2011年11月27日日曜日

内藤さんより、3人組の旅。


何方にとっても大変な2011年でしたが、 お元気で益々ご活躍の様子
何よりです。
以前から行きたかった 金沢21世紀美術館、新羽田空港から、空路強行
日帰りのプランで、池田さん、照子さんと楽しい旅をしてきました。
お二人は昨年の登米が初対面でしたのに、何故かとても気が合って良い
友達です。建造物の奇抜さも期待通りでしたが、丁度、その日から 
モニーク・フリードマン(仏の女流作家)の展示のオープンでしたので、
 ファンタステイックな作品群を楽しめました。
11月17日からの高山登 退任記念展(芸大美術館)は、広い空間を一点
勝負の力強いもので、圧巻でした。 震災後、東北の現地を見た後は、ショックで作品など創れないと言い出し、         関係者はあわてたそうですが、結果オーライでした。
学校関係者の多いレセプションだったので、顔見知りの作家は居ませんでした。

2011年11月25日金曜日

北の古狸(先輩)よりのメールです。

9月に何度か国分町の例のお店にお誘いしても風邪で静かにしていますと、珍しい返事で感心していました、未だ日本に居るものと思って早めの忘年会を一緒に考えていましたが既にパリに戻られた様子、残念、先ずは元気でなによりです。今日の朝刊に 「日米地位協定の運用を改善する事で大筋合意した、近く日米合同委員会で正式合意する見通に」、と言う記事を見て、
第二次世界大戦で日本が敗戦それも無条件降伏、東京裁判等々、屈辱的な条件を突きつけられての受け入れその後1951年日米安保条約がそして新日米安安保条約が結ばれしかし日米同盟とは名ばかりで戦後66年も経ているのに占領されたままの面影の条件が残っている、経済大国と言われても(もう、言われんけど)恫喝されると何も言えない保身の日本政治家、日本国内の基地の近くに住んでいる国民は怖がっています、人が近づけんのは昔から、51年前(1960年)日米地位協定が調印され全文28ヶ条の他に交換公文および合意議事録が付属していますが、17条に米軍人・軍属による犯罪の第一次裁判権について公務中は米側に、公務外は日本側にあると規定(日本に滞在中は勤務に決まっている)。このため公務中の犯罪はほとんど訴追されず米軍基地の在る地域に住む日本国民は不安な生活を虐げられている、それも民主主義を唱えるアメリカ合衆国の基地、米国ってどんな国なのか解らんね、それに言いなりに成っている日本人もアホやなと、在日米軍や在米軍で働く民間米国人は、何やっても許される感じで、沖縄米兵少女暴行事件でも、協定書に公務出向中となれば犯罪者については、米国当局が第一次裁判権を有し、その裁判権が行使された時には、日本はその事件について裁判する事が出来ない(17条3)、たとえ日本側に裁判権が在る場合でも、起訴される迄は身柄を引き取れない(17条5c)と、勤務中の事件は日本で裁判出来ないんや、日本に居る間は、勤務中と言う解釈も成り立つ訳で、そんな訳の解らない事、ないやろ、人は自由、平等の権利を持って居るンや、沖縄県民の事を真剣に考えないと、同じ日本人、同朋でっせ、日米地位協定に基づいて、勤務先からの帰宅途中で公務中にあたり日本に第一次裁判権がない、なんて言う協定は改めるべきだな。政治家が悪いと言うけど我々国民が日本の現状を知る義務があると、サトル君の言う国際感覚と言うか、国際状況をもっといろいろ世界をしたんとな、昔々サトル君の仲間が安保反対、ベトナム反戦と言ったデモで丁度、騒乱罪適用の新宿駅周辺での事を覚えているよ、あのデモは一体なんだったのか、変わってないよな、経済成長したけど、50年前より今は夢が見えて来ない様だよ、俺にではなく、若者達に、これが問題、俺はもう古いからな。

