで楽しい数学の講義を受けれそうです。◈

安部ちゃんから電話が入り、














今日は11時30分、歯の治療に懸田歯科医院へ、それから、途中、昼食を取り、のんびり、放送大学の前をのんびり散歩していたら、安部ちゃんから電話が成り、お客さんが来ていますと、慌てて、自転車に乗ってギャラリーに(2時15分頃)、Be-I の皆様、3姉妹が来ていました。白松一郎さんと一緒に来た様子、一郎ちゃんはサッサッサッサット作品を観て、お帰りに成りました、との報告でした、同時に宮城県芸術協会の早坂先生が来て下さり楽しい会話、2時半から3時の間に行きますと連絡が入っていた須藤さんも来て、カフェとギャラリーに別れて御喋り、須藤さんとは、次回、中村ミステイに何時行くかと話し合ったり、同時に、ギャラリーの前に車が停まり降りて来た方はどこかでお会いした方、思い出せなくって、ギャラリーの作品を観て頂き、芳名帳に牛澤さんと書かれていたので、もしや、前回、ニュージランド協会でもお会いしていたノボルちゃんの奥様?と、聞こうと思いましたが、関本欣作・建築設計事務所の社長さん(関本君の父君)と主人がお友達で、家を設計して頂いたり、お子さん同士も同級生と説明して頂き、お帰りに、その後、怜子ちゃんに、この方って、ノボルちゃんと関係ありそう?って、芳名帳を見せたら、アラ!どこ!と言われて、今、車で帰りましたよ!って、何だ!サトル君知らなかったの、ニュージランド協会で一緒に旅行した事も在るし、昔、サトル君と一緒にお店に行った事在るでしょうと、やはり、ノボルちゃんの奥様でした。その後に、カフェの椅子に座りゆっくり私も珈琲を飲み始めたら、一年後輩の桜井ひろ子ちゃんが自転車でやって来ました、怜子ちゃんとは初対面で初対面でなさそうなお二人、紹介したら、お互い幼稚園や子供の教育での関係で知って居て対面は初めて、ネパールの話から、早坂先生も子供病院との関わりで、初めて御会いする方々とは思えない楽しい会話の様子でした、人の輪、人のつながりって、偶然でどこかで必然と結ばれているのでしょうか。今朝、東京から突然、ギャラリーに展覧会を観に行くと連絡が在り、自宅で連絡を待っていたら、なんと、時間通り、ぴったりと18時に連絡が来て、今、駅に着いたのと聞いたら、良く解るね、渋谷駅ですって、何だ、仙台駅ではないの!急に仕事が入り、ドタキャンでした、2分前にドタキャンのメールが入って居ました。、残念と思いつつ、のんびり制作に切り替えました。

河北新報・平成24年、9月13日(木曜日)、朝刊、文化欄掲載


2012年9月12日水曜日

パリや仙台、東京で会っている方も、


昨日(11日)、朝一番で懸田歯科医院に、11時過ぎに、懸田前院長の奥様と娘さんの任子さんと待ち合わせ、珈琲を頂きながら3人で楽しくおしゃべりして居た所に、昔、私が審査員だった、パリの招待サロン・今日の巨匠と青年展(Grands et Jeunes d'Aujourd'hui )に招待したのがきっかけで、おつきあいが在った菅原君が入って来て、久しぶりに立ち話出来ました、その後、任子さん運転の車で、私の好物、ウナギを昼食にと招待頂き(懸田先生も私もウナギが好物でしたから)、二つ返事で、はい( Oui )と答えました、1年前、懸田利孝先生、任子さんと3人で同じ場所で美味しいウナギを頂いて居ました。
今日の12日は、安部チャンから電話で、東京の平塚さんが来ていますと、早速、自転車で駆けつけました、彼とは古いつきあい、パリ国立高等美術学校の後輩に当り、1970年代、彼はナラ教授のアトリエで、私はサンジェ教授のアトリエで学んだ頃からのつきあい、彼は10年間のパリ滞在中、パリで制作発表を重ね、その後、東京に戻り、現在は東京を中心に東南アジア、中国、韓国、パリでも発表を重ねています、仙台で幾何学構成絵画を描いていた、清水一枝さんともパリでお会いしている方、会社の関係で時々、仙台に顔を出している様です。今年の春、パリに来て、恩師に当るナラ氏とご夫妻で御会いしたり、会社の社長を兼任しながら画家として活躍している方、弟さんに会社を手渡して、ゆっくり制作に専念するとの決意を伺い、感心しています。写真はそれぞれ、菅原さんは北川さんの作品の前で、平塚さんは小鶴さんの作品の前でと、それぞれ、おつきあいしていた、おつきあいしている作家の作品の前に立たれました。