〖古狸(先輩)から、手直しのメールが届いたので、改めて掲載致します。確かに米軍の日本における基地は、日本を防御すると言うより、民主主義の自由の旗の元で、日本の基地は米軍が自由に使える前方基地なのですから、駐留経費の75%を国民の税金で支払って居るといわれ、思いやり予算(1978年・62億円、1980年・374億円、1985年・807億円、1990年・1680億円、1995年・2714億円が最高額、2000年・2567億円、2005年・2378億円、2010年・1881億円)以外にも基地周辺対策費・1739億円、沖縄に関する特別行動委員会関係費・101億円、米軍再編関係費・1161億円、提供普通財産上試算・1658億円、基地交付金・394億円も追加されて居るとか、世界常識からづれて居る現状を、日米安保条約を紐解いて私たちが現状に眼を向けて語り合い、修正する所を修正、異議申し立てを、改善を求めて行かないと、12月10日は ( Universal Declaratio of Human Rights ) 世界人権宣言デー、世界中で記念行事が開催される時期に、基本的人権を考えて行きたいものですね、勿論、北はロシア、西は北朝鮮、韓国、中国との地政学も考慮しながら、国民と国益と言う言葉を再認識しながら語り合わないと、危機は中近東だけはないのですから。〗

2011年11月22日火曜日

スミチャンからのメールです。

                                                            お久しぶりです。
    先週は三日間箱根に行き、紅葉を見て、テニスと温泉を楽しんできました。来週12月1日は、富樫さんのお誘いで、松戸の本土寺に紅葉を見にゆく予定です。参加予定者は喜久ちゃん、涼子ちゃん、得ちゃん、祥子ちゃん、千鶴ちゃん、と男性一人春日さんだそうです。  また、写真をメールしたいと思います。
 今年も、残すところあとひと月となりました。皆様には、お元気でお過ごしください。                                                                 章・澄子

▶ 久ぶりにスミチャンこと、木下夫人からのメールです、ヨーロパから北欧から東欧、中近東迄、毎年の様に外国に旅する木下夫妻、パリでお会いしたのは3年前の5月5日(Satoru News に写真が掲載されています http://satorusatoartmuseum.jp/blog/satoru/2009/05/ )、その後も、ギリシャやスペインから、今回、パリに寄れないからと旅先から電話、今年の3月は南米、ブラジルからアルゼンチンに移動する直前に電話を頂いたり、旅行が大好きでテニスは学生時代から50年近く続けているスポーツ・ウーマンです。
メールを頂いた今日、Danielle Mitterrand (ダニエル・ミッテラン)女史が87歳でお亡くなりに成りました、彼女は10代からレジスタンス(第二次世界大戦の時、フランスでナチズムに対して戦った抵抗運動)で活躍し17歳の時に、同じレジスタンス運動に参加していたフランスワー・ミッテランと出会った事は有名な話、1981年フランス大統領選挙で左派(社会党)が初めて勝ち、フランスワー・ミッテランが第五共和政第四代大統領に就任、大統領在期の2期、14年間を影で支えたファースト・レデイですが、キューバのフィデル・カストロ議長とも交流を持ち、又、人権 NGO 、France Libertes Fondation を創立して、世界の貧困、制圧に苦しむ人々の支援活動を行っていた筋金入のファースト・レデイでした。◀

2011年11月21日月曜日

久しぶりにChevalさんと再会。

6月30日、Solidarité Tomé (ソリダリテ・トメ=連帯・登米)のオークションを担当して下さった Chayette & Cheval 事務所を訪ね、Cheval 氏はじめ、チームの皆様と久しぶりにお会いしました。7月、8月、仙台空港、閖上港、多賀城、石巻、南三陸、気仙沼と訪ねた災害地の報告と、約1000万円の70%の義援金&支援金の受け取り報告(宮城県、登米市、気仙沼市)と、残りの30%の送金先を再確認をして(同じ、宮城県、登米市、気仙沼市に前回と同じ%で送金する)、来週には総てが終了致します。来年の春には再度、残りの作品をオークションに出して頂く計画、パリを中心に多くの作家の協力を頂いて、ふるさとに義援金の支援が出来た事、作家の皆さん、ギャラリー、コレクターに、そして今回の私の申し出に快く協力して下さった Cheval 氏はじめ、Van Gave 夫妻、Cavanna 氏、Schidlower 氏、多くの多くの 皆様に感謝致しています。