2012年9月9日日曜日

昨夜のトークは楽しかったです。

Art Géo Consteruit (Art  Géométrique  Consteruit) 展、幾何学構成アートに関したお話が中心ですが、千石さんは  アメリカ抽象表現主義絵画が大好きな、アメリカ文学専門、文芸評論家から観る、文学とアートの関係、中川さんは造型作家とした立場から、楽しいトークが始まりました。
アメリカとヨーロッパの歴史の違い、又、幾何学構成アートの歴史を紐解きながら、カントやハーマン・メルヴイル(白鯨の作者)の名前が出て来たり、哲学、文学の世界を含めて、楽しいトークでした。
千石さんの言う Non-Figurative に関して、尋ねたら、フュギュラテイーフに対しての Non と言う事で、まさに、具象に対してのノン、非具象と言う言葉の説明、実は、抽象絵画、特に幾何学構成アートは、1922年頃に成ると、いろんな地域(国も含めて)で、いろんなグループが発生しています、デユッセルドルフで開催されたアール・コンクレ(Art Concret)、又、1930年、パリでは Michel Seuphor と Torres Garcia が企画する Cercle et Carré  展には多くの北ヨーロッパの幾何学構成アートの系譜に関わる作家達が参加、1931年にはAbstraction Création が組織され(6年間継続され)、パリが中心になって居た時代(芸術の都・パリの華やかしい良き時代でもありました)、その頃、同時代にパリでもロンドンでもNon-Figurative 展と言う名のもとで展覧会が開催されていました、千石さんの言う<Non-Figurative >が展覧会名としてヨーロッパで存在していたのです。そして、松浦さんの言う<幾何学的な構成という原理的選択の微のもとに>、進行係はドタバタ・サトル君、楽しまさせて頂きました、その後、皆さんで牛タン&マグロを食べに一番町に出て、多いに盛り上がり(TSAの卒業生の話題も)、更にその後、壱弐参(いろは)横丁に、仙台の夜は白夜のごとく日は落ちず、丁度、仙台・ジャズフェスと重なり、賑やかでした。
そうそう、千石さんからトークのタイトル「抽象ということ、非具象ということ、そして Non-Figurative ということ」を頂き、中川さんから副題として<幾何学構成と抽象芸術への試み>を頂戴して、最終的に関本さんの校正で、お知らせのパンフが出来上がった訳です。時間ギリギリの所で、関本&安部チャンに感謝で〜す。













左から、千石先生&右、中川先生

2012年9月8日土曜日

菊池 巨 さんよりの便り、

佐藤様

本日は楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

作品作りは試行錯誤の連続です。次の機会がありましたら、また新しい表現にトライするつもりです。

本日の写真を送ります。
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菊池

▣菊地さんからの便りです、今日、土曜日の昼前に東京から菊池ご夫妻が来仙、仙台市内を散歩されてから、ギャラリーで14時に待ち合わせ、出品した会場を観に来て下さいました、彼は、東京に住んで、パリでの招待展に出品したり、仙台での作品発表も2回目、ご夫妻の中間に展示されているのが菊池さんの作品です。運悪く私のカメラが充電不足で、彼のカメラを御借りして撮り、早速、送って頂きました。▣

2012年9月6日木曜日

雛塾の仲間達による作品展・パートII を拝見

9月4日から8日迄、開催されている 南町通りに在る SENKEN ギャラリーのグループ展に午前と午後に二度、顔を出しました。先週、仙台・幾何学構成アート勉強会・展が開催されたギャラリーです。今週の展覧会は<雛塾の仲間達による作品展・パートII >と言うタイトルで、竹細工師・トンボの吉城、カラクリ師・青島、風景画を中心に水彩画を描く・公ちゃんこと・木村の作品、合計6名のそれぞれの名人達が参加しているグループ展、文化横丁の源氏を中心に集まった名人達です。展示会場には越前琵琶も展示され、ふと、画学生時代、新宿の叔母の教室で、又、パリ大使公邸でお会いした山崎(旭萃)先生を思い出しました、源氏のおかみは越前琵琶の名人。今日は11時半に先週、薫ちゃんに紹介されたヒロちゃん(桜井ひろ子)と
待ち合わせ(15分遅刻しました)、と言っても、ヒロちゃんはバスケの先輩、吉城に会いに来ると言うので私も顔を出した訳です、昼食は青島とヒロチャンと3人で、壱弐参(イロハ)横丁の木村さんの所で、さんまの焼き魚定食、昼食後、私は皆さんと別れて、パソコン持参でアップルのお店を訪ねました。その後、雨も止んだ17時には自転車で再度、SENKEN ギャラリーに、圭子ちゃん、瑞枝ちゃんが来ると言うので会いに伺いました。上の写真は左から、青島、ヒロちゃん、吉城、右の写真は立っているのが左から吉城、青島、木村、座っているのが左から、瑞枝ちゃん、圭子ちゃん、こちらは良く仙台でお会いする同級生・仲間達です、壁に掛かっている絵は公ちゃん(木村)の作品、テーブルの上に在る作品はカラクリ師・青島の作品(遊び出したら、作り出したら切りがない程、夢中に成りそう)。夕食は圭子ちゃん&瑞枝ちゃんと皆さんでと誘われましたが、こちらは 浅利さん親子と 大手町のギャラリーTURNAROUND で待ち合わせ、遅刻せずに Exposition Art Geo Construi 展を一緒に観て頂き、美味しい珈琲を飲んで別れました。