2011年11月17日木曜日

我が家の前の喫茶店に、大統領候補がやって来ました。


最近のEUはギリシャの経済危機が回避されたと思ったら、イタリアへ連鎖反応、ギリシャとイタリアでは経済改革、政治改革とも言うべき、共に、経済に詳しい新首相が就任、特にイタリアの新内閣は政治家が一人も居ないと言う異常事態とも言える状態に、国を思う政治家が少なく、利己主義の利益と地位確保の為に取引された障害を打破する為の改革と思われます、イタリア議員の特権は常識を超え、報酬額はドイツ、フランスの約1、7倍の高額と報道されています、それに悪い伝統とも言える、裏経済(マフィア、ヤクザ)との繋がりを断ち切る事への現れでしょう、モンテイ新首相は国家再建に民間(経済学者、憲法学者、国際弁護士、金融関係者、それに日本的に言ったら霞ヶ関の官僚も参加と言った実務方の専門家が中心)人による新内閣を作り上げました。これは、何もイタリアに限られた事では在りません、古いシステムで政治の機能が鈍っている国では多いに参考にして頂きたいモノです、そうでもしないと、国家の危機を、政治家ではなく、国民が如何に危機感を持つかで議員を選出する意識が違って来る訳ですから、数が少ないとは言え政治家や企業が未だ未だ裏経済と繋がりを持って居る事は許しがたい異常事態です(我が日本も未だ未だ、打破して欲しいですね)。
EUではドイツと共におおきな役割を演じているフランス、来年の4月、フランス共和国大統領選挙(一回目の選挙で過半数に達しない場合は、上位2者で5月に再度、選挙)、既に、選挙序盤戦が始まっています、今日は私達が住んでいる建物の真向かいのカフェ( Café  Signés と言うハンデキャップの方々が、厚生省の後押しで経営されている喫茶店)に、社会党から来年の大統領選に出馬宣言している François Hollande 氏がやって来ました、朝のコヒー(ノワゼット)を飲みに愛犬(名前はウプシー)と行ったら報道陣で一杯、気さくな大統領候補、カメラでワッショット撮ってみました、只今の世論調査では彼がトップで走っています。

ヒサ子ちゃんより、迫川の風景を、

急に寒くなり栗駒山も雪化粧をしました。携帯で迫川に来た白鳥と尾長カモを撮ってみました。


◈ 迫川に白鳥と尾長鴨が浮かんでいる懐かしい風景、毎年、寒い季節が来ると、北から長沼、伊豆沼、内沼に多くの野鳥が飛んで来ます、白鳥の特に飛び立つ瞬間の姿は力強い生命の躍動を与え、又、列をなし大空を飛んでいる優雅な姿にも明日への感動を与える姿が在ります。
野鳥が川に浮かんでいる姿は、それらとは違う、すぐ、近くに、まるで飼い鳥の様な錯覚を覚え、隣人の様に会話が出来、心を和らげてくれる不思議な空間、会いたいな、あのふるさとに、そんな感じです ◈

2011年11月16日水曜日

一刀斎からのメールです。

今回は2年前に大西洋に墜落した、リオデジャネイロ発パリ行きのエールフランス機の地絡直前の模様をまとめたものだそうです。読んでいると辛くなります。
大西洋の海底数千mから引き揚げたボイスレコーダーを解析したものです。深海まで探索し部品を引き上げたことは大変なことですね。日本でもJAL123便の時に、どうして伊豆大島と伊豆半島の間の海底を捜索しなかったのかと言われていました。足りない尾翼がどこにあるのかわからない以上、何かはして欲しかった。    一刀斎


 Air France flight 447 Rio to Paris June 2009
'Damn it, we're going to crash, it can't be true!': Terrified final words of pilot on doomed Air France jetFlight from Rio de Janeiro to Paris went down in Atlantic Ocean with loss of 228 livesThe final words of three terrified pilots on board an Air France jet which crashed into the Atlantic Ocean have emerged today for the first time.In a scandal which is set to shock all those who work or travel on commercial flights, they reveal absolute panic and ignorance among those in charge of the aircraft.The exchange is from the Cockpit Voice Recorder (CVR) on Flight 447, which went down in a tropical storm with the loss of 228 lives while flying from Rio de Janeiro to Paris in June 2009.'Damn it! We're going to crash. It can't be true,' says one of the pilots.'But, what's happening?' another replies, seconds before the Airbus 330 plunged into the water, killing everyone on board including five Britons and three Irish doctors.Until now only selected excerpts from the conversation between David Robert, 37, Pierre-Cedric Bonin, 32, and Marc Dubois, 58, the captain of the plane, have been released.Air accident investigators kept the rest hidden, saying they did not want to upset families of the pilots lost in the worst crash in the company's history.But now Jean-Pierre Otelli, a veteran French flying instructor, has written a book in which he lays the dramatic moments bare.Rio-Paris Crash: A Collection of Pilot Errors describes how the men failed to deal with a loss of lift.Mr Dubois, who had 11,000 flying hours behind him, was on a routine break when it happened, leaving his two subordinates in charge.'So, is he coming?' Mr Robert is heard muttering, even swearing in frustration when Mr Dubois takes a full minute to get back to the cockpit.'Hey, what are you...' Mr Dubois is heard to say when he gets back, to which Mr Robert replies: 'What's happening? I don't know, I don't know what's happening.'Instead of lowering the plane's nose to deal with the stall - as they should have done according to normal procedures - they raised it.Mr Bonin is heard saying: 'I've got a problem I don't have vertical speed.I don't have any indication,' before his captain replies: 'I don't know, but right now we're descending.'Air France argues that the pilots were baffled by numerous confusing signals from the Airbus, while the plane manufacturer insists that it was responding properly.As the plane approaches the sea, the crew began conversing in short, panicked questions.'What do you think? What do you think? What should we do?' said Mr Robert, while the plane rocked from side-to-side.'I don't have control of the plane, I don't have control of the plane at all,' Mr Bonin replied, as a stall alarm resounded for the sixth time in two minutes.According to an official report released earlier this year, the last words were from Captain Dubois who said: 'Ten degrees pitch.'But in his new book Mr Otellis asks who will be held responsible 'for this mess'.'It is a training problem, fatigue, lack of sleep, or is it due to the fact the pilots are confident than an Airbus can make up for all errors?,' he writes.France's air accident investigation unit, the BEA, reacted angrily to the publication of the book, with a spokesman saying printing the conversation showed a 'lack of respect to the memory of the crew who died'.Air France has denied that its pilots were incompetent, but has since improved training, concentrating on how to fly a plane manually when there is a stall.Both Air France and Airbus are facing manslaughter charges, with a judicial investigation led by Paris judges already under way.A judge has already ordered Air France to pay some £120,000 in compensation to the families of each victim, but this is just a provisional figure which is likely to multiply many times over.THE FINAL MOMENTSMarc Dubois (captain): 'Get your wings horizontal.'David Robert (pilot): 'Level your wings.'Pierre-Cedric Bonin (pilot): 'That's what I'm trying to do... What the... how is it we are going down like this?'Robert: 'See what you can do with the commands up there, the primaries and so on…Climb climb, climb, climb.'Bonin: 'But I have been pulling back on the stick all the way for a while.'Dubois: 'No, no, no, don't climb.'Robert: 'Ok give me control, give me control.'Dubois: 'Watch out you are pulling up.'Robert: 'Am I?'Bonin: 'Well you should, we are at 4,000.'As they approach the water, the on-board computer is heard to announce: 'Sink rate. Pull up, pull up, pull up.'To which Captain Dubois reacts with the words: 'Go on: pull.'Bonin: 'We're pulling, pulling, pulling, pulling.'The crew never discuss the possibility that they are about to crash, instead concentrating on trying to right the plane throughout the final four minutes.Dubois: 'Ten degrees pitch.'Robert: 'Go back up!…Go back up!…Go back up!… Go back up!'Bonin: 'But I’ve been going down at maximum level for a while.'Dubois: 'No, No, No!… Don’t go up !… No, No!'Bonin: 'Go down, then!'Robert: 'Damn it! We’re going to crash. It can’t be true!'Bonin: 'But what’s happening?!'The recording stops.

◈一刀斎は只、吠えて居るのではなく、彼の異議申し立ては確かな情報を持って警鐘として発してくれています ◈

2011年11月15日火曜日

平野正吉美術館の藤田嗣治「秋田の行事」

世界的な洋画家藤田嗣治(1886~1968年)が残した大壁画「秋田の行事」の科学調査が16日、所蔵する秋田市の県立美術館(平野政吉美術館)で始まる。1937年に描かれて以来初めての本格的な調査。藤田が当時、どのような材料や技法で制作していたのか注目される。調査は18日までの3日間で、県教委の委託を受けた山形市の東北芸術工科大文化財保存修復研究センターが行う。目視で作品の状態などを確かめた後、紫外線や赤外線を当てて顔料や下書きの有無などを調べる。エックス線による透過写真撮影も行い、作品の内部構造を明らかにする。

「秋田の行事」は縦3.65メートル、横20.5メートルの巨大な油彩画。竿燈まつりや梵天(ぼんてん)、かまくらなど秋田の風物が色鮮やかに描かれている。資産家だった秋田市の平野政吉が美術館建設構想を打ち出した際に藤田に依頼し、約半年間の取材を経て15日間で描き上げたとされる。藤田は乳白色の裸婦像などの作品で知られる。技法は長年謎に包まれていたが、2000年以降の修復作業などで、1920年代や40年代の作品ではベビーパウダーを使っていた可能性が高いといわれている。当時も今もほとんど使われない画材だった。

「秋田の行事」の調査は30年代の藤田作品としては異例で、この時期の技法について解明が進むかどうか関心が高まっている。
研究センターの大場詩野子常勤嘱託研究員(西洋絵画修復)は「どのように作品が描かれたのかを解明するのが目的だが、これまで明らかになっていない藤田の技法の一面も見つけられたらと思う」と話している。
「秋田の行事」は、秋田市中心市街地再開発事業で建設中の新県立美術館に飾る目玉の作品。県教委は他に十数点の藤田作品の調査も依頼しており、結果は2013年秋以降の本格オープンに合わせて開く展覧会で公開する。
河北新報 2011年11月15日火曜日

    2011年11月14日月曜日

    昌子チャンからのメールです。


                      お誕生日おめでとうございます
                   お元気で益々のご活躍を期待しています!!
    確か、和夫さんと誕生日が一緒、60歳を過ぎると時の流れが50代よりも速く感じられるのは気のせいでし     
    ょうか? これからは健康が一番になりますね!

    ピレネー国立公園の作品もみましたよ!春日さんがメールを転送してくれて、また、ブログでも。機会があっ   
    たら間近で作品を見たいものです。

    フランスの秋はどうですか? こちらは暖かな日が続き 紅葉がいまいちです。
    先日 四国の紅葉の名所(小豆島の寒霞渓、徳島の大歩危、小歩危、そして愛媛の石鎚山の麓の面河渓など)   
    を回って来ましたが早かったり又は色づく前に枯れたり、落ちたりと残念ながら 今年はいつも綺麗な色づき   
    ではないということでした。いまいちの紅葉はこんな感じです。
    12月22日から予定していた南フランスは29日からになってしまいました。去年のプラハやブダペストよ
    り南フランスは暖かいのでしょうか?   クリスマス寒波が心配です。
                  
                 12月1日に松戸の本土寺紅葉の集いを計画しています。
                    いつものメンバーですが 後日報告しますね。

                          冨樫 昌子

    Joyeux  Anniversaire  Satoru 
    ☐そうで〜す、11月14日は、私の誕生日、和夫ちゃん(佐藤和夫)と同じ14日で、東京とパリで祝ってます。
    今日は和夫チャンからメールを頂き(お互い送信しています)、春日の勝ちゃんからは誕生日祝いのケーキが描いて在る奇麗なメールも頂いています。
    今年の夏は初めて夏風邪と言うのを日本で引いて、治ったと思ったらぶり返したりの連続で、健康第一と痛感して車は使わず歩く様にしています、今日の昼は住まいの近くの地下鉄 Alesia からVavin 迄 散歩、La Rotonde で2週間ぶりの赤ワインを頂いての昼食、15時から、パリ国立美術学校の 同級生で家族付き合いして居る友人、Pierre-Francçois  Gors の葬儀に出て、自分の誕生日に友人と教会で別れる不思議な日、夕食は自宅で、プレゼントのケーキは昨年 Le Notre のケーキだったので、今年は Eric Kayser のケーキとか、私には食べやすく美味しかったで〜す、ロウソクは6本(60本以上はケーキが傷んじゃいそうなのでと)、ロウソクの火は孫のカオリ・シシリアと一緒に消し、プレゼントも頂き満足でした。さて、元気な昌子ちゃん、今年の末は、南仏に途中パリで再会出来るか楽しみにしている所です。プラハやブタペストよりは何と言っても南ですからそれに地中海気候ですから温かいです。勿論、寒波が来れば南仏にも雪が降る時も在りますが、10日前でしょうか南仏で洪水が在ったり自然破壊の激変、自然界に異常が来てその影響で子供達も荒く成って来ています、と言っても、パリの枯れ葉舞う季節の公園の散歩は気候的にも最適です。12月1日の松戸の本土寺での紅葉の集まり、報告を楽しみにしています。☐

    2011年11月13日日曜日

    U・F・O ちゃんからのメールです。

    阿武隈川が流れる宮城県最南端に位置する深秋の丸森町を訪ねて。
    丸森町の商家、齋理屋敷(江戸時代から昭和にかけて七代続いた豪商・齋藤家の屋敷)を見学、お昼は郷土料理を頂いて、不動尊公園を紅葉する木立の中を散歩しながら、御影石の周りを流れる清流のガラスのような透明さに五感が癒されて、一瞬時が数百年戻ったかの錯覚に落ち入りました。久々の絵葉書のようなロケーションでした。帰りは亘理の餅処、木の幡で餅揚げのお菓子凍天を買い求めて、仙台空港&ゆりあげ浜経由で戻りました。里の秋を十分に満喫出来た一日でした。
    途中まだまだ漁船の残骸など心が痛む光景を見つめながら復興の時を待ち望んで、手を合わせて参りました。

    ▶ 忙しい方には、心身を癒す時がないと、たとえ一瞬でも必要な事と思います、紅葉からそろそろ寒い冬ですね、東日本大震災から8ヶ月が経ち、死者・行方不明者は計1万9488人、被災地では厳冬期を前に今も不明者の捜索が続いて居ると言う、又、各地で復興に向けた復旧作業のニュースを聞き、頑張って欲しいと願っています。◀

    2011年11月10日木曜日

    青森発・橋本さんよりメールです。


    花巻の土沢での「アート@つちざわ」に参加し、11月6日が最終日、その夜は花巻温泉に宿を取り、翌7日に撤収、私は版画を屋外にインスタレーションする試みをしました。こう書くと また佐藤さんに温泉三昧で ? 優雅な誤解を与える印象、持たれそうですが。
    7日の撤収後にも、鉛温泉の藤三旅館という宿に泊まり自分でひとり「打ち上げ」です。ここは秘湯温泉のなかでも有名、深さが150cm以上ある立って入る石造りの湯船「白猿の湯」が自分へのご褒美です。
    温泉に泊まって翌8日 前から気になっていた岩手の沿岸部を初めて見ました釜石から宮古まで、車で走り、青森に向う道中、、、、ただただ絶句です。車を停め気軽になぞカメラを向けたりもできません、
    釜石大観音の高台まで行き そこから街の様子を哀しく眺めるだけでした。 ご自愛くださいますよう、                     橋本尚恣

    ▶ 橋本君とは、長い付き合い、彼がTSAの新入生の時から、他の学生とは違う雰囲気を持った学生で、卒業後、東京に長く居た後に、青森に帰り、自宅にアトリエを開設して青森発の制作&発表を重ねている友人です。
    私が青森の五拾壹番館画廊で個展を企画して頂いた時に、ひさしぶりに青森で再会、その時、十和田湖の山中の古びた温泉に連れて行って頂き疲れが癒されました、私も温泉大好きですから、それはそれは、温泉や湯治と言う言葉を聞くと羨ましい限りです、花巻と言えば、私が生まれる前から縁が在り、又、パリに留学する前、43年前でしょうか、宮澤清六(賢治の弟)先生宅を訪ねて花巻に行き、高村山荘をみて、花巻温泉に行った事が在りました、懐かしい想い出です、来年は、是非、藤三旅館を訪ねてみたいですね。それにしても三陸沿岸部の破壊の凄さに、規模の大きさ、被害が大きすぎて、でも、皆さん、明日に向かって歩き出しています、パリに居ても、忘れられない災害でした ◀ 
    写真は既成の石碑に木版で何百枚も貼った作品、所が、天候が悪く、 雨にも負けて、風にも負けての補修作業に追われっぱなしだったそうです。

    2011年11月8日火曜日

    田手さんからのお知らせです。

    突然ですが、宮城県松島の親戚<円通院>から連絡がありました。
    本日8日の20:00からNHK総合で歌謡コンサートがあるそうです。
    下記情報の<当院>は松島・瑞巌寺に隣接する<円通院>の住職からです。
    現在、庭園を夜間公開中(11月23日までの午後5時30分~午後9時)でライトアップされた紅葉が見ごろのようです。 http://www.entuuin.or.jp/
    松島の島々のおかげで比較的被害が少なかった松島海岸ですが、拝観が可能になり観光施設も通常営業中とはいえ、少しずつ戻っているとはいえ、観光地での観光客減はいかんともしがたいそうです。
    不思議な風評被害も蔓延していますが、皆さんの力をお借りしてこれからの復興に向かおうとしている被災地への ご協力をお願いします。
    本日 20:00からのNHK歌謡コンサートが松島から放送されます
    当院からも中継があります。時間がありましたら、見てください。

    昨日、宮城県多賀城市の市長に会いました。高校の同級生です。毎年恒例の国分寺まつりに、大震災後の復旧に国分寺市からも職員を派遣していたことから、そのお礼に来ていました。
    偶然プログラムを見ていると多賀城市長挨拶という部分が目に飛び込み、挨拶の前後ならば会えるかもしれないということで久しぶりに行ってみました。時々テレビや写真で市長を見ていましたが、10数年ぶりにもかかわらず彼のほうから声をかけて来て、「どうしてここに?」と驚いていました。私たちの結婚披露パーティーで司会してもらいました。海に接していない多賀城市にどうして津波が・・・と言うほうが先だったそうです。多賀城は1000年以上前に起きた貞観地震の時に大きな被害を受けたそうです。それを慰霊するために祇園祭が始まったそうです。
    今回は1㎞離れた海岸から仙台港の後背地にある工場や倉庫に遮られて、貞観の時ほどは浸水地域が広がらないにもかかわらず、その強さで死者多く、工場や倉庫が無くなったり、住民が避難しているために税金面の減収がかなりの額になるので、その対策に頭を抱えているそうです。また、浸水地域はし尿処理場が被害を受けたり、工場からは油が流れ出して汚水に混ざったために水が引いた後も強いにおいが残っているそうです。この情報は多賀城市の職員から聞きました。このような情報は現地に行かないとわかりませんね。
    みんな前向きに考えているそうです。そこに国の対応が引き気味なので、地方自治体への影響も大きいことがわかりました。
    長くなりましたが、よろしくお願いします。海外の方は無理ですね。
    田手宏道

    2011年11月6日日曜日

    ミコちゃんからのメール、


    冬支度です
    こちらは夕方、こんばんは、ですが、パリは午前10時頃ですか ?  この写真は 2階のベランダで写しました。蜂屋丸という渋柿が庭にあるので ながぁ〜い手鋏で取って 夜なべをして皮をむき、吊しました、まだまだ柿の木に沢山の柿があるので、しばらくは 夜なべが続きそうです。
    早く 美味しい干し柿が出来るのが楽しみです。

    〖 懐かしいですね、こたつに入り、柿の表面が少し硬く、表面に白粉な噴いた甘みの在る美味しい干し柿を思い出します、食べごろは12月半ばから1月でしょうか、パリでは作れない食べれない干し柿で〜す。理由は簡単、柿の木が無いのです。深秋の季節を知らせる素敵な写真に感謝 〗




    2011年11月4日金曜日

    フランス、カンヌでの、G20サミット閉幕。

    11月4日、EUギリシャ支援の受け入れを国民投票にかけると言ったパパンドレウ首相の提案は、ドイツ、フランスと言ったEU首脳やアメリカ政府の圧力とギリシャの閣僚の中でも意見が対立、ギリギリの所で撤回するとギリシャ政府が発表、、EU諸国が心配したギリシャのEU圏離脱とそれにともなうヨーロッパ、経済、世界経済の混乱は回避された形で、G20の閉幕は、イタリアが IMF の監視を申し出た事を歓迎したと言う、宣言で終了、特に目立った公約もなく、各国の首脳の宣伝に利用されただけと厳しい報道、特に、来年、大統領選が在るフランスではサルコジ大統領のリーダーシップを表に出し、サミット閉会後、オバマ大統領とサルコジ大統領が二人で15分間のテレビ出演、仏米の友好を前面に出した演出でした(特に目立った会見ではないにしろ)。


    2011年11月3日木曜日

    和夫ちゃんからのメール。

    11月に入りました。今日あたりは東京もまだ暖かいです。

     31日〜11月2日、湯治と紅葉散策をかねて福島裏磐梯の温泉に行って来ました。五色沼は3時間ほど歩きましたが  すごい紅葉、西吾妻山を2時間ほどトレッキングしてきました。さすがに歩きすぎで今日はふくらはぎが痛みます。
    今日は大学ラグビー早稲田VS帝京で秩父宮に行きましたが12:8で負けました。
    ギリシャも国民投票とか言い出して デフォルトする気ですかね? 困ったもんです。
    福島原発も「僅かながら核分裂の兆候がみられる」とかとんでもないことがニュースになつてます。       それではまた                  和夫

    ▶  久しぶりに、竹馬の友・和夫ちゃん(佐藤和夫)からのメールをブログに掲載させて頂きました。
    パリもここ2、3日、珍しく温かく成っています、湯治と紅葉、福島裏磐梯の温泉ですか、温泉好きの私には羨ましい話、やはり健康が一番です、来年は山形に同級生の仲間と行く計画が在る様で、山形には青島ダーが居るので楽しみにしている所です。ラグビーは残念でしたね、ワントライで逆転でしたから、早稲田の3連覇は厳しく成りましたね、昔、早稲田と明治の試合をご一緒した事を思い出します。
    そうそう、こちらのテレビ、ラジオ、新聞報道関係も連日、ギリシャの話題です、パリでも、いや、ヨーロッパ諸国(ユーロ圏諸国)でもギリシャ支援に対して、特に、ドイツとフランスの駆け引きが注目されていましたが、今度はギリシャのパパンドレウ首相がギリシャ支援に対してギリシャ自体で受け入れの為の国民投票実施を表明した事で(拒否される可能性を含んでいる訳で)、これ迄、ギリシャ支援の条件を自動的に受け入れるであろうと想定したシナリオが崩れ、G20首脳会談直前に、ユーロ財政危機が更に大きな問題と成る可能性が在ると激震が走りました、財政再建と言う支援は、支援する側と支援される側の条件が在るわけで、そして、各国の国益と、政権保持の条件が潜んでいる訳ですから、仏独両首脳会談で、ギリシャの国民投票で受け入れが否決された場合は、80億ユーロの支援はしないと(8600億円)、ヨーロッパのいや、世界の金融市場の危機に成る可能性もある訳で、それはそれは危機の緊張がヨーロッパに流れました。そこには世界の大舞台で活躍する政治家の役者ぶりが、サルコジ大統領、メルケル首相、ファンロンパイEU大統領、それに、ラガルドIMF専務理事が緊急会談、G20の会談では、オバマ大統領も出席、世界経済の安全を、勿論、中国からの支援も視野に入れながら、各国代表が、世界の繁栄と自国の繁栄の為の駆け引きが垣間みられますね、そう言う時、日本の政治家は表舞台に出て来ないのは、今始まった事では在りませんが、銭(支援金)は出すが発言はしない、出来ない我らが祖国、頑張って欲しいですね。
    福島原発事故は、東北、関東に大きな被害を与えたと外国で報道され、当時の国際通貨基金(IMF)の専務理事(フランスにストロカーン)が、世界経済は、景気回復に向かっているが、大きな不安が在ると、それは、東日本大震災、欧州の債務危機、中東の政情不安を指摘していました、日本経済の優先課題は震災、津波の復旧、人々の苦痛を和らげ、直ちに復興と、只、復興は、原発事故の早期收束にかかっていると、問題はここですね、外国から原発の受注も在る日本が限りなくガラス張りに近い状態で復興出来るのか、それには、我々自身の政治への参加意識、日本の世界の状況を知り、協力して行く事が大切と思われますね。◀

    Hommage à NEIMAN 遺作展

      Yehuda NEIMANの遺作展が、パリの画廊街 41 rue de Seine の Galerie Vallois にて、11月3日から30日まで、開催されています。Neimanとは作品傾向も異なり14歳も年上の先輩、何故か縁が在り気が合い、1999年、韓国の国際現代シンポジュームでご一緒したり、毎週土曜日、美術評論家の Gerard Xuriguera 氏が中心の 昼食会&お茶会( Gorge V )の常連、おしゃべりが大好きで、1950年代後半から60年代の良きモンパルナス時代を良く知っている楽しい方でした、写真と彫刻作品を作る作家で1960年早々、華々しく活躍し出し、日本でも、滝口修造、瀬木真一の紹介で招待作家として日本で個展を開いて、作家の岡本太郎、菅井汲、今井俊満、堂本尚郎とも交流の在った作家、今年の夏に80歳で亡くなり、
    遺作展のオープニングでは、Mimi(奥様)が会場に居りましたが、ご主人を亡くされお疲れの様子、会場に来るお客の対応は長男夫妻が為さり、紹介文は、Pierre Restany と親しく、Neimanとも共通のつきあいの友人 Gerard Xuriguera 氏のテキスト、孫も親しい仲間達も駆けつけた会場は人で一杯でした、皆さんと、ひさしぶりの再会、彼のお別れ会には日本滞在中で出席出来ませんでしたが、遺作展のオープニングに駆けつける事が出来て何となく安心、2006年、仙台ネッツトヨタでの企画展、日仏現代絵画実展にも参加して頂きました。